金正日総書記革命活動史

第3章 党の唯一思想体系確立のための活動を指導、
先軍政治の開始

第4節 文学・芸術革命を起こすための活動を指導、
古典的著作『映画芸術論』を発表

 金正日総書記は、文学・芸術革命を起こすための活動を賢明に指導して、チュチェ芸術の全盛期を開いていった。

 1964年12月8日、金日成主席の指導のもとに朝鮮劇映画撮影所で開かれた党中央委員会政治委員会拡大会議では、金正日総書記に文学・芸術部門の活動を受け持って指導することを委任した。

 総書記は1965年3月3日、党中央委員会の活動家への談話『文学・芸術部門で革命を起こすために』と同年12月11日の談話、1966年10月、党中央委員会の活動家への談話などで、文学・芸術革命を起こして新たな社会主義的文学・芸術の復興を実現する方針を示した。

 金正日総書記は次のように述べている。

 「我々が20世紀に革命的文学・芸術の手本を創造するためには、文学・芸術部門で一大革命を起こさなければなりません。我々は文学・芸術部門で一大革命を起こし、わが国で文芸復興を遂げなければなりません。わたしは最近、世界における文学・芸術発展の推移を研究しながら、わが国で文学・芸術革命を起こして新たな社会主義的文芸復興を遂げようと決心しました」

 文学・芸術革命を起こして新たな社会主義的文芸復興を遂げるというのは、文学・芸術のすべての分野で時代の要請と人民大衆の志向にかなった朝鮮式の新しい文学・芸術、真のチュチェの文学・芸術を建設することを意味する。

 金正日総書記は、抗日革命闘争の時期に創作された不朽の名作を映画をはじめ、文学・芸術の各ジャンルに再現することを基本にして、文学・芸術革命を精力的に指導した。

 総書記は、映画革命を先行させて文学・芸術革命の突破口を開いていった。

 まず、映画革命の担い手である映画人の隊伍をしっかりかため、彼らの政治的・実務的水準を高めることに力を注いだ。映画人が金日成主席の文芸思想研究会を定期的に行うようにし、しばしば映画芸術部門の会議を指導しながら、映画人が組織生活を通じて革命的に鍛えられ、創作の過程で徹底的に革命化、労働者階級化されていくように導いた。

 映画人の芸術的技能を高めるために、演技訓練、話術訓練、美学理論を深く体得するための芸術学習を強化し、技量発表会と舞台公演を定期的に行うようにした。

 こうした下準備にもとづき、映画創作活動に革命的転換をもたらすための活動に精力的に取り組んだ。

 1967年2月26日に白頭山創作団を組織し、『同志よ! この銃を受け取れ』をはじめ、抗日革命闘争回想記をテーマにした映画や劇映画『遊撃隊の5兄弟』など革命伝統をテーマにした作品創作過程で貴重な経験を積ませた。こうした準備にもとづき、1968年4月、映画芸術部門の創作家に、金日成主席が抗日革命闘争の時期に創作した不朽の名作『血の海』を映画化する課題を与えた。そして、この作品の映画化に当たって、原作に忠実でありながらも映画芸術のジャンルとしての特性を正しく生かす原則を堅持するよう強調し、何回も指導した。

 劇映画『血の海』を完成させた後は、古典的名作『ある自衛団員の運命』の映画化をわずか40日の間に立派になし遂げさせることによって、映画人が「速度戦」の火ぶたを切るようにした。これについで古典的名作『花を売る乙女』を脚色した劇映画『花を売る乙女』も成功裏に完成させた。

 総書記は不朽の名作を映画化する過程で、新しい創作指導体系と創作体系を打ち立てた。

 1970年6月18日、作家、演出家への談話『社会主義の現実を反映させた革命的映画をより多く創作しよう』で、全社会の革命化、労働者階級化に寄与する社会主義の現実をテーマにした映画をより多く創作する課題を示し、それを実現するための理論的・実践的諸問題を明らかにした。そして、数多くの現実をテーマにした作品の種子を選定し、それらの映画の創作過程を細かに指導した。そうして、1970年の1年間だけでも『花咲く村』をはじめ数十編の映画が成功裏に制作された。

 総書記は、主席の革命活動史と党の歴史を基本とする記録映画を立派につくり、科学映画、児童映画を発展させるためにも尽力した。

 総書記は、映画革命についで歌劇革命を起こすための活動を精力的に指導した。

 歌劇分野において旧来の形式を打ち破って革新を起こすため、1969年9月には歌劇革命を起こす方針を示し、革命的な内容と民族的形式にもとづいて歌劇芸術を近代化、通俗化することを歌劇革命の基本課題として提示した。そして、歌劇を革命的な内容で一貫させる基礎のうえで歌劇の形式を変革し、基本表現手段である歌を有節化し、パンチャン(傍唱)を広く導入し、舞踊をドラマと密着させ、ドラマの進展に伴って絶えず変わる流動式の立体舞台を作り出すという新しい歌劇創作原則を示した。

 1971年3月には、文学・芸術部門の幹部と創作家たちに、不朽の古典的名作『血の海』を歌劇化する過程を通じて歌劇革命を起こすよう強調し、その実現過程を精力的に指導した。

 総書記は、原作の深奥な思想的内容を損なうことなく再現し、従来のすべての歌劇とは根本的に異なる朝鮮式の歌劇台本を作らせた後、中央と地方の優れた創作家、芸能人を選りすぐって創作集団を組織し、革命歌劇の創作過程を指導した。

 歌劇創作の日々、創作家、芸能人とともに生活しながら、作品の種子とそれを形象化する方法、歌の歌詞と旋律、舞踊と舞台美術全般にわたって歌劇創作の原則を立派に具現するよう指導した。そして、従来の古い創作体系を廃止し、党委員会の集団指導のもとに動く新しい創作体系を打ち立てて歌劇創作の作業全般を統一的に掌握し、全力を歌劇の創作に集中させるようにした。

 こうして、4カ月後の1971年7月に革命歌劇『血の海』が誕生したのである。革命歌劇『血の海』の完成は、歌劇芸術発展の年代記に『血の海』式革命歌劇の新しい歴史を開く始点となった。

 総書記は、革命歌劇『血の海』を手本として他の革命歌劇の創作を推し進めた。

 1971年10月28日には、文学・芸術部門の幹部への談話で、『血の海』式革命歌劇の創作原則を具現して思想性・芸術性の高い革命歌劇を創作する課題を示した。そして、革命歌劇『党の真の娘』『密林よ語れ』『花を売る乙女』『金剛山の歌』の創作を精力的に指導して1年余りの間にこれら5大革命歌劇を完成させた。

 5大革命歌劇が創作された後にも、革命歌劇『ある自衛団員の運命』をはじめ、多くの歌劇作品を次々と創作するよう導き、歌劇革命の成果を強固にし、拡大、発展させていった。

 総書記は、文学作品創作におけるキーポイントは領袖を形象化することにあるとみなし、金日成主席を形象化する文学作品の創作に大きな力を注いだ。

 1966年2月7日、朝鮮作家同盟中央委員会委員長との談話『新しい革命文学の建設について』で、時代と革命発展の要請、人民と作家の志向を反映させて新しい革命文学、領袖を形象化した文学を建設する方針を示した。そして「新しい革命文学を建設しよう!」という戦闘的スローガンを打ち出し、新しい革命文学は、名実共に領袖を形象化した文学であることを明白にした。

 総書記は作家たちに、偉大な思想家・理論家としての領袖、百戦百勝の鋼鉄の総帥としての領袖、偉大な人間としての領袖を全面的に深く形象化した作品を多く創作する問題、一定の準備段階をへて次第に大きなスケールで、本格的で旺盛な創作戦闘を繰り広げる問題、新しい革命文学建設に対する指導体系を確立し、作家陣容をしっかりかためる問題など、領袖を形象化した文学の建設において提起される理論的・実践的問題とその実現方途を明確に示した。

 総書記は、領袖を形象化する文学創作活動を細心に指導した。まず、作家たちが、金日成主席の接見を受けて、長期にわたる主席の栄えある革命活動史をじかに聞かせてもらえる機会を与えた。作家たちは主席に会って、その偉大さと人間像に魅了され、朝鮮人民の革命闘争の教科書となる文学作品は、主席を形象化した文学作品をおいて他にないということを心から強く感じた。

 総書記は、党中央委員会第4期第15回総会以後、領袖を形象化した文学作品を創作することを焦眉の課題とし、1967年6月20日、領袖形象化を基本とする4.25文学創作団を組織し、1970年5月には主席の革命活動史を形象化した叢書『不滅の歴史』を執筆するうえで提起される理論的・実践的諸問題を明らかにした。そして、作品の草稿にみずから目を通して、その思想的・芸術的水準をさらに高めるよう細かに指導した。

 こうして『革命の夜明け』『1932年』をはじめ、主席の革命活動史を見事に形象化した叢書『不滅の歴史』系列の多くの長編小説が創作されるようになった。

 総書記は、主席が抗日革命闘争の時期にみずから創作した作品を小説として再現し、先軍時代の人間の気高い思想的・精神的風格を深く描き出す革命伝統テーマと祖国解放戦争テーマ、社会主義現実のテーマ、祖国統一テーマの作品をより多く創作するよう促した。

 総書記は、音楽、舞踊、美術、サーカスなど文学・芸術のすべての分野を全面的に開花発展させるために力を尽くした。

 音楽で固有な民族的旋律を正しく生かし、それを基調にして歌をなめらかでやわらかく、人民に理解しやすいものにし、民族楽器に洋楽器を組み合わせた主体的な管弦楽を創造し、民族的香りがあふれる軽音楽を発展させるようにした。そして、舞踊芸術では民族的特性を正しく生かし、朝鮮人民の高尚な思想・感情と現代的美感にかなった舞踊作品をより多く創作するよう指導し、『雪が降る』『祖国のつつじ』『箕の踊り』『リンゴの豊作』をはじめ、思想性・芸術性の高い立派な名作が生まれるようにした。また美術では、朝鮮画を基本として、彫刻、工芸など美術の各種類と形態を民族的なものを基調にして全面的に発展させ、同時に刺繍と陶磁器工芸、手工芸などを高尚な芸術に発展させていくようにした。サーカス分野でも、主体性を確立し、サーカスを社会主義的内容と民族的形式が正しく結合された主体的な民族サーカスに発展させるようにした。

 金正日総書記は、映画革命をはじめ、文学・芸術革命を指導する過程で積み上げた成果と経験を理論的に一般化し、集大成して、1973年4月11日、著作『映画芸術論』を発表した。

 この著作で、共産主義的人間学に関する理論、文学・芸術作品のチョンジャ(種子)に関する理論、文学・芸術創作において「速度戦」に関する理論、革命的大作の本質に関する思想・理論、創作の過程を作家、芸術家の革命化、労働者階級化の過程にする理論、革命的な創作体系と創作指導体系に関する理論、主体的な映画演出理論と俳優演技理論をはじめ、撮影、美術、音楽などチュチェの文学・芸術建設において提起される理論的・実践的諸問題を新たに解明した。

 著作『映画芸術論』は、主体的な文学・芸術建設のすべての原理的問題と理論的原則を全一的に集大成したチュチェの文芸理論の叢書であり、自主時代の文学・芸術建設の偉大な指導指針である。





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