『金日成主席革命活動史』

第5節 社会主義経済管理の原則を擁護、貫徹し、
社会主義の物質的・技術的土台を強固に築くための活動
 

 1980年代の中ごろ、金日成主席は国際共産主義運動に生じた難局を鋭く洞察し、チュチェの革命の旗を引き続き高く掲げて進むことを内外に厳かにせん明した。

 主席は、1986年12月の最高人民会議第8期第1回会議が開催される前日、社会主義の完全な勝利のための綱領を打ち出す趣旨について述べながら、一部の社会主義国が社会主義の原則に反して修正主義、改良主義に走っているとし、我々は革命の旗を引き続き高く掲げ社会主義の完全な勝利をめざして力強くたたかわなければならないと強調した。

 主席は1986年12月末、最高人民会議第8期第1回会議でおこなった施政演説『社会主義の完全な勝利のために』で、チュチェの革命的な旗を引き続き高く掲げていくための原則と方途を明示した。

 主席は、社会主義の完全な勝利を達成することは、社会主義建設の合法則的要求であり、資本主義から社会主義への過渡期に遂行すべき歴史的課題であるとし、完全に勝利した社会主義社会は、全社会が労働者階級化され、全人民が国家と社会の平等な主人として自主的かつ創造的な生活を営む完成された社会主義社会であると述べた。そして、完全に勝利した社会主義社会は階級がない社会であり、社会の全構成員の完全な社会的・政治的平等と裕福な物質・文化生活が保障される発達した社会であると述べた。

 主席は、社会主義の完全な勝利を達成するうえで基本問題となるのは、人間と社会関係を労働者階級の姿に改造して階級的差をなくし、無階級社会を実現することであるとしたうえで、労働者階級と農民の階級的差をなくすためには、社会主義農村問題に関するテーゼを貫徹し、協同的所有を全人民的所有に変え、生産手段に対する全人民的所有の全一的支配を確立しなければならないと強調した。

 主席の施政演説を心に受けとめた軍隊と人民は、「卑怯者去らば去れ、われらは赤旗守る」という革命歌を高らかにうたいながら、チュチェの革命の旗のもとに社会主義の完全な勝利をめざす壮大な進軍を力強く進めていった。

 主席は、チュチェ思想の旗のもとに社会主義経済管理の原則を擁護、貫徹するための活動を導いた。

 主席は、実践を通じてその正当性と生命力が実証されたテアンの事業体系をはじめ、チュチェの経済管理システムを固守し、終始一貫それを貫かなければならないと指摘し、党の経済路線と政策を幹部の確固たる信念とならしめることに第一義的な関心を払った。

 主席は、1987年1月の中央人民委員会第8期第1回会議・政務院全員会議第1回会議合同会議で、朝鮮式の経済管理原則を堅持するよう強調し、他国が社会主義建設で右往左往しているからといって、我々は絶対に動揺してはならず、チュチェ思想の旗を高く掲げて進まなければならないと述べた。また、同年3月の化学工業部門の責任幹部協議会では、修正主義、改良主義を排撃し、我々の方式で生きていくためには、チュチェ思想で武装し、事大主義に反対してたたかわなければならないとし、事大主義に毒されれば他国をあがめ、他国に追従するようになり、他国が修正主義に走れば自分も修正主義に走り、他国が教条主義に陥れば自分も教条主義に陥り、他国が改良主義に走れば自分も改良主義に走るようになる、したがって、幹部は事大主義思想に毒されないよう強く警戒しなければならない、と指摘した。そして、党の路線と政策を信念とすることができなければ動揺し、修正主義、改良主義に陥るようになる、幹部は決して他の国が実施している修正主義、改良主義の政策に惑わされてはならず、朝鮮労働党の路線と政策を信念とし、それをあくまで貫徹していかなければならないと強調した。

 主席は、1988年9月8日の朝鮮民主主義人民共和国創建40周年記念祝賀報告大会での報告『チュチェの革命の旗を高く掲げ、社会主義・共産主義偉業を最後までなし遂げよう』をはじめ一連の著作で、社会主義経済管理の基本原則を再び明らかにしたうえで、チュチェの経済管理システムを擁護、貫徹するうえで提起される問題について具体的に説き明かした。主席は、社会主義経済に対する指導と管理において政治的指導と経済的・技術的指導、国家の統一的指導と個々の単位の創意性、民主主義と唯一的指揮、政治的・道徳的刺激と物質的刺激を正しく結合させなければならないと強調し、幹部たちがいささかも動揺することなく社会主義経済管理の原則を固守していくよう政策的な線を明確に示した。

 主席は、工業に対する指導と管理を改善することに大きな力を注いだ。

 人民経済の規模が膨大になり、各部門間の生産上の連携がかつてなく複雑になった新たな現実は、それに即応して経済をより合理的に管理、運営できるよう企業の組織形態を発展させることを求めた。

 主席は1984年11月中旬と1985年11月中旬におこなわれた政務院常務会議と朝鮮労働党中央委員会政治局会議などの機会に、以前から構想を練り、試験的に一部の企業で実施して豊かな経験を積んだ新たな企業組織形態である連合企業所システムを全面的に確立するための措置を講じ、当該部門の具体的特性に即して連合企業所をさまざまな形式で組織するようにした。

 こうして、企業管理において集団主義を確固と保障し、国家の唯一的計画に従って生産を手配しながら経営活動を創造的におこない、チュチェの経済管理システムをより立派に貫徹することができるようになった。

 主席は、農業に対する指導、管理においても、主体的な社会主義農業指導体系を擁護し貫徹するよう導いた。

 主席は1986年12月27日の朝鮮労働党中央委員会第6期第12回総会をはじめ多くの機会に、社会主義農村問題に関するテーゼが示した道に沿って協同経営制度をさらに強化し、全人民的所有の大農場制に移行する方向に進まなければならないと述べた。そして、協同経営を社会主義制度本来の要求に即して集団主義的方法で管理、運営する原則を堅持し、それに反する個人主義的管理方法の些細な要素も厳しく警戒するようにした。また、協同農場の管理・運営水準を高め、作業班優遇制を正しく実施し、集団主義的原則にもとづく分組管理制をさらに強化し、分組の役割を高めて、それが集団の利益と個人の利益を正しく結合させる管理制度、分配制度としての優越性を十分に発揮するようにした。

 主席は、幹部たちに社会主義経済管理知識を体得させることに深い関心を払った。

 1989年6月、新設された人民経済大学の部門別の研究室を見て回り、社会主義社会で計画経済を固守しなければ人民経済を絶えず急速に発展させることはできず、社会主義経済制度を擁護し固守することもできないとし、計画経済を固守しなければならないと強調した。

 主席は、社会主義経済建設を強力に推進し、完全な社会主義社会にふさわしい強固な物質的・技術的土台を築くための活動を指導した。

 主席は、第3次7か年(1987〜1993)計画を遂行するためのたたかいを指導した。

 第3次7か年計画の基本課題は、人民経済の主体化、近代化、科学化を引き続き強力に推進し、社会主義の完全な勝利のための物質的・技術的土台を強固に築くことであった。この計画は、人民経済の各部門に近代的技術を装備させ、生産能力をさらに造成するための基本建設を大々的におこない、生産を急速に伸ばすことを見通した膨大な計画であった。

 ところが、新たな展望計画を遂行するたたかいの前途には多くの難関が横たわっていた。アメリカ帝国主義は共和国を経済的に圧殺しようと、最新科学技術と重要な戦略物資の輸入を妨げ、修正主義者と改良主義者は資本主義の道を踏み出して国際主義の原則を放棄し、彼らの修正主義的政策に従わないからといって朝鮮に経済的圧力までかけていた。こうした環境にあって、国際的協力を期待することはできなかった。

 主席は内外の新たな環境に対処して、自力更生、刻苦奮闘の革命精神をさらに強く発揮するよう導いた。

 1987年1月の経済部門責任幹部への談話で、「自力更生、刻苦奮闘の革命精神をさらに強く発揮して、第3次7か年計画の高い目標を繰り上げて達成しよう!」という戦闘的スローガンを示した主席は、新たな展望計画の初年度である1987年の初めから人民経済の各部門、各単位に対する現地指導をおこない、すべての勤労者が自力更生の革命精神を強く発揮して、第3次7か年計画を遂行する闘争に立ち上がるよう呼びかけた。そして、1987年10月下旬には南興(ナンフン)青年化学連合企業所を訪れ、この企業所は自力更生の精神に徹した工場であるとし、自力更生の模範として押し立てた。

 自力更生の炎は全国に燃え上がった。こうして、第3次7か年計画の初年度の課題は立派に遂行され、新たな展望計画を成功裏に遂行できる突破口が開かれた。

 主席は200日間戦闘を繰り広げることを発起し、全党と全人民を奮い立たせた。

 主席は、新たな展望計画の2年目の年である1988年の新年の辞で、社会主義建設の各分野でいま一度、一大高揚を起こして共和国創建40周年を勝利者の大祝典として輝かすよう強調した。そして、同年2月の朝鮮労働党中央委員会政治局会議で、共和国創建40周年を迎えて200日間戦闘を繰り広げることを決定し、全党員に送る党中央委員会の手紙と党中央委員会のスローガンを採択するようにした。次いで、200日間戦闘の総体的方向と目標、その実現方途を示し、組織・指揮システムを確立するなど具体的な作戦を手配し、みずから200日間戦闘の陣頭指揮に当たった。

 戦闘期間、主席は、昼夜の別なく毎日、重要プロジェクトの建設と電力、鋼材、石炭、セメントの生産、運輸部門から報告を受けて提起されている問題を解決し、平壌市内の重要建設現場を現地指導しながら建設者を励ました。

 全党と全人民が奮起して200日間戦闘を成功裏におこなったことで、共和国創建40周年を勝利者の大祝典として迎えることができた。

 主席は共和国創建40周年記念祝賀報告集会で、200日間戦闘によって盛り上がった気勢を緩めることなく、集団的革新運動を力強く繰り広げ、第3次7か年計画のすべての目標を達成するよう呼びかけた。

 すべての党員と勤労者は、主席の呼びかけに従っていま一度新たな200日間戦闘を力強く繰り広げ、人民経済の主体化、近代化、科学化の水準向上に大きく寄与する500余りの重要建設を完成させ、人民経済の各部門でかかげた高い生産目標を立派に遂行した。

 主席は、人民経済の各部門が近代化され、部門構造が完備した主体的な経済を建設するたたかいを力強く導いた。

 まず、採掘工業、金属工業をはじめ、基幹工業部門の生産能力を一段と高めるようにした。

 主席は、基幹工業部門で、既存の工場、企業の設備をより効率的で精密な近代的設備に改造し、生産能力を最大限高める一方、新たに近代的な工場、企業を大々的に建設するようにした。

 主席は技術発展の新たな段階の要請に即して、機械工業と電子・自動化工業を発展させるため、1988年11月におこなわれた朝鮮労働党中央委員会第6期第14回総会で、技術革命と社会主義経済建設を推し進めるうえで鍵となる工作機械工業と電子・自動化工業の発展方向と方法を示し、全党と全人民は総会の決定を実行するため大いに努力すべきであると強調した。

 こうして、安州地区炭鉱連合企業所、茂山(ムサン)鉱山連合企業所、金策(キムチェク)製鉄連合企業所など多くの工場、企業が拡充され、渭原(イウォン)発電所、チョンリマ製鋼連合企業所の5.18大型鍛造工場など近代的な工場、企業が建設された。また、近代的な各種の電子要素と自動化計器・器具の生産においても大きな発展を遂げた。

 主席は、人民経済の主体化、近代化、科学化の要請に即して人民経済の先がけである電力工業と鉄道運輸を新たな高い段階へと発展させるよう導いた。

 主席は、水力発電所を基本とし、それに火力発電所を適切に組み合わせる電力工業の基本的な発展方向を示し、大規模の水力発電所を新たに建設するとともに、至るところに中小発電所を数多く建設するようにした。また、大規模の水力発電所である泰川発電所建設工事の主要課題である膨大な用水路トンネル工事とダム建設工事を人民軍に任せ、300余にものぼる綱領的な指示を与えて、発電所の建設を大胆に推し進めるようにした。

 こうして、1988年8月、泰川1号、2号発電所が操業を始めた。この他にも、1980年代に大規模の発電所が操業または部分的に操業を始めたほか、数百の中小発電所と幾つかの閘門発電所が建設された。

 主席は人民経済各部門において生産が急速に伸びるに伴い、鉄道輸送をあくまで優先させるようにした。早くから鉄道電化の方針を示した主席は、それまでの成果にもとづいて鉄道の電化を強力に推進する一方、1988年8月には恵山−満浦青年線の鉄道建設を完成させ、次いで8軸電気機関車と100トン級の貨車を製作して鉄道の重量化を実現させ、逼迫していた輸送問題解消に展望を開いた。

 主席は、農村における技術革命を積極的に推し進めた。

 農村技術革命を積極的に推し進めることは、社会主義の物質的・技術的土台構築の要請に即して農業を工業化、近代化するため切実に求められていた。

 主席は、1987年10月下旬、経済部門の責任幹部への談話『社会主義農村テーゼに示された技術革命の課題を立派に実現するために』で、農村テーゼの貫徹において提起される当面の課題は農村技術革命を力強く推し進めることであると指摘し、その方途を具体的に示した。

 主席は、農村テーゼに示された水利化、電化、機械化、化学化の4大技術革命の課題を数年で実現しようということは朝鮮労働党の確たる決心であるとし、まず農村の水利化を実現することに力を入れた。

 主席は用水の問題を完全に解決するため、西部地区200里区間の水路工事を発起した。これは、西海閘門と泰川発電所の建設によって生まれた大規模な貯水池の水を平安南北道と黄海南北道の穀倉地帯にある農場まで引く膨大な工事であった。

 主席は、用水路の図面を見ながら具体的な指図を出し、必要な設備と資材の供給対策まで綿密に立て、工事の進行状況を具体的に調べて提起される問題を一つ一つ解決した。

 その結果、基本水路100里、支線100里、合計200里の西部地区水路工事は速やかに進捗した。

 主席は農村の水利化とともに、電化、機械化、化学化も積極的に推し進めた。

 農村の電化を実現するため、国からの電力供給を増やし、大衆運動によって中小発電所を建設して、脱穀と乾燥、粉砕など農作業に必要な電力需要を満たすようにした。そして、農業の総合的機械化を実現するため、トラクターとトラック、苗取り機、田植機、稲刈機、肥料や農薬を施す機械をはじめ、農業機械をより多く生産、供給するようにした。また、農村の化学化を実現するため、化学肥料と農薬の生産を増やすための措置も講じた。

 社会主義農村テーゼで示された農村技術革命の課題が実現されるにつれ、朝鮮の社会主義農業の物質的・技術的土台はさらに強固なものとなった。





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