金 正 日

革命的映画の創作に新たな転換をもたらそう
映画芸術部門の創作家、芸術家におこなった演説 
1966年2月26日 

 ここ数年間、映画芸術部門では大きな前進がありました。特に、金日成同志が古典的著作『革命的な文学・芸術の創作について』『革命教育、階級的教育に寄与する革命的な映画をより多く創作しよう』で示した綱領的課題を遂行する過程で、思想性・芸術性の高いすぐれた映画が数多く創作されました。劇映画『成長の道』『青年前衛』『私の売り場』『一家が立ち上がった』『南江村の女性たち』『鐘の音』などは、人々を革命的に教育し、階級的に目覚めさせるうえで大いに役立つすぐれた作品です。しかし、我々は成果に満足することなく、映画創作活動をさらに力強く推し進めるべきです。

 金日成同志が述べているように、我々はまだ国の半分でしか社会主義制度を樹立しておらず、南朝鮮人民は依然としてアメリカ帝国主義者の植民地支配下にあります。我々が、南朝鮮からアメリカ帝国主義者を追い出し、祖国統一の歴史的偉業をなし遂げるためには、三つの方面でさらに仕事を立派に進めなければなりません。すなわち、南朝鮮の人民と青年を教育して南朝鮮の革命勢力をしっかり準備させ、共和国北半部での社会主義建設をさらに促進して革命力量を強固にし、国際革命勢力との連帯を強化するためにいっそう力を注がなければなりません。映画芸術部門の創作家、芸術家は、我々に提起されている三つの革命課題の遂行に積極的に寄与する、思想性・芸術性の高い革命的映画の創作に深い注目を払うべきです。

 人民を革命的に教育するうえで映画ほど大きな影響力を持つ芸術はありません。映画は短い時間内に多くの人を対象にして、いつ、どこででも上映できる最も大衆的な芸術であり、機動的な芸術です。映画は、生活を生き生きとした画面を通して直観的に見せるので、誰にでも容易に理解できます。映画は、文学、音楽、美術など、他の芸術の特性を内包している総合芸術であるため、映画の発展を先行させるのは、文学・芸術全般の発展において極めて重要です。したがって、人々を革命的に教育する思想的武器としての文学・芸術の戦闘的機能と役割を高めるうえで、思想性・芸術性の高い革命的映画を多くつくることは重要な意義を持ちます。

 こんにち、映画芸術に対する党と人民大衆の期待は極めて大きいものがあります。しかし、わが国の映画芸術は、党と人民大衆の期待、時代と現実の要請に追いついていません。わが国の映画芸術を時代と現実の要請に追いつかせ、人々の革命教育に積極的に寄与できるものにするためには、革命的映画の創作に新たな転換をもたらさなければなりません。

 革命的映画の創作に新たな転換をもたらすためには、何よりもまず、映画のテーマの方向を正確に定めて正しく解決していかなければなりません。

 時代の要請と人民大衆の志向に沿って革命的な文学・芸術を創作し発展させるうえで、テーマの方向をいかに定め解決していくかということは極めて重要な問題となります。労働者階級の党が時代の要請と人民大衆の志向に沿って文学・芸術を正しく発展させ、文学・芸術を党の思想活動の強力な武器にするためには、まず、テーマの方向を正しく示し、それにもとづいて文学・芸術創作活動を力強く展開しなければなりません。そうしてこそ、文学・芸術が真に党的で人民的な文学・芸術となり、創作に革命的な転換をもたらすことができます。

 金日成同志は、文学・芸術の創作においてテーマの問題が占める位置と、テーマ問題の正しい解決の持つ重要性を深く洞察し、わが国の文学・芸術が堅持していくべきテーマの方向を明白に示しました。金日成同志によって示されたわが国の文学・芸術のテーマの方向は、抗日革命闘争と祖国解放戦争、南朝鮮革命と祖国統一をめざす闘争、解放後の新しい社会の建設と戦後の復興建設をめざす闘争、社会主義革命と社会主義建設をめざす闘争など、朝鮮人民の革命闘争と建設事業全般を包括しています。わが国の文学・芸術は、わが党の革命闘争と社会主義建設に関する問題を基本的テーマの方向としてしっかりとらえてこそ、躍動する現代の精神をリアルに反映することができ、人民大衆の志向と要求に即応した革命的な文学・芸術になるのです。

 作家、芸術家は、わが党の革命闘争と社会主義建設に関する問題を基本的テーマの方向として確固と位置づけ、絶えず変化発展する現実の要求と党の意図に沿って新しく意義のある切実な問題をそのつど取り上げていくべきです。そうしてこそ、わが国の文学・芸術が党の政策的要求を敏感に反映し、現実的な差し迫った問題に正しい解答を与え、文学・芸術の革命的な性格を強め、その認識、教育的機能と役割をさらに高めることができます。

 文学・芸術部門の活動家は、現段階においてわが国の文学・芸術が革命的作品の創作で解決すべき根本的な問題は何であるかについて深く研究してみるべきです。先日、私は著名な古い作家たちに会った時、労働者階級の革命偉業に奉仕する社会主義文学・芸術が、時代と革命に対して担っている自己の気高い使命を果たすうえで根本的な問題は何であり、それを解決するために、いかにすべきかについて述べました。

 こんにち、わが国の社会主義文学・芸術が解決すべき根本的な問題は、領袖を形象化した新しい革命的文学・芸術を建設することです。

 領袖の形象化は、党性を生命とする社会主義・共産主義文学・芸術の使命から提起される必須の要求です。社会主義文学・芸術の重要な使命は、領袖の革命思想を具現し、領袖の革命偉業の実現に奉仕することにあります。これはすなわち、労働者階級の革命闘争、社会主義・共産主義建設偉業に真に寄与することを意味します。

 人々を領袖の革命思想で武装させ、領袖の革命偉業に忠実であるように教育する方法はいろいろあります。しかし、領袖の形象は、決していかなる他の形象によっても、とってかえられない強い感化力を持って人々に領袖の革命思想を植えつけ、偉大な風格に学ばせ、彼らに燃えるような忠誠心を育みます。社会主義文学・芸術の党性も領袖への忠実性に最大に発現されます。人々を領袖に限りなく忠実な人間に育てるためには、領袖の偉大さを感銘深く示すことができるように、領袖の形象化の問題を立派に解決しなければなりません。
 領袖の形象化は、革命伝統を内容とした作品の創作において現在、最も重要な問題となります。金日成同志の栄光に輝く革命活動史を抜きにしては、わが党の革命伝統について論ずることができません。革命伝統に関するテーマは、本質において金日成同志の不滅の革命活動史にかかわるテーマであり、金日成同志の賢明な指導のもとに展開された抗日革命闘争の歴史的事実を反映するテーマです。したがって、金日成同志の形象化は、革命伝統テーマの作品の創作において提起される最も崇高な課題となります。
 金日成同志は、20星霜の抗日革命闘争を勝利に導き、祖国解放の偉業をなし遂げた伝説的英雄であり、3年間の祖国解放戦争で世界「最強」を誇っていたアメリカ帝国主義侵略者を撃滅した百戦百勝の鋼鉄の総帥であり、社会主義革命と建設を正しく導いて植民地東方の一角に社会主義強国を打ち立てた不世出の偉人です。作家、芸術家にとって、金日成同志を高く仰ぎたたえることほど重要なことはありません。

 しかし、現在の文学・芸術部門の実態を見ると、金日成同志を形象化した作品が少ないばかりか、今、創作中の作品もそれほどありません。いまだに、解放直後の趙基天の長編叙事詩『白頭山』をしのぐほどの作品は創作されていません。

 領袖の形象化において、映画はまだ未開拓の分野だと言えます。文学や美術作品とは異なり、総合芸術である映画で金日成同志を形象化するのは決して容易なことではなく、それは極めて難しく複雑なことです。領袖の形象化のためには、その重大で責任ある歴史的課題を担当できる、政治的、思想的に、技術実務的に準備された創作集団がなくてはならず、十分な物質的・技術的条件がそなわっていなければなりません。領袖を形象化できる条件が不十分であるため、映画で領袖の形象化の問題を前面に提起することができず、それは長い間歴史的課題として取り残されてきましたが、我々はこの聖なる任務を課題としてのみ取り残しておくわけにはいきません。

 領袖を形象化することは、機の熟した時代の要請であり、人民大衆の一致した志向と願望です。映画芸術部門の創作家、芸術家は、絶え間ない探究と心血を注いで領袖の形象化という時代の要請と人民大衆の一致した志向を立派に解決すべきです。我々は、金日成同志の栄光に輝く革命活動史と不滅の業績、高邁な徳性を感動的に描いた作品をたくさんつくって、人民と青少年を金日成同志の革命思想で教育するのに積極的に寄与すべきです。

 革命的映画の創作に新たな転換をもたらすためにはまた、映画の形象化水準を一段と高めなければなりません。

 今、少なからぬ映画が、生活と闘争における極めて切実で意義ある問題を提起しているにもかかわらず、観衆の心をとらえていない主な原因は、形式に偏り内容を掘り下げて描き出していないところにあります。

 革命伝統をテーマにした映画や祖国解放戦争を取り扱った映画を見ると、いまなお革命闘争の内容と革命家に成長する主人公の精神世界を掘り下げてえが、描き出せず、戦闘や吹雪、行軍などの場面の描写にきゅうきゅうとしています。もちろん、作品のテーマと特性によって銃声を上げることもできるし、苦難に満ちた行軍を見せることもできます。しかし、そういう描写はすべて、あくまでも主人公をはじめ、登場人物の精神世界を明かすことに服従しなければなりません。

 映画が人々を深く感動させ、彼らに主人公のように革命闘争に参加しようという強い覚悟と決意をかためさせるためには、戦闘や激しい吹雪、果てしなく広がる密林ばかり長々と見せるのでなく、革命闘争の道に身を投じた人々がどんな試練と曲折を経て、いかに革命を認識し、闘争の道をたくましく歩んで革命家に成長するのかという思想・意識の発展過程、革命的世界観の形成過程を特色づけて見せるべきです。映画で戦闘や吹雪をついて千古の密林を行軍するといった場面は、革命の道に踏み出した人々の性格発展の過程に積極的に寄与する時にのみ、意義あるものとなります。

 真の文学・芸術作品の価値は、形式美にあるのではなく、その内容の美しさにあります。映画でも、形式に偏ることなく内容を掘り下げて見せることができるように、革命家に成長する主人公の性格発展の過程を生き生きと、リアルに描き出すべきです。そうしてこそ、文学・芸術作品の内容が深まり、人々の革命教育に実際的に役立つようになります。

 革命的文学・芸術作品の特徴は、単なる革命闘争の描写にのみにあるのでなく、強い思想性と革命性にあります。概して文学・芸術では自然を改造し、社会を変革する人間の活動を描くことができます。革命闘争を描いたという一つの事実だけでは、革命的な文学・芸術作品とみなすことはできません。要は、革命闘争をどのような世界観にもとづいて、いかに描くかということです。労働者階級の革命的世界観にもとづき、生活を労働者階級の立場で描いた文学・芸術作品は革命的なものとなりますが、資本家階級の立場で生活を描いた文学・芸術作品は反動的なものとなります。ブルジョア作家は、その階級的立場と思想的立場からして、革命闘争を歪め、人間の運命をねじ曲げて描くほかありません。労働者階級の作家の場合でも、革命的世界観で武装せず、革命運動発展の本質を深くつかめなければ、主人公の内面世界の描出を通じて革命闘争の内容を掘り下げて描き出すことができず、外形描写によってそれにかえるようになります。

 映画で主人公の革命的世界観の形成過程を克明に描き出すためには、まず創作家自身から正しい世界観を確立しなければなりません。人間は誰でも正しい世界観を確立してこそ、自然と社会のすべての現象を見極め、実践活動を正しく進めることができます。鋼鉄が火の中で鍛えられるように、人々は革命と建設の実践のなかで自分の世界観を完成させていきます。いかなる試練も経ず、安易な生活のなかで一朝一夕に革命家になれるものではありません。革命家は、革命闘争の一定の段階を経て、紆余曲折と波風にもまれる過程を通じていっそう鍛えられていくのです。

 最近つくられた劇映画『ある支隊長の物語』では、主人公の許哲万と沈恵英が社会のさまざまな矛盾を体験して革命の道に踏み出し、あらゆる曲折と波風を経て革命家に成長する過程を比較的生き生きと克明に描き出しています。主人公の許哲万がたたかいの道に踏み出すようになったのは、当時の社会的矛盾を認識し始めたからです。彼は暴動に参加し、獄中生活を体験し、地下闘争や武装闘争にも参加して、さまざまな難関と試練を乗り越えます。たたかいの過程で彼は革命的世界観が確立し、いかなる波風や試練をも克服できる革命的意志の強い遊撃隊の指揮官に成長します。

 革命的世界観の確立する過程は、人によって異なります。革命的世界観は、階級的立場と社会的条件、家庭環境によって、早く形成される人もいれば、遅く形成される人もいます。

 概して搾取と抑圧を直接受ける労働者、農民は、社会的矛盾を認識する過程は遅れますが、いったんそれを把握しさえすれば革命的意志の強い革命家に早く成長し、インテリは社会的矛盾を認識する過程は早いのですが、労働者、農民のように搾取と抑圧を直接体験していないので、幾多の試練を経る過程を通じて革命的世界観が確立されていきます。しかし、これは一般的な現象にすぎません。いくら搾取され抑圧されている人であっても、社会的矛盾を認識できる条件がつくられなければ革命的世界観を確立することができず、また、いくら社会的矛盾を把握している人であっても、闘争のなかで鍛えられなければ革命家になれません。

 革命的世界観の形成過程では、社会・政治制度が重要な働きをします。社会主義制度が樹立され、革命と建設が力強く進められている共和国北半部では、人々が革命思想で武装する過程が極めて早く進みます。共和国北半部では、人々が幼い時から党政策教育、革命伝統教育、社会主義的愛国主義教育を系統的に受けており、帝国主義の思想的・文化的浸透とブルジョア思想、修正主義思想の影響を防ぐ闘いを徹底的におこなっています。社会主義社会では、人々が恵まれた環境で成長しながら世界観が形成されるので、革命意識がわりあい早く発展しますが、革命的試練を経られないので、闘志が薄弱になりかねません。したがって、社会主義建設を内容とする作品では、人々の闘志を培うのに重点を描くべきです。これとは反対に、南朝鮮人民は、民族的および階級的抑圧と搾取を受けて苦しい生活をしていますが、帝国主義の思想的・文化的浸透とブルジョア生活様式の氾濫によって退廃的な思想・文化の影響を受けざるを得ません。それゆえ、南朝鮮の社会現実を取り扱った作品では、闘志を培うと同時に、革命的世界観を正しく確立することに力を入れなければなりません。

 人々の革命的意志は、闘争の過程で絶えず鍛えられ、さらに強くなります。もって生まれた革命家がいないように、完成した革命家もあり得ません。生活と闘争の厳しい試練のなかで世界観は確立され、かためられるものです。例え、革命的世界観の確立した人であっても、実際の闘争過程で予想しなかった難関にぶつかると、一時、心の動揺を起こすようになります。しかし、それを克服する過程で、世界観はさらにかためられるのです。

 ところが今、一部の文学・芸術作品では、あたかも完成された革命家がいるかのように、人物の性格を発展過程で見せるのではなく、既定の事実とする偏向があります。完成された人間を描くというのは、ある理想的な主人公を描くことを意味しますが、それは前代によく使われた文学・芸術の創作手法です。諸人物の性格を発展過程で見せるのではなく、既定の事実とするのは、人々の教育にも役立たないばかりか、現実を革命的発展のなかで描写することを求める社会主義リアリズムの創作方法にも合致しません。革命的な文学・芸術作品では、主人公の革命的世界観が形成され強固になる過程を、彼らの性格発展との有機的な関係のなかで立派に密着させて描くべきです。そうしてこそ、人々に革命闘争の経験と方法を教えることができ、誰でも作品の主人公のように革命的覚悟をかためて闘争に参加すれば革命家になれるという信念を抱かせることができます。

 文学・芸術作品が、革命闘争の内容を掘り下げて見せ、人々の革命的世界観の確立に実際に役立つものにするためには、生活と闘争のひとこま、一区切りをもって克明に描き出さなければなりません。

 一部の映画では、内容を深く掘り下げず、あれこれと多くの問題に触れてとりとめのないものにしてしまう場合が少なくありません。いくら取り上げる問題が新しく独創的なものであっても、一つの作品であまり多くのものを見せようとすれば、どれ一つまともに見せることができなくなります。生活と闘争のひとこま、一区切りをもって克明に描き出してこそ、一つの問題でもまともに、明確に見せることができます。

 生活と闘争のあるひとこま、一つの事実を集約化して描くのは、映画の特性にもとづく必然的な要求です。映画は一定の期間の事実を限られた時間内に画面を通じて見せなければならないので、物語を雑多に繰り広げようとせず、集約化して描くべきです。

 いくら大作だといっても、一つの作品で人々の革命的世界観の確立に作用するすべてのことを見せることはできません。ある作品で革命的同志愛に関する問題を取り扱ったとすれば、他の作品で軍民一致の関係を見せ、また他の作品では敵中闘争を描くといったふうに、生活と闘争をひとこまずつ掘り下げてこそi 、それがまとまって人々の革命的世界観の確立に実質的に役立つようになります。

 生活と闘争のひとこま、一つの事実をもって内容を克明に見せるためには、主人公の生活と闘争の過程を伝記的に描く傾向をなくさなければなりません。主人公の生活と闘争の過程を伝記的、一代記的に描くようになれば、その生涯をたどりながら描き出さなければならないので、過ぎし日の生活を歴史的に羅列して平面的に描かざるを得ず、主人公を時代を代表する典型に描き出すことができなくなります。ある人物の生活と闘争の過程を伝記的、一代記的に描くのは教育的意味もありません。

 最も意義ある典型的な時期の闘争と生活のひとこま、一つの事実を取り上げて上手に形象化してこそ、内容を克明に描き出して見せることができます。ある人物の闘争活動史をある時期を中心に見せようとする場合には、その一生を機械的に羅列するのでなく、当時の社会的環境とのつながりのなかで芸術的に一般化しなければなりません。劇映画『ある支隊長の物語』が主人公の世界観の形成過程を克明に見せることができたのは、闘争のある一つの時期を取り上げて集中的に描いたからです。すなわち、出獄した主人公が北間島に渡って闘争の道を探し求めてさまよい、ついに金日成同志の懐に抱かれて支隊長に成長する過程を集約化して描いたからです。

 ひとこま、一つの事実を取り上げて描くということは、事件と生活の個々のことを描くことを意味するのではありません。それは、一定の歴史的時期の社会生活のなかで、ある一つの事実、または、ある一つの部分を内容的に充実させて芸術的に形象化することを意味します。したがって、選び取った事実と関係した生活と闘争を各面にわたって幅広く掘り下げて描くことが重要です。作品の「種子」と素材の性格にふさわしく生活と闘争を各面から幅広く掘り下げて描いてこそ、内容が単調にならないようにし、人々に革命は波瀾に満ちてはいるが、喜びと誇りも大きいものがあるという正しい認識を植えつけることができます。

 わが国の文学・芸術作品を時代と現実の要求に追いつかせ、その形象化水準を一段と高めるためには、作品の政治性・思想性と芸術性を高い境地で立派に調和させなければなりません。

 文学・芸術作品が価値と気品のあるものになるかどうか、それが大きな感化力をもって人々の精神世界に深く食い込むかどうかは、もっぱら、政治性・思想性と芸術性をいかに調和させるかにかかっています。政治性・思想性と芸術性が立派に結合した文学・芸術作品であってこそ、真の革命的文学・芸術としての気品をそなえ、人々に生活の真理を教え、革命の道に導く闘争の武器となります。

 わが国の文学・芸術は革命のために必要であるのですから、それは政治と切り離すことができません。我々は、文学・芸術をある種の娯楽の手段とはみなしていません。文学・芸術は、あくまでも人々を真の生の道に導く生活の教科書であり、闘争の武器です。革命的文学・芸術は、人民を教育し、彼らを革命闘争に立ち上がらせるうえで極めて重要な役割を果たします。しかし、ブルジョア反動文学・芸術は、ブルジョアジーの階級的利益を代弁し、彼らの享楽の手段に利用されています。こんにち、修正主義的文学・芸術は、階級的原則を拒み、人々の階級意識と革命意識を麻痺させる働きをすることによって、革命闘争に多大な弊害を及ぼしています。我々の革命的文学・芸術は、これからも党性、労働者階級性の原則をかたく守り、人民大衆を革命的に教育し、彼らを革命と建設に奮い立たせる機能と役割をさらに強めなければなりません。

 文学・芸術作品の価値は、作品に盛られている思想によって決まり、評価されます。深奥で豊富な思想的内容を盛り込んでいない文学・芸術作品は、例え、その芸術的形象化がいかに生き生きとして興味あるものであっても、価値あるものとはなり得ません。

 文学・芸術作品の創作において思想性が目的であるなら、芸術性はその目的を達成するための手段であると言えます。文学・芸術作品の思想性は、芸術性によって克明に表現されなければならず、芸術性は思想性をほのかに感銘深く表さなければなりません。思想性と芸術性が商い水準で巧みに調和された文学・芸術作品は、意義ある思想が高尚な情緒ととけあったものであるがために、人々に深い感動を与え、人間生活と革命闘争に大きな作用を及ぼすようになるのです。

 文学・芸術作品の価値を決めるうえで思想性が基本をなし、主導的な役割を果たすからといって、芸術性をないがしろにしてはいけません。文学・芸術作品での思想は、宣言するがごとく表現されたり、直線的に強調されてはならず、芸術的な形象を通じて自然に流れ出なければなりません。文学・芸術作品では、芸術性がなければ思想性と政治性をまともに生かすことができません。文学・芸術作品を真に価値あるものにするためには、思想性と芸術性が調和をなし、気高い思想性が高い芸術性によってにじみでなければなりません。思想性と芸術性が高い水準で調和よく結合した文学・芸術作品であってこそ、時代の要請と人民大衆の志向に沿ったものとなり得ます。

 映画の形象化水準を一段と高め、映画創作活動をいっそう発展させるためには、決定的にシナリオを映画制作に先行させなければなりません。

 映画が思想的、芸術的にすぐれたものになるかどうかは、演出家に多くかかっていますが、例え、演出家に能力があるとしても、その思想的・芸術的基礎をなすシナリオの質が低ければ、すぐれた映画をつくりだすことは不可能です。ところが、創作されるシナリオがいくらもなく、その質が劣っているのが現状です。そのため、演出家が映画制作に入るまえにシナリオを十分に研究し、構想を練り上げることができない状態です。年間映画制作課題の遂行にきゅうきゅうとして、質の低いシナリオを、古着でも修繕するふうに何人かが取り組んで改作して映画をつくるので、映画の質が高くなりません。

 金日成同志が述べているように、シナリオは少なくとも1〜2年分は先行させるべきです。設計を施工に先行させるように、シナリオを映画制作に先行させてこそ、作家と演出家、創作指導メンバーが論争し合い、十分に研究し討論したうえで、時代と人民が求めるすぐれた映画をつくりだすことができます。今、映画制作を正常化するという党の方針が貫徹されないのも、シナリオを先行させていないのが主な原因です。

 シナリオを映画制作に先行させるためには、決定的に作家隊列を増やし、シナリオ創作を積極的に奨励しなければなりません。

 今、シナリオを書く作家が、あまりに少なすぎます。創作経験と生活体験の豊かな有能な作家の役割を高める一方、新人作家を多く採用して、彼らが一翼を担って立つよう積極的に援助すべきです。

 労働者、農民、軍人、青年・学生のなかから作家の後進を多く選抜し、系統的に育てて作家隊列に広く加えるようにすべきです。作家隊列を増やす問題は、映画創作の前途にかかわる重要な問題です。政治的・実務的準備程度を考慮せずに頭数ばかり満たしてもならず、逆に政治的・実務的能力のみを問題にして量的成長を無視してもなりません。我々はこれらの偏向をいずれも戒めながら、作家隊列を政治的、思想的に、技術実務的に準備された人でかためるべきです。

 シナリオの創作を大衆的運動にするよう積極的に奨励すべきです。文学・芸術創作活動に専門家ばかりでなく、労働者、農民をはじめ、広範な勤労人民大衆を広く参加させるのは、わが党の一貫した方針です。我々は、幹部の間で創作に対する神秘主義を打破し、既成作家と新人作家の創作的連係をさらに強化し、新人作家の創作を責任を持って援助し、導くべきです。こうして、我々のシナリオが広範な大衆的基盤のうえで見事に花咲くようにすべきです。

 私は、みなさんが、革命的文学・芸術作品をより多く創作するようにという金日成同志の教えと党の意図を心に受け止め、人々の革命的世界観の確立に積極的に寄与する革命的映画の創作において新たな転換をもたらすものとかたく信じています。

出典:『金正日選集』増補版2


ページのトップ


inserted by FC2 system