『金日成主席革命活動史』

第4節 党組織の建設と大衆組織の拡大


 豆満江沿岸一帯に遊撃根拠地が創設され、抗日武装闘争が急速に拡大していた当時の新たな情勢は、党組織と大衆組織の拡大を強く求めた。

 主席は革命の要請にこたえ、朝鮮革命の主体的な力量をととのえるために党組織および大衆組織の拡大に大きな努力を払った。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「我々に提起されている重大な課題を成功裏に遂行するためには、各地域に党の基礎組織をつくり、共青組織の活動を強化しなければなりません」(『日本帝国主義に反対する武装闘争を組織し展開することについて』1931年12月16日)

 主席は、党組織の拡大と党創立の準備に心を砕き、まず基礎党組織を拡大し、その組織指導体系を確立することに力を傾けた。そうしてこそ、先進的な労働者、農民を入党させて党創立の組織的中核を育成し、共産主義者の思想・意志と行動の統一を達成し、党を強固な基盤のうえに創立することができるのであった。基礎党組織を拡大し、その戦闘的機能と役割を高めることは、武装闘争を主流とする朝鮮革命全般にたいする主席の指導を確保するうえでも、緊切な問題であった。

 まず抗日遊撃隊内に各級党組織が設けられ、統一的な党組織指導体系がうち立てられた。小隊には党分組が、中隊には党細胞がおかれ、遊撃部隊の急速な拡大にともなって部隊党委員会が組織された。

 また、村落単位に細胞と党分組ができ、革命組織区には区党委員会が設けられた。敵の支配区域の党活動を指導する党組織は別途に設置されて、区党委員会、特別細胞、分組の組織と指導にあたり、その成果を広げていった。

 主席は、党組織の拡大および組織指導体系の確立に努めるかたわら、党組織の役割を高めるために、汪清県第一区党委員会をはじめ、多くの党組織を訪ねて、党活動上の原則を示し、細心の指導をおこなった。

 主席はまた、党創立の組織的中核の育成に心血を注ぎ、労働者、農民のすぐれた子弟を抗日遊撃隊に入隊させ武装闘争のなかで新しい型の共産主義者に育成するとともに、遊撃区および敵区の共青その他の革命組織で鍛えられた多くの青壮年を入党させて、共産主義者の隊列を拡大していった。

 主席はさらに、主体的な革命路線と戦略・戦術、革命的世界観で遊撃隊と党、革命組織のメンバーを武装させるため腰営口、火焼堡、熊芝営などの各地に講習所を設けて、正規の教育をほどこし、自身も重要な政治・理論問題の講義をおこなった。

 また、遊撃隊の中隊党細胞や遊撃区の基礎党組織を訪ねて、党生活の強化対策を講じるなど、各党組織が革命的な組織生活準則にもとづいて党員の党生活を指導するようにした。

 こうして、チュチェ思想を身につけた多くの新しい型の共産主義革命家が成長し、党創立の組織的中核が育成されていった。

 主席は、党創立の準備に不可欠な革命隊列の統一団結と純潔性を守るために、分派・事大主義者とたたかった。

 当時、遊撃区の党および革命組織には分派・事大主義者がいて、主体的革命路線の貫徹を妨げ、革命隊列の統一と団結を大きくむしばんでいた実状から、セクト主義を一掃することは革命隊列の統一団結を強化し、党創立の準備を促すとともに、反日民族解放闘争を発展させる前提であった。

 主席は、遊撃隊員や革命組織のメンバーに反分派闘争の必要性と方法を教え、たたかいに立ちあがらせた。特に1933年4月、コミンテルン派遣員との談話で、分派分子と排外主義者が及ぼした弊害の重大性を指摘し、セクト主義の一掃、革命隊列の純潔性と統一団結の確立、排外主義の排撃、朝鮮革命の自主的立場の堅持など原則的な立場を明らかにした。

 主席は、共産主義者ばかりでなく広く革命的大衆にもセクト主義の本質と弊害を理解させ、反分派闘争を強化するために、同年5月10日『セクト主義を一掃し、革命隊列の統一と団結を強化しよう』という論文を発表した。

 主席はまず、セクト主義の思想的根源とその悪弊を指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「セクト主義は、ブルジョアまたは小ブルジョア思想、特に、個人英雄主義、出世主義思想の所産であり、労働者階級の革命思想とはなんのゆかりもないものである」(『セクト主義を一掃し、革命隊列の統一と団結を強化しよう』1933年5月10日)

 主席は、朝鮮の共産主義運動にセクト主義が発生した主な原因を分析したのち、分派分子の最大の罪悪行為は、個人の名誉と政治的野望のために朝鮮共産党を破壊し、無謀な大衆闘争を組織して莫大な犠牲と民族的反目をまねき、革命隊列の統一と団結にひびを入れ、革命の前進を阻んでいることである、そして、かれらの常套手段は極左的な言動をもって熱烈な革命家をよそおい、欺瞞と懐柔、権謀術数によって人々を無原則に抱きこみ、表裏不一致、面従腹背の方法で革命を破壊することであると指摘している。

 金日成主席は、セクト主義を一掃する課題について次のように述べている。

 「我々は革命隊列から分派分子を追放し、セクト主義を一掃するために積極的にたたかうべきである」(同上)

 主席は、反分派闘争の成功を期するためには、すべての遊撃隊員と共青員、革命組織のメンバーが革命的世界観を確立し、広範な大衆を反分派闘争に奮起させ、この闘争を革命隊列を強化する活動と結びつけてくりひろげるとともに左右の偏向をいましめ、革命の利益に即して原則的におこなうべきである、また、セクト主義を一掃するたたかいは、短時日に終えることのできない複雑で深刻なものであるだけに、ねばりづよくたたかうことが必要であると指摘した。

 主席が示した反分派闘争の原則と方法は、セクト主義の一掃によって革命隊列の統一と団結を強化し、党創立の組織的・思想的準備を促すうえで共産主義者が守るべき指導指針であった。

 主席の指導のもとに、各党組織と革命組織は、思想教育活動を強化して、セクト主義の本質と弊害、分派分子の手口を党員に明確に認識させ、他方、すぐれた軍事・政治幹部と青年共産主義者を各遊撃区に派遣して、強力な反分派闘争を展開した。

 党員と革命的大衆から排撃されると、分派分子は、ますます事大主義に走り、外部の力に頼って政治的野望を遂げようと、悪辣に立ち回った。

 こうした状況にてらして、主席は反分派闘争を事大主義に反対し主体的革命路線を守るたたかいと密接に結びつけて進めた。

 反分派闘争が強まるにつれて分派分子は孤立を深め、主席を中心とする共産主義者の思想・意志的、組織的な統一は確固不動のものとなった.

 主席は、大衆組織の拡大・強化にも深い関心を払った。それは、党創立の大衆的基盤をきずき、労働者、農民をはじめ、各階層の広範な大衆を反日闘争に決起させるうえで極めて大きな意義があった。

 多くの政治工作員が各地に派遣されて、共青や労働組合、農民協会、婦女会、児童団の結成を指導し、また反帝同盟、反日会のような統一戦線的大衆組織もつくって日本帝国主義に反対するすべての人々を組織化していった。主席はまた、毎日のように各地を回って、汪清県第2区婦女会をはじめ、大汪清、小汪清、泗水坪一帯の大衆組織を指導した。

 一方、主席は人民の覚醒を促すために、『闘争』『戦闘報』『民衆報』『反帝戦線』『大衆新聞』『農民闘争』『青年闘争』など新聞や雑誌、各階層大衆の特質と知識程度に合った各種の革命的出版物の刊行を指導し、また思想・芸術性に富む多くの戦闘的な文芸作品を創作して、広く演芸宣伝活動に利用した。これは、人々の階級意識と革命的熱意を高め、反日闘争に立ちあがらせるうえに大きく役立った。

 主席のたゆみない指導によって、遊撃区と半遊撃区はもとより敵の支配区域でも多くの合法および非合法大衆組織が結成され、広範な人民が反日闘争に参加した。

 主席は、党組織と大衆組織の拡大に力を入れる一方、大衆指導活動の改善に深い注意を払った。

 主席は1933年3月27日、汪清で開かれた共青活動家会議で『共青活動を改善するためのいくつかの課題について』という歴史的な演説をおこなった。

 主席はまず、共青組織を拡大する課題を示し、過度の要求条件をかかげて訓練された青年を共青に加盟させない極左関門主義的傾向と、人物評価の不確実な青年や鍛練不足の青年を無原則に加盟させようとする右寄りの偏向をともに排撃し、革命性と組織性、団結力の強い青年労働者と農村青年、先進的な青年学生を加盟させ、不純分子と偶然分子の潜入を防がなければならないと強調した。

 主席は次に、各級共青組織は、青年にたいする愛国主義教育、革命的楽天主義教育、中国青年との戦闘的団結のための思想教育を、抗日武装闘争方針の貫徹と結びつけ、青年の特質と水準に合わせて多様な形式と方法で進めるべきであると指摘した。

 そして第3に、児童団と少年先鋒隊の活動を責任をもって指導し、子供たちを共青と党の頼もしい後続部隊に、朝鮮革命の継承者に育成することが重要であると強調した。

 主席は第4に、共青活動家の第一義的を課題は正しい大衆観点を確立することであるとし、すべての活動家が兄弟のような気持で真の革命的同志として青年たちに接し、かれらを信頼しその力と知恵に依拠して活動する革命的大衆観点に立つべきであり、革命的活動方法を所有すべきであると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「共青活動家は、革命的大衆観点に立つと同時に、革命的活動方法を身につけなければなりません。革命的活動方法は、広範な大衆の力に依拠する活動方法であります」(『共青活動を改善するためのいくつかの課題について』1933年3月27日)

 主席は、共産主義者の固有な活動方法は説得と教育である、元来、革命は自覚し意識化された人々の闘争によってのみ勝利することができる、青年を覚醒させ意識化する活動は強要や号令では絶対に不可能であると述べ、したがって共青活動家は、広範な大衆のなかに入って寝食をともにしながら問題を解説し、課題の遂行方途を教え、大衆自身がその課題の遂行に自覚的に取り組むようにしなければならないと強調した。

 金日成主席はさらに、共青活動家は正しい活動態度を身につけるべきであると、次のように述べている。

 「共産主義者の活動態度は、常に大衆を愛し尊敬し、かれらの利益のために身をささげてたたかい、大衆と生死苦楽をともにすることであります」(同上)

 主席は、すべての共青活動家は常に謙虚で素朴でなければならず、大衆から虚心に学び、質素な生活をし、大衆の先頭に立って難関を乗り越え、実践的な模範によって大衆を導かなければならないと指摘した。

 主席の演説は、共青組織はもとより革命組織の政治工作と、活動家の大衆指導方法および活動作風を改善するうえでの指導指針であり、共産主義者の隊列を急速に拡大し主体的な革命勢力を強化するための綱領的文書であった。

 主席は共青幹部会議後、遊撃隊と遊撃区にたいする指導をつづけながら、大衆指導活動の貴重な模範を示し、党組織と革命組織の大衆工作方法を改善していった。

 主席の大衆指導思想と実践的模範は、労働者、農民をはじめ、広範な反日大衆を革命闘争に呼び起こす共産主義者の強力な武器、党創立の大衆的基盤を強化する保障となった。





inserted by FC2 system