『金日成主席革命活動史』

第1節 祖国への凱旋と新しい民主朝鮮建設路線の提示。
不朽の労作『解放された祖国での党、国家および武力建設について』


 金日成主席は、抗日革命闘争に勝利し、祖国解放の偉業をなし遂げて祖国に凱旋した。主席の凱旋は、民族史上最大の慶事であり、チュチェ朝鮮の画期をなす歴史的な出来事であった。

 日本帝国主義支配下の暗黒時代に主席を不世出の愛国者、解放の救いの星と、仰ぎ敬慕してやまなかった朝鮮人民は、主席の祖国凱旋を熱烈に歓迎した。

 平壌とソウルをはじめ、全国各地の人民は、金日成将軍歓迎準備委員会を組織して連日多彩な集会を開き、主席との対面を一日千秋の思いで待っていた。しかし主席は、歓迎集会にもあらわれず、20星霜にわたる抗日血戦の日び、片時として忘れることのなかった故郷万景台への訪問も先にのばして、積もる疲労をいやすいとまもなく、朝鮮革命の重大問題の解決に心血を注いだ。

 解放後の内外の情勢は、新しい国づくりにとって有利であった。

 反ファッショ民主陣営が第2次大戦に勝利して、世界の民主勢力はかつてなく強化され、反民主勢力は著しく弱体化した。多くの国が、ファシズムと帝国主義の支配を脱して民主の道を歩み、世界のいたるところで民族解放および階級解放のたたかいが強化され、帝国主義の植民地体制は急速に崩壊しはじめた。

 朝鮮の情勢も革命に有利に展開していた。人民は、全国各地で植民地支配機構をくつがえし、親日派、民族反逆者を一掃して新しい祖国をつくるたたかいに取り組んでいた。人民の愛国的熱意と革命的気勢は高まり、革命勢力は反動勢力を圧倒した。

 しかし、国内の情勢は、一面複雑な様相を呈していた。

 親日派、民族反逆者などの反動勢力は、世界反動の元凶として登場したアメリカ帝国主義の南朝鮮占領に期待をかけて、革命勢力を分裂させ、人民を反動の側に引き入れようと悪らつに策動した。

 また、革命の裏切者やさまざまな政治的ブローカーは、解放直後の混乱した情勢に便乗して「革命家」「愛国者」をよそおい、自己の「主義・主張」を唱えていた。ある者は封建専制制度の復活を主張し、ある者は「民権」「民主」を唱えてブルジョア共和国を樹立すべきだと言った。また、ある者は社会主義革命の即時遂行を主張した。混乱した情勢に迷わされていた人民は、解放された朝鮮の正しい進路が示されることを切望していた。

 主席はこうした情勢と革命の要請にこたえて、1945年8月20日、軍事・政治幹部の前で『解放された祖国での党、国家および武力建設について』と題する歴史的な演説をおこない、新しい民主朝鮮の建設路線を明らかにした。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「祖国解放の歴史的大業がなし遂げられたいま、我々には新しい闘争課題が提起されています。我々は、勝利の成果にもとづいて朝鮮革命をひきつづき前進させ、朝鮮人民自身の手で豊かで強力な自主独立国家を建設しなければなりません」(『解放された祖国での、党、国家および武力建設について』1945年8月20日)

 主席の示した民主朝鮮建設路線は、朝鮮人民の力で自由で富強な民主主義自主独立国家を建設することであった。

 日本帝国主義と手先の厳しい弾圧と搾取のもとで、いっさいの自由と権利を奪われ、長年極度の生活苦にさいなまれてきた朝鮮人民は、自由で富強な社会で暮らしたいと願っていた。資本主義の正常な発達をへていない植民地半封建社会であった朝鮮は、解放後も半封建社会のままとり残されていた。しかし、解放後、資本主義社会へ進むことは、既に時代遅れであり、また、その社会を飛びこえて直ちに社会主義を建設するわけにもいかなかった。

 解放後、人民の前には、日本帝国主義と封建主義の残りかすを一掃する反帝反封建民主主義革命を完成して人民民主主義制度を立て、富強な民主主義自主独立国家を建設することが当面の目標として提起された。

 主席の示した民主朝鮮建設路線は、朝鮮人民の志向と念願、朝鮮革命の要請と国の現実を正しく反映した最も人民的で革命的かつ主体的な建国路線であった。

 主席は演説で、この路線の貫徹で提起される当面の3大課題を示した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「我々は、抗日武装闘争の過程できずきあげた貴い革命業績と豊富な闘争経験にもとづいて、建党、建国、建軍の事業を力強くおし進めて、新しい朝鮮建設の歴史的任務を必ず輝かしく遂行しなければなりません」(同上)

 主席は、民主朝鮮を建設するためには、まず、革命の参謀部であり労働者階級の前衛である党を創立しなければならないと指摘した。労働者階級の革命的党を創立してはじめて、勤労大衆をはじめ、各階層の民主勢力を広く革命の側に結集して人民政権と人民武力を建設することが可能であった。

 主席は、革命的な党を建設する原則的な問題を明らかにした。すなわち、朝鮮革命を勝利に導くためには、抗日革命闘争で鍛えられた共産主義者を中核として統一的な労働者階級の党を創立すべきであり、それは少数の共産主義者の組織ではなく、労働者、農民をはじめ、広範な勤労大衆のなかに根をおろした大衆的な党となるべきである。そして、労働者階級の党組織原則にもとづいて思想、意志および行動の統一を保ち、全党員を労働者階級の革命思想で武装し、自覚的な規律を確立し民主集中制の原則を堅持することである。さらに、党の基本的中核である党幹部を政治的、思想的に鍛え、大衆団体を結成して広範な大衆を党のまわりに結集しなければならない。

 主席は次に、人民政権をうち立てるべきであると指摘した。

 革命の基本問題である権力問題を解決してはじめて広範な人民大衆は国の主人となり、富強な自主独立国家を建設することができるのであった。主席は、朝鮮革命の性格と任務にてらして全朝鮮人民の利益を代表する民主主義人民共和国を樹立すべきであるとし、それは朝鮮人民自身の手により、そして、労働者階級の指導する民主主義民族統一戦線を基盤にして立てるべきであると指摘した。そして、反帝反封建民主主義革命段階における人民政権の課題と行動綱領を明らかにした。

 主席はまた、正規の革命武力を建設すべきであると指摘した。

 強力な革命的正規武力の建設は、国と人民と革命の獲得物を守り、自主独立国家を建設するための不可欠の条件であった。特に、世界反動の元凶アメリカ帝国主義侵略軍に南朝鮮が占領される複雑な情勢のもとで、これは焦眉の急務であった。それゆえ主席は、抗日革命闘士を根幹にし労働者、農民など勤労人民の子弟を広く入隊させて、朝鮮人民革命軍を正規軍に発展させるべきであると強調した。

 この歴史的な演説は、共産主義者と人民が解放後の変化した情勢のもとで新しい国づくりを進め、チュチェの革命偉業を促進する道を示した綱領的な文書であった。

 他方、建党、建国、建軍の事業をおし進めるためには、どのような民主主義の道を進むべきかが明らかにされなければならなかった。主席は1945年10月3日、平壌労農政治学校で『進歩的民主主義について』と題する講義をおこない、朝鮮の進むべき民主主義について明確に規定した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「朝鮮の進むべき道は、真の民主主義である進歩的民主主義の道であります。この道こそが、朝鮮人民に自由と権利を与え、幸せな生活をもたらし、祖国の完全な自主独立を保障することができます」(『進歩的民主主義について』1945年10月3日)

 主席は、進歩的民主主義は欧米資本主義諸国の「民主主義」とは根本的に異なり、また、社会主義国家の民主主義を真似たものでもなく、反帝反封建民主主義革命段階の朝鮮の現実にかなった新しい型の民主主義であるとし、進歩的民主主義の特徴を明らかにした。

 第1に、進歩的民主主義は、自主を特徴としている。自主は、民族独立の不可欠の条件であり、人民大衆が国の主人となる前提であるだけに、自主の原則を具現した民主主義のみが真の民主主義となる。主席は、進歩的民主主義は他国への依存と従属に反対し、建国事業のすべての問題をみずからの判断とみずからの力で解決する自主的な立場と創造的な態度をとることを要求していると指摘した。

 第2に、進歩的民主主義は、連合を特徴としている。進歩的民主主義は、全民族の利益と人民大衆の要求を反映しているために、統一戦線的連合を特徴とし、広範な人民大衆に奉仕する民主主義である。主席は、進歩的屈主主義は特定の階級、政党、団体、宗教のためのものではなく、広範な人民大衆のための民主主義であり、したがって、反帝的で愛国的なすべての階級、政党、団体が参加する民族統一戦線の結成と、各階層の広範な愛国的人民の連合が必要であると指摘した。

 第3に、進歩的民主主義は、自由、富強、革命、平和を特徴としている。

 主席は、新しい民主朝鮮は、以上のような諸特徴をもつ真の民主主義にもとづいた、史上最初の新しい社会、新しい国家となるべきであると指摘した。

 主席は、民主朝鮮建設のたたかいを強力に指導した。建党、建国、建軍事業のため多くの抗日闘士が政治工作員として各地に派遣され、全人民が自覚的に新しい国づくりに立ちあがるようにした。各地方で党組織を結成し、党の中核分子を育成することによって党創立の準備に拍車がかけられ、地方政権機関を組織し、広範な大衆を結集することに力が入れられた。また、破壊された産業を復興し、人民生活の安定をはかり、新しい秩序を確立する努力もなされた。主席は特に、アメリカ帝国主義の南朝鮮占領にともなう不測の事態に備えて、各地の山間部に有事のさいの戦闘拠点をきずく措置を講じた。

 主席は、各地に派遣した政治工作員の活動全般を掌握して指導するかたわら、地方の党、政権機関および大衆団体の幹部や各階層の代表、民主人士たちと会って、新しい国づくりと党、政権、大衆団体の建設で提起される課題とその遂行方途を示し、建国事業にともなう緊急な問題の解決にあたった。

 一方、各地の工場や企業所、農村、学校などを訪れて人民を新しい国づくりに呼び起こした。

 1945年9月、東平壌のある電気部門の企業所を訪ねて全国の電気工業の復興発展対策を立て、ついで平壌穀物加工工場に出向いて自力で工場を復旧するよう措置を講じた主席は、党の創立を翌日にひかえた10月9日、20年ぶりの懐かしい故郷万景台にも立ちよらず、まっすぐ降仙(カンソン)製鋼所を訪ね、自力で大鉄鋼工場を再建する雄大な展望を示し、労働者の生活に配慮をめぐらした。解放直後、主席が歩んだ現地指導の道のりは、人民を新しい国づくりに呼び起こした不滅の足跡でいろどられており、世紀の立ち後れを短時日で克服し先進的な朝鮮をきずいた現地指導の新しい歴史は、実にこのときからはじまったのである。

 主席の正確な指導と不眠不休の活動によって、解放直後の困難な情勢はいちはやく収拾され、国づくりに立ちあがった人民の前途には明るい展望が開かれた。各地に地方の党組織と政権機関、大衆団体がつくられ、各階層の人民は主席のまわりに団結し、その建国路線に従って新しい生活をきずいていった。





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