金 正 日

革命的な文学・芸術作品の創作に全力を集中しよう
文学・芸術部門の活動家におこなった演説 
1964年12月10日 

 金日成同志は、このたび朝鮮劇映画撮影所を現地指導した際、革命教育、階級的教育に寄与する革命的な映画をより多く制作するうえで綱領とすべき演説をおこない、皆さんが提起した問題もすべて解決する措置を講じてくれました。劇映画撮影所が創立されて以来、現地で党中央委員会政治委員会拡大会議が開催されたのは初めてであり、金日成同志から多くの配慮がめぐらされたのも初めてでしょう。これは劇映画撮影所にとって大きな慶事であり、すべての文学・芸術部門活動家のこのうえない光栄です。

 皆さんは、金日成同志の深い信頼と厚い配慮に大きな創作成果をもって報いる決意を固めなければなりません。

 これまで文学・芸術部門では、金日成同志の教えに従い、作品の創作で大きな成果をおさめました。特に、金日成同志の著作『チョンリマの時代にふさわしい文学・芸術を創造しょう』が発表された後、チョンリマ(千里馬)時代の現実をテーマにした多くの成功作を出しました。そのなかでも、劇映画『赤い花』『紡績工』『百日草』『新しい世代』『はばたけわが希望』『人民教員』と歌謡『青山の原に豊年がきた』などは、金日成同志から高く評価されたすぐれた作品です。文学・芸術部門で金日成同志の教えを受け止めて立派な作品をたくさん創作したのは非常によいことです。しかし、我々はこれに自己満足してはなりません。我々は、人民の教育に大いに寄与する革命的な文学・芸術作品をより多く創作すべきです。

 金日成同志は最近、『革命的な文学・芸術の創作について』『革命教育、階級的教育に寄与する革命的な映画をより多く創作しよう』と題した綱領となる演説をおこないました。革命的な文学・芸術作品を多く創作するようにという金日成同志の教えは、新たな高い段階へと前進すべき朝鮮革命発展の機の熟した要求を科学的に分析したうえで示した最も正しい方針です。

 最近、朝鮮革命をめぐる内外の情勢には大きな変化が起こっています。

 アメリカ帝国主義者は、1962年にカリブ海の危機をつくりだし、新社会の建設に着手したばかりのキューバを揺らん期に圧殺しようと狂奔し、今年はトンキン湾事件を引き起こし、南ベトナムにおける「特殊戦争」を北ベトナムにまでエスカレートさせています。アメリカ帝国主義の侵略戦争挑発策動のため、世界各地に「冷戦」の暗雲がただよい、いつ、その侵略戦争の火花が共和国北半部にまで及んでくるかわからないありさまです。経済建設と国防建設を並進させるというわが党の新たな方針も、このような厳しい情勢に対処して打ち出されたものです。

 アメリカ帝国主義者の侵略策動が露骨になっているのと時を同じくして、一部の社会主義諸国で修正主義が流布しており、その悪影響が朝鮮人民に及ぶ危険もないとは言えません。

 一方では、アメリカをはじめとする帝国主義者が社会主義革命の圧殺を図り、他方では修正主義者の卑劣な背信行為がおこなわれている時に、わが国では世代交代が進み、革命闘争の試練を経ていない新しい世代が革命の主人として登場しています。昨年、金日成同志に随行してある人民軍部隊を訪ねてみると、そこでも世代交代がおこなわれ、小隊長以下の軍人はみな敵と一度も戦ったことのない新しい世代でした。少なからぬ兵士は、わらじがどんなもので、小作料が何であるかも知らず、戦争について多少知っていることがあるとすれば、敵機の爆撃が危険だという程度のことでした。

 このような事情は、新しい世代の軍人に限らず、学生の場合にしても同じです。人民学校(小学校)の児童から大学生に至るまで、ほとんどすべての学生が苦労という言葉すら知らず、過去、両親がどのように生きてきたのかをよく知っていません。彼らの旧社会に対するイメージは、書物から学んだことだけです。かつて、苦労しながら暮してきた年の多い人々のなかにも、何の心配もなく幸せな生活を送っていることに慣れて、血のにじむような過去と党の恩徳を忘れ、安易に暮らそうとする傾向があらわれています。

 最近の情勢の変化で注目すべきもう一つのことは、南朝鮮人民の闘争気勢が非常に盛り上がっていることです。既に、4・19人民蜂起によってかいらい逆徒・李承晩を打倒した南朝鮮人民は、今年も6・3人民蜂起を起こして、今一度敵の心胆を寒からしめ、さる8月にも、かいらい政府に反対して大衆が立ち上がりました。今、南朝鮮では、ほとんど毎日のように抗争が起こり、街は抗争者の血に染まっています。解放後これまで20年の歳月が流れましたが、南朝鮮人民がこんにちのように次々と激しい抗争を起こしたことはありません。南朝鮮全土は、文字どおり抗争のるつぼと化しています。

 これが、最近4、5年間の朝鮮をめぐる内外情勢の変化です。

 金日成同志は、わが国をめぐる内外の情勢を深く洞察して、人民に対する革命教育、階級的教育をいつにもまして強化し、文学・芸術部門でそれに寄与する作品を多く創作するよう教えています。時代の精神、現情勢の要求に即応して人民に対する革命教育、階級的教育を強化するための文学・芸術作品を多く創作してこそ、彼らを高い革命精神と階級意識で武装させ、革命の獲得物を守り抜き、祖国統一偉業と社会主義・共産主義偉業を最後までなし遂げることができます。

 革命偉業は一世代で終わるものではなく、代を継いで続けなければならない長期的な事業です。我々は、革命偉業の完成のために、まだ遠い道を歩み続けなければなりません。これまでの成果におぼれて人民に対する革命教育、階級的教育を強化せず、安逸に流れるなら、革命の勝利を勝ち取ることはできません。人民を革命精神、階級意識で武装させる文学・芸術作品を多く創作しなければ、共和国北半部における社会主義建設と南朝鮮革命の勝利に積極的な寄与をすることができません。

 今、世界の多くの国の党と政府の人士が訪朝して帰っては、社会主義を建設するなら朝鮮のようにすべきだと異口同音に言っています。わが国は、社会主義建設において世界の模範となっています。わが党は、社会主義建設で達成した成果に少しも満足することなく、チョンリマ運動の時のような革命的大高揚を今一度起こす決心です。片手には銃を、片手には鎌とハンマーを持ち、経済建設と国防建設で革命的大高揚を起こすためには、こぞって揺るぎない闘志と信念を持って革命的に働かなければなりません。

 人民の揺るぎない闘志と信念は、おのずと生まれるものではありません。思想教育を強化すると同時に、革命的文学・芸術作品を多く創作して人民に広く普及して初めて、彼らに革命的闘志と信念を持たせることができます。

 人民を革命精神と階級意識で武装させなければ、祖国統一偉業と南朝鮮革命も立派に遂行することができません。

 祖国統一偉業は、金日成同志の代に必ずなし遂げなくてはならない民族至上の課題です。最近開かれた党中央委員会第4期第8回総会で討議されたように、祖国を統一するためには、共和国北半部の革命勢力と南朝鮮の革命勢力を強化し、国際革命勢力との団結を強めなければなりません。ここで特に重要なのは、共和国北半部の革命勢力と南半部の革命勢力を強化することです。国際的にわが国を支持する勢力がいくら大きくても、朝鮮革命の主人である我々の力が強くなければ、南朝鮮革命を立派におこなうことも、祖国統一をなし遂げることもできません。

 我々は、特に北半部人民に対し、南朝鮮人民の闘争を極力支持、声援することを自己の死活の任務とみなすよう、地道に教育すべきです。北半部人民の支持、声援が、強ければ強いほど、南朝鮮人民はいっそう大きな励ましを受けるようになるでしょう。もし、北半部の人民が幸せで誇りに満ちた生活に満足して、南朝鮮人民の闘争に関心を向けないなら、祖国統一と社会主義建設のための闘いを引き続き力強く前進させることはできないでしょう。北半部の人民を革命精神で武装させ、南朝鮮の革命家と人民に必勝の信念と闘志を抱かせるには、革命的な文学・芸術作品を多く創作しなければなりません。我々は、時代が提起するこの緊切な要求を自覚し、革命的な文学・芸術作品の創作に根本的な転換をもたらすべきです。

 「革命的な文学・芸術作品をより多く創作しよう!」、これが、今、文学・芸術部門に提起しているわが党のスローガンです。

 革命的な文学・芸術作品とは、民族的および階級的解放と社会主義・共産主義社会の建設をめざす人民の闘争の内容を彼らの好みに合う民族的形式に盛り込み、人々を労働者階級の革命的世界観で武装させるのに寄与する作品を意味します。一言で言って、革命的な文学・芸術作品は、人民を革命的に、階級的に教育するのに大いに寄与する作品です。

 文学・芸術作品には、こんにちのわが国の社会主義の現実を反映した作品や、かつての階級闘争と革命闘争を反映した作品もあり得るし、南朝鮮の現実と南朝鮮人民の革命闘争、そして他国人民の生活と闘争を反映した作品もあり得ますが、それが人民を革命的に、階級的に教育するのに寄与するものでなくては革命的な文学・芸術作品とは言えません。

 現段階においてわが党は、共和国北半部人民の革命闘争と南朝鮮人民の革命闘争を描いた革命的な文学・芸術作品を多く創作することを切実に求めています。

 革命的な文学・芸術作品を立派に創作するためには、作品テーマの方向を正確に定めなければなりません。

 金日成同志はさる11月7日、文学・芸術部門の活動家におこなった演説と、12月8日、劇映画撮影所現地での党中央委員会政治委員会拡大会議でおこなった演説で、文学・芸術作品テーマの方向を明白に示しました。金日成同志が教えているとおり、社会主義建設と革命闘争をテーマにした作品は5対5の割合で創作し、共和国北半部人民の革命闘争と南朝鮮人民の革命闘争をテーマにした作品は4対1の割合で創作すべきです。社会主義建設と革命闘争をテーマにした作品の創作比率を5対5にするということは、結局、社会主義の現実をテーマにした作品と、革命闘争をテーマにした作品の創作をある一方に偏らせず、ともに力強く推し進めることを意味します。社会主義の現実をテーマにした作品の創作に一面的に偏る傾向を克服すると同時に、革命闘争をテーマにした作品の創作に偏る傾向も克服すべきです。

 革命闘争をテーマにした作品の創作で特に重要なのは、わが党の輝かしい革命伝統をテーマにした作品を多く創作することです。

 そうしてこそ、人民に朝鮮革命の歴史的根源を明確に認識させ、彼らが革命の代をたくましく継いでいき、いかなる逆境にあっても革命的良心と節操を固く守って闘っていくようにすることができます。

 わが党の輝かしい革命伝統は、労働者階級の革命闘争史にかつてなかった、厳しく苦難に満ちた抗日革命闘争の炎のなかで築き上げられました。わが党の輝かしい革命伝統は、極めて豊かで深奥な内容で満たされているので、人々を感動させ教育するうえで大きな感化力を持っています。

 作家、芸術家は、金日成同志の栄光に輝く抗日革命闘争史を深く研究し、わが党の輝かしい革命伝統をテーマにした作品を多く創作しなければなりません。

 わが党の輝かしい革命伝統をテーマにした作品の創作においては、栄えある抗日革命闘争を勝利へと導いた金日成同志の革命活動史と革命業績を深く形象化することが極めて重要です。金日成同志の革命活動史を抜きにしては、わが党の革命闘争史を考えることができず、金日成同志の革命業績を抜きにしては、わが党の革命伝統について論ずることができません。金日成同志の革命活動史と革命業績を深く形象化することは、我々の文学・芸術の最も責任ある誇らしい任務です。

 わが党の輝かしい革命伝統をテーマにした作品の創作においてはまた、金日成同志に忠実であった抗日革命闘士の崇高な模範を描き出すことが重要です。

 抗日革命闘士は、共産主義的革命家の典型であり、彼らの崇高な模範は人民を革命的に教育するための貴重な手本です。作家、芸術家は、抗日革命闘士がそなえていた金日成同志への限りない忠実性と不屈の闘志、燃えるような祖国愛と革命的楽天主義を芸術的に感銘深く描き出すべきです。作家、芸術家は、抗日革命闘士の回想記など抗日革命闘争の資料を研究し、抗日革命闘士に会って取材し、革命戦跡にも行って抗日革命闘士の闘争の模様を体得することによって、革命伝統をテーマにした生き生きとした作品を多く創作するようにしなければなりません。

 最近、金日成同志は、革命伝統教育の幅を広げるようにと述べました。革命伝統教育の幅を広げるということは、革命伝統教育の内容の範囲を広げることを意味します。言いかえれば、革命伝統教育を抗日革命闘争のみに限定せず、その教育内容に抗日の革命伝統を継承した解放後の朝鮮人民の革命闘争まで含めるということです。伝統は、代を継いで継承され、その過程で絶えず発展し豊富になります。革命伝統の継承発展は、革命運動発展の合法則的要求です。

 抗日革命闘争の時期に築かれたわが党の輝かしい革命伝統は、解放後、党の指導のもとに確固と受け継がれ、発展し豊かになりました。解放後の党および人民政権建設の闘いと諸民主改革実施のための闘い、3年間の祖国解放戦争と戦後の復興建設は、いずれも栄えある革命伝統を受け継いだ闘いであり、その過程でわが党の革命伝統はかつてなく発展し豊かになりました。解放後のこのような闘いのなかで、数多くの英雄と共産主義的革命家の典型が輩出し、人々を感動させる多くの闘争業績と経験が積み上げられました。このような新しいタイプの人間の典型と闘争経験は、革命伝統教育をいっそう幅広く実感的に進めるうえでよい資料となります。

 もちろん、我々は革命伝統教育の幅を広げるからといって、過去の独立軍運動や民族主義運動といったものを革命伝統の内容に含めてはいけません。我々はもっぱら、金日成同志が抗日革命闘争の時期に築き上げた革命伝統のみを認めるべきです。これは、いささかも妥協できない朝鮮革命の要求です。革命伝統教育の幅を広げるという金日成同志の教えを貫徹するうえで、解放後の革命闘争を多く形象化することに相応の関心を払うべきです。解放後の革命闘争過程の感動的な事実をもって新しい世代を教育してこそ、彼らに大きな影響を与えることができます。

 南朝鮮人民と革命家の闘争を描いた文学・芸術作品をたくさん創作すべきです。

 作家、芸術家は、南朝鮮人民と革命家の闘争をじかに体験できず、出版報道手段を通して間接的に知るようになるので、それに対する生き生きとした作品を創作するのは難しいでしょう。しかし、それにかこつけて南朝鮮人民の闘争を題材にした作品を創作しようとしないのは、朝鮮革命に寄与すべき作家、芸術家の本分を全うできないことを意味し、文学・芸術に対する不誠実な態度であるとしかみなせません。作家、芸術家は、読書と、目撃者、体験者との接触を通じて生活を間接的に体験することができるのですから、抗争の巷で血を流して闘う同胞に共感する熱い情熱さえあれば、いくらでも豊かな芸術的ファンタジーを広げ、彼らの闘争と生活を実感的に再現することができます。要は、作家、芸術家が、南朝鮮人民の闘争をどのように自己の死活の問題としてとらえるか、民族至上の課題である祖国の統一をどれほど差し迫った問題とみなすかにあります。

 作家、芸術家は、南朝鮮人民の生活と闘争を熱い同胞愛をもって常に深く注視し、彼らの思想・感情に合い、闘争意欲をもりたてる力強い文学・芸術作品を多く創作しなければなりません。

 革命的な文学・芸術作品を立派に創作するためには、作品に革命闘争と生活の教科書としての思想的・芸術的品位が十分にそなわるようにすべきです。

 どの文学・芸術作品でもみな革命的な作品になるわけではありません。相応の高さの思想的・芸術的品位がそなわっていない文学・芸術作品は、革命的な作品とは言えません。革命的な文学・芸術作品を創作するためには、テーマの方向を正確に決めると同時に、思想的内容の革命性と深奥さを保障し、気高く健全な思想的・芸術的品位を保障することに深い注意を払うべきです。特に、革命家の革命的世界観の形成と発展過程を深く描き出すことに深い注意を払うべきです。

 革命的な文学・芸術作品の基本的使命は、人々に革命的世界観を確立させることです。革命的世界観は、世界を革命的に考察し対応する見解と観点です。

 革命的世界観は、おのずと確立されるものではありません。すべての事物・現象の変化発展に合法則性があるように、革命的世界観の形成、発展にもそれに伴う一般的合法則性があるのです。人々は旧社会の反動的本質を認識したうえで、旧社会を覆す革命闘争に身を挺し、革命的に鍛えられます。

 作家、芸術家は、世界観の形成、発展の過程を哲学的に掘り下げて描き出し、人々に革命的世界観確立の貴い手本を示さなければなりません。だからといって、革命的世界観の形成、発展の過程を単純化し紋切り型に描いてはいけません。人それぞれの特質によって、世界観の形成過程は異なるものです。したがって、革命家の性格の発展過程は、革命的世界観の形成、発展の過程と基本的に一致させながらも、一本調子ではなく、多様に個性化して描くべきです。こうして作品を通して、革命家の一生は苦難に満ちているが、いったん覚悟して闘争に立てば、生きがいがあるものであり、誰でも革命家になれるものであることを感銘深く示すべきです。

 革命闘争の経験や方法も掘り下げて描き出すべきです。とりわけ、金日成同志があみだした革命闘争の戦略戦術を正しく描き出すことが重要です。

 今、南朝鮮人民のなかには、アメリカ帝国主義とかいらい一味を呪い、民族分裂の現実を痛嘆しながらも、闘う術を知らず、闘争の道に踏み出せない人が少なくありません。抗争の道に立った人たちにしても、攻撃のほこ先をアメリカ帝国主義に向けず、当面の生活境遇の改善に向ける場合が少なくありません。文学・芸術作品は、南朝鮮人民に闘争の正しい道を示し、真の闘争方法を教える教科書とならなければなりません。

 復古主義と反動的なブルジョア文芸潮流の浸透に反対することにも注意を向けるべきです。

 文学・芸術作品の創作において党性、労働者階級性、人民性の原則を固守するのは、復古主義とブルジョア文芸潮流の浸透を防ぐ重要な方途です。党性、労働者階級性、人民性の原則は、文学・芸術作品の創作において堅持すべき根本的原則です。文学・芸術作品の創作においてこの原則を守らず、一歩退くだけでも、作品の革命性は失われます。これは歴史によって立証された真理であり、こんにちの修正主義文芸潮流による収拾しがたい破局的影響によって現実的に確認されています。我々は周囲から、いかなる風が吹きつけようと、労働者階級の文学・芸術の生死存亡にかかわる党性、労働者階級性、人民性の原則を固守しなければなりません。

 ところが最近、文学・芸術部門の一部の人の間には、いまなお文学芸術作品の創作原則から外れた古いものに固執する間違った傾向があらわれています。こうした傾向は、特に音楽芸術部門に顕著にあらわれています。ある音楽家は、民族的なものを生かすということで、過去、両班たちが酒宴の席でうたったパンソリ(語り歌)を推奨しています。パンソリは、かつての封建支配層の感情と好みに合う音楽であり、人間の自然な発声法に反する耳ざわりのするだみ声です。このような曲調は現代の青年の感情に合うはずがなく、まして彼らを革命闘争へと立ち上がらせることはできません。しかし、一部の音楽家は、だみ声を我々の民族的なメロディー、民族音楽の基本とすべきだとし、伝統的な発声法だの何だのと宣伝しています。これは、反論の余地もない復古主義的な傾向です。

 時代が変われば人民の情操も変わります。我々の音楽は、チョンリマを駆る勢いで社会主義を建設している現代の人間の革命的思想・感情にふさわしく発展させなければなりません。我々の音楽は、朝鮮的なものを基調にしながらも、時代の美感に合ったものでなければなりません。そのためには、民族音楽で民謡を基調にし、それに革命的で現代的な内容を盛り込まなければなりません。

 音楽芸術部門では、復古主義とともに、あらゆる退廃的なブルジョア芸術の浸透も排撃すべきです。金日成同志は最近、文学・芸術部門の活動家に、我々の音楽を新しい時代の要請に即応して革命的に発展させるよう特に強調しました。皆さんは、金日成同志の教えを深く研究し、我々の音楽を民族的基調を踏まえて革命的に発展させる徹底した対策を講じるべきです。

 革命的大作の創作を活発に進めるべきです。

 人民に対する革命教育、階級的教育において、革命的大作の影響力は極めて大きいものがあります。もちろん、戦闘的な小品も人々の革命的世界観の確立に影響を与えないわけではありません。しかし、戦闘的な小品は、当面の問題の解決へと大衆を機動的に奮起させるうえでは威力があっても、人々の世界観を根本的に変革させるうえでは制約があります。人々の世界観は、一朝一夕に順調に変化し発展するものではありません。人々の世界観に変革を起こすというのは、容易なことではありません。人々の世界観の変革に大きな作用を及ぼすには、革命闘争の本質を全面的に掘り下げて解明し、主人公の世界観の発展過程を幅広く、しかも深く掘り下げて取り扱った作品でなくてはなりません。革命的大作は、革命闘争の本質と合法則性、革命的世界観の形成発展の過程を全面的に幅広く、しかも深く掘り下げて解明するがために、人々の世界観の形成発展に大きな影響を及ぼすことができるのです。

 これまで文学・芸術部門では少なからぬ成功作が出ましたが、革命的大作と言えるものは多くありません。

 朝鮮革命は、人類史上、比類のない巨大な幅と深度を持って前進してきました。朝鮮革命史には、その内容の膨大さと豊富さ、世界史的意義からして大作となるよい資料がたくさんあります。金日成同志がよく回顧していることですが、金策や崔春国、趙政哲、柳京守などの革命烈士の闘争記も、また、南朝鮮における4・19人民蜂起や6・3人民蜂起も大作にすることができるでしょう。

 作家は、このような資料に興奮を覚え、大胆に大作として形象化すべきです。もともと、作家は意欲があって大胆でなければなりません。小心翼翼としていては大作を書くことができません。

 要は、作家が、革命的大作に対する正しい見解を持ち、朝鮮革命の偉業により積極的に奉仕する決意と創造的情熱で胸を燃やすことです。

 もちろん、革命的大作を書くというのは容易なことではありません。外形を大きくしたり、生活の規模を広くすれば革命的大作になるというわけではありません。革命的大作の風格は、規模や外形にあるのではなく、思想的・芸術的深度にあるのです。

 革命的大作とは一言で言って、共産主義革命運動の本質と、革命的世界観の形成発展の過程を思想的、芸術的に深く解明した作品のことです。奥行きがなく、規模や外形ばかり大きくしようとするのは、本質において大作主義であり、大作主義は、甚だしい形式主義と功名主義のあらわれにすぎません。生活を横に広げるのは容易でしょうが、縦に深く掘り下げていくのは難しいことです。

 しかし、作家は、革命的大作の創作から退いてはいけません。革命的大作の創作は、現代と革命の要請であり、党が切実に望んでいる問題です。作家、芸術家は、創作的情熱と知恵を余すところなく発揮し、党が望んでいる革命的大作の創作をめざす一大旋風を巻き起こさなければなりません。

 革命的な文学・芸術作品を多く創作するためには、作家、芸術家が真の革命家にしっかり準備しなければなりません。

 愛国者でない作家には愛国的な作品が創作できず、革命的でない作家には革命的な作品が書けないものです。金日成同志は、わが国の作家、芸術家は非常に革命性の強い革命的な作家、芸術家であると述べています。作家、芸術家は、この貴い称号に恥じないように、創作活動と生活を革命的におこなうべきです。作家、芸術家にとって創作活動は職業ではなく、革命活動です。創作活動はある個人の名誉や利益のためではなく、祖国と人民のための聖なる闘争とならなければなりません。そのためには、すべての作家、芸術家が、革命的世界観で武装しなければなりません。作家、芸術家は、金日成同志の革命思想とわが党の思想で武装し、すべての問題を確固とした党の立場に立ち、分析、判断する健全な眼識と美学観を身につけるべきです。作家、芸術家は、金日成同志の教えと党政策を無条件実行する革命精神を強く発揮し、外国に対する事大主義思想と安易で腐敗堕落した生活態度を一掃すべきです。

 文学・芸術部門の活動家は、これからおこなわれる革命的文学・芸術作品創作運動を契機に、自分自身を革命化するために鋭意努力すべきです。そうすれば、文学・芸術作品の創作でも革命が起こり、その担い手である作家、芸術家を革命化する活動にも変革が起こるでしょう。党は、既に、すべての作家、芸術家に、革命的文学・芸術作品を大々的に創作する戦闘命令を下しました。これからおこなわれる革命的文学・芸術作品創作運動は一時的なキャンペーンではなく、文字どおり一つの長征だと言えます。この誉れ高い長征で落伍者があらわれてはなりません。こぞってしっかりと足ごしらえをして、張り合いある革命的文学・芸術作品創作運動の先頭に立つため全力を尽くさなければなりません。

 さしあたって、劇映画『成長の道』を思想的、芸術的に遜色のない革命的大作として完成するために力を入れるべきです。劇映画『成長の道』を、革命的文学・芸術作品を創作せよという金日成同志の意を体した最初の成功作にしなければなりません。

 皆さんが党の意図を深く自覚し、革命的な文学・芸術作品の創作においてより大きな成果をおさめるものと確信しています。
出典:『金正日選集』増補版2

 
<注釈>−4・19人民蜂起 1960年4月、南朝鮮の青年・学生と人民が、アメリカ帝国主義と南朝鮮かいらい一味に反対し、自由と解放、新しい政治と生活を求めて起こした大衆的な反米救国抗争。4月人民蜂起とも呼ぶ。蜂起は、1960年3月15日、李承晩かいら一味の不正選挙に反対する馬山市の中・高等学校の生徒と市民の闘争に端を発し、4月19日以後、李承晩かいら政権の転覆を前面に掲げて5月8日まで続いた。この蜂起によって李承晩かいらい政権は崩壊した。

 −6・3人民蜂起 南朝鮮に対する日本軍国主義者の再侵略策動と南朝鮮、日本間の売国的な「会談」に反対し、朴正煕かいらい政権を打倒するために繰り広げられた南朝鮮青年・学生と人民の愛国的な反帝・反ファッショ闘争。この闘争は、1964年3月24日のソウル大学校文理科大学学生のデモから始まり、5月20日から6月5日の間に大規模な闘争へと進展した。6月3日のデモは、暴動的進出につながって、かいら国会議事堂を包囲し、青瓦台にまで突進した。6・3人民蜂起は、アメリカ帝国主義者の差し金のもとに行われた、南朝鮮、日本間の「会談」の「早期妥結」策動を粉砕した。6・3蜂起とも呼ぶ。


ページのトップ


inserted by FC2 system