『金日成主席革命活動史』

第5節 全民族の団結の促進。
南北朝鮮政党・大衆団体代表者連席会議


 北半部における革命と建設の成功にあわてたアメリカ帝国主義者は、南朝鮮の支配をつづけ、ひいては朝鮮の全土を併呑する侵略的野望を達成するなめ狂気じみた策動を続けた。

 かれらは1947年10月、不当にも朝鮮問題を国連総会にもちこみ、朝鮮人民の代表も参加させずに追随諸国を操って「国連臨時朝鮮委員団」をつくり、その監視のもとに朝鮮で「選挙」を実施し、かいらい政府をつくろうと画策した。

 朝鮮民族の自主権を踏みにじるこの犯罪的な策動は、全朝鮮人民と世界の革命的人民から激しく糾弾された。

 狡猾なアメリカ帝国主義者は、翌年2月、再び国連小総会で南朝鮮での単独選挙の実施とかいらい政府の樹立にかんする決定を採択させた。

 主席は、国土分断と民族分裂の危機にのぞんでアメリカ帝国主義者の策動を粉砕し、祖国の統一を達成するため、1948年の『新年の辞』、同年3月の北朝鮮民主主義民族統一戦線中央委員会第25回会議での演説『反動的な南朝鮮単独政府の選挙に反対し、朝鮮の統一と自主、独立をたたかいとるために』『北朝鮮労働党第2回大会でおこなった中央委員会の活動報告』などで、祖国統一の基本方針とそれを実現する課題を示した。

 祖国統一の基本方針は、自主的立場に立って、民主的原則にもとづき、祖国を平和的に統一することであった。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「(略)朝鮮問題の解決は、朝鮮からすべての外国軍隊が撤退し、朝鮮民族が自分の手で完全な自主独立国家を建設する道以外にはありません」(『新年の辞』1948年1月1日)

 主席は、朝鮮の統一問題はいかなる外部勢力の干渉も許さず、あくまでも朝鮮人民の意思にもとづいて朝鮮人民自身の手で解決されるべきであり、朝鮮人民をおいては誰にもそれを解決する権利がなく、能力もない。それゆえ、全朝鮮人民の自由な意思に従って一般、平等、直接の原則と秘密投票の方法で民主的な南北総選挙をおこない、統一的な中央政府を樹立して統一を達成することであると指摘した。

 主席はまた、祖国統一の方途について明らかにし、祖国の自主的平和統一を達成するためには全民族的な愛国勢力の団結を強め、それにもとづいて反米、反かいらい闘争を強く展開すべきであると強調した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「南北朝鮮の全人民がかたく団結し、英雄的な闘争をくりひろげてこそ、アメリカ帝国主義者と国内の反動派をしりぞけ、最後の勝利をかちとることができます」(『我々は、今年なにをなし、いかに働くべきか』1948年1月12日)

 主席は、アメリカ帝国主義侵略軍の南朝鮮からの撤退、「国連臨時朝鮮委員団」の排撃、アメリカ帝国主義の単独「政府」策動の粉砕、統一的中央政府の樹立を祖国統一の当面の課題として示した。

 この祖国統一方針は、自主的立場と反帝反米闘争の精神に徹した革命的な方針であり、朝鮮人民の一致した意思と要求を正確に反映し、民族分裂の危機を克服して統一を達成する方途を明らかにした最も正しい科学的方針であった。

 主席は、自主的平和統一のたたかいに全党、全人民を呼び起こし、なによりも「国連臨時朝鮮委員団」の排撃に力を注いだ。

 アメリカ帝国主義の民族分裂策動を糾弾するキャンペーンが広く展開され、すべての政党と大衆組織がこのたたかいで統一行動を強めた。北半部の広範な人民は、抗議集会やデモをくりひろげて、アメリカ帝国主義者と南朝鮮かいらい一味の民族分裂策動を糾弾し、アメリカ帝国主義者の朝鮮干渉を排撃することを世界に宣言した。「国連臨時朝鮮委員団」反対闘争は、南朝鮮でも激しくもりあがった。1948年2月7日、ソウル・大邱(テグ)・大田(テジョン)・郡山(クンサン)など各都市の労働者が、委員団の南朝鮮入りに反対してゼネストを決行し、ソウル・水原(スウォン)、その他各地では、それが大衆的暴力闘争に転化した。

 驚いたアメリカ帝国主義者は、軍隊と警察を投入して、南朝鮮の無数の愛国的人民を逮捕、投獄、虐殺し、銃剣の威嚇のもとに単独選挙を強行しようとした。

 主席は、アメリカ帝国主義者の暴挙に対処して、南北朝鮮政党・大衆団体代表者連席会議を計画し、その招集に力を傾けた。

 アメリカ帝国主義者と親米派は、南北連席会議を破綻させようと参加希望者に強迫、暴行を加え、朴憲永一味も自分らの気にくわない政党、大衆団体を排斥し、人為的な障害をつくりだした。

 主席はこうした事態にてらして、南朝鮮の多くの政党、大衆団体、個別的人士に使者を送って労働党の祖国統一方針と統一戦線政策を説明し、祖国統一を支持するならば政見と信教にかかわりなく団結し、かつて祖国と人民の前に罪を犯した人であっても過ちを悔い反米救国闘争に立ちあがるならば、過去を問わず手を携えていくことを明らかにした。

 南朝鮮の進歩的な政党、大衆団体はもとより、中間政治勢力や右翼勢力も主席の高い権威と大きな度量、正しい統一戦線政策に感動し、南北連席会議の開催を支持した。こうして1948年4月、平壌で南北朝鮮政党・大衆団体代表者連席会議が開かれた。これには、南北の56の政党、大衆団体の代表695名が参加した。

 主席は、会議で政治報告をおこない祖国の自主的統一のための救国対策を示した。

 主席はまず、北半部の社会経済的変革と新しい祖国建設の輝かしい成果を概括し、これとは対照的な南朝鮮の情勢に全面的な分析を加え、祖国が自主独立国家に発展する唯一の道は北半部の人民が歩んでいる道であることを強調した。

 そして、アメリカ帝国主義者の民族分裂策動と植民地従属化政策を暴露し、朝鮮人民の最大の民族的任務は、アメリカ帝国主義者の企む南朝鮮単独選挙を破綻させ、民主的原則にもとづいて統一的中央政府を樹立し、祖国の統一を達成することであり、そのためには全民族が一致団結して反米救国闘争を展開すべきであると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「祖国が分裂の危機にさらされたこの重大なときに団結してたたかわず、アメリカ帝国主義者の侵略を退ける一大救国対策を講じないならば、我々は民族と子孫に永久につぐなうことのできない罪をおかすことを知るべきです。

 我々は全力を尽くして統一的自主独立国家を建設し、民主的原則を踏まえて統一政府を樹立する民族あげての闘争をくりひろげるべきであります」(『北朝鮮の政治情勢』1948年4月21日)

 主席は会議で、アメリカ帝国主義とその追随者の単独選挙策動を粉砕する実質的な救国対策を講じた。

 連席会議は、「国連臨時朝鮮委員団」がアメリカ帝国主義の植民地従属化政策の具にすぎないことを暴露し、南朝鮮単独選挙の排撃を決議するとともに、朝鮮人民は単独選挙によってつくられるかいらい政府を決して認めず、朝鮮人民自身の手で民主的原則にもとづいて真の統一政府を樹立する旨を宣言した。また、全民族の力で反米救国闘争をくりひろげるため、南朝鮮単独選挙反対闘争全国委員会を結成し、全人民の決起を呼びかけるアピール『全朝鮮同胞に告ぐ』を採択した。

 4月南北連席会議は、参加者の構成が複雑をきわめ、政見と信教を異にしていたにもかかわらず、主席の正しい祖国統一方針と統一戦線政策、すぐれた指導によって大きな成果をおさめた。

 この会議は、主席の参加のもとに北と南の民主的政党、大衆団体の代表が一堂に会して祖国統一問題を討議した最初の会合であり、主席の祖国統一方針および統一戦線政策の生命力を内外に示し、広範な愛国的民主勢力を主席のまわりに結集した歴史的な会合であった。連席会議は、政見と階級的立場が異なる政党、大衆団体であっても共通の民族的理念のもとに団結することができ、全民族の団結した力で救国闘争をくりひろげれば、祖国の統一も可能であることを示した。

 主席は連席会議後、単独選挙に反対し、祖国統一を促進するたたかいに拍車をかけた。そして1948年4月、南北朝鮮諸政党・大衆団体指導者協議会が開かれて、祖国統一をめざす全民族的な共同闘争の当面の任務が明らかにされ、それにもとづいて外国軍の撤退、統一政府の樹立にかんする『南北朝鮮諸政党・大衆団体の共同声明』が発表された。

 主席は、南朝鮮の政党、大衆団体の代表や個別的人士と会って、かれらの進路を示し、南北朝鮮の全愛国的民主勢力による反米救国統一戦線の形成、アメリカ帝国主義の単独政府策動粉砕のための「単独選挙・単独政府」反対闘争委員会を結成する問題など、一連の救国対策を講じた。

 主席のすぐれた指導と高潔な品性は、かれらをこのうえなく感動させた。

 南朝鮮のある政治家は、「金日成将軍は、実に我が民族の英明な指導者である」とたたえ敬慕の念を隠そうとしなかった。

 生涯を「反共」に生きた金九でさえ主席と会い、万景台を訪れたのちは、「朝鮮を正しく導く英雄は、金日成将軍をおいてほかにない」「私は、どこまでも金日成将軍に従って進むつもりだ」と言い、アメリカ帝国主義とその手先に反対して決然とたたかう決意を表明した。

 南北連席会議を通じて主席のまわりに団結した南北朝鮮の愛国的民主勢力は、祖国の自主的平和統一に向けてたたかいをもりあげた。平壌市をはじめ北半部の各地では、単独選挙を糾弾し南朝鮮人民のたたかいを支持して連日、大衆集会やデモがおこなわれた。南朝鮮でも抗議闘争がさまざまな形でくりひろげられた。労働者たちは、「単独選挙反対救国ゼネスト委員会」を結成し、ソウルその他の主要都市でゼネストを決行した。また、済州(チェジュ)島をはじめ各地の人民は、武装蜂起に立ちあがり、敵の暴圧機構を麻痺させた。

 「単独選挙」の成功を危ぶんだアメリカ帝国主義者は、1948年5月10日、南朝鮮占領アメリカ軍に戦闘態勢をとらせ、軍用機や戦車、艦船を出動させて南朝鮮全土を戒厳状態に陥れたうえで、人民を銃剣で投票場に駆り出した。

 情激した人民は、各地で投票場や警察支署を襲撃し、電信、電話線を切断し、鉄道を破壊するなど単独選挙反対闘争を果敢にくりひろげた。単独選挙は、事実上完全に破綻した。

 しかし、アメリカ帝国主義者は「選挙」の結果をでっちあげ、親日・親米派や民族反逆者からなる反動的なかいらい国会とかいらい政府をつくりあげた。南朝鮮かいらい政権は、徹底してアメリカ帝国主義の指図で動く従属的な売国政権であり、地主、買弁資本家、反動的官僚の利益を代弁する反人民的な反動政権であった。それは、アメリカ帝国主義の植民地支配をおおい隠し、民族分裂を合法化する隠れみのにすぎなかった。

 かいらい政権の出現によって民族分裂の危機はつのり、自主的祖国統一のたたかいは新たな暗礁に乗りあげた。

 主席は、この危機を切り抜けるため同年6月、南北朝鮮政党・大衆団体指導者協議会を開き、ただちに南北総選挙を実施して統一的中央政府を樹立し、祖国統一を達成するという決定的な方針を示した。また、全民族的愛国勢力のより強固な団結をはかるために、各政党、大衆団体の代表や個別的人士と会って、新たな救国対策を示し、南朝鮮人民を救国闘争に決起させる措置を講じた。

 主席の指導によって、祖国の統一をめざす革命勢力は強化され、朝鮮の分裂を企むアメリカ帝国主義は窮地に追いこまれた。





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