金 日 成

社会主義農村問題に関するテーゼを確実に実行しよう
 朝鮮民主主義人民共和国中央人民委員会第9期第2回会議でおこなった演説
1990年6月22~23日


 わが党は既に久しい前に、社会主義農村問題に関するテーゼで社会主義農村建設の正確な方向を示し、共産主義への正しい道を明らかにしました。社会主義農村問題に関するテーゼを確実に実行すれば、農業を速やかに発展させ、人民の食糧問題を円滑に解決し、共産主義社会の要求に即応して労働者階級と農民の階級的差、都市と農村の差をなくすことができます。

 私が常にいっていることですが、人間の生活では食・衣・住の問題が極めて重要です。朝鮮人民は昔から、白米のご飯に肉汁を食べ、絹の服を着てかわら家で暮らすことを願望してきました。こんにち、わが党は、朝鮮人民のこの世紀の念願を完全に実現するために努力しています。

 我々が社会主義・共産主義を建設する目的も結局は、人民に裕福な暮らしをさせるところにあります。したがって、白米のご飯に肉汁を食べ、絹の服を着てかわら家で暮らしたいという人民の宿望をかなえるための闘いは、とりもなおさず、社会主義・共産主義をめざす闘いであるといえます。

 社会主義・共産主義社会を実現するためには、人民の食・衣・住の問題を十分に解決するとともに、労働者階級と農民の階級的差、都市と農村の差をなくさなければなりません。私が『資本主義から社会主義への過渡期とプロレタリアート独裁の問題について』をはじめ、諸著作で明らかにしたように、共産主義社会は社会の全構成員が労働者階級化され階級的差のない無階級社会です。

 社会主義農村問題に関するテーゼで示した課題がすべて遂行されれば、無階級社会が実現し、共産主義へ進むことになります。

 我々の闘争目標は明白であり、わが党の路線は極めて正確です。幹部は、社会主義農村テーゼを日常的に学習し、テーゼに示された課題を一日も早く達成するため積極的に努力しなければなりません。

 何よりもまず、農村技術革命を力強く推進すべきです。

 社会主義農村問題に関するテーゼは、技術革命の課題を第一義とし、水利化、機械化、電化、化学化を農村技術革命の四大課題と規定しました。我々はこれまで、農村技術革命を積極的に推進してかなりの成果をおさめました。

 農村電化の課題は、基本的に完成されました。わが国のすべての里に電気が引かれ、農村では電力が機械動力と熱源として広く利用されています。

 農村技術革命での基本は、水利化と機械化を実現することです。

 水利化をおこなってこそ、大水と日照りの被害を防ぎ、農業で高い安全な収穫をおさめることができます。

 我々は、久しい前から水利化に力をそそぎ、西海閘門の建設後、潅漑工事をいっそう積極的に推進しました。特に、昨年と今年、国家的な投資を集中して西海地区の各道で大規模の水路工事をたくさんおこないました。黄海南道では三つの大きな水路を建設しましたが、一つは西海閘門の水を信川地区をへて碧城、康翎、甕津地区に引くものであり、他の一つは西海閘門の水を長寿湖に導入するものであり、いま一つは礼成江の水を延白平野に引くものです。黄海北道では、南江の水をミル平野に引く水路工事をおこないました。

 西海地区の各道に建設した水路は、その規模が非常に大きなものです。礼成江の水を延白平野に引く水路工事をとってみても、礼成江の流れを変えるにひとしいものです。事実、基本水路は運河ともいえます。西海地区の各道に建設した水路の総延長距離は、基本水路が1000里(日本の100里)、横水路が1000里、合わせて2000里(800キロメートル)に達します。わが国を三千里江山といいますが、水路が2000里ならわが国の長さの70%に相当します。この水路を完工させる工事は極めて困難なものでした。水路建設に参加した人民軍軍人と労働者、農民、事務員が、困難な工事を担当してたいへん苦労しました。

 私は、2000里の水路が短期間内に建設されたことを非常に満足に思い、この工事で勤労の偉勲を立てたすべての人民軍軍人と労働者、農民、事務員に感謝を送ります。

 我々は、実に大きな事業をなし遂げました。我々は、こんにちにいたって、農村の水利化を高い水準で実現したといえます。これからは、用水の心配をしなくてもすむでしょう。

 近年、世界的に日照りがつづき、地下水を汲み上げて利用する国が多いそうです。現在、他の国では、地下水を多く汲み上げるので水の源泉が減り、日照りがつづけば農作が台無しになると憂慮しています。地下水を多く利用するのは、いろいろな面で好ましくありません。

 我々は、西海閘門を建設して大同江を大人造湖にかえ、その水を引く水路をたくさんつくったので、地下水を汲み上げて利用する必要はありません。以前は、干害を防ぐため随所に掘り、池を掘り、井戸管もたくさん打ち込みましたが、実際に地下水を汲み上げて利用したのはそれほどありません。地下水を多く汲み上げて利用しなかったのは幸いなことです。西海閘門は、わが国の大事な宝であるといえます。私は、西海閘門が建設されたことをいちばんうれしく思っています。

 西海地区の各道では以前、水田ヘクタール当たり0.4ヘクタール・メートル程度の用水しかゆき渡りませんでしたが、いまではそれが0.9~1.1ヘクタール・メートルになりました。水田ヘクタール当たり1ヘクタール・メートル以上の用水なら大したものです。これからは、西海地区の各道で用水を思いどおり利用できるようになりました。

 稲作では、用水の問題の解決が何よりも重要です。それで、私はいつも、稲づくりは水づくりであると強調しているのです。

 これまで、延白平野では稲の出来がよくありませんでした。一部の人は、延白平野の稲作が思わしくないのは種子のためであるとしていますが、そうではありません。もちろん、延白平野のような気温の高い地帯に適した稲の種子はあるでしょう。しかし、首陽山を隔てた載寧平野では稲作が良好なのに、延白平野では種子のために出来がよくないというのは論外です。延白平野での稲作が不調なのは用水の不足が原因です。

 私が長いあいだ農業生産を指導する過程で得た経験によれば、稲は昼間は暑く、夜は涼しいと枝分かれが多くなってよく育ちます。わが国での稲の分けつと出穂の時期は大体6月と7月です。6月は、昼は暑く夜は涼しいので、稲の分けつと生育に最もよい時期です。ですから、田植えはあまり早くしても、遅くしてもよくありません。田植えをあまり早くすると、昼も夜も寒いので稲が満足に分けつしません。また、田植えを遅らせても、やはり十分に分けつしません。以前は6月20日か6月末まで田植えをしたので、稲が満足に分けつせず、ヘクタール当たりの収量をあげることができませんでした。

 田植えは5月25日までに終えるのか最適です。田植えを5月25日にした水田と6月5日にした水田を比較してみると、ヘクタール当たりの収量に大きな差があります。5月25日以後からは、田植えが一日遅れると、一日先にしたものに比べてヘクタール当たり100キログラムの減収となります。それで私は、田植えを本田は5月25日までに終え、苗床の跡は6月5日までにすませるようにと強調しました。

 稲の分けつをさかんにし、十分に育てるためには、昼と夜の水温の差が少なくとも5~7度はなければなりません。ところが、7月からは大体、昼と夜の気温の差があまりありません。この時期は昼の水田の温度が28~30度まで上がりますが、水を入れ替えなければ夜にも温度がよく下がりません。それゆえ、昼間に温まった水を抜いて冷たい水を入れ、夜の水温を23~24度ぐらいにしなければなりません。そうすれば、稲の分けつがさかんになり、よく育ちます。水田の水を入れ替えず、昼間に温まった水をそのままにしておくと、ちょうど人間が酷暑の折に綿布団をかぶって寝るのと同じ状態なので、稲がよく育ちません。これまで延白平野では、文徳や載寧より大気温度はずっと高めですが、用水不足で水田の水をそのときそのとき入れ替えてやれませんでした。ですから、稲の出来がよくないのは当然です。

 以前、用水が十分に使えなかったときには、昼に温まった水を夕方排除する方法で水田の温度を下げてもみました。水田の温まった水を抜くだけで冷たい水を入れなくても、温まった水をそのままにしておくよりはましです。しかし、これは適切な方法とはみなせません。稲の生物学的特性に合わせて、水をたびたび入れ替えなければなりません。

 田植えを5月25日までに終え、水田の水をたびたび入れ替える方法で稲の生育条件に合わせて水温を調節するというのは、科学者が研究して文献化したものではなく、私がじかに農業生産を指導する過程で得た経験にもとづいてくだした結論です。きょうこの問題について改めて言及するのは、道の主人である道党責任書記が主体的農法の要求を知り、稲作を正しく指導できるようにするためです。

 トウモロコシの栽培でもやはり、用水の問題が重要です。

 私が何度も述べていることですが、トウモロコシは雄花穂と雌花穂が出る時期に水分を85%吸収させなければなりません。データによると、それができずトウモロコシの葉が一日しおれるだけでも、収量が10%も減少するそうです。私はこのデータにもとづき、7号農場で試験してみました。トウモロコシの雄花穂が出るころ、一方の畑には必要な潅水をし、他の一方の畑には1、2日潅水をせずにトウモロコシの葉をしおれさせたところ、潅水した畑に比べて潅水しなかった畑ではヘクタール当たりの収量が1トンも落ちました。7号農場ではトウモロコシ畑に散水式潅漑方式を導入したので、ヘクタール当たり9~10トンのトウモロコシを収穫しています。

 トウモロコシの雄花穂が出るころ、水分を十分に吸収させるのかいかに重要であるかは、昨年の営農経験からしてもよくわかります。昨年、平安北道と黄海北道では、畑地潅漑をしてトウモロコシの雄花穂の出る時期に水分を十分に吸収させた畑では、ヘクタール当たり8~9トンの収穫をあげましたが、そうしなかった畑ではヘクタール当たり2~3トンしか収穫できませんでした。

 いまなお一部の幹部は、トウモロコシの雄花穂の出る時期に水分を85%吸収させなくては収量をあげることができないということをよく理解していません。水分が不足してトウモロコシの葉がしおれるというのは、生物学的見地からすればトウモロコシが病んでいることを意味します。ところが一部の幹部は、水分が不足してトウモロコシの葉が昼間はしおれても、夕方になればまた生き返るといって、大したことでないと思っています。

 トウモロコシ畑に降雨式潅水方式を導入したのですから、これからはトウモロコシの雄花穂の出る時期から雌花穂が大きくなるまで無条件、水分を85%吸収させるべきです。トウモロコシ畑に水分が85%保障されているかどうかは、手で土を握ってみればわかります。土を握って開いたとき掌の土が塊になっていれば85%以上の水分が保障されているのであり、塊にならずに砕ければ85%の水分が保障されていないのです。

 我々は、既設の潅漑施設を効果的に利用すべきです。基本水路から田畑に水が流れ込むように横水路を設けていないところでは、早急に設けるべきです。

 礼成江の水を延白平野に引く水路工事を早急に完成し、新たに建設した水路を丹念に補修、整備すべきです。最近、多量の雨が降り、新たに建設した水路が一部被害をこうむったそうです。また、水路工事を短期間におこなったため、一部不備な点があるはずです。したがって、水路の補修、整備を丹念にすべきです。

 トウモロコシ畑に降雨式潅水を導入する準備を綿密におこなうべきです。いまのところ、雨がしばしば降りますが、今後トウモロコシの雄花穂が出るさかりに日照りになるおそれもあります。わが国では毎年、雄花穂の出る時期に1、2度日照りになって、トウモロコシの収穫高に影響を及ぼしています。当該部門では、レーンガンや揚水機、モーター、ホースなど降雨式潅水に必要な設備と資材をトウモロコシの雄花穂が出る前に100%生産、供給すべきです。千日養兵、一日用兵という言葉のとおり、何事もあらかじめ十分な準備を整えておけば、有事の際に適切に対処することができます。降雨式潅水の準備をしっかり整えておき、トウモロコシの雄花穂が出る時期に日照りかつづけば、トラクターやトラックを総動員して降雨式潅水をおこなうべきです。

 トウモロコシ畑に潅水システムが導入された状況のもとで、来年からはトウモロコシの栽培で栄養ポット苗を少なくし、直播きを多くするのがよいと思います。

 もちろん、トウモロコシの栽培では、栄養ポット苗を移植する方法をとるのが悪くありません。しかし、栄養ポットの質を高めなければ別に意味がありません。いまトウモロコシ栄養ポットをつくっているのを見ると、腐植土を十分に入れず土ポットをつくっています。トウモロコシ栄養ポットの質を高めず、土ポットをつくるくらいなら、むしろ直播きをするほうがましです。トウモロコシ栽培で栄養ポット苗を少なくし、直播きを多くすれば、フィルムの不足も解消することができます。トウモロコシの直播きをすると栄養ポット苗のときより発芽が少し遅れるのが問題ですが、それでも生育期日は確保できるので大丈夫です。潅水システムが導入されたトウモロコシ畑では、栄養ポット苗を移植しても直播きをしても、ヘクタール当たりの収量に大差はありません。トウモロコシを直播きする場合は、間引きをして、草取りの回数をもう一回増やさなければなりません。

 来年度からは、両江道、咸鏡北道のような寒い地方でだけトウモロコシ栄養ポット苗を用い、その他の地方ではトウモロコシを直播きすべきです。両江道や咸鏡北道でも、潅水システムが導入された畑にはトウモロコシの直播きをしても大丈夫です。しかし、どの地方をとわず、潅水システムが導入されていない畑には、トウモロコシの直播きをしてはなりません。潅水システムが導入されていない畑にトウモロコシを直播きすると、芽が出そろわず、欠株が生じるおそれがあります。

 農村の水利化が完成されたので、これからは地帯に関係なく、どこでもヘクタール当たり8トンの籾米と8トンのトウモロコシは難なく収穫できます。肥料さえ十分に供給されれば、籾米とトウモロコシをヘクタール当たり8トンどころか10トンも収穫できます。もちろん、白頭山付近の地域は寒いところなので、農業を営むうえで他の地域より少し不利でしょうが、作物の配置を適切にして優良種子を適期に播きつければ、十分高い収穫をおさめることができます。

 これからは、地帯に関係なく、ヘクタール当たり籾米8トン、トウモロコシ8トン生産する運動を展開すべきです。今年は、水路工事と降雨式潅水工事をした最初の年なので、ヘクタール当たり籾米とトウモロコシをそれぞれ8トン生産するのは難しいでしょうが、それでも8トンの生産目標で奮闘すべきです。わが国の水田とトウモロコシ畑の面積で籾米とトウモロコシをヘクタール当たり平均8トン生産すれば、今年度の穀物生産目標を達成することができます。今年度の穀物生産目標が達成されれば、人民に食糧を十分に供給することができます。

 来年度からは海面干拓を大々的におこない、新しい土地をさらに開墾して1200万トンの穀物を生産する運動を展開すべきです。1200万トンの穀物を生産するのは十分可能だと思います。わが国では、農民だけの力で農業を営むのではありません。農繁期には全人民が奮起して農業を営んでいます。農村テーゼが示した原則どおり労働者階級が農民を助け、工業が農業を援助し、都市が農村を支援する状況のもとでは、穀物を1200万トンどころか1300万トンでも生産できます。

 農村の水利化が完成されたのですから、これからは農業の機械化に主力をそそがなければなりません。

 農業を機械化してこそ、農民を骨のおれる仕事から解放し、農業部門の労働生産性を決定的に高めることができます。我々は、農業の総合的機械化を実現して、田畑の耕耘と播種からはじまって田植えと草取り、取り入れ、脱穀にいたるまで、農作業をすべて機械化しなければなりません。農業の総合的機械化を実現し、農場員一人に少なくとも6ヘクタール以上の耕地を管理させるのか私の構想です。

 元来、社会主義社会では、農業経営の大規模集団化を実現し、農業を機械で営む方向に進むべきです。そうせずに、社会主義社会で個人農経営を奨励しては、農業生産の増大がはかれず、農村問題を正しく解決することもできません。個人農経営を奨励すれば、農業生産力の発展水準が低い状況のもとでは、最初の何年間かは穀物生産が多少あがるかもしれません。しかし、個人農経営の手工業的な方法で農業を営んでは、ヘクタール当たりの穀物収量をせいぜい100キログラムか200キログラム程度しか増やすことができません。

 大農場制度が小農経営に比べてすぐれているのは、発達した資本主義諸国の農業実態をみてもよくわかります。以前、私が見た資料によると、農業成績のよい発達したある資本主義国には何万という農場がありますが、それは耕地面積が1000ヘクタール、2000ヘクタール、3000ヘクタール、1万ヘクタールという大規模農場が大部分であり、水利化、電化、機械化、化学化も非常に高い水準にあります。その国では、農業労働者一人が30ヘクタールの耕地を管理しているとのことです。そして、資本主義的方法で農業を管理運営していますが、大農場化し、水利化、電化、機械化、化学化を実現したので、農業生産を発展させることができました。私は、その資料を見て、大紅湍郡総合農場にトラクターをはじめ、多くの各種農業機械を送り、労働者一人に30ヘクタールの耕地を管理させるようにしましたが、機械化水準を高めればそれは可能です。

 社会主義社会では、農業経営を大農場化し、農村技術革命を積極的に推進するなら、個人農経営では考えられないほど農業生産の増大をはかることができます。昨年、少なからぬ協同農場でヘクタール当たり8トン以上の穀物を生産しました。これは、社会主義的大農場化を実現したわが党の政策の正当性と生命力を如実に示しています。わが国を訪問する他の国の指導者たちも、農業経営を社会主義的大農場化の方向に発展させているわが党の農業政策は極めて正しいと述べています。幹部は、わが党の農業政策に対し正しい認識をもち、農業の機械化の実現をめざして積極的に努力すべきです。

 稲作を機械化すべきです。

 稲作には、まだ骨のおれる仕事が多く残っています。外国人もわが国を訪問しては、稲作での農民の苦労が、うかがわれるといっています。ところが、幹部は稲作を機械化する積極的な対策を講じていません。私が田植えどきに農村に出かけてみると、女性や学生・生徒など大勢の人が苗床にかがみこんで手で苗取りをしていました。こういうことをみても、いまなお幹部が農業をおざなりに指導していることがわかります。我々は、何としてでも稲作を機械化すべきです。

 苗取りと田植え、草取りを機械化すべきです。

 苗取りを機械化すれば、労働力を節約し、仕事も楽になります。苗取りを機械化するためには、畑冷床苗を導入して稲苗を丈夫に育てなければなりません。現在、苗取りに機械を使わず手労働でやっているのは、苗取り機がないからでなく、苗を丈夫に育てられないからです。水田冷床苗にすると、今年のように春の気温が低いときには、冷害で苗が十分に育たず、か細い苗になります。か細い苗を育てては苗取りも田植えも機械ではできません。

 畑冷床苗を導入すれば、苗取りを機械化することができ、そうすればいろいろな面で有利です。畑冷床苗にすれば、葉が6、7葉の丈夫な苗を育てることができ、田植えを機械化して5月25日までに終えることができます。反面、水田冷床苗は、春の気温が低いときは早く育たず、か細い苗になって、手で田植えをすることになるので、田植えの終了が遅くなります。今年も水田冷床苗を多くしたので苗がよく育たず、全般的に田植えが遅れました。か細い苗を移植すると、苗立ちに長い時間がかかり、分けつ期が遅れるので、枝が多くはりだしません。経験によると、水田冷床苗の場合、畑冷床苗に比べヘクタール当たり籾米の収量はほぼ1トンも落ちます。結局、畑冷床苗にせず水田冷床苗にすれば、年に数十万トンの籾米をみすみす失うことになります。これは容易ならぬことです。

 畑冷床苗がこのようにすぐれているので、私は既に以前から畑冷床苗を広く導入するよう強調してきたし、方式講習もおこないました。しかし、幹部は、畑状冷床苗だのなんだのといって、ひきつづき水田冷床苗を少なからず用いています。道党責任書記や農業部門の幹部は、畑冷床苗を導入せよと口先で強調するだけで、実際には畑冷床苗を導入しようと水田冷床苗を導入しようと関与しない態度をとっています。

 苗をどう育てるかは、一年の農作を左右する極めて重要な問題です。来年度からは全般的に畑冷床苗を導入すべきです。

 畑冷床苗を導入するためには、苗床の面積を確保しなければなりません。全国的に冷床面積が約4万66000ヘクタール必要とのことですが、それくらいの面積は割いておくべきです。問題は、延白平野のように畑がなく、水田だけの地帯で冷床面積をどう確保するかということです。冷床に利用する畑がないか少ない協同農場では、水田を畑に切り換えて必要な冷床面積を確保すべきです。水田を畑に替え冷床苗を育ててから、そこにトウモロコシを植えればよいでしょう。水田を畑に替えてトウモロコシを栽培すれば容易に潅水できるので、ヘクタール当たり10トンは収穫できます。畑冷床苗を導入するには、約2万ヘクタールの水田を畑に替えなければならないといいますが、そうするとトウモロコシ畑の面積が2万ヘクタール増えることになります。2万ヘクタールで20万トンのトウモロコシを生産すれば結構なものです。

 稲作で畑冷床苗を100%導入するためにはフィルムが問題になりますが、この問題を解決しなければなりません。来年からはトウモロコシを直播きすることになるので、トウモロコシ栄養ポット苗を育てるのに利用したフィルムを畑冷床苗に回すようにすべきです。それでも足りないフイルムは国家が供給すべきです。

 稲刈りと脱穀を機械化すべきです。

 協同農場で稲を刈って、脱穀場に運ぶあいだに失う穀粒だけでもたいへんな量です。稲の損耗をなくすためには、移動式稲脱穀機で野良で脱穀をするか、そうでなければ稲自脱コンバインで取り入れと脱穀を同時におこなうべきです。

 私は、既に当該部門の幹部に、わが国の実情に合う稲自脱コンバインを製作してみるよう指示しました。稲刈り機の問題を解決せずには、農業の総合的機械化の実現は不可能です。

 稲刈りでは、稲自脱コンバインが最適です。稲自脱コンバイン1台で、一日に3ヘクタールの稲刈りをすることができます。稲自脱コンバインで取り入れのできる水田面積を29万ヘクタールとみて、15日間で稲刈りを終えるには、6500台が必要です。

 当該部門では、稲自脱コンバイン生産基地を設け、自力でこれを生産する運動を繰りひろげるのかよいと思います。

 必要な稲自脱コンバインを適時に生産、供給するのか困難なら、外貨を稼いで少々輸入することも考えるべきです。以前、日本から稲自脱コンバインを買い入れて利用してみましたが、それは一日2ヘクタールの作業能力しかありませんでした。それでは作業能力が低すぎます。イタリア製の稲自脱コンバインは、大きすぎてわが国の実情に合いません。今度輸入する稲自脱コンバインは、一日に3ヘクタールの稲刈りができるとのことですが、それくらいなら結構だといえます。稲自脱コンバイン1台の価格を5万ドルとみても、6500台を輸入するには3億2500万ドルの外貨が必要であり、年に1000台輸入するとしても5000万ドルの外貨が必要です。農村で繭を生産して年に約1億ドル稼げるとのことですが、その額なら稲自脱コンバインを約2000台輸入できるはずです。事実上、稲を刈り、脱穀場に運搬する途中で失う稲を金額に換算すれば数千万ドルにもなりますが、その金額なら稲自脱コンバインを少なからず購入できます。稲自脱コンバインを輸入する場合、部品を国内で生産できるかが問題です。

 稲自脱コンバインを外国との合弁で生産することもできます。輸入するとなると多額の外貨を要するだけに、購入するより合弁をし部分品を取り寄せて組立てるのも悪くありません。

 政務院では、稲自脱コンバインを国内で生産するのかよいか、輸入するのかよいか、でなければ外国と合弁をし部分品を取り寄せて組立てるのがよいかを十分に検討してみるべきです。しかし、この問題の解決においても、原則はあくまでも自力更生を基本とすることです。自力更生、刻苦奮闘して社会主義建設で提起きれるすべての問題を解決していくのは、わが党の一貫した方針です。

 トウモロコシの栽培でも播種と草取り、取り入れを機械化すべきです。

 農業の総合的機械化で基本となるのは、トラクターを量産して農村に送ることです。トラクターさえあれば、田畑の耕耘と草取りなど多くの農作業を機械化することができます。農村に「チョンリマ」号トラクター、「豊年」号トラクター、「前進」号トラクター、「忠誠」号トラクターを大量生産して送るべきです。

 「チョンリマ」号トラクターは、非常に実用的なトラクターです。水田のしろかきには「チョンリマ」号トラクターにまさるトラクターはありません。「チョンリマ」号トラクターでは、耕地整理もできます。「チョンリマ」号トラクターを現代化するからと改造することはかり考えず、どうすればより多く生産できるかということを考えるべきです。燃料油の消費量が少々多いからと、「チョンリマ」号トラクターを改造しようとして、しろかきもできなくしてしまうおそれがあります。

 「豊年」号トラクターを多く生産するのが有益です。「豊年」号トラクターは、田畑の深耕が可能で、耕地整理もできます。

 金星トラクター総合工場は、「チョンリマ」号トラクターだけでも1万台の生産能力をそなえていますが、能力どおりの生産がなされていません。金星トラクター総合工場の鋳物職場を現代化した後、一時はトラクターの生産が上昇しましたが、いまは伸び悩みになっています。金星トラクター総合工場は、農業の機械化の生命線といえます。ところが、機械工業部と南浦市党の責任幹部はこの工場の生産の正常化に関心を払っていません。

 機械工業部長は、金星トラクター総合工場でトラクターが正常に生産されない原因は鋼材が供給されないからだと弁解していますが、それは口実にすぎません。機械工業部は工作機械工場をたくさんもっているので、少々努力すれば、工作機械を売ってでもトラクター生産に必要な鋼材はいくらでも仕入れることができます。私は、鋼材がなければ工作機械を売ってでも鋼材を買ってトラクターとトラックの生産を正常化せよと再三指示しています。工作機械を約200台輸出しても、少なからぬ鋼材を輸入することができるはずです。ところが、機械工業部長は私の指示を実行していません。

 南浦市党責任書記もまっとうな仕事をしていません。現在、金星トラクター総合工場では鋼材が供給されないため、生産がスムーズにいかないにもかかわらず、彼はなんの対策も立てていません。チョンリマ製鋼連合企業所をもっている南浦市が、金星トラクター総合工場の生産の正常化に必要な鋼材の問題を解決できないというのは論外です。チョンリマ製鋼連合企業所が金星トラクター総合工場に鋼材を円滑に提供できなければ、問題視して解決をはかるべきですが、そうしていません。

 チョンリマ製鋼連合企業所の支配人も仕事に打ち込んでいるようには思えません。

 党から与えられた課題を遂行するため懸命に努力しない人は、共産主義的革命家とはいえません。幹部は、強い革命精神をもち、自分の力でつきあたる難関を克服し、負わされた革命課題を遂行するため積極的に努力しなければなりません。

 抗日武装闘争当時、我々は銃や銃弾を供給されて戦ったのではありません。我々は、自力で必要な武器や銃弾を整え、長期間、日本帝国主義者と戦って勝利しました。

 私が前にも話したことですが、我々が南湖頭会議の後、白頭山地区へ進出する当時の状況は極めて困難でした。そのとき、私が主力部隊を北満州に残し、司令部つきの警護隊員20余人を率いて迷魂陣に行くと、崔賢同志と多くの隊員が熱病にかかっていました。それで治療対策を立てたのち再び南方へ行軍をつづけて馬鞍山地区に着きましたが、そこにいた部隊の基本メンバーは蚊河方面へ遠征に出かけ、「民生団」嫌疑を受けている人が100人余りいました。彼らの弾帯には木で作ったにせの銃弾が差し込まれていて、本物の銃弾は2、3発しかありませんでした。私は何日か夜を徹して「民生団」調書を調べてみましたが、彼らが「民生団」であることを認めることはできませんでした。彼らが「民生団」であるなら、山中で我々とともにあらゆる苦労をしながら日本帝国主義者と戦うはずはありませんでした。それで私は、彼ら全員を集めて、ここには「民生団」が一人もいない、もし「民生団」に加担した人がいるとしてもそれを問題視しないと宣言し、彼らの前で「民生団」調書包みを焼却してしまいました。すると彼らは、信じてもらえたことがあまりにもありがたくて、抱きあって泣きました。

 私は「民生団」調書包みを焼却してしまってから、「民生団」の嫌疑を受けていた隊員たちに、これからは敵と戦わねばならないのに銃と弾丸がなくてどうするのか、君たちが10名、または15名ずつ組んで敵背に潜入し銃と銃弾を奪い取り、1か月後にこの場所にまた集まれと指示しました。すると彼らは、1か月どころか半月足らずのうちにみな奪取した銃をにない、弾帯に銃弾をいっぱい詰めて戻ってきました。

 自力更生の革命精神がなくては、革命はできません。我々は、自力更生の革命精神をもっているので、いかなる難関もおそれません。祖国解放戦争(朝鮮戦争)時期、あの困難な状況のもとでアメリカ帝国主義侵略者を打ち負かすことができたのも、戦後、廃墟のうえにこんにちのような壮大かつ華麗な平壌市を建設することができたのもすべて、我々が自力更生の革命精神をもって革命を指導したためです。

 現在、わが国に築かれている経済的基盤は極めて威力あるものです。幹部が強い革命精神をもって粘り強く努力するなら、トラクター生産に必要な鋼材の問題は十分解決することができます。

 機械工業部では、工作機械を大量生産して輸出し、その代わりに鋼材を輸入するのを制度化して、トラクターとトラックの生産を正常化すべきです。

 工作機械を量産して輸出するためには、銑鉄の問題を解決しなければならないので、黄海製鉄連合企業所の中型高炉1基を工作機械工場の銑鉄供給用に指定する必要があります。中型高炉1基で年に6万トンの銑鉄を生産できるそうですが、それは少ない量ではありません。私は以前、既に、工作機械生産に必要な銑鉄を供給するため、黄海製鉄連合企業所の中型高炉1基を工作機械工場に銑鉄を供給する高炉として固定させるようはからいました。ところが、幹部は、私が確立した合理的な制度をなくしてしまい、おざなりな仕事をしています。この制度を二度となくすことのないようにすべきです。

 大きな道では、国家から「チョンリマ」号トラクターを提供してもらおうとばかりせず、自力で小型トラクター組立工場を設けて小型トラクターを大量に生産すべきです。金星トラクター総合工場にのみ依存しては、農村の機械化を速やかに完成することができません。金星トラクター総合工場が正常に操業しなければ、トラクターのもらえるところはありません。それで私は、久しい前に咸鏡北道、咸鏡南道のような大きな道に小型トラクター組立工場を設け、自力で小型トラクターを生産する課題を与えましたが、満足に実行されていません。幹部には、まだ技術神秘主義が残っています。一部の幹部は、わが国のように小さな国にトラクター工場をいくつも設ける必要はないではないかと考え、小型トラクター組立工場を設けようとしていません。

 小型トラクターを量産すれば、大きな効果を発揮することができます。小型トラクターでしろかきをするのは少々無理でしょうが、耕耘や中耕などは十分可能です。昨日、テレビを見ると、トウモロコシ畑の除草を「前進」号トラクターでやっていました。「前進」号トラクターは、燃料油もそれほど消費しません。「チョンリマ」号トラクターとともに小型トラクターを量産して、「チョンリマ」号トラクターと小型トラクターを用途によってそれぞれ使い分ければたいへん有利でしょう。各道党責任書記は、国家からトラクターを提供してもらおうとばかりせず、自力でトラクター組立工場を設け、トラクターを生産して利用することを考えるべきです。

 咸鏡南道、咸鏡北道、黄海南道、黄海北道、平安南道、平安北道のような大きな道は、小型トラクター組立工場を持っているべきです。平安北道には、「前進」号トラクター組立工場があります。各道にトラクター組立工場を設け、年に1000台生産してもよいし、2000台生産できればそれに越したことはありません。

 咸鏡北道と咸鏡南道、黄海北道では「忠誠」号トラクター組立工場を設けるべきです。咸鏡北道では以前、清津連結農業機械工場で小型トラクターの組立てをした経験があります。咸鏡北道で「忠誠」号トラクターを年に約2000台生産できるとのことですが、そうすれば道の需要をみたしても余るでしょう。一時、咸鏡南道でも小型トラクターの組立てをしたことがあります。

 平安南道では「前進」号トラクター組立工場を設けて、年に「前進」号トラクターを約1000千台生産するのがよいでしょう。平安南道がトラクター1000台を国家から提供してもらうには、多分時日が少しかかると思います。

 黄海南道でも「前進」号トラクター組立工場を設けるべきです。「前進」号トラクター組立工場を建設して年に数百台生産するのも悪くありません。小型トラクター組立工場を建設しておき、今後トラクターの部品を生産しても結構です。

 各道で小型トラクターを生産するからと、てんでにエンジン生産基地まで設ける必要はありません。エンジンはあちこちで生産せず、一か所で生産してこそ、質の向上をはかることができます。黄海南道、平安南道、平安北道での小型トラクターの組立てに必要なエンジンは、9・25フォークリフト工場が生産、供給し、咸鏡南道、咸鏡北道、黄海北道での小型トラクターの組立てに必要なエンジンは、「忠誠」号トラクター工場が生産、供給することにすべきです。

 慈江道で必要とする小型トラクターは咸鏡南道と平安北道が、開城市、南浦市、平壌市で必要とする小型トラクターは平安南道が、両江道で必要とする小型トラクターは咸鏡北道がそれぞれ生産、供給することにすべきです。

 農業の総合的機械化を実現するためには、耕地整理を丹念におこなって田畑を機械化田野にしなければなりません。

 現在、各道で整理すべき田畑の面積は少なくありません。いくつかの道をみても、平安南道ではトウモロコシ畑3万3776ヘクタール、水田1万3576ヘクタール、平安北道では水田2万1800ヘクタール、トウモロコシ畑5万9900ヘクタール、黄海南道では水田3万5000ヘクタール、トウモロコシ畑2万6000ヘクタール、黄海北道では水田1万8000ヘクタール、トウモロコシ畑2万914ヘクタール、咸鏡南道では水田1万2000ヘクタール、トウモロコシ畑1万5000ヘクタールを整理しなければなりません。各道農業経営委員会委員長が耕地整理を2年内に終えるといっていますが、そうすべきです。

 今後、約2年のあいだに耕地整理をすませ、トラクターをはじめ、各種の農業機械を大々的に生産して農村に送れば、農村の機械化を3年間で完成することができるでしょう。だからといって、すべての道が農業の総合的機械化を1993年までに完成せよと、一律に期限を定める必要はありません。各道がいかに努力するかによって、機械化を先に完成する道もあれば、やや遅れて完成する道もあるはずです。農業の総合的機械化を1992年までに完成できる道はその年までに完成させ、1993年までに完成の可能な道はその年までに完成させるべきです。平安南道と平安北道では、農業の総合的機械化を1994年までに完成するといっていますが、それもよいでしょう。1995年までには、すべての道が農業の総合的機械化を完成すべきです。

 農業の総合的機械化を完成するためには、今度の水路工事のように、全党、全国、全人民が奮起しなければなりません。全党、全国、全人民が、農業の総合的機械化を完成するために奮闘すべきです。

 こうして、農業の総合的機械化を完成すれば、農民を骨のおれる労働から解放し、農業労働と工業労働の差をなくし、農村でも8時間労働制を実施することができます。

 農業の化学化を実現すべきです。

 こんにち、農業の化学化で重要なのは、田畑に肥料をたくさんほどこすことです。用水の問題が解決された状況のもとで、田畑に肥料をたくさんほどこせば、それだけ穀物を多く生産することができます。

 農作物に必要な肥料をほどよく調節してほどこすためには、順川ビナロン連合企業所肥料工場と沙里院カリ肥料連合企業所を早急に建設して、各種の肥料を大量生産しなければなりません。

 現在、切実に必要なのはカリ肥料です。カリ肥料は国内で大量に生産されないため、十分にはどこせず、営農で少なからぬ損失をみています。農村で必要とするカリ肥料を円滑に生産、供給するためには、沙里院カリ肥料連合企業所を早急に建設しなければなりません。

 沙里院カリ肥料連合企業所を建設すれば、外貨も多く獲得することができます。カリ長石を処理すればアルミナが得られますが、それでアルミニウムを生産することができます。沙里院カリ肥料連合企業所を完全に建設して年に300万トンのカリ長石を処理すれば、そこから得られるアルミナで21万トンのアルミニウムが生産されます。21万トンのアルミニウムのうち1万トンは国内で消費し、20万トンは輸出できます。アルミニウム1トン当たり2500ドルとしても、20万トンなら5億ドルの外貨が獲得できます。

 沙里院カリ肥料連合企業所は、党がいったん建設することに決心した以上、力を集中して早急に終えるべきです。

 翌肥料年度の肥料生産対策をしっかり立てるべきです。興南肥料連合企業所と2・8ビナロン連合企業所、南興青年化学連合企業所など肥料を生産する工場では、今肥料年度の肥料生産を推進する一方、設備の補修、整備に力を入れるべきです。いまから生産準備を綿密におこなって肥料生産の増大をはかり、来年度からは肥料を輸入せず、すべて国内生産でまかなうべきです。肥料を輸入せずに国内生産でまかなうのは、こんにち、農業の化学化の実現で提起される重要な課題です。

 農薬の生産、供給対策も立てるべきです。農村に除草剤をはじめ、農薬を十分に生産して送るためには、その生産基地をしっかり築かなければなりません。

 今年度の営農でさしあたり提起される重要な課題は、穂肥を適時にほどこすことです。

 米とトウモロコシの収量をあげるためには、必ず穂肥をほどこさなければなりません。作物の生育段階別の施肥では、穂肥が極めて重要な位置を占めます。作物が育ちながら地中の栄養分を全部吸収するので、穂の出る時期になると、地中の肥料成分がわずかしか残りません。作物が多くの栄養分を必要とするこの時期に肥料をほどこさなければ、栄養が不足して穂が出なかったり、出るとしても結実が不十分で収量が落ちます。トウモロコシの栽培では、穂肥をいかにほどこすかによって収量の50%が左右されるそうです。私がきょうの会議で穂肥の問題について特に強調する理由はここにあります。

 分けつ肥と中間追肥は既に全部ほどこしましたが、穂肥用の肥料が足りないそうです。政務院は足りない穂肥を全量無条件供給すべきです。

 農業部門の幹部は、肥料不足の状況のもとで、籾米とトウモロコシの収量をあげるいろいろな運動を積極的に進めるべきです。

 混合糞尿土生産運動を大々的に繰りひろげるべきです。

 混合糞尿土は、化学肥料と同じ成分を有するよい肥料です。いまから力を入れて混合糞尿土をたくさん生産しておき、穂肥が計画どおり供給されない場合に追肥として利用すべきです。そうすれば、穂肥をほどこすのと同じ効果をあらわします。草を腐らせて田畑にほどこすのは来年なら効果があらわれますが、今年の穂肥としては意味がありません。

 現在、混合糞尿土運搬用の燃料油が難題となっているそうですが、燃料油は全量供給することにします。

 草取りをもう一度すべきです。

 田畑に草が多いと作物に必要な栄養分を草が全部吸収してしまうので、農作物がよく育たず、結実も不十分になり、肥料をほどこしても役に立たなくなります。草取りを丹念にすれば、田畑にほどこした肥料成分を稲やトウモロコシが十分に吸収し、結実も確かなものになります。肥料が少ないほど草取りをより丹念にしなければなりません。

 私の見たところでは、いまトウモロコシ畑に草がたくさん生えています。今年の営農実績をあげるためには、すべての田畑の除草作業をもう1、2度すべきです。特に、トウモロコシ畑の除草作業をさらにすべきです。トウモロコシ畑の場合、中耕をするだけでは草を全部取り除くことができません。中耕もし、草取りもすべきです。

 農村自体の労働力でもう一度草取りができれば結構ですが、人手が足りなければ支援を受けてでも草取りをすべきです。

 これから草取り運動をもう一度展開し、すべての田畑の草を全部なくさなければなりません。こうして、今後、穂肥を少ししかほどこせなかったり全然ほどこせない場合に生じる損失を挽回すべきです。

 病害虫による被害を防止すべきです。

 農作物が虫害をこうむると、一度病気にかかったような状態になります。被害をこうむった作物は回復するのに多くの栄養分を消耗するので、満足な収穫が得られなくなります。

 病害虫の駆除に必要な農薬を適時に供給して病害虫を徹底的に駆除し、籾米やトウモロコシなどの作物が虫害をこうむらないようにすべきです。

 現在の作柄からすれば、もう一度草取りをし、穂肥を十分にほどこし、病害虫を全部駆除すれば、今年、すべての田畑でヘクタール当たり8トン以上の穀物を生産することができそうです。

 穂肥を無条件供給し、混合糞尿土を大量生産し、草取りをもう一度し、病害虫を徹底的に駆除すること、これがさしあたり営農活動で必ず実行すべき四大課題です。

 我々が、思想革命、文化革命とともに技術革命を力強く推進して、農業の水利化、電化、機械化、化学化を完成すれば、農民がすべて労働者階級化され、わが国は階級のない社会になるでしょう。『わが国における社会主義農村問題に関するテーゼ』で農民を労働者階級化して無階級社会を建設する目標を示しながら、その時日は明らかにしませんでしたが、近い将来、農村技術革命の課題を完遂して農民を労働者階級化する歴史的偉業を実現しなければなりません。

 今年の営農で実績をあげれば、今後、中央人民委員会で畜産問題について討議する考えです。トウモロコシがなくて穀物加工工場をフル稼働できない現状のもとで、畜産問題を討議するのは無意味です。

 我々は今後、200万トンの食肉生産目標をかかげて努力すべきです。わが国では食肉を生で200万トン生産すれば、人口一人当たり年に75キログラム、一日200グラム供給できます。

すべての人に一日200グラムの食肉がゆきわたるようになれば、白米のご飯に肉汁を食べて暮らしたいという朝鮮人民の願いがかなえられ、そうなれば、わが国の社会主義制度の優越性がさらに高く発揮されるでしょう。我々は、なんとしてでも、短時日内にこの目標を達成しなければなりません。

 食肉を200万トン生産するには、約500万トンのトウモロコシが必要です。飼料消費量と食肉生産量の比率は豚肉の場合4対1、鶏肉の場合3.5対1、アヒル肉の場合3.1対1なので、500万トンのトウモロコシを家畜の飼料にまわせば多量の食肉が生産できるはずです。

 今年、トウモロコシの出来がよければ、約300万トンを家畜の飼料にあてて、来年度に100万トンの食肉を生産する運動を展開する計画です。まず100万トンの食肉を生産して、人口一人当たり一日100グラムゆきわたるようにし、次の段階では年に200万トンの食肉を生産する計画です。今後、トウモロコシは全部家畜の飼料にあてようと思います。

 食肉生産は、国営農・牧場と協同農場で集団的にもおこない、農家などで分散的にもおこなうべきです。集団飼育と分散飼育を適切に結合すれば、より多くの食肉を生産することができます。今後、農民家族一人当たり300キログラムの食糧を供給すれば、農家で豚を多く飼育することができます。

 年末に中央人民委員会で、国営農・牧場と協同農場の分組と作業班、畜産作業班、そして農家などでの食肉生産方法について具体的に討議する考えです。

 今後、果樹栽培問題についても中央人民委員会で討議しようと思います。現在のわが国の果樹園でヘクタール当たり約20トンの果物を収穫すれば、合計360万トンになります。360万トンの果物を人民に供給すれば、リンゴで換算して人口一人当たり一日5個程度ゆきわたります。

 果樹栽培部門では、果物を一日一人当たり、第1段階ではリンゴで3個、次の段階では5個ゆきわたらせる目標を立て、果物年産を増大させるために奮闘すべきです。

 今年、果樹栽培部門の実態を具体的に分析し、果物生産をヘクタール当たり20トンに高める対策を立てるべきです。果物の収穫高を増やすうえでも、基本となるのは肥料と農薬を効果的に用いることです。

 次に、農民の生活条件を改善して都市と農村の差をなくすべきです。

 農民を骨のおれる労働から解放すると同時に、都市と農村住民の生活上の差をなくすのは、社会主義・共産主義建設で原則的な意義をもつ重要な問題です。我々はこれまで、社会主義農村建設のために多くのことをなし遂げましたが、まだ、都市と農村住民の生活条件での差は少なからず残っています。

 都市と農村住民の生活上の差をなくすためには、農村の電化、水道化、バス運行、セントラル・ヒーティング化、ガス化を実現しなければなりません。この五大課題を遂行してすべての農村を社会主義文化農村に変えるなら、農民も都市住民に劣らず豊かな暮らしができるでしょう。都市だけでなく農村まで電化、水道化、バス運行、セントラル・ヒーティング化、ガス化して労働者階級と農民の生活上の差をなくすのは私の願うことであり、これが我々の達成すべき重要な闘争目標です。

 農民の生活条件を改善するこの五大課題を実現するのは、さほど難しいことでないと思います。農村の電化は既に完成され、水道化とバス運行もほぼ実現されつつあります。あとは、農村の水道化とバス運行を完全に実現し、セントラル・ヒーティング化とガス化を実現すればよいわけです。幹部は自信をもって、農民の生活条件を改善する五大課題を遂行するため、積極的に努力しなければなりません。

 農村のバス運行を完全に実現すべきです。

 私はずっと以前に、農村のバス運行を実現する課題を示しました。しかし、幹部がこれを実現するため積極的に努力しなかったため、いまだにこの課題は完全に実現されていません。

 農村のバス運行を完全に実現すれば、農村住民の交通上の便宜をはかることができます。現在、旅行する人のほとんどが汽車に依存しているため鉄道輸送が手一杯になっていますが、農村のバス運行が完全に実現すれば、鉄道輸送のネックも少なからず解消されるでしょう。農村のバス運行を完全に実現して、バスが里と郡機関所在地のあいだを正常に通うようにし、郡機関所在地と郡機関所在地間、郡機関所在地と道都間も通うようにすべきです。

 農村のバス運行を完全に実現するためには、現在のバスを効果的に利用するとともに、新しいバスをさらに生産しなければなりません。農村のバスはあまり大きくする必要はありません。「勝利58」トラックを利用して農村バスをこぎれいにつくるべきです。農村バスを立派につくれば、それを利用する人もさぞ快適な旅行ができるでしょう。

 農村の水道化も完成すべきです。

 すべての農村を水道化して、女性が水汲みをしなくてもすむようにすべきです。

 農村をセントラル・ヒーティング化、ガス化すべきです。

 農村をセントラル・ヒーティング化、ガス化すれば、農民に文化的な生活条件を提供してやれるだけでなく、石炭不足も少なからず緩和することができます。現在、住民用の石炭は全国的に何百万トンにもなるそうですが、そのように多くの石炭をひきつづき住民用にあてるなら、今後、石炭の供給がゆきづまって工場の正常な操業に支障をきたしかねません。

 農村のセントラル・ヒーティング化、ガス化は、我々が初めて手がけることではありません。我々は既に、農村のセントラル・ヒーティング化とガス化をした経験があります。昨年、七号農場第3作業班で、全国的な方式講習をおこなったのち、各道にモデルケースをつくりました。いまでは、誰もが農村のセントラル・ヒーティング化とガス化が可能であると確信しています。

 問題は、幹部が農村のセントラル・ヒーティング化とガス化を大胆に推進しないことにあります。各道では、モデルケースをつくり方式講習をおこなう程度に止まり、それ以上展開していません。いま農村のセントラル・ヒーティング化、ガス化を推進するよう掌握し、督促する人もそれほどおらず、その実現のために努力する人もほとんどいません。少なからぬ道では、農村のセントラル・ヒーティング化とガス化を実現して燃料不足を解消しようとするのでなく、住民用の石炭を供給してほしいと国家に要望しています。いまのように幹部が上部に頼ろうとばかりして積極的に努力しないなら、農村のセントラル・ヒーティング化、ガス化はいつになっても実現できないでしょう。幹部は口先だけでなく、積極的に実践して農村のセントラル・ヒーティング化とガス化を速やかに完成すべきです。

 農村に万能ボイラーを導入してセントラル・ヒーティング化を実現すべきです。万能ボイラーは、籾殻、トウモロコシの茎、雑潅木などどんな燃料でも焚くことができます。したがって、平野地帯の農村でも万能ボイラーを備え、稲わらや籾殻などを焚いてセントラル・ヒーティング化を実現することができるでしょう。

 農村で独自にメタンガスを生産してガス化を実現する対策も立てるべきです。

 水力資源のある地帯では、中小規模の水力発電所を大々的に建設するのが有益です。水車式発電所を建設すれば、そこで年産される電力を利用して、照明のみか、暖房や炊飯もできます。ある人民軍部隊の軍人は、谷川に水車式発電所をいくつも建設して生産する電力で温室暖房を導入し、豚の飼料の煮炊きもしています。彼らは、自力で生産する電力で暖房をほどこし、温室を正常に運営しているので、キュウリ、トマトなど各種の野菜を四季にわたって切らすことがありません。

 わが国の自然条件では、風力発電所より水車式発電所を建設するほうが有利です。温泉郡に風力発電所を建設しましたが、風があまり吹かないので、電力がいくらも生産されません。風力発電所はまだ確実性がありませんが、水車式発電所は確実性があります。

 水車式発電所は、水車の設置できるところにはどこでも建設できます。抗日武装闘争の時期、小汪清遊撃区では、谷川に水車をいくつも設置し、米をついて遊撃隊の食糧をまかないました。当時、我々が敵地から根拠地に戻ってくると、水車の音があちこちから聞こえてきたものです。

 農村のセントラル・ヒーティング化に万能ボイラーを設置する方法をとるか、それとも水車式発電所を建設する方法をとるかは、各地方の具体的な実情に合わせて決めるのがよいでしょう。

 農村のセントラル・ヒーティング化、ガス化に要する万能ボイラーや管など各種の設備と資材を十分に供給すべきです。設備と資材を供給しなければ、いくら実行せよと指示してもできるものではありません。

 現在、農村のセントラル・ヒーティング化、ガス化が順調に推進されないのは、設備と資材を円滑に供給していないこととも関係しています。国家が提供することになっている設備と資材を提供しないので、農村ではやろうとしてもできません。

 政務院は、農村のセントラル・ヒーティング化とガス化が積極的に推進されるよう、設備と資材の供給対策を講じるべきです。

 農村のセントラル・ヒーティング化、ガス化に必要な管は、鍛接管かポリエチレン管、塩化ビニール管で間に合います。鍛接管やポリエチレン管、塩化ビニール管は管生産設備のある道に鋼板やポリエチレン、塩化ビニールを供給すれば、いくらでもつくれます。金策製鉄連合企業所と南興青年化学連合企業所、2・8ビナロン連合企業所で、鋼板とポリエチレン、塩化ビニールを大量に生産供給すべきです。

 農村のセントラル・ヒーティング化、ガス化に必要な設備と資材を円滑に供給するためには、いくつかの道にその生産基地を築かなければなりません。農村をすべてセントラル・ヒーティング化するには多くのボイラーが必要ですが、それをすべて沙里院機械工場で生産するのは不可能です。私の考えでは、黄海南道と黄海北道、平安南道と平安北道、咸鏡南道と咸鏡北道に生産基地を設け、道自体でセントラル・ヒーティング化、ガス化に必要な発電機と水車、万能ボイラー、管などを生産して利用することにするのがよいと思います。

 農村のセントラル・ヒーティング化、ガス化は、計画化して推進すべきです。計画化せず、ただやれと強調するだけではだめです。また、いっぺんにすべての対象を全部完成しようとしてもなりません。すべての対象を同時におこなうには、設備と資材を供給しきれません。

 全国的にセントラル・ヒーティング化、ガス化の導入対象となる村落は2万だそうですが、年に約5000個の村落に導入することができるでしょう。なんとしてでも農村のセントラル・ヒーティング化、ガス化を1995年までに終えるべきです。それまでに全部は不可能であるなら、2000年まで延ばしてもよいでしょう。

 農村里の診療所の病院化をより高い水準で完成し、農村地域の商店と学校も立派に整備すべきです。これとともに、農村の各所帯にテレビやラジオ、ミシンなども供給すべきです。

 農村技術革命の課題と農民の生活条件を改善するための五大課題は、各道党責任書記が責任をもって実行すべきです。道党責任書記は、道人民委員長を兼任しているだけに、あらゆる面で道の主人です。道党責任書記が主人となって、農村技術革命の課題と農民の生活条件を改善するための五大課題の遂行をめざして奮闘しなければなりません。

 道党責任書記は、道に戻り次第、道と郡の幹部に、今回の中央人民委員会で討議された内容を知らせ、その実行のための仕事の手配をすべきです。道と郡がこの課題を繰り上げて遂行すれば、それに越したことはありません。

 中央人民委員会では、地方人民委員会事業部担当の副主席が農村技術革命の課題と農民の生活条件を改善するための五大課題の遂行を責任をもって指導すべきです。

 今回の中央人民委員会で討議された内容をもって決定書を作成し、下達すべきです。中央人民委員会の決定書には、農村技術革命の課題と、農民の生活条件を改善するための五大課題の実行で提起される原則的な諸問題だけ明示し、具体的な実務的問題は政務院決定として下達すべきです。

 最後に、賃金制度の改善について簡単に述べることにします。

 現在、わが国の賃金制度には、一部不合理な点があります。例えば、大学を同時に卒業した人のうち、政務院の委員会、部などの事務機関に配置された人と、工場、企業所に配置された人とでは、賃金の差が少なくありません。本来なら、事務機関に勤務する人より、工場、企業所に配置され生産現場で働く人の賃金が高くなければなりません。しかし、現在は正反対になっています。私は久しい前から賃金制度を全般的に再検討し、不合理な点を是正しようと考えていましたが、そうできずにこんにちまで持ち越されました。中央人民委員会が主管して、わが国の賃金制度を全般的に再検討し、不合理な点を是正する対策案を作成して提起すべきです。

 賃金制度を改正するのは慎重を要する問題であるため、偏向のないようにすべきです。大学を出て事務機関に勤務する人の賃金は据え置きにし、生産現場で働く人の賃金を上げる方向で検討すべきです。事務機関に勤務する人の場合も、一律にみてはなりません。同じ事務員であっても、職種によって区別すべきです。例えば、設計士は事務機関で仕事をしますが、生産現場で働く人とかわりありません。こういう点をすべて考慮して賃金を正しく定めるべきです。

 6か月くらいかければ対策案が作成できると思います。

 賃金制度を改正する対策案の作成は、中央人民委員会経済政策委員会副委員長が責任をもっておこなうことにし、党中央委員会と労働行政部をはじめ、政務院の当該部署の活動家を参加させるべきです。これに対する指導は、中央人民委員会経済政策委員会担当の副主席が受け持つのがよいでしょう。


<注釈> -南湖頭会議 1936年2月27日から3月3日にかけて寧安県南湖頭小家琪河で金日成同志の指導のもとに開かれた朝鮮人民革命軍軍事・政治幹部会議。会議では、それまでの朝鮮人民革命軍各部隊の軍事・政治活動が総括され、1930年代中期の有利な情勢と革命発展の要請に即応して朝鮮革命全般をいちだんと発展させるための重要な課題が討議された。金日成同志は会議で、『反日民族解放闘争を強化発展させるための共産主義者の任務』と題する歴史的な報告をおこなった。報告には、朝鮮人民革命軍の主力部隊を国境一帯に進出させ、闘争舞台を漸次国内へ拡大する方針、反日民族統一戦線運動をさらに拡大発展させる方針、党創立準備活動を積極的に推進させる方針などが示された。南湖頭会議は、抗日武装闘争を中心とする朝鮮革命全般を新たな高揚に導く一大転換の契機となった歴史的な会議である。

 -崔賢(1907~1982) 本名・崔得権。1907年6月8日、独立軍の家庭に生まれる。1924年に反日闘争に参加し、1925年11月に逮捕され、7年近く獄中生活を送る。1932年に出獄、金日成同志によって組織指導される朝鮮人民革命軍に入隊。1933年9月、汪清で金日成同志に会い、抗日戦の日々を経て有能な軍事指揮官に成長し、1936年から連隊長として活躍。解放(1945年)後、朝鮮人民革命軍を正規武力の朝鮮人民軍に強化発展させる事業に参加し、祖国解放戦争(1950~1953)の時期には師団長、軍団長を務め、戦後の1955年12月から民族保衝省副相、後に、党中央委員会書記兼軍事部長、人民武力部長などを歴任。1982年4月9日に病死。
                                                
出典:『金日成著作集』42巻


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