金 日 成

革命教育、階級的教育に寄与する
革命的な映画をより多く創作しよう
朝鮮労働党中央委員会政治委員会拡大会議でおこなった演説 
1964年12月8日

 今日、私は、朝鮮劇映画撮影所で映画人とともに党中央委員会政治委員会拡大会議をもつため、政治委員たちとともに当地を訪ねました。私に同行して党中央委員会政治委員会の委員全員が来たので、これまで劇映画撮影所をしばしば訪ねることができなかった借りを返したことになると思います。

 劇映画撮影所が創立されてまだ20年になりませんが、その間、撮影所の働き手は多くの仕事をしました。映画部門の働き手は、解放後ゼロの状態から仕事を始めたにもかかわらず、いまではこのように映画撮影所が立派に建設され、整然ときれいに整えられました。そして、映画俳優をはじめ、映画人はみな活気にあふれ、熱心に働いています。きょうここに来て、立派に建設された映画撮影所と精力的に働いている芸術家を目のあたりにし、私はたいへんうれしく思います。

 わが国の映画芸術は、ここ数年のあいだに急速に発展しました。特に、昨年と今年、映画創作活動には著しい発展が見られました。昨年、劇映画撮影所では20編の映画を制作し、今年はそれよりさらに多くの映画を制作するために努力しています。劇映画撮影所が現状で年間20編以上の映画を制作するというのは大したものです。この撮影所の働き手は、チョンリマ(千里馬)に乗って走っているといえます。

 昨年と今年に制作された劇映画には名作が少なくありません。昨年の劇映画『紡績工』『赤い花』『百日草』『新しい世代』『大地の息子』などは、いずれも立派な映画です。今年に制作された劇映画を10余編見ましたが、そのほとんどが申し分のないものでした。人民も今年の映画を見て褒めています。

 今年の映画のなかで最も強烈な印象を受けたのは、劇映画『人民教員』です。この映画は非常に優秀な作品です。最近、私は教育家と会った場で彼らに、教員はみな『人民教員』の主人公のようになるべきだ、教員は共産主義者を育成する人である、それゆえ、教員自身がまず共産主義者になるべきだと言いました。劇映画『禿魯江畔に咲いた花』も成功作です。内容も俳優の演技も立派です。これらの映画は、特に、教員によい影響を与えるものと思います。

 劇映画『大地の息子』第3部と『はばたけ、わが希望』も成功作です。これらの映画は、農村で学習気風を確立し、農民の学習熱意を高めるうえで大きく寄与するでしょう。

 わが党は、今年の初めに『わが国における社会主義農村問題に関するテーゼ』を発表しました。テーゼの方針どおり、農村における技術革命と文化革命を成功裏に遂行するためには、高度の技術水準と文化水準を身につけた人材を多く育成しなければなりません。また、農民のあいだで学習気風を確立し、すべての農民が学習するようにしなければなりません。劇映画『はばたけ、わが希望』は、このようなわが党の要求を立派に反映しています。

 映画芸術が、年々発展しているのが目に見えるようです。昨年の映画は一昨年のものより立派だし、今年の映画は昨年のものよりすぐれています。

 シナリオの創作でも大きな前進がありました。数年前までは立派なシナリオがあまり創
作されませんでしたが、いまではその創作水準が著しく高まりました。

 演出家の演出も、俳優の演技も立派です。これまでは、俳優が農民や党活動家の役をこなしきれず不自然な点がみられましたが、いまではそのような不自然さがほとんどなくなり、演技も生きています。

 劇映画撮影所の働き手は、自力で映画制作に必要な機械設備を少なからずつくりました。この事実からも、立派な映画を多くつくるために、劇映画撮影所の働き手が昼夜を分かたず、いかに奮闘したかを知ることができます。これは、非常に立派なことです。

 映画人の隊列も大きく成長しました。我々は今日、映画人の隊列が映画芸術部門の栄誉ある任務を立派に遂行しうる革命的な大集団に成長したと確言することができます。

 党中央委員会は、劇映画撮影所勤務者の活動について、特に、最近、映画制作で達成した成果についてたいへん満足に思っています。

 最近、映画芸術部門で大きな成果をおさめ、わが国の映画が高い水準に達したのは、この部門の働き手が党の正しい文芸政策を心から支持し、自力更生の革命精神を大いに発揮して、あらゆる障害と難関を勇敢にのりこえ、積極的に努力した結果であります。わが国の映画人は、革命的芸術家という誉れ高き称号を受ける資格があります。

 私は党中央委員会の名において、党の文芸政策を高くかかげ、積極的な映画創作活動を展開して大きな成果をおさめ、わが国の映画芸術の発展に多大の貢献をなした映画人たちに感謝を送ります。

 映画人は、これまでの成果が大きいからといって、それを鼻にかけ、うぬぼれてはなりません。うぬぼれては失敗のもととなります。成果に陶酔すれば失敗を免れません。映画人はこれまでにも多くの仕事をしましたが、今後の仕事がさらに膨大であることを忘れてはなりません。

 我々の革命偉業は終わっておらず、我々はひきつづき革命をおこなわなければなりません。

 国土の半分に先進的な社会主義制度を樹立したからといって、それに満足するのは大きな誤りです。我々は革命をつづけて、搾取と抑圧から解放された共和国北半部人民の生活をいっそう豊かで文化的なものにし、南半部人民をも搾取と抑圧から解放して、北半部の人民のように幸せに暮らせるようにしなければなりません。

 こんにち、南朝鮮では、我々の同胞兄弟がアメリカ帝国主義侵略者から耐えがたい民族的さげすみと侮辱を受けており、毎日のように多数の人が血を流し倒れています。我々は同じ血筋をひく同一民族として、この惨状を座視するわけにはいきません。我々は、共和国北半部で社会主義建設をいっそう力強くおし進め、社会主義・共産主義楽園を建設し、一日も早く南朝鮮からアメリカ帝国主義侵略者を追い出し、祖国の統一を実現しなければなりません。

 我々は、世界革命もおこなわなければなりません。地球上から帝国主義を一掃して世界革命を完遂すれば、世界には平和が訪れ、わが国のような小さな国の人民も安心して暮らせます。

 我々に提起されているこれらの革命課題を成功裏に遂行するためには、勤労者のあいだで革命教育、階級的教育を決定的に強化しなければなりません。こうして、すべての勤労者が、帝国主義と搾取階級を強く憎み、それに反対してあくまで闘う革命的な決意をかため、わが党の革命思想で武装して、常に革命的に働き生活するようにしなければなりません。我々の社会にこのような革命的気風が確立されてこそ、革命と建設を力強く推進し、南朝鮮人民にも革命的な影響を与えることができます。

 我々の革命偉業はまだ終わっていませんが、世代は既にかわりつつあります。最近、党中央委員会政治委員会でも述べたことですが、いま人民軍の中隊長クラス以上はほとんど祖国解放戦争に参加して戦った人たちです。しかし、小隊長とその下の軍人は解放後、党のふところで苦労を知らずに育った人たちであります。彼らは、小作料やわらじがどういうものであるかもよく知りません。人民軍のある小隊長は、政治学習テキストに載っている小作料という言葉が分からないため兵士の質問に答えられず、中隊長に教えてもらって答えたとのことです。

 革命偉業が完遂されていないのに、革命教育、階級的教育をおこなわれないのは危険極まりないことであります。勤労者たち、特に、育ちゆく新しい世代のあいだで革命教育、階級的教育を強化しなければ、彼らは革命と労働を好まず、遊びほうけるようになるでしょう。このようになれば、結局、革命を受け継ぐ代がとだえてしまいます。

 我々は、祖国を統一し、わが国で社会主義・共産主義偉業の勝利をおさめるまで、また地球上から帝国主義者を一掃して世界革命の勝利を達成するまで、勤労者と育ちゆく新しい世代のあいだで革命教育、階級的教育をひきつづき強化しなければなりません。

 勤労者を革命的に教育するうえで、革命的な文学・芸術は非常に大きな役割を果たします。特に、革命的な映画は重要な役割を果たします。

 映画は、広範な大衆を教育する最も重要な宣伝手段であります。演劇などは、大きな劇場がなければ公演できないのでいろいろと制約を受けます。しかし、映画は大きな映画館がなくても、人の集まれるところなら、どこででも上映できます。映画は、大衆を教育するうえで演劇や小説にまさる、最も強力な教育手段であります。

 これまで映画芸術部門では、抗日武装闘争をテーマにした革命的な映画を多数制作しましたが、これは、まことに結構なことです。しかし、抗日武装闘争をテーマにした映画だけでは、勤労者を革命的に教育する活動を正しくおこなうことはできません。

 もちろん、わが党と朝鮮革命の根源は、朝鮮共産主義者が手に武器をとって日本帝国主義と戦った栄えある抗日武装闘争にあります。したがって、抗日武装闘争の過程できずかれた輝かしい革命伝統で党員と勤労者を教育するのは何よりも重要なことです。しかし、遠からずして、わが党の創立20周年を迎えようとしているこんにち、抗日武装闘争期の資料だけで革命伝統教育をおこなうのは幅が狭いといえます。

 抗日武装闘争の過程できずかれた輝かしい革命伝統を受け継いで創立された朝鮮労働党の指導のもとに、朝鮮人民はいま一度大きな革命戦争をおこないました。抗日武装闘争だけが革命闘争なのではなく、アメリカ帝国主義侵略者と戦った3年間の苛烈な祖国解放戦争も偉大な革命闘争であります。

 こんにち、わが国には、祖国解放戦争に参加して英雄的に戦った人が多くいます。前線で直接手に武器をとって戦った人だけが祖国解放戦争参加者なのではなく、後方で戦争勝利のために戦った人も祖国解放戦争参加者です。偉大な祖国解放戦争で労働者、農民をはじめ、多くの人が英雄的に戦いました。作家、芸術家のなかにも戦時に洛東江まで進撃して、厳しい試練にもめげず、わらじばきで党と最高司令部を訪ねて満浦まで後退してきた人が少なからずおり、科学者、技術者のなかにもそのような人がたくさんいます。

 これまで幾度も述べたことですが、戦時中、ある工場に出身階級が多少複雑な技術者がいました。後退時に、工場党委員長は他の技術者と労働者はみな一緒に連れていきながら、彼だけは置いていこうとしました。その技術者が、自分は労働党しかついていくところがない、是非とも一緒に連れていってほしいと頼んでも、偏狭な党委員長は聞き入れませんでした。しかたなく彼は、隊列と少し距離をおいて、ひそかにその後についていきました。彼がいつまでも隊列の後についてくるので、党委員長はやむをえず彼を連れて一緒に後退しました。彼のように出身階級は多少複雑であっても、戦時に労働者とともに機械を背負い、山を越え河を渡って党に従って後退した技術者はたくさんいます。彼らは今日も誠実に働いています。このように、闘争のなかで点検され鍛えられた人々は、すべて革命家だといえます。実に、我々には党と革命のために立派に闘った革命家が多くいます。

 映画人は、革命的な映画を創作するうえで抗日革命闘士を立派に描くとともに、偉大な祖国解放戦争で英雄的に戦った革命家を形象した映画も多く創作すべきです。

 偉大な祖国解放戦争期の生き生きとした事実をもって、革命闘争は、例え困難であっても、難関を恐れず勇敢に闘うならば必ず勝利するという革命勝利の確信をいだかせる革命的な映画を多くつくって、人々を教育すべきです。そうしてこそ、朝鮮人民、なかでも育ちゆく新しい世代が強い革命的な意志をもって、革命偉業の最終的勝利をめざしてあくまで断固闘うようにすることができます。

 育ちゆく新しい世代は、戦争の厳しい試練を体験しておらず、アメリカ帝国主義者の悪辣さ、狡猾さもよく知りません。現在、人民軍には17歳の青年が入隊しますが、戦争当時彼らは4歳にもなりませんでした。それゆえ、彼らは、ヤンキーという言葉は聞いて知っていますが、わが国ではたらいたアメリカ帝国主義者の野獣じみた蛮行を直接目撃しておらず、敵機の爆撃についても恐ろしいということしか知っていません。

 我々は、このような新しい世代に何を教えるべきでしょうか。先の祖国解放戦争で、朝鮮人民がアメリカ帝国主義侵略者といかに戦ったかを教えるべきです。そのためには、偉大な祖国解放戦争時期の人民軍勇士の英雄的な闘争と労働者、農民、青年学生と女性の勇敢な闘争を素材にして革命的な映画を多くつくらなければなりません。

 戦後、廃墟の上に、破壊された人民経済を復興建設した我々の闘いも決して生やさしいものではありませんでした。今日、人々は発展したわが国の現実を目のあたりにして夢のようだと言っていますが、それは決して偶然なことではありません。実際のところ停戦直後、我々には1枚のレンガ、1トンの鋼材もありませんでした。停戦直後、破壊された各地の工場、企業所を視察しましたが、本当に涙がにじみ胸の裂ける思いがしました。

 しかし、私は少しも落胆しませんでした。私は、労働者階級をはじめ、人民の力を信じました。党と人民大衆の不敗の統一団結こそ我々の力でありました。わが党の指導のもとに、朝鮮人民は戦後の復興建設にこぞって立ち上がり、あの困難な状況のもとでも顔をしかめる人は一人もいませんでした。今日、皆さんが目にしている雄大華麗な平壌市も、人民が焼け野原をかきわけてレンガを1枚1枚集めることから始めて建設したものです。戦後の復興建設は単なる建設事業ではなく二つの英雄的な革命闘争でした。それは、朝鮮人民のように気高い革命精神をもった革命的人民のみがなしうる偉大な闘いでありました。

 アメリカ帝国主義侵略者に反対する祖国解放戦争と戦後復興建設の闘いをつうじて、わが党と人民はいっそうかたく団結し、厳しい試練のなかで各階層の人民が革命的に鍛えられ改造されました。

 わが国では、宗教家もすべて改造されました。外国の指導者たちから、朝鮮では宗教問題をどのように解決したのかという質問をたびたび受けますが、実際のところ、解放後わが国でも宗教問題の解決は極めて雛しい問題の一つでした。当時、宗教は育ちゆく新しい世代に悪影響を及ぼしていましたが、それを強制的な方法でなくすわけにはいきませんでした。ところが、祖国解放戦争の過程でわが国では宗教が完全になくなってしまいました。戦争中にアメリカ帝国主義者は、教会を爆撃してことごとく破壊し、宗教家はアメリカ帝国主義侵略軍の蛮行を目撃しておのずと改造されました。

 大同郡のある村に住む牧師は、戦争前には何の仕事もせず家にとじこもってわが党を誹謗し、アメリカ帝国主義者が侵攻してくる日を首を長くして待っていました。戦時に人民軍が後退すると、彼は誰よりも先に敵の旗を手にしてアメリカ帝国主義者を歓迎しました。しかし、アメリカ帝国主義侵略軍は、村に足を踏み入れた瞬間から農民の鶏を手当たりしだいに撃ち殺して略奪し、女性を凌辱しました。彼らは、その牧師の娘まではずかしめました。これを目撃した牧師は、アメリカ帝国主義者がキリスト教を利用して人々をだましてきたことをはっきりと悟り、そのときからキリスト教を信じなくなりました。彼は人民軍が再進撃すると、共和国の国旗をふって人民軍を歓迎し、その後はわが党に従って誠実に働きました。

 わが国では、我々が宗教をなくしたのではなく、アメリカ帝国主義者がなくしたのです。言うならば、アメリカ帝国主義者がわが国の宗教家を「教育」する「先生」の役割をしたのです。

 祖国解放戦争の過程で、かつて多少裕福であった人も多く改造されました。戦争の時期、アメリカ帝国主義者によって彼らの財産も全部破壊されたため、我々は戦後、協同化運動を大胆におし進めることができるようになり、わが国での協同化は極めて短い期間にスムーズに実現されました。

 もちろん、わが国で階級敵と敵対分子が一掃されたわけではありませんが、かつて、わが党を積極的に支持せず、動揺していた人や出身階級の複雑な人のほとんどが改造されました。そのうちの多くの人は、戦争当時、勇敢に戦い、戦後の復興建設の時期にも困苦欠乏に耐えてよく働きました。彼らも当然、革命家とみなすべきです。

 かつて、抗日武装闘争に参加したか、闘争中に捕えられ獄中生活をした人だけが革命家なのではありません。我々とともに祖国解放戦争を戦いぬき、戦後の復興建設に参加した人もみな革命家です。我々はこのように、革命家の幅を広くみるべきであり、芸術作品で彼らを大いに描くべきであります。

 映画芸術部門では、労働者、農民をはじめ、各階層の人々が教育改造されて、革命家に成長する過程をリアルに描いた劇映画を多くつくるべきです。

 こんにち、我々の映画は、勤労者を社会主義建設の革命的大高揚に決起させるうえで積極的に寄与しなければなりません。

 最近、党中央委員会政治委員会では、社会主義建設で、いま一度革命的大高揚を起こす問題を討議しています。

 党中央委員会1956年12月総会後、わが国の社会主義建設では革命的大高揚が起こりました。当時、我々には衣食住のすべてが不足していました。そのうえ、反党分派分子と事大主義者は、わが党に反旗をひるがえし、大国主義者は我々に圧力を加えてきました。南朝鮮の反動層は、アメリカ帝国主義のテコ入れのもとに「北進」騒ぎを起こし、北半部の転覆された搾取階級の残存分子を唆して、共和国を抹殺しようと悪辣に策動しました。

 このように情勢が複雑かつ困難を極めたとき、わが党には労働者階級をはじめ、人民のほかには頼りとするところがありませんでした。我々は、労働者階級をはじめ、人民を奮起させて革命と建設を促進し、生産を増大させることを決心して、党中央委員会総会で対策を討議しました。総会後、党中央委員会の政治委員全員が重要な工場、企業所に出向きました。

 そのとき、私は降仙製鋼所に出向きました。私は課題を与え、すぐ戻るつもりでしたが、いざ行ってみると、そのまま帰れる状態ではありませんでした。労働者たちは、大国は我々に圧力を加え、李承晩は「北進」を叫んでいるそうだが、力が抜けて働く気になれないというのでした。それで、私は倉庫用につくられた建物に労働者を集め、演説をしました。困難な国情を具体的に話した後、我々は皆さんよりほかに頼る人がいない、だというのに皆さんが気をおとしてはどうするのだ、情勢が困難であるほど皆さんは党中央を断固と擁護し、勇気を出して働くべきである、現状において我々の進むべき唯一の道は、自力更生の革命精神を高く発揮し、自力で鋼材とセメントを量産して工場と住宅を大いに建設し、すべての問題を自力で解決することである、と言いました。労働者たちは即座に、党の要求がそうであるなら、いかに困難を課題でもやり遂げると熱烈な決意を述べました。その翌年に、降仙の労働者は、通常能力6万トンの分塊圧延機で12万トンの鋼片を生産しました。

 革命的大高揚の炎は、全国各地で力強く燃え上がり、英雄的な労働者階級と人民は社会主義建設の各分野で驚異的な成果を達成しました。こうして、反党反革命分派分子と事大主義者、大国主務者の妨害策動は完全に粉砕され、アメリカ帝国主義者とその手光の「北進」企図も破綻しました。

 社会主義建設での輝かしい成果は、すべて、わが党の正しい指導のもとに、英雄的な労働者階級をはじめ、全人民が党のまわりに一心同体となってかたく団結し、刻苦奮闘した結果、もたらされたものであります。

 降仙の労働者階級は、党の呼びかけにこたえて革命的大高揚の先頭に立ち、チョンリマ(千里馬)運動の旗を真っ先にかかげました。降仙製鋼所で始まったチョンリマ作業班運動は、全国に広がって社会主義建設の強力な推進力となり、「チョンリマ」は英雄朝鮮の象徴となりました。こうして、こんにち、世界の人々は、朝鮮という国名の前に「チョンリマ」をつけてわが国を「チョンリマの朝鮮」と呼んでいるのです。

 我々は、社会主義建設でいま一度革命的大高揚を起こさなければなりません。

 もちろん、わが国の現状は、初めて社会主義建設の大高揚を起こした戦後のそれとは根本的に異なります。わが国では、既に衣食住の問題が基本的に解決され、全人民が搾取と抑圧から解放され、幸せな生活を営んでいます。しかし、我々はこれに満足するわけにはいきません。我々は、さらに豊かな生活を営むべきです。また、搾取と抑圧から抜けだすための南朝鮮人民の闘争を極力支援し、祖国の統一を実現しなければなりません。そのためには、社会主義建設でいま一度革命的大高場を起こし、雄大な7か年計画の生産目標を一日も早く達成しなければなりません。

 我々は、チョンリマ朝鮮の栄誉をさらにとどろかし、世界の人民に革命的な影響を与えるためにも、社会主義建設でいま一度革命的大高揚を起こさなければなりません。こんにち、世界の数多くの友人が、わが国を「社会主義模範の国」としてたたえ、我々の経験に学びたいと言っています。これは、外交辞令ではありません。このように、世界の多くの人が我々を高く評価し、我々の経験を学ぼうとしている現状のもとで、我々はひきつづき速い速度で前進しなければなりません。我々は、各部門、各単位でチョンリマ作業班運動をさらに深化、発展させ、いまよりも速い速度で革命と建設を推進しなければなりません。

 映画人は、このような党の要求と意図を正しく認識し、勤労者を革命的大高揚へと呼び起こす立派な映画を多くつくるべきであります。

 南朝鮮人民の闘争を描いた映画も多くつくるべきです。

 南朝鮮人民は十月人民抗争と麓水人民抗争など、大衆的な救国闘争をねばり強く展開してきました。かつて、南朝鮮人民の闘争は、その指導的地位にあった悪質分子の策動のため失敗に終わりましたが、人民は勇敢に闘いました。映画芸術部門で南朝鮮人民の英雄的な闘争を描いた立派な映画を多くつくるならば、それは南朝鮮人民の革命闘争を励まし、共和国北半部人民を社会主義建設にふるいたたせるうえで大きな貢献をなすでしょう。

 革命的映画の創作で重要な問題は、作品の思想性と芸術性を正しく結合させることであります。

 映画には、必ず高度の思想性と崇高な芸術性がなければなりません。高度の思想性と崇高な芸術性が結合された映画であってこそ、価値ある立派な作品となります。思想性はあっても芸術性のない映画は、人々の興味を引くことができず、芸術といえません。映画をはじめ、芸術作品が感化力をもち、教育的価値が大きいのは、それが高度の思想性と崇高な芸術性をそなえているからです。革命的な芸術作品は、その芸術性によって人々の興味を引き、おのずと労働者階級の革命思想が身につくようにします。

 革命的映画芸術の発展に対するわが党の路線と方針は既に確立しています。我々は、映画芸術分野で芸術至上主義を唱える修正主義的方向に進んでもならず、また思想性のみを強調して芸術性を無視する道へ進んでもなりません。映画人は、党の路線と方針に従って、高度の思想性と崇高な芸術性を正しく結びつけた、革命的な映画をさらに多く制作するため積極的に努力しなければなりません。

 映画に音楽と歌謡を大いに取り入れるべきです。

 音楽と歌謡のない映画は、映画とはいえません。歌のない映画は味気なく、対話劇と変わりがありません。映画が人々の心をとらえる立派な映画となるためには、必ずよい歌がなければなりません。もちろん、歌があまり多すぎてもなりませんが、ある程度は必要です。劇映画『はばたけ、わが希望』は内容もすぐれていますが、歌が多くおりこまれているのでなお結構です。今後の劇映画では、音楽劇映画といえるほどに歌謡と音楽の比重を高めなければなりません。

 映画におりこむ音楽と歌謡は、映画の内容にふさわしいものでなければなりません。最近の映画の歌謡には、場面とよくつり合わないものや唱劇の歌のように騒々しく大声をはり上げるものがありますが、これではいけません。映画の歌謡は必ず場面にふさわしいものを作曲すべきです。また、特に、大衆の歌いやすいものを作曲しなければなりません。

 映画によい音楽と歌謡を多くおりこむためには、劇映画撮影所に才能のある歌手と演奏家、それに質のよい各種の楽器がそろっていなければなりません。まず、劇映画撮影所に歌手と演奏家の小集団をつくり、徐々に人員を増やすべきです。また、性能のよい各種の楽器も保障すべきです。

 映画人が革命的な映画を多く制作するためには、自分自身を徹底的に革命化しなければなりません。

 映画の制作は、食いぶちを稼ぐための仕事ではなく、非常に重要な革命活動であります。学生を共産主義者に育成するには、まず教員自身が共産主義者にならなければならないのと同じく、人々を革命的に教育し、革命闘争に立ち上がらせる立派な映画をつくるためには、まず映画俳優、カメラマン、演出家自身が革命家とならなければなりません。

 これまで映画人は、仕事に対する重い責任感と高度の栄誉感をもって誠実に働いてきましたが、今後とも革命的に生活し、働くべきです。映画人は、たえず自分自身を革命的に鍛え、いささかも安逸に流れることなく、ひきつづき緊張を緩めずに努力しなければなりません。

 国家では、映画の創作に必要ないっさいの条件を積極的に保障しなければなりません。

 今日、映画撮影所の働き手が撮影所付近に昔の町や貧村、地主の屋敷、それに日本や中国の町などを建設することを提起しましたが、よい意見だと思います。そうしたものがあれば、昔の生活を生々しく映画に撮ることができます。看板を取りかえるだけで必要な場面が撮影できるように、昔の町や村を小規模に建設すべきです。そうすれば、家は住宅として使いながらいくらでも映画を撮ることができるはずです。また、現在まで残っている昔の町や家屋をみな取り払わず、その一部を保存して映画の撮影に利用すべきです。

 映画撮影に必要な各種の自動車、家具、衣装、小道具などもすべてととのえるべきです。劇映画撮影所で要求する旋盤、研削盤、フライス盤など各種工作機械も提供しなければなりません。

 これとともに、フィルム工場を早急に建設しなければなりません。わが国では、毎年、劇映画だけでも数十編制作されていますが、フィルム不足のため、それが適時に人民のあいだに普及されていません。フィルム工場の建設を速やかに完了し、完成した映画をそのつど大量に複写して普及すべきです。

 映画人たちからシナリオ月刊雑誌を発刊したいという意見がでましたが、そうすべきだと思います。映画の創作でシナリオは極めて重要です。この雑誌の発行部数はあまり多くしないようにすべきです。また、いま発行している雑誌『朝鮮映画』の質をさらに高めなければなりません。

 次に、映画人の生活に深い関心を払うべきであります。

 いま映画俳優の住宅が各地に分散しているそうですが、彼らに出退勤用バスを提供すべきです。そして、来年度には、映画撮影所付近に俳優用の高層アパートを幾棟か建てるべきです。そうすれば、俳優の出退勤問題は完全に解決されます。

 また映画撮影所には、撮影途中に茶が飲める休憩室も一つつくるべきです。

 映画人の社会的待遇を高め、なかでも化粧・衣装係や装置係の待遇を改善し、彼らの仕事に対する評価も正しくおこなうべきです。

 私は、映画人が以上のような方向にそって革命的映画の創作で新たな革新を起こし、党のあつい信頼と期待にこたえるものと確信します。

出典:『金日成著作集』18巻


<注釈>麓水人民抗争 1948年10月、アメリカ帝国主義の植民地ファッショ支配に反対し、民主主義と祖国の統一、独立をめざして決起した南朝鮮麓水人民の集団的な人民抗争。
 アメリカ帝国主義と李承晩かいらい一味から済州島人民の愛国的な闘争を鎮圧せよとの命令を受けた麓水人民は、それを拒否して暴動を起こした。暴動軍人は、悪質将校を処断し、麓水市街を占拠した。これに麓水市民が合流した。彼らはかいらい支配機関を破壊し、多くの地方を解放した。解放地域の人民は、人民委員会を復旧し、民主的な施策を実施した。抗争勢力の拡大に恐れをなしたアメリカ帝国主義者とその手先は、この地域に「戒厳令」を布き、暴動鎮圧に狂奔した。麓水人民抗争は、正しい指導が受けられなかったうえに、アメリカ帝国主義者とその手先の野蛮な弾圧と朴憲永スパイ一味の破壊策動のため失敗に終わったが、アメリカ帝国主義者とその手先に大きな打撃を与えた。


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