金 正 日

抗日革命文学芸術は朝鮮文学芸術の唯一の革命伝統
 金日成総合大学朝鮮語文学部学生への談話
−1961年3月5日− 

 朝鮮文学芸術総同盟結成大会が3月3、4日の両日に牡丹峰劇場でおこなわれました。

 文芸総(朝鮮文学芸術総同盟の略称)は1946年に結成されましたが、その後1953年9月に招集された全国作家、芸術家大会で、文学芸術部門を取り巻く環境の変化に応じて解散し、作家同盟をはじめ、独自の性格をもつ部門別の同盟を設けました。このたび、革命の発展と文学芸術そのものの発展の要求を反映して、部門別同盟の統一的組織として文芸総が発展的に再結成されました。朝鮮文学芸術総同盟の再結成は、革命発展の新たな要求に即して文学芸術活動に対する統一的指導をさらに強化し、文芸総傘下の各同盟間の連係を密にし、創作家の衆知をさらに発揮させるうえで大きな意義を有します。

 文芸総の再結成に関連して、新聞に結成大会のニュースとともに大会の文書が掲載されましたが、みなさんもそれを読んだことでしょう。

 その報告には、悠久の歴史をもつ朝鮮の文学芸術は17〜18世紀にリアリズムの伝統を確立し、この伝統は20世紀に入って、「カップ」(朝鮮プロレタリア芸術同盟)の文学芸術と1930年代の抗日武装闘争の過程で創作された革命的文学芸術によって、さらに豊富になったというくだりがあります。報告は、リアリズム文学芸術の伝統を発展させ豊富にしたとして、「カップ」の文学芸術はわが国で初めて社会主義リアリズムの道を切り開き、抗日革命文学芸術はその戦闘性と革命性によって朝鮮人民の民族的・社会的解放を鼓舞した共産主義賛歌となったと強調しています。

 報告が抗日革命文学芸術の重要な特徴は、戦闘性と革命性にあり、朝鮮人民の民族的・社会的解放のための闘争を大きく鼓舞したと指摘している点は正しいと思います。

 しかし、わが国の文学芸術の発展過程を考察するにあたって、「カップ」の文学芸術と抗日革命文学芸術がリアリズム文学芸術の発展に寄与した内容を叙述した部分が問題です。

 「カップ」の文学芸術がわが国で初めて社会主義リアリズムの道を切り開いたとして、社会主義リアリズムを「カップ」の文学芸術とのみ結びつけ、抗日革命文学芸術は戦闘性と革命性の面でのみリアリズムの発展に寄与したと見るなら、わが国においてリアリズム文学芸術の伝統はあたかも「カップ」の文学芸術によって受け継がれ、抗日革命文学芸術はそれに一定の補足をしたことになってしまいます。「カップ」の文学芸術と抗日革命文学芸術の地位と役割をそのように見てはなりません。

 もちろん、「カップ」の文学芸術が、わが国の社会主義リアリズム文学芸術の発展に寄与した進歩的な文学芸術だったことだけは確かです。「カップ」については、すでに金日成同志が1955年12月28日に党の宣伝扇動活動家におこなった演説で、朝鮮文学の発展における「カップ」の役割を認めなかった反党反革命分派分子の罪業をあばいて、明らかにしています。

 「カップ」は、ブルジョア反動文学芸術に反対し、無産者大衆の利益を擁護して活動した進歩的な反日文学芸術団体でした。「カップ」の作家が創作した作品には、日本帝国主義植民地支配下の朝鮮人民の受難と悲劇的な運命が生々しく反映されており、搾取と抑圧に抗して立ち上がった労働者、農民の大衆闘争と抵抗意識がありありと描かれています。「カップ」の文学芸術は、労働者、農民をはじめ、勤労人民大衆が団結し、搾取階級と搾取制度に反対してたたかうべきだという思想を反映し、社会主義的理想をある程度具現しており、矛盾に満ちた現実に抵抗する人間と階級の先覚者を形象化しました。長編小説『故郷』や『黄昏』、短編小説『洛東江』をはじめ、1920年代末以後の「カップ」の文学芸術作品に、社会主義リアリズム文学芸術の一連の特徴を見いだすことができます。「カップ」の文学芸術は、わが国の社会主義リアリズム文学芸術の発展に寄与し、朝鮮の文学芸術の価値ある伝統となりました。我々は、「カップ」の活動と「カップ」の作家の作品のもつ進歩的意義と役割をそれ相応に認め、評価すべきです。

 しかし、「カップ」の文学芸術を解放前の朝鮮の文学芸術発展において主流をなすものと評価してはならないと思います。文学芸術の主流は、その時代における最も本質的な問題を提起し、それを芸術的に解明した代表的な文学芸術の流れと見るべきです。ところが、「カップ」の文学芸術は、当時のわが国の現実と民族解放闘争の要求に照らしてみると、本質的な弱点と制約性をもっています。

 「カップ」の文学芸術は、朝鮮革命の発展における根本問題を提起することも解明することもできませんでした。「カップ」の作家たちの作品のなかには、反日民族解放闘争をテーマとして前面に提起したものは、これといってありません。当時、わが国は、日本帝国主義の占領下にあった植民地・半封建社会であり、朝鮮革命は反帝反封建民主主義革命の性格を帯びていました。当時、朝鮮人民に提起されていた反帝民族解放革命の課題と反封建民主主義革命の課題のうちで、前面に提起されたのは日本帝国主義を追い出して祖国の解放をなし遂げることでした。したがって、文学芸術が朝鮮革命に真に寄与するには、当然、人民に反日意識を鼓吹し、祖国解放のための闘争へと立ち上がらせる問題を前面に提起して解明することに第一義的な力を注ぐべきでした。しかし、「カップ」の文学芸術は、概して無産者大衆の階級意識を具現し、有産者と無産者との対立と闘争を描くことに偏していました。もちろんこれは、当時、日本帝国主義の言論弾圧が激しかった事情と少なからず関係しています。日本帝国主義は、進歩的文学芸術に圧力を加え、階級意識を具現した作品は一時ある程度許容しましたが、反日的志向を具現した場合はいつも過酷に弾圧しました。こうした状況下で、反日闘争をテーマとして前面に掘り起こして描くというのは容易なことではありませんでした。だからといって、日本帝国主義の弾圧が反日意識を描いた作品の創作の障害となった原因のすべてではありません。時代の要求に即して反日意識を描けなかった主因は、「カップ」の作家たちの世界観の制約性にありました。反日闘争の問題を前面に提起せず、反日意識を具現した作品がさほど多くないのは、「カップ」の文学芸術の本質的な弱点の一つです。

 「カップ」の文学芸術が朝鮮革命の発展における根本問題を提起することも解明することもできなかったというのは、単に反日闘争をテーマとして前面に提起しなかった問題のみを念頭に置いているわけではありません。より根本的な問題は、マルクス・レーニン主義を朝鮮の具体的な実情と結びつけて現実を分析、把握し、描かなかったことです。「カップ」の作家たちは、無産者大衆の階級的解放に関する思想に共鳴し、それを自分の創作に具現しようとしました。しかし、彼らは主体的立場に立ってわが国の現実を見ることができなかったため、マルクス・レーニン主義で明らかにされた思想・理論を機械的に創作に当てはめて描きました。

 「カップ」の作家たちの作品に反日意識が具現されている場合はまれで、そのほとんどに階級意識、階級闘争が反映されているのは、日本帝国主義の言論弾圧にも起因していますが、主因は彼らが階級闘争に関する学説を機械的に形象化に適用したことにあるのです。彼らは当時の現実を搾取階級と被搾取階級との階級的対立と闘争の見地に立って考察し、描きました。「カップ」の文学芸術が描いた階級闘争も、労働者の解雇反対闘争や農民の小作料減免闘争といった初歩的な経済闘争の範囲を越えるものではありませんでした。これは、抗日革命闘争の影響のもとに労働者、農民の闘争が激烈に展開されていた現実に照らすと、きわめて低い段階の闘争を描いたことになります。

 「カップ」の文学芸術は、モデルの創造においても制約性をもっていました。「カップ」の作家たちが創造した肯定的主人公のなかで最も高い思想的・精神的境地にあった人物、例えば、長編小説『故郷』のヒジュンや『黄昏』のチュンシクのような人物も労働者、農民に階級意識、社会主義意識を鼓吹し、彼らを小作争議やストライキへと鼓舞することにとどまり、それ以上前進できませんでした。彼らは、社会主義運動家、階級の先覚者の形象であるとは言えても、革命家の形象であるとは言えません。

 「カップ」の文学芸術は基本的に社会主義リアリズムの創作方法に依拠して当代の現実を反映しましたが、当時のわが国の現実が提起していた根本問題を解明できないという本質的な制約性をもっていました。

 解放前、わが国の現実の本質的な面をリアルに反映し、民族解放闘争の要求に正しい解答を与えたのは抗日革命文学芸術でした。抗日革命文学芸術は、1930年代の抗日武装闘争の時期に創作された文学芸術だけを念頭に置いてはならず、金日成同志の革命活動とともに始まり発展してきた革命的文学芸術全般を念頭に置かなければなりません。我々は抗日革命文学芸術を、革命闘争を鼓舞した共産主義賛歌としてのみ見るのではなく、わが国の社会主義リアリズム文学芸術の起源、その発展の主流と見るべきです。解放前、わが国の社会主義リアリズム文学芸術の発展において決定的な役割を果たしたのは「カップ」の文学芸術ではなく、抗日革命文学芸術です。

 解放後に我々の文学芸術が継承した民族文化道産と伝統について語るにあたって、抗日革命文学芸術を中世や「カップ」の文学芸術と同じ系列に置いて論じることにも問題があります。

 もちろん解放後、我々の文学芸術が過去の人民的で進歩的な文学芸術をすべて継承して発展しているのは事実です。しかし、解放後の文学芸術の発展について、抗日革命文学芸術の位置と意義を他の文学芸術遺産と同一に論じてはなりません。

 金日成同志は、1958年2月8日、朝鮮人民軍第324軍部隊管下の将兵におこなった歴史的な演説で、解放前、日本帝国主義に抗した武装勢力のなかには「義兵隊」や「独立軍」などがあったが、人民軍が継承した唯一の伝統は抗日遊撃隊の革命伝統であるとし、抗日遊撃隊の革命伝統を継承するというのは、抗日遊撃隊の思想体系を継承し、そのすぐれた活動方法と活動作風を継承することを意味すると述べています。

 我々の文学芸術の革命伝統もこのような見地に立って考察すべきです。もちろん、文学芸術を発展させる問題と武力建設は相異なる問題です。しかし、革命伝統を正しく定めるうえでは、武力建設の場合と文学芸術建設の場合が異なるわけがありません。

 労働者階級の革命伝統は、社会主義・共産主義偉業を切り開き、勝利へと導いていく過程で労働者階級の領袖によって築かれます。文学芸術の革命伝統も同じです。

 我々の文学芸術の革命伝統は、抗日革命文学芸術です。

 抗日革命文学芸術は、金日成同志が創造し発展させてきた文学芸術です。

 金日成同志は、抗日革命闘争を組織し導いた当初から、文学芸術を革命闘争の強力な武器とみなし、革命的文学芸術を創造し発展させるための活動を力強く展開しました。

 金日成同志は、朝鮮革命の遂行に大いに寄与する革命的で人民的な文学芸術作品を創造するという革命的文芸思想と理論を示し、それを貫徹するための闘争を精力的に指導するとともに、みずから多くの不朽の名作を創作しました。こんにち、人民の間で広く知られている革命演劇『血の海』や『城隍堂』『慶祝大会』などの作品は、金日成同志がみずから脚本を書き、創作、公演の過程を一つ一つ指導した不朽の名作です。これらの作品には、革命的文学芸術に関する金日成同志の思想と意図が明確に示されています。金日成同志がみずから創作した不朽の名作は抗日革命文学芸術の核をなしています。

 抗日革命文学芸術は、金日成同志の文芸思想と理論を指針とし、金日成同志がみずから創作した不朽の名作を手本として発展してきました。この意味で、抗日革命文学芸術は、金日成同志の文学芸術だと言えます。こんにちの我々の文学芸術も、金日成同志の文芸思想を指導指針とし、金日成同志の指導のもとに発展しています。こんにちの文学芸術と抗日革命文学芸術は、直接的な継承関係にあり、抗日革命文学芸術は我々の文学芸術の歴史的根源です。まさにここに、抗日革命文学芸術が我々の文学芸術の革命伝統である主な根拠があるのです。

 金日成同志が創造し発展させた抗日革命文学芸術は、我々の文学芸術が真の労働者階級の文学芸術、朝鮮革命に大いに寄与する革命的で人民的な文学芸術として揺るぎなく発展できるようにする確固たる礎となり、社会主義・共産主義文学芸術の建設において信頼するに足る手本となります。

 抗日革命文学芸術は、日本帝国主義を打倒して祖国を解放し、解放された祖国の地に社会主義・共産主義社会を建設するという朝鮮革命遂行における根本問題を提起し、それをよく描きました。抗日革命文学芸術は、いかなる生活を描くにしても、人民に朝鮮革命の主人としての自覚と信念をもたせ、彼らを自力で植民地奴隷のくびきを投げ捨てるためのたたかいに立ち上がるよう促しています。不朽の名作である革命演劇『城隍堂』を見てもそれがよくわかります。

 革命演劇『城隍堂』は、この世に「鬼神」など存在せず、「鬼神」を信じるのは愚かなことであることを示しています。しかし、この作品は、単に迷信を打破することを志向した作品ではありません。金日成同志があれほど厳しい抗日革命闘争の時期にみずからこの作品を書いたのは、不幸と苦しみを宿命や「鬼神」のおぼしめしとみなし、嘆いてばかりいる人たちに、自分の運命は「鬼神」や不可抗力的な存在に縛られているのではなく、自分自身にかかっており、自覚をもって立ち上がれば自分の力で自分の運命を十分切り開くことができるという信念をもたせるためでした。広範な人民大衆を日本帝国主義を打倒し、祖国を解放するための闘争へと立ち上がらせるためには、彼らの間で宿命的な観念を打破し、自分の運命の主人は自分自身であるという自覚と、自分の力への信頼をもたせることが重要な問題として提起されました。平凡な生活を通じてチュチェの真理を深く解き明かしているところに、この作品が不朽の名作である根拠があります。抗日革命文学芸術は、このように、いかなる問題を取り扱うにしても革命の根本問題を深く解明しています。

 抗日革命文学芸術は、わが国で初めて真の朝鮮の革命家、共産主義者の典型を創造しました。

 文学は、人間を描きます。どんな思想的・精神的高さにある人間をいかに生き生きとリアルに描くかによって、文学作品の価値と意義が左右されます。文学の発展水準もそれによって推しはかることができます。

 抗日革命文学芸術作品の主人公たちは、主体性が確立した朝鮮の革命家でした。彼らは、武器を取り、自力で祖国の解放と革命の勝利を勝ち取るために力強くたたかう革命軍の隊員であり、未来の共産主義への確たる信念をもち、千辛万苦をいとわず揺るぎなく赤旗を守っていく共産主義者であり、人民を革命的に教育し、日本帝国主義侵略者との決戦へと立ち上がらせる革命家でした。抗日革命文学芸術が創造した肯定的主人公、朝鮮革命家の典型は、「カップ」の文学芸術が描いた肯定的主人公である社会主義運動家の形象よりも、思想的、精神的に比べようもなく高い位置にありました。抗日革命文学芸術が創造した主体性の確立した共産主義者の形象は、我々の文学芸術の永遠の主人公だと言えます。

 抗日革命文学芸術は、思想的内容が深遠であるだけでなく、芸術的形象化でも高い境地に達しています。

 芸術性とは、思想的内容を情緒的に受け入れるようにする芸術の特性のことです。抗日革命闘争の時期に創作された革命歌謡はいまも我々の心を打ちます。『遊撃隊行進曲』は、幾千万べん倒れようとも立ち上がって敵を討つという抗日遊撃隊の百折不撓の闘志と革命的気迫をそのまま胸に抱かせ、全身に新たな力を沸き立たせ、『赤旗の歌』は、いかに厳しい試練が前途に立ちはだかろうとも革命の旗を守り抜く決意をかためさせます。革命歌謡がこのように大きな情緒的感化力をもつのは、深遠な思想性が高尚な芸術性と結びついているからです。抗日革命闘争の時期に創作、上演された革命演劇も同じです。当時、創作、上演された革命演劇は、舞台装置は質素なものでしたが、公演が始まると誰もが涙を流し、闘争への決意を新たにしたものです。

 金日成同志は、革命演劇『血の海』を上演した時を回顧して、演劇を観て興奮した村の青年たちが拳を握りしめて訪ねてきて遊撃隊への入隊を志願したと再三述べました。不朽の名作である革命演劇『血の海』は、日本帝国主義の野獣のごとき「討伐」によって夫を亡くした女性が厳しい試練を経て革命家に成長する過程を描いた作品です。主人公は、革命の道で愛する末の息子まで奪われても屈することなく革命の道を歩みつづけ、村人を組織に結集し、闘争に立ち上がらせて抗日遊撃隊の攻撃に呼応します。この演劇は、人々に祖国の地を血に染めた日本帝国主義侵略者に百倍、千倍の復讐をするという闘志をかき立て、革命への強い意欲を湧かせます。

 抗日革命闘争の時期に創作された革命演劇が人々の心をとらえたのは、人民の切実な要求と志向を正しく反映し、リアルに描いたからです。抗日革命演劇が強い劇的感化力をもっているのは、生活をリアルに描いたからです。生活をリアルに描くことがすなわちリアリズムです。

 抗日革命文学芸術こそは、真の社会主義リアリズム文学芸術です。

 社会主義リアリズムは、労働者階級の革命思想を世界観の基礎としています。労働者階級の革命思想は、創作家が現実を分析、評価し、描写の対象を選択し、それを形象化する全過程において指針となります。

 抗日革命文学芸術は、我々の時代の労働者階級の革命思想である金日成同志の偉大な革命思想にもとづいて創造され、発展した文学芸術です。抗日革命文学芸術作品は、金日成同志の革命思想と路線を具現しています。

 社会主義リアリズム文学芸術は、党性を生命としています。文学芸術の党性は、労働者階級の革命偉業に対する奉仕精神であり、現実を分析、評価して問題を提起し、革命の要求と利益に即して人間の生活と運命を描いていくところに具体的にあらわれます。それゆえ党性は、労働者階級の革命的文学芸術を創造する創作方法と不可分の関係にあります。

 抗日革命文学芸術は、党性を具現しています。抗日革命文学芸術は、最初から革命闘争の武器として出現した文学芸術であり、朝鮮革命の遂行に大きく寄与しました。

 抗日革命闘争の過程で創造された文学芸術作品は、すべての内容が、抗日遊撃隊員と人民を金日成同志の革命思想と路線で武装させ、革命発展の各時期の戦略戦術的方針を貫徹するためのもので貫かれていました。抗日革命文学芸術作品は、朝鮮革命の発展における緊切な問題だけを取り扱いました。

 抗日革命文学芸術は、朝鮮革命と勤労人民大衆に奉仕することを創作の根本原則とし、革命の利益に反するいかなる要素も許されませんでした。

 抗日革命文学芸術は、わが国の現実を主体的立場に立って最もリアルに描き、社会主義・共産主義偉業に限りなく忠実な共産主義者の典型を立派に創造しました。

 これらのことは、抗日革命文学芸術が社会主義リアリズムの創作方法を見事に具現していることを示しています。

 抗日革命文学芸術は、わが国における主体的かつ革命的な社会主義リアリズム文学芸術の光輝ある革命伝統となりました。

 抗日革命文学芸術が、主体的で革命的な文学芸術、真の社会主義リアリズム文学芸術として発展しえたのは、金日成同志の賢明な指導を受けたからです。

 抗日革命文学芸術は、金日成同志の指導のもとに発展した文学芸術です。金日成同志は、革命的で人民的な文学芸術創造の指針となる革命的な文芸思想を示し、主体的で革命的な文芸路線を提示するとともに、革命発展の各段階、各時期に革命的文学芸術の課題を具体的に示しました。

 金日成同志は、革命的文学芸術を創造し発展させる活動を政治的に指導しただけでなく、みずから個々の作品の形象化についても具体的に指導しました。抗日革命文学芸術が常に朝鮮革命における根本的な問題を提起して立派に形象化し、朝鮮革命の遂行に大きく寄与することができたのは、金日成同志の指導を抜きにしては考えられないことです。

 「カップ」の作家たちは無産者大衆に奉仕する文学芸術を創造するために努力しましたが、創作において本質的な制約を免れなかったのは、労働者階級の党と領袖の指導を受けられなかったことに根本要因があるのです。歴史は、労働者階級の革命偉業、社会主義・共産主義偉業に大いに寄与する真の社会主義リアリズム文学芸術は、労働者階級の党と領袖の賢明な指導のもとでのみ創造され発展していくことを示しています。

 抗日革命文学芸術の革命伝統の全面的な継承は、文学芸術において主体性を確立し、我々の文学芸術を革命的で人民的な文学芸術として連綿と発展させるための根本的裏付けとなります。

 近年、抗日革命文学芸術の革命伝統の研究、継承で一定の前進が見られます。革命伝統教育が強化され、抗日革命闘争の資料の調査、発掘が大々的に進められるにつれて、学界では抗日革命文学芸術の研究科活発化しています。先日、金日成総合大学朝鮮語文学部の教員と学者が、抗日革命文学芸術に関する価値ある論文を発表し、その前に、朝鮮語文学部の学生たちが不朽の名作である革命演劇『血の海』を舞台で再現しました。もちろん、学生たちが上演した演劇『血の海』は、原作の発掘、考証が十分におこなわれていなかったため、いろいろな面で欠陥があり、未熟な点もありましたが、金日成同志によって築かれた革命的文学芸術の伝統を継承するという、わが国の学生の革命的立場と態度をよく示しました。これは、抗日革命文学芸術の輝かしい革命伝統を継承していくうえでおさめた貴重な成果だと言えます。

 ところが、いまなお、抗日革命文学芸術を研究する人たちは、我々の文学芸術の発展において抗日革命文学芸術が占める地位を正しく認識していません。もちろん、抗日革命文学芸術の研究は始まったばかりなので、最初からその特性と意義を全面的に解明することは難しいでしょう。しかし、最初からこの活動に対する正しい観点と立場をもつ必要があります。抗日革命文学芸術は、わが国の社会主義リアリズム文学芸術の歴史的根源であり、唯一の革命伝統であるという確固とした観点と立場に立って、抗日革命文学芸術作品をさらに発掘し、その研究を深めなければなりません。

 我々の文学芸術の革命伝統の純潔性を固守すべきです。革命的文学芸術の伝統と進歩的文学芸術の遺産一般をごちゃまぜにしてはなりません。文学芸術を発展させるうえで、革命伝統は全面的にそのまま継承すべきですが、民族文化遺産は進歩的なものであっても批判的に継承しなければなりません。革命的文学芸術の伝統の純潔性を固守しなければ、文学芸術の発展に重大な影響を及ぼしかねません。

 抗日革命文学芸術が我々の文学芸術の革命伝統としての価値を余すところなく発揮できるようにするには、抗日革命闘争の時期に創作された作品をこんにちの朝鮮人民が鑑賞できるようにしなければなりません。そうしてこそ、高い思想的・芸術的境地にある抗日革命文学芸術の面貌と特性を明確に認識し、抗日革命文学芸術が社会主義・共産主義文学芸術の歴史的根源、革命伝統となることをはっきり知ることができます。抗日革命文学芸術作品を人民が鑑賞できるように再現すれば、人々を革命的に教育し、革命伝統で武装させるうえで大きな役割を果たすであろうし、それを手本として文学芸術を主体的に発展させるうえで転換をもたらすことことができるでしょう。

 我々は、抗日革命闘争の時期に広くうたわれた革命歌謡の発掘を続ける一方、革命演劇を再現することにも力を傾注すべきです。抗日革命闘争の時期に創作された革命演劇をこんにちの舞台で再現する事業は慎重を期する必要があります。原作の発掘と考証を十分におこなって、原作をそのまま生かすことです。原作の思想的内容だけでなく、芸術的感化力もそのまま生かさなければなりません。革命演劇をこんにちの舞台で再現することは、革命歌謡を発掘して歌うよりはるかに複雑で困難です。これには多くの研究を要します。

 金日成総合大学朝鮮語文学部に学ぶみなさんは今後、抗日革命闘争の時期に創作された革命的文学芸術作品を発掘して考証し、再現するうえで大きな役割を果たすべきです。

出典:『金正日選集』増補版1


<注釈>−1「義兵隊」 侵略者に抗し、国の独立と民族の尊厳を守るために愛国的人民が自発的に組織した武装隊伍。外敵の侵略を受けるたびに朝鮮人民は義兵隊を組織し、反侵略闘争を展開した。特に、日本帝国主義の朝鮮占領と前後して10年間(1904〜1914)も続けられた反日義兵闘争は、日本帝国主義侵略者に大きな打撃を与えた。

 −2「独立軍」 日本帝国主義の朝鮮占領後、それに抗して中国の東北地方とロシアの沿海州一帯でさまざまな民族主義的武装集団が組織されて活動したが、それらの武装集団を総称して朝鮮独立軍と呼んだ。1938年に朝鮮人民革命軍に編入された。


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