金 正 日

朝鮮人民のすぐれた民族的伝統を大いに生かすために
朝鮮労働党中央委員会の責任幹部への談話 
−2002年9月8日 2003年1月2日− 

 朝鮮人民のすぐれた民族的伝統を大いに生かし、継承、発展させていかなければなりません。

 民族的伝統を正しく継承し大いに生かしていくことは、民族性を固守するうえで重要な意義を有します。民族的伝統は、民族性に根差しています。国と民族の自主性を守るためには、自己の民族性を固守しなければなりません。どの民族であれ、自己の民族性を固守できず異質化すると、国と民族の自主性を守っていくことはできません。

 昔から朝鮮人民は、勤勉かつ誠実で正義感が強く勇敢であり、信義を重んじ礼儀作法をわきまえていることで広く知られてきました。朝鮮人民のすぐれた民族的伝統を正しく生かしてこそ、人々に朝鮮民族としての誇りと自負をより深く植え付け、民族の一構成員としての責任と義務を深く自覚し、それを立派に果たしていくようにすることができます。

 朝鮮人民に固有のすぐれた民族的伝統を大いに生かしていくことは、わが党の一貫した方針です。わが党は、常に民族性を重んじ、それを社会生活のすべての分野に具現し、美しく気高い我々の民族的伝統を継承、発展させていくようにしています。

 民族自主意識と民族的自尊心、祖国愛と民族愛は、自民族の優秀性を深く体得し、日常生活において民族的なものを愛し尊ぶことから生まれるものです。民族性を尊ばず、祖先伝来の風習も人民の生活感情もわからない人は、真の革命家、愛国者にはなれません。

 わが国の対外的環環は複雑であり、帝国主義者の思想的・文化的浸透策動が甚だしい状況のもとで、我々が民族的伝統を正しく生かしていかなければ、人々は腐り切ったブルジョア文化と生活風潮に染まり、我々の社会の健全かつ革命的な生活気風はすたれてしまうでしょう。朝鮮人民がすぐれた民族的伝統を守り、民族性が強ければ、帝国主義の思想的・文化的浸透を防ぎ、いかなる異質な風潮も浸透できないようにすることができます。

 良風美俗をはじめ、民族的伝統を正しく生かしていくことは、祖国統一のためのたたかいが新たな高い段階で繰り広げられているこんにち、いっそう重要な問題となっています。朝鮮民族は、昔から一つの言語と血統、文化をもち、同じ国土で数千年もの間生活してきた単一民族です。わが国のように固有な民族性をもった単一民族は世界にありません。南朝鮮人民のあいだで外部勢力を排し、わが民族同士で祖国統一を実現しようという気運が高まっているいま、我々が民族性を押し立て、民族的伝統を生かしていけば、彼らに大きな力と勇気を与えることになるでしょう。

 我々は、朝鮮民族固有の文化的伝統と良風美俗を守り、それを人民の要求と利益に即して生かしていくことに引き続き深い関心を払わなければなりません。朝鮮人民のあいだに伝承されてきた民俗的慣習には、民族の高尚で美しい精神的風格と情緒が反映されています。

 旧正月をはじめ、民俗祝日を楽しく過ごすべきです。

 朝鮮人民は、昔から新年を迎える祝日として旧正月を祝ってきました。アジアの多くの国々も昔から旧正月を祝っています。わが国に陽暦が導入されて以来、旧正月を盛大に祝う風習は徐々にすたれました。陽暦の正月を基本として祝うのは西洋式です。これからは陽暦の正月は簡単に過ごし、旧正月を盛大に祝うのを恒例化するのがよさそうです。

 我々は旧正月だけでなく、小正月、ハンガイ(中秋)などの民俗祝日もより意義深く過ごし、朝鮮民族固有の文化的伝統と生活伝統を正しく生かしていくべきです。

 民俗遊戯を奨励すべきです。民俗遊戯は、種類が多く多様であるだけでなく、その一つひとつにみな特色があり、朝鮮人民が好んで楽しむ娯楽です。民俗遊戯を奨励するのは、人民の民族的誇りと自負を高め、全社会に文化・情操生活気風を確立するうえでも有益です。

 子どもたちに民俗遊戯を盛んにさせるべきです。以前は子どもたちが好む遊戯が多かったのですが、いまでは、そういう遊びをする子があまり見当たらず、子どもの遊戯に関する本もほとんど出版されていません。子どもたちにたこ揚げやこま回し、チェギ蹴り、そり乗り、縄飛び、隠れん坊、バッタ打ちなどの民俗遊戯を盛んにさせるべきです。

 わが国は、昔から東方の礼儀の国と呼ばれてきました。礼儀作法を守るのは、朝鮮民族固有の美風であり、伝統です。朝鮮人民は東方の礼儀の国に住む人民らしく、礼儀作法をよく守らなければなりません。

 子どもを愛し、年寄りを敬い、友愛の情が厚く、隣近所が助け合ってむつまじく付き合うのは、昔から伝承されてきた朝鮮人民の美徳です。このような民族的道徳品性をこんにちの現実に即して継承、発展させていくべきです。

 弟子が師を尊敬するのも民族的伝統だと言えます。社会に母校を愛し、師を敬う気風を確立すべきです。幹部は、自分の母校と自分を教えてくれた教師を忘れない品性を身につけるべきです。母校を訪ねたり、師に手紙を送ったり、師の誕生日に祝い状や花束を贈ったりすれば社会により高尚で豊かな情緒がみなぎることになるでしょう。

 父母を尊敬し、家庭での礼儀作法をよく守るべきです。家庭では、父母の真剣な訓戒を子が肝に銘じ従うべきなのですが、そうなっていません。青春男女の結婚問題にしても、親を差しおいて自分勝手に決めるケースが少なくないとのことです。以前は、親の承諾を得てはじめて結婚し、さらに離婚などは自分勝手にできませんでした。わが国には昔から、いったん結婚すれば別れずに一生をともにするというよい風習があります。もし、離婚するようなことがあれば、一家の恥さらしだとして人前に立てなかったものです。ところが、いまはそうではありません。女性のあいだには舅、姑によく仕えない傾向も見られます。教育活動を強化して、家庭の礼儀作法に反することが生じないようにすべきです。

 あいさつを交わすときには握手ではなく、朝鮮式におじぎをする習慣を身につけるべきです。おじぎをするのは、わが国固有の礼法であり、握手にまさっています。握手をしなければ高慢だととがめる人もいるとのことですが、それは間違った考えです。握手は西洋の礼法であり、衛生の面からしてもよくありません。

 人々のあいだで握手する習慣をなくし朝鮮式の礼法を極力奨励すべきです。

 言語は民族の基本的な表徴の一つであり、言語生活は民族文化を発展させ、民族性を固守するうえで非常に重要な働きをします。言語生活においては、朝鮮語と文化語を極力生かしていくべきです。朝鮮語の標準文化語は、平壌語です。平壌語の使用は久しいまえに打ち出した文化生活の原則です。朝鮮語に外来語や標準語でない言葉が絶対に混入しないようにすべきです。我々は言語生活においても、あくまでも主体性と民族性を生かしていくべきです。

 民族衣装と民族料理を大いに奨励し発展させることが大切です。民族性は、言語生活や固有な礼儀道徳にもあらわれますが、とりわけ衣装と料理によくあらわれます。

 民族服を着つけるようにすべきです。民族服である朝鮮服は見た目にもよく、着るのも簡単です。朝鮮女性が着るチマ・チョゴリは、世に誇るべきものです。昔から朝鮮の女性は、明るく優雅な自然色のチマ・チョゴリを着用しました。ところが、いまはチマ・チョゴリをよく着ようとせず、服装がおかしくなっています。民族服をいやがり、けばけばしい衣服を好むのは見すごすべき問題ではありません。民族服を着ようとしないのは、民族性が欠けた表現だと言えます。

 女性が優雅で見栄えのする朝鮮のチマ・チョゴリを着るよう大いに奨励すべきです。女性がチマ・チョゴリを着ると端正に見えます。女子学生もチマ・チョゴリを着、外交部門の女性も朝鮮服を上品に着こなすようにすべきです。民族服を着ることについて、勤労者団体の組織が教育を活発におこない、家庭でも父母が子を教育して、朝鮮服を着るのを誇りとし、胸を張って生きるようにしなければなりません。

 現在、人々は、民族料理をつくって食べるという民族的風習を正しく生かさず、ないがしろにしています。民族料理を無視すれば、民族的な食生活風習がなくなってしまいます。実際、わが国には固有な民族料理がたくさんあります。平壌冷麺にしても、昔から名高い朝鮮固有の民族料理です。平壌は昔から冷麺が有名で、玉流館は平壌冷麺で世界的にも名高いレストランです。餅をついたり製麺機を押さえて麺を打つのもわが国特有の風習であり、冬至にアズキ粥を食べるのも朝鮮人民の民族的な風習の一つです。キムチは、朝鮮民族がいちばん好む民族料理の一つです。朝鮮人民は、膳にキムチがのぼればいちばん喜びます。キムチや餅、麺など朝鮮人民が好む民族料理を大いに奨励し、それを簡単においしくつくって食べられるようにすべきです。

 民族料理を発展させるには、伝来の民族料理を大いに奨励するとともに、新しい料理も絶えずつくり出すべきです。我々が新しい民族料理をつくって一般化すれば、次の世代にはそれが民族料理となって後世に伝えられるようになるでしょう。朝鮮人民が好むみそを使ってさまざまな料理をつくって広めるとともに、料理コンテストといったものも催して民族料理を発展させるべきです。

 民族的伝統を継承、発展させるうえで、いくら祖先伝来の慣習であっても、社会の発展を阻害し、人民の志向に反するものは改めなければなりません。昔から伝えられてきた生活慣習や風俗には、封建的なもの、迷信じみたものなど、古く立ち遅れたものも少なくありません。民族的伝統を生かすからといって、復古主義に陥ってはなりません。立ち遅れた、人民の志向に合わないものは捨て去り、進歩的で人民的なものをこんにちの現実に即して継承、発展させるべきです。そうしてこそ、民族的情緒と人民の生活感情に合った新しい民族文化と生活気風を創造していくことができるのです。

 文学・芸術部門で民族性を正しく生かすことが大切です。

 国立民族芸術団が朝鮮民族のすぐれた踊りのリズムを探し出し、コリチマを着て粋な朝鮮の踊りを踊るのを観ましたが、なかなか見物でした。朝鮮の踊りは粋な律動が基本です。朝鮮の踊りを決してごっちゃまぜのものにしてはならず、民族固有の粋な律動を正しく生かさなければなりません。民俗舞踊の衣装においても自己の固有な特徴を生かすべきです。

 民謡を奨励すべきです。民謡は、民族の情趣に富み、深い内容をもっています。民謡は朝鮮人民の民族的情緒と生活感情をよく反映しているので、聞けば聞くほど味わいがあります。民謡は独唱でも重唱でもうたい、より多くの民謡を収集、整理して特色が出るようにうたうべきです。

 民族楽器をよく生かすべきです。民族楽器は、朝鮮民族固有の生活感情と情緒に合い、長い間人民に愛され発展してきた立派な伝統をもっている楽器です。ところが、民族楽器はあまり利用されていません。かつては『シンアウ』のような民謡を民族器楽の合奏と合唱にしたものがとてもよかったのですが、いまは、そういう歌を耳にすることができません。

 芸術部門では、民族楽器を大いに生かして利用し、とくにカヤグム(伽耶琴)を奨励すべきです。カヤグムの演奏では、弄弦(朝鮮の民族弦楽器奏法の一種)が基本です。カヤグムの演奏では弄弦を見事に生かしてこそ魅力が感じられるのですが、最近、カヤグムを弾くのを見るとハープを奏するようにし、和音を出そうとばかりしています。以前、タンソ(短簫)独奏で『軍営の春』を演奏した際、カヤグムで伴奏しながら弄弦を正しく生かして民族的色彩の濃いものにしました。カヤグムは朝鮮民族固有の楽器なのですから、演奏で弄弦をよく生かして民族色がにじみでるようにすべきです。

 わが国の啓蒙期の文学・芸術をよく研究し、そこからすぐれた民族的情緒を探し出し、現代の美感に合わせて発展させていくべきです。啓蒙期の文学・芸術のなかには、日本帝国主義の苛酷な植民地支配を痛嘆する哀愁と悲哀に満ちた作品もあり、朝鮮民族固有の文化、情緒を盛り込んだ作品もあります。啓蒙期の歌謡にしても、時代の制約によってこんにちの歌のような革命的な思想はありませんが、そこには、祖国を奪われた朝鮮民族のうっぷんと侵略者にたいする抵抗、郷土愛、民族固有の情緒が盛り込まれています。ところがひところ、啓蒙期の歌謡が何であるかも知らない人たちがそれを悪い歌だとしてうたえなくしました。『落花流水』『涙に濡れた豆満江』もうたってはならない歌のようにみなされました。啓蒙期の歌謡は、人民のあいだに広くうたわれた大衆歌謡なのですから、うたって問題になることはありません。啓蒙期の歌謡にたいする誤った認識から正す必要があります。

 我々は、すぐれた民族的伝統をさまざまな形式と方法で広く紹介、宣伝すべきです。人々に我々の固有な民族的伝統について教え、それを奨励するようにすべきです。出版物やテレビを通じて、勤労者に朝鮮民族固有の生活風習について広く宣伝する必要があります。朝鮮民族の衣服と食生活の風習はどういうものであり、民俗祝日にはどのようなものがあり、どのような物をつくって食べ、民俗遊戯はどのようにおこなったのかといったことも教えるべきです。人々に民俗祝日や休日を利用して民俗博物館や歴史博物館も多く参観させるべきです。そうすれば、彼らは朝鮮民族の悠久の歴史と伝統、生活風習をよりよく知るようになり、民族的自負と愛国心をより深く体得するようになるでしょう。学界でも朝鮮民族の風習と風俗について深く研究し、それに関する知識も多く執筆して出版物に載せるべきです。

 すべての幹部と勤労者、育ちゆく新しい世代は、朝鮮民族のすぐれた風俗と伝統をよく知り、正しく生かして、朝鮮民族第一主義の精神をもって民族の尊厳と優秀性をさらに輝かせていかなければなりません。

出典:『金正日選集』15巻


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