『金日成主席革命活動史』

第3節 生産関係の社会主義的改造を準備


 反帝反封建民主主義革命の遂行後、社会主義革命段階を迎えた朝鮮では、生産関係の社会主義的改造が緊切な課題として提起された。

 金日成主席は、社会主義革命発展の合法則的な要請と朝鮮の実状を分析し、過渡期初期から社会主義的改造の準備に力を入れる方針を示した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「解放後、我が国の北半部では反帝反封建民主主義革命が成功裏に遂行された結果、北半部は漸次社会主義へ移行することになり、社会主義的改造もすでにそのときからはじめられました。

 しかし、戦前には必要な社会経済的条件と物質的条件が十分に成熟していなかったため、社会主義的改造は部分的にしかおこなわれず、主としてそのための準備が進められました」(『朝鮮労働党第4回大会でおこなった中央委員会の活動報告』1961年9月11日)

 古い経済の社会主義的改造は、社会主義革命の合法則的な過程であり、資本主義から社会主義への過渡期の基本的課題である。

 しかし、朝鮮では反帝反封建民主主義革命の遂行後も、生産関係の社会主義的改造が人民大衆のさし迫った生活要求として提起されず、それを担当する力量も十分にととのっていなかった。したがって、当時としては、古い経済を直ちに社会主義的に改造するのではなく、その準備として必要な社会経済的・物質的条件をつくることが必要であった。

 過渡期初期に生産関係の社会主義的改造の準備を十分にととのえるという主席の方針は、朝鮮のような植民地半封建社会であった国での社会主義的改造の方途を明らかにした独創的な方針であった。

 主席はこの準備活動においてまず、手工業の社会主義的改造を部分的に実施し、それを本格化する基礎をきずいた。

 手工業の社会主義的改造は、技術的におくれた零細な朝鮮の手工業を急速に発展させ、手工業者の生活を改善するうえで解決すべき重要な問題の一つであった。これは、工業の植民地的後進性と跛行性のため、国営工業がこまごまとした商品まで生産するわけにいかなかった当時、日用品にたいする人民の需要をみたすためにも必要であった。

 主席は1947年9月、党中央委員会常務委員会で『生産合作社を組織することについて』と題する演説をおこない、手工業の社会主義的改造方針を示した。

 主席は、手工業を社会主義的に改造するため生産合作社を組織する課題について明らかにした。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「生産合作社は徹底して自発性の原則にもとづいて、まず農村で家内副業にたずさわる人や手工業者で組織すべきであります。そして経験をつみしだい、都市手工業者や小市民の生産合作社も組織すべきです」(『生産合作社を組織することについて』1947年9月1日)

 主席は、生産合作社を業種別に組織し、作業場は具体的な実情と生産者の要求に応じて合理的に定めるが、できれば既存の設備と建物を利用するのが望ましく、条件がととのいしだい共同作業場を設けるべきであり、生産合作社の指導機構は別途につくらず消費組合内におくべきであるとした。

 会議後まず、農村の家内副業者と手工業者で生産合作社が組織された。これは、農村には季節的な遊休労働力が多く、生産合作社の組織を妨げる要因も別になかったうえ、農民自身協同副業生産に容易に応じえた当時の実情にもとづく正しい措置であった。

 農村の生産合作社は、生産を急速に高め、合作社を組織的、経済的に強化し、中間搾取をなくす目的で生産を計画化し、収入の増大をはかり、製品を消費組合商店を通じて直接消費者に販売した。

 主席は、農村の合作社が増え、その優位性が発揮されるにつれて、都市手工業者のなかでも自発性の原則に立って生産合作社を組織する措置をとった。この生産合作社は、資金と資材を国家から計画的に融通され、製品は国営商店を通じて販売した。

 1948年6月と12月、党中央委員会常務委員会は、投機分子の潜入を防ぎ、その害毒行為から生産合作社を守るため、生産組織を国家の計画経済に組み入れる対策を講じた。

 都市手工業者の生産合作社は、最初から優位性を発揮しながら健全な土台のうえで発展し、1949年にはかなりの手工業者が協同経営に加わった。

 過渡期の初期に都市と農村で組織された生産合作社は、小生産者の建国熱意を高めその生活の向上に寄与する一方、かれらに社会主義的集団経営の優位性を理解させ、協同経営の運営法を習得させて、手工業の社会主義的改造の全面的推進に有利な条件をつくった。

 主席は、漁民の協同経営づくりにも力を入れた。

 主席は1947年9月、各道人民委員会の農林部長をあつめて、零細漁民の生活改善と水産業の振興のため水産合作社を組織する方針と具体的な方途を示した。特に翌年7月の党中央委員会常務委員会では、水産部門で資本主義的搾取関係が復活していることを批判し、水産合作社を広く組織する対策を講じた。

 主席は、人民政権機関が北朝鮮水城の水揚げの多い漁場を水産合作社に配分し、漁具や資材など漁労条件を保障するとともに、合作社の水産物を適時に売りさばけるよう援助した。

 こうして、各漁村に水産合作社が広く組織され、その水揚げ量は全国水揚げ総額の19.7%を占めた。これは、朝鮮での水産協同組合のスタートを意味し、戦後水産部門の協同化を本格的に進める基礎がためとなった。

 主席は、生産合作社と水産合作社の指導体系の改編に深い関心を払った。両合作社の急激な拡大にともなって1950年3月、消費組合中央委員会からその指導機能を分離して独自の指導体系を立て、それぞれの経済的基盤の強化と管理運営の改善をはかった。

 主席はまた、農業の社会主義的改造の準備に力を傾けた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「過渡期初期に我々は、土地改革の成果をかため、その生命力を発揮させることに主力を注ぎながら、将来、農業を社会主義的に改造する準備活動を進めました」(『我が国における農村問題解決の経験について』1978年7月28日)

 過渡期の初期、朝鮮ではまだ農業の社会主義的改造が機の熟した問題として前面に提起されていなかった。

 解放後の土地改革によって土地の主人となった農民は、愛国的熱意と生産意欲が非常に高く、土地にたいする愛着心も極めて強かった。こうした状況のもとで個人農経営の協同化を強行しても農民の支持が得られず、かれらの生産意欲をそぎ、農業生産に支障を来すことは明らかであった。

 しかし、個人農経営を放置しておいては、農業生産を急速に発展させることができず、社会主義制度の確立も不可能であった。

 主席はこうした理由から、過渡期初期には農業の社会主義的改造を前面に提起せず、個人農経営を通じて農業を発展させる一方、農民の協同化への志向と要求を高め、その条件をととのえることに重点をおいた。

 農業協同化に有利な条件をつくるためにはまず、富農経営の発展を抑制する政策がとられた。朝鮮では土地改革の徹底した遂行によって富農経営は大きな打撃をこうむったが、富農は依然として雇農の採用、役畜と農機具の貸与、高利貸しなどを通じて勤労農民を搾取していた。これを放置するならば農村で資本主義的要素が成長し、将来、農業の社会主義的改造の遂行を妨げる恐れがあった。

 主席は、人民政権の法令と決定をもって、農村での労働力の常時雇用を禁止する措置をとった。これによって、富農経営は過渡期初期にその発展を抑えられ、富農も自力で農業を営まなければならなくなった。

 主席はまた、分散した個人農経営にたいする集団経営の優位性を実生活を通じて農民に認識させることに努めた。

 まず貧農を高利貸し的な搾取から保護し、営農資金の融資をはかるため、民主主義革命期に設置された農民銀行を強化する措置をとった。農民銀行は、農民の出資金と農村住民の預金、国家の貸し付け金をもって営農資金や、生計費、農業開発資金を融資し、農業の発展と農民生活の向上を財政的に保障する協同的な信用機関であった。農民は、農民銀行を通じた相互協力によって、営農や生活上必要な資金を容易に解決し、協同経営の優位性を理解するようになった。

 主席は、農民銀行とならんで消費組合の活動も強化した。消費組合は、商品の供給と買い付けを通じて都市と農村の経済的つながりを強め、悪徳商人の中間搾取を防ぎ、農民の生活を向上させる目的で、農民自身が共同出資して組織した流通分野の協同経営であった。国家は、消費組合に営業資金の30%にあたる財政的援助を与え、農民の日常生活に必要な各種の工業商品を消費組合商店に適時に供給する一方、かれらが生産した農産物と副業生産物を適時に買い付けて都市の住民に販売し、その収益金を出資額に応じて組合員に均等に分配するようはかった。

 主席は、農業生産分野でも農民に集団経営の優位性を正しく認識させることに、深い注意を払った。

 このために、解放後創設された国営農牧場を強化し農業全般の発展で先駆者的役割を果たさせることによって、農民に社会主義的集団経営の優位性を示し、かれらが協同化を要求するよう導いた。同時に、朝鮮の農村に古くから伝わる役畜共同利用、労力互助など協同的労働形態を極力奨励して、互いに助け導き合う生活気風と共同労働に農民をなじませた。

 主席は、農業の社会主義的改造をはかる物質的・技術的条件づくりにも努めた。

 農村に不足する役畜問題を解決するため、1949年7月から全国各地に牛馬賃耕所が設けられ、翌年2月には平安北道の竜川(リョンチョン)、定州の両郡、乎安南道安州(アンジュ)郡、咸鏡南道咸州(ハムジュ)郡、黄海道載寧(チェリョン)郡に農業機械賃耕所が発足し、多くのトラクターが供給された。また、各種改良農機具の増産、平南(ピョンナム)灌漑をはじめ、水利施設の大々的な新設・拡張、化学肥料の大量供給によって農村の物質的・技術的基盤が強化された。

 主席は、資本主義的商工業を社会主義的に改造する準備活動にも力を入れた。

 社会主義への過渡期初期の経済状態を全面的に分析した主席は、資本主義的商工業の肯定的な側面を利用し、否定的な側面は厳しく制限する措置を講じた。

 資本主義的商工業者の技術や経験、資金を利用しながらも、その業種を日用品生産と商品流通に局限し、累進所得税制を実施して個人資本の成長を抑えた。そして投機、暴利、脱税などを法律で取り締まり、生産と流通分野の違法行為を広く暴露して社会的に規制した。また、個人企業を人民経済の復興発展に役立つ方向で奨励し、資本主義的商工業者にたいする思想教育を強めて、かれらの愛国心を養い、国家と人民の利益のために献身するようにした。

 主席のすぐれた指導によって、朝鮮では過渡期初期に生産関係の社会主義的改造の準備が順調にはかどり、社会主義的改造を全面的に進める基礎がきずかれた。              





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