金 日 成

革命的な文学・芸術の創作について
文学・芸術部門の活動家におこなった演説 
1964年11月7日

文学・芸術部門の活動家を前に演説する金日成主席(1964.11.7)

 最近、映画・演劇芸術の分野では、多くの進歩が遂げられました。特に、映画芸術が大きな成果をおさめています。昨年に制作された映画のなかには、すぐれた作品が少なくありません。『赤い花』『紡績工』『百日草』などのような映画は、みな立派な作品です。

 労働者階級の生活や生産闘争を描いた作品のないのが大きな欠点でしたが、最近そういう作品が少なからず制作されています。これは、たいへんよいことです。2・8映画撮影所で制作した『1211高地の防衛者』や『南江村の女性たち』も、成功作だといえます。数日前に『人民教員』という映画を見ましたが、非常に内容のすぐれたものだと思います。記録映画『共和国の旗万歳』も、たいへんよくできています。

 映画芸術がこのように成果をおさめることができたのは、何よりもシナリオ創作の水準が高まったからだとみるべきでしょう。

 文学・芸術分野には少なからぬ成果があった反面、重大な欠陥が一つあります。それは文芸作品で南半部人民の生活と闘争が、極めてわずかしか扱われていないことです。

 わが党は南半部の2千万同胞を解放することが、南半部人民自身の問題であるばかりでなく、北半部人民の革命任務であることを常に強調してきました。

 南半部の人民をアメリカ帝国主義者の抑圧から解放し、祖国を統一するためには、党中央委員会第4期第8回総会で私が述べたように、我々は三つの面で活動を立派におこなわなければなりません。

 第1に、南半部の革命勢力を強めなければなりません。南半部の革命は、何よりも南半部人民自身の問題であるだけに、革命で勝利するためには、南半部人民を目覚めさせ、立ち上がらせなければなりません。南半部の人民を目覚めさせ、彼らが立ち上がって自分自身の問題を解決するようにしなければなりません。我々が北朝鮮にいながら、どんなに立派な統一案をだしても、南半部の人民が動かなければ統一は実現しません。

 南朝鮮の革命をなし遂げて祖国を統一するためには、第2に、北半部で社会主義建設を立派におこない、政治、経済、文化、軍事のすべての面で革命の根拠地を強化しなければなりません。

 第3に、世界の革命勢力と団結してアメリカ帝国主義を徹底的に孤立させ、世界のいたるところで、アメリカ帝国主義に反対して闘わなければなりません。世界の革命勢力と団結するということは、世界の労働者階級と団結し、社会主義陣営と団結し、各国の民族解放運動との連帯を強めることを意味します。この面で、我々は大きな努力を傾けてきました。

 このように、南朝鮮革命をなし遂げて祖国の統一を達成するためには、南北朝鮮の革命勢力を強化するとともに、世界の革命勢力を強化しなければなりません。しかし、いくら北朝鮮の革命勢力が強化され、世界の革命勢力が強くなっても、南朝鮮の革命勢力が強くならなければ、南朝鮮で革命をおこなうことはできません。したがって、重要なのは南半部の革命勢力を強化することです。

 南半部の革命勢力を強化するためには、何よりもまず、北半部人民のあいだで、南朝鮮人民の生活とその闘争に対する関心を高めさせ、南朝鮮革命の問題を自分白身の死活にかかわる革命任務とするよう、政治活動と宣伝教育活動をたゆみなくおこなわなければなりません。北半部の人民に対するこのような政治活動と宣伝教育活動が、南朝鮮人民を目覚めさせるための対南政治活動と密接に結びついていることを、必ず認識しなければなりません。

 南朝鮮の兄弟を救おうという北朝鮮人民の決意がかたくなればなるほど、南朝鮮人民の解放をめざす我々の闘争力量はますます強まり、南朝鮮の人民はさらに大きな励ましを受けるようになるでしょう。そればかりでなく、北朝鮮人民に対するこのような政治活動、宣伝教育活動は、とりもなおさず南朝鮮人民に対する政治活動、宣伝教育活動ともなるのです。

 もし、我々が北半部の人民を革命精神で教育しないならば、彼らはこれまでの建設の成果に満足して、ひきつづき前進しようとする闘志を失い、南半部を解放すべき革命の任務を忘れてしまわないとも限りません。それゆえ、党中央委員会第4期第8回総会は、あらゆる手段をつくして南朝鮮で政治活動を強化するのはもちろん、南半部出身者に対する活動を十分におこない、北半部人民の革命的教育を強化することを決定しました。

 人々を革命精神で教育するうえで、文学、映画、演劇、音楽、舞踊など、文芸部門の活動家の役割は極めて大きいものがあります。我々の文学・芸術は、北半部での社会主義建設に奉仕するばかりでなく、南朝鮮革命と祖国統一をめざす全朝鮮人民の闘争に奉仕すべきです。しかし、我々の文学・芸術は、まだ朝鮮革命の要求を満たしていません。南朝鮮の革命家を教育するすぐれた文学作品や映画がなければならないのに、そういったものはあまり見当たりません。

 現在、南朝鮮の情勢は極めて良好です。南朝鮮のインテリの動向は非常によいといえます。彼らは、外部勢力の干渉のない自主的統一を主張しています。彼らが直接アメリカ帝国主義者に反対して闘えないのは、まだ、アメリカ帝国主義者を恐れているからです。我々は、南朝鮮の人民が反米闘争のスローガンを高くかかげて闘うよう、ひきつづき努力しなければなりません。

 南朝鮮の人々に革命闘争の方法を教え、彼らの革命的情熱を燃えあがらせ、階級的自覚を高める文芸作品の創作に力をそそぐべきです。もちろん、社会主義を謳歌する文学・芸術が必要です。必要であるばかりか、よりすぐれた作品を多く創作しなければなりません。しかし、現在、我々にとって極めて数が少なく、また切実に必要とされるのは、南半部の人民と革命家を教育し、北半部の人民を革命精神で教育するための文学・芸術作品です。

 革命伝統の教育に寄与する目的から、抗日パルチザン闘争を描いた文学・芸術作品が少なからず発表されました。抗日遊撃闘争は、わが国革命運動の源流であるので、これはもちろん必要なことです。これからもひきつづき、そういったものをたくさん書くべきです。しかし、革命伝統教育を抗日パルチザン闘争だけに限るのは、あまりにも幅がせまいと思います。既に、革命伝統教育の幅をひろげるときがきました。解放後20年ものあいだ革命闘争がつづいているのに、どうして15年間の抗日遊撃闘争だけが革命闘争だといえるでしょうか。人民政権を樹立するための闘争、土地改革のための闘争、産業国有化のための闘争、党建設のための闘争、アメリカ帝国主義者の侵略に抗する祖国解放戦争など、これらの闘争はすべて困難を極めた革命闘争でありました。

 3年間の祖国解放戦争には、抗日遊撃闘争よりも多くの大衆が参加しました。祖国解放戦争は、わが国社会のすべての階級と階層が参加した、文字どおり全人民的な戦争でした。労働者、農民、知識人が犠牲をかえりみずこぞって勇敢に戦いました。作家、芸術家は、このような闘争を描いた作品を創作しなければなりません。最近、2・8映画撮影所では、『輸送戦士の歌』『南江村の女性たち』などの映画を制作しましたが、このような作品をもっとたくさんつくるべきです。英雄的に闘った人が、どうして輸送戦士や南江村の女性たちだけだったといえましょうか。

 祖国解放戦争は、数多くの人民英雄を生みました。洛東江まで進撃した多くの人々が、あらゆる試練と困難にもめげず、山を越え川を渡ってわが党のふところに帰り、革命の隊伍にもどって来ました。この苦難にみちた後退は、いわば万里の長征とも言えるでしょう。それなのに、洛東江まで行ってもどって来た人々を革命家として誇れないわけがあるというのでしょうか。これらの人々を革命家として認められない理由は何一つありません。これらの人々は、大革命闘争に参加した誇りを当然もつことができます。

 解放前の革命闘争についても、もちろん、ひきつづき書くべきですが、解放後の革命闘争のなかから生まれた無数の英雄的業績や感動的な事実について、さらに多く書かなければなりません。そうしてこそ、新しく成長する革命闘士に誇りをもたせ、彼らを新たな偉勲へと励まし、より多くの革命家を育成することができます。

 私が既に、何度も話したように、わが国を完全に統一するためには、南半部で人民が革命闘争をくりひろげて、アメリカ帝国主義者を追い出さなければなりません。アメリカ帝国主義者を追い出すのは、もちろん容易なことではありません。しかし、南半部の革命家が党建設を立派におこない、南朝鮮人民の闘争を巧みに組織するならば、アメリカ帝国主義者を追い出し、そのカイライを打ち倒すのは十分可能であり、そうなれば、祖国の統一は平和的に実現されるでしょう。我々の平和的統一方針は、まさに、このようにして統一を達成しようというものです。そうではなく、戦争によって統一が実現することもありえます。アメリカ帝国主義者が我々に反対して戦争を引き起こすならば、我々は武力で侵略者を追い出さざるをえません。この場合、アメリカ帝国主義者は、南北朝鮮全人民の武力による反撃を受けることになるでしょう。アメリカ帝国主義者が我々に対し武力で攻撃してくるのに、どうして我々が南半部の人民を武装させずにいられましょうか。

 朝鮮の統一がどのような方法でなされるにせよ、南北朝鮮の人民をたえず革命精神で教育することが最も重要です。作家、芸術家は、文学・芸術作品のなかにかつての革命闘争の経験や北半部における革命と建設の闘争経験を描くだけでなく、南半部の人民と革命家の闘争をも描くべきであります。

 南半部には立派を闘争経験や英雄的な闘争業績がたくさんあるのに、それを描けない理由はありません。例えば、十月人民抗争を誰が指導したか、ということは問題ではありません。例え、朴憲永がこの闘争を失敗させたとしても、人民の勇敢な闘争の歴史を消しさることはできません。人民のこの英雄的な闘争が失敗した原因についても書くことができるではありませんか。また、4・19人民蜂起、6・3デモ闘争などは、何と光栄ある勇敢な闘争ではありませんか。これらの闘争について小説に書き、映画をつくり、歌もつくるべきです。南朝鮮の青年学生が一度読めば、死を決してアメリカ帝国主義者と闘う覚悟が生まれるような、力強い作品を書かなければなりません。わが国には、数多くの革命家が英雄的に闘った事実がいくらでもあります。そういう資料をもとにして映画や小説をはじめ、文学・芸術作品をたくさん創作すべきです。

 最近、南朝鮮で闘ったある同志についての話を聞きましたが、彼は小説に書くとすれば大長編小説にでもなるほど立派に闘いました。彼は革命組織との連係がとだえたのちも、今日まで一日も中断することなく闘ってきました。彼の活動は、闘争の期間からいっても、闘争の内容からいっても、じつに高く評価されるべきものです。これらを素材にして作品を書けば、南朝鮮の青年学生を革命化するための立派を教科書になるはずです。このような作品は、もちろん北半部の青年にとってもよい教育資料となります。

 解放後の南朝鮮人民の闘争ばかりでなく、解放前の南朝鮮人民の闘争についても書くべきです。光州学生事件などは、立派な素材になるでしょう。かつて朴昌玉は、光州学生事件を記念することすら反対し、3・1運動までも記念できないようにしようとしました。歴史ものとしては、人民の反日・反米闘争史のうちから、このような立派な史実を選んで書くことができるでしょう。

 南半部の革命家や愛国者に、できるだけ多くの教育資料を与えなければなりません。南半部で闘っている人には、北半部の社会主義建設に関する文学・芸術作品よりも、南半部における彼らの闘争、彼らの喜びと悲しみ、彼らの生活を描いたものを多く読ませることがより必要です。この面で我々がなしたことは微々たるものです。映画にしてもそうです。例えば『人民教員室は立派な映画ですが、この作品にしてもやはり、主人公の輝かしい生涯は、社会主義建設に献身的に参加することで終わってしまいます。南半部における革命の問題、祖国統一の問題は視野の外にあります。このような作品は、それ自体としては、いかにすぐれたものであっても、南半部の革命家の要求と、彼らの問いに回答を与えることはできません。

 わが党の第一の革命任務は、祖国を統一することであります。これは党規約にはっきりとうたわれています。我々の文学・芸術は、党のこの革命任務から決して退くことはできません。

 いま、南朝鮮では、数多くの立派な同志たちが監獄につながれています。我々は、獄中にあるこれらの同志たちにも確信を与えなければなりません。獄中の同志たちは、南朝鮮人民が闘いに立ち上がり、監獄の門を開けてくれるのを待っています。彼らは、毎日、毎時、情勢の推移をじっと見守っています。彼らに希望を与えるべきであり、南朝鮮で血を流して闘い犠牲になった人々は、わが国の光栄ある革命史に記録されることを知らせなければなりません。そうしてこそ、彼らは監獄でも断頭台でも屈することなく勇敢に闘い、彼らの後につづいて、革命家の大部隊がひきつづき闘争の戦列に加わることでしょう。

 我々が立派な製紙工場と完備した出版機関をもち、幾百幾千の作家、芸術家の部隊をもっていながら、南半部の革命家を勇気づける革命的な文学・芸術作品を創作できないとしたら、南半部の同志たちにどうして顔向けができるでしょうか。

 作家は、既に、世を去った人や、現在生きている人をモデルにして大作を書くことができるでしょう。しかし、生きている人の伝記を書くことはひかえるべきです。それは、人々に大きな感動を与えることができません。かりに書くとすれば、解放前に革命軍の任務をおびて闘った人をモデルにして、一つの大作を書くことができると思います。彼らの解放前の人民革命軍での闘争、革命任務をおびて国内に入り、地下闘争をおこなって敵に逮捕され、獄中生活をおくりながら不屈の闘争をつづけた姿、解放後、長いあいだ離ればなれになっていた同志たちの感激的な再会、そして党を建設し、政権を樹立し、軍隊を創建するための献身的な闘争、祖国解放戦争での活躍、洛東江まで進撃した後、敵の包囲を突破して再びもどってくる困難を極めた後退作戦、戦後復興建設のための闘争など、これらの偉大な歴史的事件をテーマにして、朝鮮革命の発展とともに闘争のなかで成長していく主人公の典型的な姿を描きだすならば、それこそ一つの大作になるのではないでしょうか。このような作品を書いてこそ、人々に、革命というものは波乱曲折にみちたものだということを悟らせ、革命的ロマンチシズムの精神で人々を教育することができ、獄中の同志たちにも希望と勇気を与えることができます。

 例えば、金策同志をモデルにして立派な作品を書くことができると思います。満州での闘争、ソウルでの獄中生活、出獄後再び組織と連係を保って闘った事実、吉林での2回目の獄中生活、その後の遊撃闘争など、これらすべては苦難にみちた輝かしい革命家の生活そのものです。金策同志は西大門刑務所を出たとき、旅費がなかったので、法廷での弁護をすすんで引き受けてくれた許憲同志を訪ねていき、当時の金で1円20銭か1円60銭かをもらい間島へ渡っていきました。私は、金策同志が解放後平壌で息子と再会したときのことを思い出すと、いまでも目頭が熱くなります。あのとき、金策同志は、私のところに来て「この子は自分がはだしだからといって、なかなか入って来ようとしないのです。それで、お前がはだしだからといって将軍はとがめたりはしない、お前がぜいたくな暮らしをし、背広でも着こんできたら将軍が喜ぶとでも思うのか、はだしの方がまだましだ、さあ入ろう、こう言い聞かせて連れて来ました」と言うのでした。このような感動的な事実がどうして作家、芸術家の心をとらえないと言えるでしょうか。

 みなさんは、作品をつうじて、革命家の一生は苦難にみちたものではあるが、ひとたび覚悟を決めさえすれば、そのように生きてゆけるものだということを示すべきです。我々は、特に、青年を革命的楽天主義の精神で教育しなければなりません。

 昨年の2・8節のとき、私が人民軍部隊を視察して非常に心を痛めたのは、いまの若い人たちが苦労というものを知らず、自分の父や兄が過去どういう生活をしてきたかを知らないことでした。年若い兵士たちは、わらじとはどういうものか、小作料がどんなものか、また作男が何であるかをよく知りません。現在25歳の青年は、たぶん六つのときに解放を迎えたと思いますが、彼らには、旧社会に対する生々しいイメージがありません。彼らが旧社会に対する何らかのイメージをもっているとすれば、それはほとんど書物から得たわずかな知識にすぎません。我々が若い世代に対する教育を正しくおこなわないならば、青年は革命精神を失って安逸を求める、何の役にも立たない人間になりかねないということを忘れてはなりません。

 地主についても、資本家についても知らない青年たちでは、我々は革命をおこなうことができません。現在、人民軍の中隊長はほとんどが戦闘経験をつんだ人たちですが、小隊長は戦闘経験のない人たちです。既に、人民軍の幹部構成はこのように変わっています。それでもまだ、中隊長、大隊長、連隊長以上の幹部はこれまで苦労をし、戦闘の経験もある人たちです。幹部がこれ以上年をとる前に祖国の統一をなし遂げなければなりません。いずれにせよ、祖国統一の任務を次の世代に引き継がせてはなりません。

 わが国の勤労者や青年を教育するうえで、いろいろな芸術がすべて必要ですが、そのうちでも小説と映画に力をそそぐべきです。特に、立派な映画をたくさん制作しなければなりません。

 次に、革命的な歌の創作について少し述べようと思います。

 我々がパルチザン闘争をおこなっていたとき、革命的な歌をつくると、農民はもちろんのこと、「満州国」軍まで歌ったものです。我々は作曲が上手にできないので、手こずるときには歌詞だけつくって昔の曲に合わせて歌ったりしました。それでも、人民はそのような歌をよろこんで歌いました。みなさんがよい歌をつくれば、それを南朝鮮の「国防軍」の兵士が歌い、南朝鮮の学生も歌うようになるでしょう。

 音楽芸術分野の活動家は、わが国の民族音楽を社会主義建設者の情緒と志向にそうようさらに発展させなければなりません。

 ここ数年のあいだに発表された歌をみると、ほとんどが申し分のないものです。『おお、吹雪よ吹雪』『決戦の道』などは非常にすばらしい歌です。これらの歌は、美しく、荘重で、人々を革命闘争にふるい立たせることができます。『栄光の地──普天堡』『鴨緑江2千里』や、女声重唱『泉のほとり』などの歌は、朝鮮的な旋律が豊かで、人民の感情にぴったり合います。最近の歌では『青山の原に豊年がきた』が一番すぐれているようです。朝鮮的な旋律で一貫しているこの歌は、時代の精神をみごとに反映しています。この歌には、チョンリマ(千里馬)を駆る勢いでつき進むわが国勤労者の戦闘的な気概と勝利に対する確信にみちた楽天的な情緒がよく表現されています。わが国の現代音楽は必ずこのような方向に進むべきです。

 こんにち、わが国の音楽は、基本的に正しい方向で健全に発展しています。ひきつづきこの方向に進めば、別に問題はないと思います。しかし、民族音楽をこんにちの現実にふさわしく、いちだんと発展させるためには、まだまだ多くの努力が必要です。

 わが国の音楽は、必ず朝鮮的なものを基調としなければならず、朝鮮人民の感情に合うものでなければなりません。

 朝鮮人の感情とかけはなれた純洋楽は、朝鮮人民の好みに合いません。

 わが国の軽音楽は流行歌調が少なからずありますが、朝鮮的なものが基調になっているので人々に喜ばれるのです。金鐘徳さんの歌が拍手かっさいをうけるのも偶然ではありません。彼の歌は多少流行歌調をおびてはいますが、豊かな朝鮮的旋律をもっており、明朗で楽天的です。

 日本帝国主義の支配当時、朝鮮人民のつくった歌のなかには流行歌が少なくありません。もちろん、退廃的な流行歌はよくありません。しかし、流行歌のうちでも退廃的でなく、朝鮮民謡の形式を受け継いでつくったやや軽快な歌は、ひきつづき歌ってもよいでしょう。なぜなら、ほぼ半世紀にわたる悪辣な日本帝国主義の植民地支配のもとで、朝鮮人民は当時の腐りきった社会を嘆いて数多くの歌をつくって歌いましたが、そのなかには流行歌も少なくないからです。健全な大衆が好んでうたう歌は間違いなくよい歌です。いくぶん流行歌調であっても、民謡の形式を受け継いでおり、大衆が好む歌は発展させなければなりません。

 民族音楽では、主として民謡を発展させるべきです。わが国の民謡を、こんにちの青年の感情にあうようにつくることが必要です。『蔚山タリョン』や『牡丹峰』などは、じつに美しい旋律をもった歌です。このような歌をたくさんつくるべきです。民謡は、独唱よりも合唱のほうがずっとよいと思います。

 唱劇の場合も民謡を土台とすべきです。西道民謡が基調となっている『川向こうの村から新しい歌が聞こえる』は、非常に心を引くものがあります。民族音楽はこれを標準にして発展させるのがよいと思います。

 パンソリ(語り歌)は、あまりにも古いものなので興味がわきません。南道唱は、両班たちが冠をかぶり、ロバにまたがって歩いていた時代に酒盛りなどをして遊びながら興に乗って歌っていたものですが、我々の時代にはふさわしくありません。いまの青年はこういう歌を好みません。若い人たちはラジオを聞いていても、パンソリが始まるとスイッチを切ってしまいます。パンソリは人々の心を揺さぶることができなければ、闘争にふるい立たせることもできません。パンソリで軍隊を戦場に突進させることができるとは、とても考えられません。その昔、貴族たちが酒盛りをしながら歌っていた歌が、社会主義を建設している青年の感情に合うはずがありません。

 もちろん、パンソリを全く歌ってはならないというのではありません。昔はこういう歌もあったということを知っておくのは、悪いことではありません。したがって、パンソリをする人を百人に一人ぐらいは残しておくべきでしょう。パンソリを保存はしても、奨励する必要はありません。

 南道唱を民族音楽の基本とすべきだという一部の人の主張は間違っています。南道唱は、昔の両班の歌の節回しであるうえに、聞きづらい濁声をだします。これは自然な発声法とは全く矛盾するものです。『川向こうの村から新しい歌が聞こえる』や『法聖浦の船歌』などには濁声がなく、なんと聞きよいではありませんか。

 もともと、朝鮮人の声音は美しいのに、きれいな乙女がしわがれ声をだすのは全く聞き苦しいものです。男性や年老いた春香の母親がしわがれ声をだすのはまだしも、春香までがそういう声をたすのにはうんざりしてしまいます。いま、『春香伝』をはじめ、わが国の唱劇が人民から歓迎されない主な理由の一つは、しわがれ声をだす南道唱で歌うことにあります。

 一部の人が主張しているように、しわがれ声をわが国の民族的旋律にかなった発声だとするのは間違っています。それは不自然で人為的なものです。いまの青年はしわがれ声では歌わないし、それを好みもしません。伝統的な発声法だの、現代式だのといって論議する必要もありません。民族的な旋律と感情に合うように自然で、きれいな声をだせばよいのです。自然で、なめらかで、しかも美しい声をだす発声法を選ぶべきです。必ず発声からしわがれ声をなくさなければなりません。

 一部の人は、国立芸術劇場と民族芸術劇場は同じ方向へ進むべきではないと主張し、民族芸術劇場ではしわがれ声を保存すべきだといっていますが、もし、是非ともそうすべきであるなら、民族芸術劇場と呼ばずに民族古典芸術劇場とでも呼び、しわがれ声をだす人だけをそこに別に集めるべきでしょう。民族芸術劇場は前進すべきであって、昔のものにとどまるべきではありません。

 わが国の民族音楽を現代化するためには、楽器をさらに発展させる問題も考慮しなければなりません。

 わが国の民族楽器の欠点は濁った音がでることです。唱で濁声をだすので、楽器もそれに合わせてつくられたものと思われます。一部の人は民族楽器の改良に反対していますが、反対する必要はありません。昔のままの朝鮮楽器では、民族音楽を現代化することができず、我々の時代の人民の情緒を十分に表現することもできません。

 民族楽器は、やはり民謡によく合うようです。『牡丹峰』を民族楽器で演奏するとたいへんすばらしくなります。

 朝鮮楽器が民謡に適しているからといって、それが行進曲には合わないものと速断してはいけません。民族楽器でも十分気勢をもり上げることができます。

 一部の人は朝鮮音楽を洋楽器では演奏できないと言っていますが、これはたいへん間違った考えです。『青山の原に豊年がきた』は、その基調が元来朝鮮のものです。しかし、この曲は洋楽器で演奏した方が非常によく調和します。躍動的で緊張感を与えるこの曲には、洋楽器が適します。洋楽器にセナプ、ケンゴワリなどの民族楽器を組み合わせると、いっそう興をそそります。これはよい試みだと思います。

 軽音楽の伴奏で朝鮮の歌をうたうのも悪くありません。バイオリンで朝鮮の曲を演奏するのもよいし、ピアノで朝鮮の曲をひくのもよいでしょう。現在、朝鮮のピアノ曲が数えられるほどしかないため、ピアノの稽古はきまって西洋曲からはじめなければならないものと考えているようです。洋楽を学ぶのも大切ですが、何よりもまず朝鮮の音楽から学ぶべきです。

 洋楽器で西洋曲ばかりを演奏すべきではありません。朝鮮の曲を演奏しなければ、洋楽器は結局、人民から見放されてしまうでしょう。

 我々は、洋楽器を民族音楽の発展に利用しなければなりません。洋楽器に朝鮮音楽を従わせるのではなく、朝鮮の音楽に洋楽器を従わせるべきです。

 洋楽器で朝鮮調の曲を演奏できるように、すぐれた作品を多くつくらなくてはなりません。問題は作曲にかかっています。朝鮮的な味に富んだ曲をたくさんつくり、洋楽器の教則本もつくらなければなりません。

 洋楽器のための曲であれ、民族楽器のための曲であれ、わが国の音楽は時代の情緒を表現しなければなりません。時代が変われば人民の情緒も変わるものです。昔、学者たちが離れに座って時調を吟じた式の歌は、こんにちのわが国の実情には適しません。わが国の音楽は、必ず社会主義を建設している勤労者の情緒に合うように発展させなければなりません。

 こんにちの朝鮮人民の情緒に合わない昔のものをそのまま受け継いではなりません。民族音楽の発展と復古主義とは緑もゆかりもないのです。

 音楽で朝鮮的なものを大切にし、それを発展させるべきだからといって、古典ばかりをおし上げてはなりません。現代の青年に冠をかぶせたら、果たして喜ぶでしょうか。

 昔の歌はほとんどが漢詩からなっているため、いまの青年には歌うのも難しく、また、わかりもしません。そういうものをそのまま受け継ぐ必要はありません。我々は当然、漢詩の歌詞をやさしい言葉になおして現代化しなければなりません。昔のものをいくら上手に真似たところで、大衆に愛されなければ何の役にも立ちません。我々は、昔のものをそのまま模倣することに力を費やすべきではなく、幾世紀にもわたって、人民の創造した貴重な財産を我々の時代の人々の感情に合うように改造し、発展させることに力をそそがなければなりません。

 音楽大学の民族音楽学部を強化し、民謡と民族楽器を専攻する学生をさらに多く養成すべきです。こうして、わが国の民族音楽を現代化し、それを我々の時代にふさわしく、いっそう発展させるために努力しなければなりません。

 音楽も他のすべての芸術と同様、人民大衆に奉仕しなければなりません。わが国の音楽を民族的な旋律を基調にして発展させるべきだというのも、結局は、人民大衆が理解し、楽しむことのできる音楽を創造するためです。一部の専門家だけにわかる、いわゆる音楽のための音楽だとか、搾取階級の好みにあう退廃的な音楽などは、我々にとって必要ではありません。我々は、人民大衆の革命意識を鈍らせるいっさいの退廃的なブルジョア音楽を排撃しなければなりません。感傷と悲哀にひたって絶え入るような声をだしたり、人の心をみだらにさせるような曲調は、断じて排撃しなければなりません。

 我々はこれまでと同様、今後もジャズが入りこむのを決して許してはなりません。ジャズは青年を堕落させ、無気力にし、革命意識を麻痺させます。ジャズは、革命的な人民を堕落させるための帝国主義者の思想的武器であります。アメリカ帝国主義とあくまでも闘うべき我々が、どうして我々に反対して、ふりまいているその毒素を受け入れ、みずからの陣地を切り崩すことができるでしょうか。ジャズを徹底的に排撃しなければなりません。

 わが国の音楽は、民族的でありながらも、常に革命的なものとならなければなりません。

 私は、社会主義建設に関する文芸作品と革命闘争に関する文芸作品の創作比率を5対5にすることを提案します。そして、革命闘争に関するものは、北朝鮮のものを4、南朝鮮のものを1ぐらいにするのがよいと思います。

 作家、芸術家が、農村に出向く問題について、若干ふれたいと思います。俳優は平壌にばかりいないで、農村巡回公演もしなければなりません。平壌で公演する人と、農村巡回公演をおこなう人とが別々にいるように考えて活動を組織してはなりません。

 作家、芸術家が平壌に居座ってばかりいたのでは、人民とかけ離れた官僚になり、貴族になってしまいます。そうなれば、作家、芸術家は祖国の現実にうとくなり、堕落して、安楽のみを求めるようになります。俳優は農村にいってこそ、生活のなかで教育を受けることができます。農村にいけば、まだ残っているわらぶきの家が目につき、農民の骨の折れる労働も実際に見るようになります。そういうものを見れば、おのずと安逸な考えがなくなって、生活も質素になり、闘志がわきおこるものです。芸術家は、だれかれを問わず必ず農村に行ってみなければなりません。

 作家、芸術家が、大衆のなかに入っていかず、大衆と一体とならず、大衆からたえず学ぼうとしないならば、彼らは貴族化し、官僚化して、わが国の革命事業に何の寄与もできなくなるでしょう。作家、芸術家は、常に、労働者、農民と接し、労働者、農民と結合し、彼らのなかからつきることのない創造的知恵の源泉を見出すことのできる、労働者、農民に忠実に奉仕する革命的な作家、芸術家とならなければなりません。
出典:『金日成著作集』18巻


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