金正日総書記革命活動史

第8章 先軍の旗を高く掲げて社会主義強盛国家を
建設するために

第9節 先軍文化の全盛期をもたらすために

 金正日総書記は、社会主義強盛国家建設の要請に即して先軍文化の全盛期をもたらすための活動を指導した。まず、党の科学技術重視路線を貫徹して国の科学技術を飛躍的に発展させるよう導いた。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「科学技術は強盛大国建設の推進力であり、強盛大国は科学技術によって裏打ちされてこそ成功裏に建設することができるのです」

 総書記は2000年1月1日、党中央委員会の責任幹部への談話『社会主義強盛大国の建設において決定的な前進を遂げるために』で科学技術を強盛国家建設の3大柱の一つとして位置づけ、2003年10月15日には党中央委員会の責任幹部への談話『党の科学技術重視路線を貫徹することについて』をはじめ多くの著作で、党の科学技術重視路線の基本的要求とそれを貫徹するうえで提起される諸問題を明らかにした。

 党の科学技術重視路線の基本的要求は、短期間内に先端科学技術を早く発展させ、国の科学技術を世界的水準に引き上げ、社会主義強盛国家の建設を科学技術的に確固と保証することだと指摘した。そして、党の科学技術重視路線を貫徹するためには、科学技術発展の基本方向を正しく定め、それに力を集中し、国の科学技術発展に大飛躍をもたらして最先端を突破しなければならないと強調した。また、科学技術と生産を密接に結びつけ、科学者、技術者の役割を強め、科学技術に関する事業を全党、全国、全人民の事業として推し進めなければならないと述べた。

 党の科学技術重視路線を貫徹するためにまず、全社会に科学技術を重視する気風を確立するようにした。

 1999年を科学の年とし、すべての幹部が科学技術にたいする正しい観点に立って現代科学技術習得の先頭に立つようにし、すべての単位で科学技術の要求どおり働くようにした。また、科学者、技術者を社会的に大いに押し立て優遇し、彼らの研究条件と生活条件を十分に保障するようにした。そして、1999年3月と2003年10月には全国科学者・技術者大会、2005年10月には全国科学者・技術者突撃隊運動先駆者大会、2007年11月末〜12月初には全国知識人大会、2010年3月末には先軍時代の全国科学者・技術者大会を開いて、それらの大会が、科学者、技術者を強盛国家の建設に奮い立たせ、全社会に科学技術重視気風を打ち立てる重要な契機となるようにした。

 総書記は、科学技術の発展に一大飛躍を起こし、最先端を突破することに深い関心を払った。

 1999年1月の国家科学院にたいする現地指導をはじめ、国家科学院咸興分院、農業科学院ジャガイモ研究所、国家科学院生物工学分院など多くの科学研究機関を現地で指導して、科学者、技術者を最先端突破戦へと奮起させた。

 また、核心基礎技術である情報技術、ナノ技術、生物工学の発展に第一義的な力を入れ、そのなかでも情報技術、特に、プログラム技術を急速に発展させるようにした。そして、情報技術を発展させるため、情報技術の核心技術であるプログラム技術を発展させるうえで要となる朝鮮式のオペレーティングシステムの開発に力を入れるようにした。

 総書記は、核心基礎技術とともに新しい材料技術、宇宙技術をはじめ、先端科学技術の発展にも努めるようにした。このほかにも、経済強国の建設で切実に提起される科学技術的問題の解決に力を注ぐようにした。こうして、朝鮮は人工衛星「光明星2」号の打ち上げ成功という驚異的な成果をおさめるようになった。

 金正日総書記は、強盛国家建設の要請に即して教育事業に革命的転換をもたらすよう導いた。

 2001年9月19日、金策工業総合大学を現地指導した際の教職員への談話『金策工業総合大学は国の強力な科学技術人材養成基地である』と、2008年5月7日、党中央委員会の責任幹部への談話『社会主義強盛大国建設の要請に即して教育事業に革命的転換をもたらすために』をはじめ多くの談話で、先軍時代に教育部門に提起される主な任務と強盛国家建設の要請に即して教育事業に革命的転換をもたらすうえで堅持すべき原則、その遂行方途を示した。

 総書記は、教育事業に転換をもたらすためにまず、全国各地の多くの大学と学校を現地で指導し、教育部門の従事者が次世代の教育事業に知恵と精力を尽くしていくようにした。

 新世紀の初年である2001年9月と2006年1月に金策工業総合大学を現地指導し、ついで金元均平壌音楽大学、咸興化学工業大学、清津鉱山金属大学、咸興医科大学、元山農業総合大学、熙川工業大学、金正淑師範大学、咸興水利動力大学などの大学を現地指導しながら、大学の使命と任務に即して強盛国家の建設を担っていく各分野の有能な科学技術人材をより多く、より立派に養成する課題を示した。また、2002年10月と2003年7月には両江道三池淵郡茂峰中学校と英雄江界将子山第1中学校を、2009年2月と4月、8月には金基松会寧第1中学校と楽元郡西中中学校、江原道文川中学校を現地指導し、授業の参観もしながら、教員が次世代の教育に高い熱意を示すよう細やかに心を砕いた。

 また、著作『教育事業をさらに発展させることについて』発表20周年に当たる2004年10月に開かれた全国教育者大会が、教育部門従事者を党の教育政策貫徹に奮い立たせるうえで画期的な転換の契機となるようにした。

 総書記は教育体系を整備し、改善、完成するようにした。

 英才教育システムと大学教育システム、専門学校教育システムを整備、完成し、働きながら学ぶ高等教育システムをさらに強化、発展させるようにし、全民学習、社会教育の強化にも深い関心を払い、2007年4月11日、党中央委員会、内閣の責任幹部への談話『人民大学習堂は金日成同志の貴い遺産であり、全民学習の大殿堂である』で、社会全体に革命的学習気風を確立し、社会教育を強化するうえで人民大学習堂に提起される重要な問題を明らかにした。特に、金日成総合大学をモデルにしてすべての大学を盛り立てるようにした。2009年7月24日の教示と9月11日、党中央委員会の責任幹部への談話、2009年12月11日、党および教育部門の責任幹部への談話『金日成総合大学をチュチェ教育と科学の最高殿堂に、世界一流級の大学にいっそう立派に整えよう』をはじめ多くの談話で、金日成総合大学を世界一流級の大学に整備する雄大な構想を示し、2009年と2010年に再度大学を現地指導し、それを実現するための方向と方途を具体的に提示した。

 総書記は、教育内容と方法を改善して強盛国家の建設に役立つ革命的人材をより多く養成するようにした。

 まず、すべての教育段階で政治・思想教育を優先させながら科学技術教育を強化する方向で教育内容を構成するようにし、現代科学技術の急速な発展とその水準の飛躍的な向上に即して教育内容を絶えず改善し、補充、完成させていくようにした。教育内容とともに教育方法を改善するため、金日成主席の示した啓発式授業方法を具現することに力を注ぎ、情報産業時代の要請に即してコンピュータとビデオ、マルチメディア編集物などの視覚演習手段を大いに利用するようにした。また、優れた授業方法を考案して広く一般化させ、授業で優秀な教員と新しい授業方法を考案した教員には「10.8模範教育者」称号と新授業方法登録証を授与するようにした。これと同時に、すべての学校で理論と実践、教育と生産労働を適切に結合し、学校での試験方法、学生・生徒の実力評価方法を改善するようにした。

 総書記は、教員の責任感と役割を強め、学生・生徒の学習熱意を高めるようにした。

 教員の責任感と役割を強めるために、教員が職業革命家としての政治的・思想的品格を備え、教育者としての科学理論的資質と実力を高めるようにした。また、教員を社会的に大いに押し立て優遇する気風を打ち立てるようにし、特に、2008年には教員栄誉勲章と教員栄誉メダルを制定して功労のある教員に授与するようにした。

 また、学生、生徒の学習熱意を高めることに深い関心を払い、すべての学生、生徒が党の示した学習第一のスローガンを高くかかげて党と革命、祖国と人民のために学びに学びまた学ぶようにし、特に、2009年12月17日には金日成総合大学に「自国の地を踏まえ、目は世界に向けよ! 崇高な精神と豊富な知識を兼備した先軍革命の頼もしい根幹となれ! 奮発しまた奮発して偉大な党、金日成朝鮮を世界が仰ぎ見るようにせよ! 2009・12・17 金正日」

 という親筆書簡を送り、すべての学生に明確な学習目標と正しい見解をもたせるようにした。

 総書記は、教育事業にたいする国家的保障と社会的関心を高めるようにした。

 教育に必要な物質的条件を優先的に、責任をもって提供することに第一義的な関心を払い、金日成総合大学をはじめ、主要な大学に近代的な教育設備を提供するようにした。また、金策工業総合大学に電子図書館と体育館を設け、ついで金日成総合大学に電子図書館と水泳館を建設するようにして2009年と2010年に4回も現地指導し、咸興化学工業大学と金亨稷師範大学をはじめ、各級学校を立派に整備するよう取りはからった。また、社会的に模範教育郡称号獲得運動を活発に繰り広げるようにし、2005年には初めて教育後援基金を設けて、次世代教育のための支援事業を全国的規模だけでなく国際的規模でも活発に展開するようにした。

 金正日総書記は、先軍時代の文学・芸術を高い境地に引き上げるための活動を賢明に指導した。まず、先軍時代の要求にかなった思想性・芸術性の高い文学作品をより多く創作するようにした。

 作家が現実に深く入って現実を反映し、時代の要求を具現した文学・芸術作品を多く創作するようにした総書記は、2001年9月に長詩『五聖山に稲妻ひらめく』、詩『遠い後日の歴史家たちに』『前線高地にぬか星流れる』『五聖山兵士の物語』をはじめ、作家が創作した数多くの作品を見て細かに指導し、作家が何の不便もない創作活動ができるよう厚い配慮をめぐらした。こうして、長編小説『天池』『閲兵の広場』『西海戦役』『江界の精神』など数多くの小説と詩が創作された。

 総書記は、先軍時代の映画制作で新たな高揚を起こすようにした。

 軍人と人民を社会主義防衛の精神で教育し、強盛国家の建設に立ち上がった軍人と人民を革命的に教育するのに役立つ劇映画をより多く、立派に作るようにし、新しく作られた劇映画を見て、映画部門の創作家、芸能人が、先軍時代を立派に反映させた映画を作るよう励ました。

 劇映画とともに記録映画、科学映画、児童映画の制作にも深い関心を払い、創作原則と方途を示してこれを賢明に指導した。こうして、1990年代末についで新世紀に入っても映画創作に新たな転換がもたらされ、模範作品である劇映画「平壌ナルパラム」と「白玉」をはじめ、多くの劇映画と記録映画、科学映画、児童映画が制作された。

 総書記は、舞台芸術部門でも一大転換をもたらすようにし、主体的舞台芸術の開花期を開いた。

 音楽芸術分野に新たな転換をもたらすため、すばらしい歌を多く創作するようにすると同時に、非凡な音楽的才知をもって創作方向と方途を示し、創作家の創作的情熱を大いにかき立てた。また、国立交響楽団の芸術創造活動に深い関心を払い、2004年から2011年の間に20数回にわたって交響楽団の公演を見て、チュチェ交響楽をさらに発展させるための課題を示し、彼らの創作公演舞台である牡丹峰劇場を特色のある劇場に改装する措置をとった。

 こうして、2005年と2008年に音楽会形式の芸術公演『祖国の青空』と『降仙の夕焼け』など新しい形式の音楽芸術作品や管弦楽と合唱『雪が降る』をはじめ、多くの作品が創作されてチュチェ音楽芸術の発展に大きく寄与した。

 総書記は、マスゲームと芸術公演を適切に結合した大マスゲームと芸術公演を創作、公演するようにした。

 党創立55周年を迎え、マスゲームと芸術公演『百戦百勝の朝鮮労働党』を完成させ、それについで金日成主席の生誕90周年と朝鮮人民軍創建70周年を迎えて大マスゲームと芸術公演『アリラン』の創作を発起し、作品の「種子」と内容から構成と形式、作品に入れる歌に至るまで細かに指導した。大マスゲームと芸術公演『アリラン』は、2007年8月15日にギネス世界記録証書を受けた。

 総書記は、時代精神を反映させた軽喜劇と演劇をより多く創作し、『血の海』式革命歌劇と世界的な名作も新世紀の要求に即して立派に再生して公演するようにした。

 こうして、金日成賞受賞作品である軽喜劇『山びこ』(2010年再創作)をはじめ、多数の軽喜劇と金日成賞受賞作品である演劇『今日を思い起こさん』(2011年創作)が先軍時代の傑作として創作、公演された。これとともに、2009年と2010年には歌劇『紅楼夢』『エブゲニー・オネーギン』『梁山伯と祝英台』、演劇『ネオン街の兵士』など外国の名作も再生されて広く公演された。

 総書記は、強盛国家建設の要請に即して大衆文化・芸術活動も活発に展開するようにした。

 人民軍で創造された大衆文化・芸術の模範を大いに見習うようにし、2003年3月と2007年10月には大衆文化・芸術活動にたいする指導体系を確立した。また、大衆文化・芸術活動に広範な大衆を参加させるため、人民軍でのように社会でも労働者、事務員の家族芸術サークルコンテストを開催するようにし、2010年4月には第2回4月の春人民芸術祭の大衆芸術部門総合公演を観覧した。これとともに、興南肥料連合企業所と平壌市内の大学生の芸術サークル公演状況をはじめ、多くの単位の大衆文化・芸術活動状況を確かめ、党の思想と要求にかなった芸術活動を革命的に繰り広げていくようにした。

 金正日総書記は、スポーツと保健医療事業に画期的な転換をもたらすようにした。

 スポーツの発展に深い関心を払い、まず、専門スポーツ技術を発展させるようにした。

 スポーツ部門の幹部とスポーツマンにたいする思想教育に第一義的な力を入れ、2001年1月、スポーツ部門の幹部と選手が革命的軍人精神を見習って活動気風と活動態度に新たな転換をもたらすようにした。

 スポーツ技術を発展させるために2001年2月をはじめ、多くの機会に、スポーツ部門で勝算のある種目に力を入れ、国際競技で世界の覇権を握るよう導き、2006年9月12日と30日には、党、軍隊の責任幹部への談話『朝鮮式のスポーツ競技原則と競技方法を具現して国のスポーツ水準を決定的に高めよう』で、思想戦、闘志戦、速度戦、技術戦を一貫して堅持するよう強調した。

 また、スポーツ科学を発展させるため、2002年2月、スポーツ図書館の建設問題を検討して図書館を充実させるようにし、7月には全国スポーツ部門科学者会議を開催させ、特に2008年6月25日には党中央委員会の責任幹部への談話『スポーツ科学を早急に発展させるために』で、スポーツ科学を速やかに発展させるための諸問題を明らかにした。

 また、スポーツの大衆化方針を貫徹するように力を注ぎ、特に、2000年10月、芸能人スポーツ大会開催中の金日成競技場へ出向いて芸能人たちを激励した。

 こうして、マラソン女王や4重世界女子柔道選手権保有者が生まれ、女子サッカー選手団が国際競技で好成績をおさめるなど、スポーツ発展において新たな転換がもたらされるようになった。

 総書記は、人民保健医療事業に新たな転換がもたらされるようにした。

 党の予防医療方針を貫徹し、医療奉仕と科学研究活動、物質的・技術的土台を近代的に改善する活動を強力に推進させた。特に、医薬品の生産と医療機器の生産に深い関心を払い、2000年12月には新設された医薬品研究所と注射器工場を、2001年12月と2005年9月には江界高麗薬工場と興南製薬工場を訪れ、大衆医薬品の生産と医療機器の生産を画期的に増大させるようにした。これとともに、江西鉱泉水のような鉱泉水を国家的に保護し、広く利用することにも深い関心を払った。

 金正日総書記は、社会主義的生活文化を確立し、民族文化遺産を正しく継承し発展させるようにした。

 全国に先軍時代にかなった社会主義的生活文化を確立するようにした総書記は、2003年2月10日、7月2日、党中央委員会の責任幹部への談話『先軍時代に即した社会主義的生活文化を確立するために』で、全国に時代の要請にかなった生活文化を確立するための旋風を巻き起こすよう強調し、それを実現するための事業を精力的に指導した。

 すべての人が、自分の住む村と町、住宅と職場などの生活環境を新しい時代にふさわしく文化的に、清潔に整備するようにし、服装や身づくろいを時代の要請にふさわしくし、言葉づかいや食生活の文化水準を高めることにも深い関心を払った。

 総書記は、民族文化遺産を正しく継承し発展させる事業を賢明に指導した。

 歴史文化遺跡を原状どおり保存、管理し、それを通じての教育を正しくおこなうようにするため、2002年6月に高原郡の梁泉寺、2003年2月と4月には博川郡の深源寺、金野郡の安佛寺を訪ねたのをはじめ、数多くの歴史文化遺跡を訪ねて現地で指導した。

 また、良風美俗をはじめ、民族固有の民俗伝統と風習を生かしていくことに深い関心を払い、2002年9月8日、2003年1月2日、党中央委員会の責任幹部への談話『朝鮮人民の優れた民族的伝統を大いに生かすために』と、2007年3月20日、31日、党中央委員会、文学・芸術部門の責任幹部への談話『啓蒙期の歌謡は、朝鮮民族の貴重な音楽遺産である』をはじめ多くの談話で、それを実現するための原則的諸問題を明らかにした。また、2008年12月には、平壌市の大城山地区に民俗公園を建設する構想を示し、その位置と規模、建設形成方向と内容に至るまで細かに指導した。





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