『金日成主席革命活動史』

第2節 自立的民族経済建設路線を提示。
初の人民経済計画の遂行


 金日成主席は、社会主義革命段階へ移行する過渡期初期の経済建設路線と人民経済復興発展の方向および方途を示し、全党と全人民を経済建設へと導いた。

 主席はまず、自立的民族経済建設路線の貫徹に力を入れた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「(略)国の経済的自立が保障されない限り、政治的独立は望めません。経済の自立性のない国家は、砂上の楼閣にすぎません。

 国家の完全自主独立と発展をなし遂げるためには、自立的民族経済を建設して経済の自立性を確立しなければなりません」(『国家の財政管理を立派におこなうために』1947年2月28日)

 自立的民族経済の建設は、国家と民族があらゆる経済的従属から脱し、勤労人民大衆の自主性を物質的に裏打ちする根本的な保障である。いかなる民族であれ、自立的民族経済を建設してのみ、国の繁栄と人民生活の向上、政治的独立および防衛力の強化が可能である。

 この問題は特に、帝国主義植民地時代の立ち後れた経済をひきついだ新興諸国において緊切な課題として提起されている。これらの国々では、自立的民族経済を建設してはじめて経済の植民地的跛行性と奇形性、後進性を早急に克服し、経済建設のテンポを最大限に高めて先進諸国に追いつくことができ、外部勢力の干渉をしりぞけて民族の自由な発展と繁栄を遂げることができるのである。

 主席は、自立的民族経済建設の基本的内容を明らかにした。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「自立的民族経済を建設するというのは、国を富強にし、人民生活を向上させるうえで必要な重工業および軽工業製品と農産物を基本的に国内で生産し供給できるように、経済を多面的に発展させ、近代技術で装備し、自国の強固な原料生産地をきずきあげて、すべての部門が有機的に結びついた一つの総合的な経済体系を形成することを意味します」(『朝鮮民主主義人民共和国政府の当面の課題について』1962年10月23日)

 自立的民族経済を建設するためには、国の繁栄と人民生活の向上に必要な工業製品と農業生産物を基本的に国内でまかなえるよう、総合的で多面的な経済構造を備えるべきであり、それに必要な近代技術と強力な原料源、人材問題を自力で解決すべきである。

 これは、すべての物質的需要を自力でみたし、拡大再生産を独自に実現し、経済の安定した自立的発展を保障して経済的自立を達成する根本的条件である。

 主席は、自立的民族経済建設の基本方途を、自力更生の革命的原則に立って人民大衆の創造力とすべての資源を最大限に活用し、自国の経済的条件と具体的な実情にもとづいて経済建設の順序を正確に定め、それを強く推進することであると指摘した。これは、あらゆる経済的従属と後進性を一掃し、自力で自立的・総合的経済を建設する革命的かつ主体的な経済建設路線であり、社会主義・共産主義の物質的・技術的基盤づくりの総体的方向と基本的内容を解明した科学的な経済建設路線である。

 主席は、日本帝国主義の暴虐な植民地支配の結果、全般的に立ち後れ、しかも、甚だしく破壊されている経済の実情を分析して過渡期の初期を人民経済の復興期と規定し、経済建設の基本的方向を示した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「(略)我が党と人民は、民主的な社会的・経済的改革でおさめた成果をかため、それにもとづいて民族経済を復興発展させる経済建設の道に入りました。ここで重要なことは、破壊された経済をたんに復興するだけではなく、工業とその他各部門で、長いあいだの日本帝国主義支配の悪結果を一掃し、国営部門が支配的な地位を占める方向で、民族経済を復興発展させることでありました」(『北朝鮮労働党第2回大会でおこなった中央委員会の活動報告』1948年3月28日)

 人民経済の復興発展において優先的に解決すべき問題は、破壊された経済を立て直して国家経済の正常な運営をはかり、疲弊した人民生活を早急に安定させることであった。しかも、それはたんなる復興でなく、植民地的跛行性と奇形性を一掃して国の経済力を強化し、民族経済の自立的基盤をきずくことに主眼がおかれた。

 人民経済を復興発展させるうえではまた、国営部門が全経済分野で支配的な地位を占めることが重要で、それは、社会主義経済建設を促し、人民経済の復興発展と自立的経済基盤の構築をはやめる基本的な条件であった。

 主席は人民経済の復興発展におけるこうした条件を解決するためには、当分のあいだ、現有の重工業工場を復旧して、人民経済の発展に必要な機械設備と原料、資材を生産する一方、軽工業部門を新たに創設して重工業との均衡を保ち、同時に農業を急速に発展させるよう導いた。

 主席はまた、人民経済の復興発展をはかる過渡期初期の経済建設の基本方向に立脚して、党の経済政策の基礎を明らかにした。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「我が党の経済政策の基礎は、重要な工業部門と鉄道運輸、逓信、貿易および金融機関にたいする国家の直接的・計画的管理を保障し、人民経済の発展でたえず国営部門の指導的役割を強め、それにもとづいて国営部門と協同組合部門と私営部門を正しく結合することにありました」(同上)

 人民経済の計画的管理は、社会主義経済発展の合法則的な要請であった。これなしには、人民経済を国家と人民の利益に即して合目的的に発展させることができず、生産の成長を早め自立的民族経済の建設を促すこともできなかった。

 民主改革の実施によって、共和国北半部では、国営経済部門と協同経営部門が発生し、社会主義的経済形態が人民経済の全分野で指導的地位を占めたので、経済の計画化を実施することが可能であった。

 人民経済の復興発展において重要な問題はまた、各経済形態の相互関係を正しく設定することであった。特に、多くの経済形態が並存していた状況のもとで、これは緊切な問題であった。

 各経済形態の相互関係では、国営部門の指導的役割をたえず高めながら、他の経済部門をそれと正しく結びつけることが重要である。そうしてこそ、人民経済の復興とその社会主義的発展を保障し、協同組合部門と私営部門も正しい方向に導くことができるのである。

 これと同時に協同経営と私営部門も適切に発展させる必要があった。この問題は、国の生産潜在力と可能性を残らず利用して経済建設を促し、労農同盟を強化し、全人民の団結を保障するために、必ず解決されなければならなかった。

 主席は過渡期初期の党の経済政策にもとづいて、人民経済の復興発展を指導した。

 まず、朝鮮で最初の1947年度人民経済計画を作成し、その遂行に全人民を呼び起こした。

 この計画では、多くの工場、企業所を復旧して工業生産を前年度の192%に、穀物の収量は118.6%にそれぞれ高め、人民生活を急速に向上させることが予定された。

 経済建設の経験に欠け、民族技術幹部や熟練労働者が極めて不足し、原料、資材、資金も皆無にひとしかったうえ、祖国が分断され、アメリカ帝国主義者と階級敵の破壊・謀略策動が激化していた当時、この膨大な計画を遂行することは容易なことでなかった。

 1947年度計画が公表されたとき、動揺分子と反動分子は、「でたらめな計画」「絶対に実現不可能だ」などと言って計画を中傷した。

 しかし主席は、勤労人民大衆の愛国的熱意と無限の力を信じて、全人民を計画の完遂へと立ちあがらせた。経済建設にたいする党の指導を重視した主席は、党の組織指導活動の改善策を講じ、1947年3月、党中央委員会第6回会議でおこなった結語『大衆指導方法を改善し、今年度の人民経済計画を成功裏に遂行するために』、同年7月党中央委員会常務委員会での結語『生産にたいする工場党組織の指導を強化するために』などで、人民経済計画を完遂するための各級党組織の課題を示した。それは、党の各組織が経済建設を掌握し、党員の前衛的役割を高めることに努力するとともに、人民大衆に党政策と経済・技術知識を習得させ、増産突撃運動を展開して党員と勤労者の愛国的熱意と創意を発揚させ、経済建設にたいする組織指導活動の軽視と計画遂行にたいする無責任な態度を是正し、古い活動方法と作風をしりぞけて、革命的活動方法と人民的活動作風を確立することであった。

 主席は、これらの課題を実行するため生産単位の党組織を整備、強化し、各級党組織が経済建設にたいする指導を最大の任務とするよう導いた。主席の指導のもとにすべての党組織が生産の保障に主力を注ぎ、党員と勤労者を人民経済計画の遂行に呼び起こして新たな成果をおさめた。

 主席はまた、人民経済計画の遂行において人民政権機関の役割を高めるために、政権機関の経済幹部の陣容を強化し経済建設の理論と方法を習得させ、各級政権機関の職能を明確に規定し、計画を無条件遂行する厳密な秩序と規律を確立する措置をとった。

 主席は特に、人民経済の計画遂行において職業同盟をはじめ大衆団体の役割を高めることに深い関心を払った。当時、反党・反革命分派分子は、国営企業所でも労働と資本のあいだには階級的利益が対立し、支配人と労働者が対立関係にあるので、両者間には闘争がおこなわれるという「理論」を唱え、労働者と人民政権機関間に紛争が生じるさい、職業同盟は最大限労働者の利益をはかるべきであると言って、あたかも職業同盟が労働者と人民政権機関の「矛盾」を解決する機関であるかのように主張した。

 これは、人民政権下の職業同盟の任務に反する誤った主張であり、結局、労働者が人民政権を相手にしてたたかうべきであるという反動的な理論である。

 主席は、分派分子の反革命的・反動的詭弁を粉砕し、職業同盟をはじめ、大衆団体が党と大衆を結びつけるベルトの役割、生産者大衆を教育して経済建設に呼び起こす大衆的政治組織の役割を果たすよう導いた。

 主席は人民経済計画の遂行を陣頭で指導した。

 主席は、国家建設全般の指導に多忙を極めながらも、多くの工場、企業所や農村を現地指導して勤労者を励まし、ゆきづまっている問題には正しい解決策を示した。

 1947年の7月と12月には黄海製鉄所を訪ねて、黄海製鉄所の労働者は国を担っていく大黒柱であると高く評価し、自力で溶鉱炉を復旧するよう励ます一方、製鉄所復旧の具体的な対策を講じた。同年4月には、平安南道价川郡中興灌漑工事場と江東郡マタン灌漑工事場を現地指導し、多くの労働者と技術者、設備を送って工事を田植え前に完工させ、6月には美林平野に出向いて田植えを手伝い農民を励ました。そして同年の秋、陽徳郡クジゴルの農民を訪ねて「山をひかえたところでは、山をよく利用しなければならない」と言って、山を利用して収益を高める「黄金山」の時代を開いた。

 主席の指導と配慮に励まされた全国の勤労者は、人民経済計画の期限前完遂に決起した。

 労働者たちは、日本帝国主義者が10年かかっても復旧できないと言った黄海製鉄所の溶鉱炉をわずか4か月余りで操業し、興南肥料工場、城津製鋼所その他多くの工場、企業所も続々と復旧して生産をはじめた。農民も灌漑施設を広げ先進営農法を取り入れるなど、食糧増産に励んだ。こうして、1947年度人民経済計画は、国営工業生産額計画を102.5%に上回り、穀物も前年度に比べて17万トン増収した。1947年度工業総生産額中、国営工業が占める比率は80.2%に達し、社会主義商業網の流通額も前年度の9倍以上に増大した。教育、文化、保健医療部門でも大きな成果が達成され、人民生活も著しく改善された。

 1947年度人民経済計画の成功は、主席の提示した過渡期初期経済政策の正しさを立証した。

 労働者、農民は、経済建設を通じて自己の力の偉大さと創造的才能を確かめ、いかなる難関も突破して自力で繁栄する自主独立国家を建設することができるという確信と民族的自負をいだいた。最初の人民経済計画の遂行によって、党は経済建設指導の貴重な経験を積み、人民経済を急速に発展させ人民生活を向上させる基礎をきずいた。

 主席はこの成果にもとづいて、1948年度人民経済計画の遂行へと全党、全人民を導いた。

 1948年度計画には、国営および協同団体の工業総生産嶺を1947年度実績の141%に増大させ、農業の発展を促して北半部の食糧問題を基本的に解決することが予定されていた。

 主席は1948年2月北朝鮮人民会議第4回会議と党中央委員会第12回会議で、年間計画完遂の具体的な方途を示し、平安南北道、咸鏡南道など全国の工場、企業所、農村を現地指導し、全人民を計画の完遂へと奮い立たせた。

 主席は勤労者にたいする政治・思想活動とあわせて、すべての生産単位における計画化水準および勤労者の技術・技能水準の向上、生産・労働力組織の改善などをはかり、増産と節約をめざす大衆的競争運動を活発に展開するようにした。

 こうして、1948年度人民経済計画も完遂された。国営工業生産は1946年度の2.6倍強に増大し、穀物収量も解放前の最高水準を10.4%上回って食糧問題が基本的に解決された。

 主席は経済建設とならんで、近代的正規武力の建設に力を傾けた。

 自己の強力な正規武力をもつことは、完全自主独立国家建設の基本的条件の一つである。内外の敵から主権を守る強力な民族軍隊のない国は、事実上、完全自主独立国家といえない。

 特に南朝鮮を占領したアメリカ帝国主義者が、1947年から北半部への武力挑発を激化させていた当時、正規の人民武力建設は一刻の猶予も許さない課題であった。

 主席は朝鮮革命と情勢の要請を見きわめて、解放直後から正規の革命軍隊の建設を新しい祖国建設の最大課題の一つとして提起し、朝鮮人民革命軍を正規軍に発展させる準備を進めてきた。幹部が乏しい困難な状況のもとでも、抗日革命闘争を通じて育成した優秀な幹部を人民武力の建設に当たらせ、平壌学院、中央保安幹部学校、保安幹部訓練所、朝鮮航空協会、水上保安幹部学校などを設立し、労働者、農民出身の多くの軍事・政治幹部を養成した。同時に正規武力の建設に必要な軍種と兵種を新設し、その物質的条件もととのえた。

 主席はこうした準備にもとづいて1948年2月、朝鮮人民革命軍を正規の革命武力に発展させた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「人民軍は抗日武装闘争期にきずかれた栄えある革命伝統を直接継承した軍隊であり、抗日闘士を根幹にして労働者、農民をはじめ勤労人民のすぐれた子弟で組織された人民の軍隊です。

 人民軍は、少数特権階級の搾取制度を武力で擁護し、絶対多数の勤労人民を抑圧、搾取し、他国にたいする侵略を使命とする帝国主義国家の軍隊とは異なり、敵の侵害から祖国と人民を守り、人民民主主義制度と民主建設の成果を守る使命を担っています」(『作家・芸術家の当面のいくつかの課題』1949年12月22日)

 朝鮮人民軍は、主席が抗日武装闘争のなかで創建した朝鮮人民革命軍を、新たな歴史的条件に即して発展させた強力な人民の軍隊、正規の革命武力であった。

 正規の革命武力の建設によって、朝鮮人民は自衛方針を貫く強力な現代的民族軍隊をもち、民族の自主権と国家の安全を自力で守る自主独立国家の軍事的基礎がかためられた。

 主席は、朝鮮人民軍を鋼鉄の隊伍に強化する措置を講じた。

 すべての軍人が党の革命思想、チュチェ思想とあわせて不屈の革命精神と闘志を身につけ、鉄の規律と巧みな戦術、百発百中の射撃術、壮健な体力を備えるために、思想・政治学習と軍事訓練に励んだ。全人民が人民軍を積極的に援護する一方、新設された軍需工業部門では近代的な武器や軍事物資が生産された。

 正規の革命武力の建設と戦闘力の強化によって、朝鮮人民はいかなる侵略者をもうち退けて祖国を守り、革命と建設をおし進めていけるようになった。





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