対決の場にしたのは南当局
 中央特区開発指導総局備忘録
 −2013年4月16日−


 朝鮮中央通信によると、中央特区開発指導総局は16日、「南朝鮮当局は、開城工業地区を危機に追い込んだ責任を絶対に逃れられない」と題する備忘録を発表した。その全文は次のとおり。


 米国とかいらい一味の反共和国敵対行為と北侵戦争挑発策動によって開城工業地区が同族対決のホットスポットに、危険な戦争発源地に転落したことと関連して、最近、我々は、工業地区の我々の勤労者を撤収させて工業地区事業を暫定的に中断し、存廃を検討することに関する重大措置を講じた。

 これは、挑発者に対する我々の断固たる答えであり、当然の決断である。

 しかし、かいらい一味は、いわゆる「遺憾」だの、「失望」だのと責任を転嫁しようとあらゆる詭弁を並べ立てている。

 中央特区開発指導総局は、全同胞とともに、かいらい一味の破廉恥な策動に怒りを禁じ得ず、開城工業地区が建設されるようになった経緯と工業地区を危機に追い込んだ張本人が誰であるのかを内外に正確に知らせるために備忘録を発表する。




 開城工業地区は、金正日総書記が南朝鮮のある企業家の統一愛国の志を重んじ、崇高な民族愛と同胞愛の見地から大勇断をくだしたことに基づいて、和解と協力、統一の象徴として建設されることになったのである。

 総書記は1999年10月と2000年6月、南朝鮮の現代グループの鄭周永名誉会長と対面し、共和国北半部地域に北と南が協力する経済特区を一つ建設できるようにしてほしいという彼の要請をみずから解決した。

 総書記は、よい意見であるとし、北南双方の武力が鋭く対峙している軍事境界線一帯であるが地理的に南側と隣接した開城がよいと述べ、開城の広い地域を経済特区の敷地としてみずから定め、一度やってみなさいと信頼まで示した。

 総書記の恩情深い配慮に基づいて2000年8月、朝鮮アジア太平洋平和委員会(ア太委)と現代との間で「工業地区の建設、運営に関する合意書」が締結されたし、それに基づいて11月、現代峨山が開城工業地区の第1段階の100万坪の区域の測量および地質調査を行った。

 これとともに2002年8月、第7回北南閣僚級会談で工業地区事業を積極的に推進するための実務接触を行うことで合意し、12月には開城工業地区の第1段階の100万坪の地区を現代と南朝鮮の土地公社が共同開発する「開城工業地区工場区域開発業者指定合意書」が締結された。

 2002年11月には、最高人民会議常任委員会の政令により開城工業地区法が採択されたのに続いて、12月には開城工業地区に対する土地利用証が発給され、「開城工業地区の通信、通関、検疫に関する合意書」が締結された。

 2003年4月、最高人民会議常任委員会の決定により「開城工業地区開発規定」「開城工業地区企業創設および運営規定」など当該の規定が採択され、発効した。

 一方、2003年1月、北南軍事当局間に朝鮮東海・朝鮮西海地区の北南管理区域の臨時道路の通行の問題が妥結され、続いて西海線臨時道路が完工して2月に開城工業地区建設のための南側関係者の現地調査が行われ、6月には全同胞の大きな期待と関心のなかで開城工業地区建設の着工式が盛大に行われた。

 南朝鮮の各階層をはじめ、全同胞と内外世論は、開城工業地区建設について「6.15の申し子」「歴史的出来事」「北南協力と和解、統一の象徴」などと一様にたたえた。

 その後、開城工業地区建設が本格的に推進され、2004年上半期に第1段階100万坪の開発区域内の1万坪のモデル地区の敷地造成工事が始まり、12月、同地区に進出した南朝鮮企業の開城工業地区の最初の製品生産記念式が行われた。

 総書記は、北南経済協力事業で経済的打算を先行させずに、民族の和解と団結、共同繁栄を遂げていかなければならないとし、開城工業地区に南朝鮮の企業家が安心して入って経済活動を行えるようさまざまな特恵措置も次々と講じるようにした。

 特に、2007年10月、歴史的な平壌での対面で、6.15共同宣言の実践綱領である「北南関係発展と平和繁栄のための宣言」をもたらすことで、開城工業地区の第1段階建設を短い期日で完工し、第2段階開発に着手できる大きな道が開かれるようになった。

 総書記は、李明博逆徒が政権の座につき、対決に狂奔して開城工業地区事業に重大な障害をきたしたときにも、和解、協力のための積極的な方案を示すようにし、南側が求める問題を最大限の雅量をもって寛大に解決するようにするなど、工業地区事業が正常化するよう可能なすべての措置を講じた。

 こうして、開城工業地区には123の南朝鮮企業が入り、共同繁栄の機械音を高く響かせるようになった。

 敬愛する金正恩元帥は最近、内外の反統一勢力の対決と戦争策動が絶頂に達した緊迫した情勢のなかでも、開城工業地区に関心を払って工業地区事業が維持され、活性化するよう賢明に導いた。

 まさに開城工業地区は、不世出の偉人たちの崇高な愛国愛族の志と統一意志、細やかな関心なしには、その存在について考えられず、歴史的な北南共同宣言の旗印のもとに我が民族同士の理念、全民族の統一の念願と意志に支えられて名実ともに民族共同の経済特区として定着することができた。




 開城工業地区が破局の運命に瀕するようになったのは、李明博のような南朝鮮のかいらい保守一味のせいである。

 かいらい保守一味は、開城工業地区建設を最初から快く思わず、工業地区事業を破綻させるために悪辣に策動してきた。

 セヌリ党の前身であるハンナラ党の連中は、全民族の関心のなかで北と南が手を取り合って開城工業地区建設のくわ入れを行った途端、「経済特区は、北の核とミサイル開発を助けることになる」だの、「供与になりかねない」だの何のとことごとに足を引っ張った。

 李明博逆徒は、「大統領」の座につくなり「核問題が、解決する前には何もできない」と騒ぎ、10.4宣言を踏みにじることで、宣言に明示された開城工業地区建設に関する条項の履行にもブレーキをかけた。

 これにより、前「政権」が我々と合意した開城工業地区の第1段階建設の完了と第2段階開発への着手の問題は対座することもないまますべて破綻した。

 2008年3月、当時の金夏中統一部長官は、開城工業地区の企業代表との懇談会をはじめ、さまざまな機会に「北の核問題が解決しない限り開城工団事業を継続するのは難しい」「開城工団は、中断しても構わない」「開城工団閉鎖と軍事的衝突など最悪の場合まですべて予見している」と公言し、工業地区事業を破綻させようとする下心を露骨にあらわにした。

 我々の主動的な提案によって2009年4月から10年2月まで開城工業地区実務接触が行われた時も、逆賊一味はこれに仕方なく出て来て開城工業地区の活性化とは何の関係もない我々の人工衛星打ち上げと地下核実験、身辺安全の保証の問題などを持ち出して基本問題の討議を回避することで、6回も空転を繰り返した結果とうとう決裂した。

 その時、我が方は、かいらい一味が反共和国核騒動と「制裁」策動に狂奔するなかでも開城工業地区で新たに操業した企業の滞在人員を増やして工業地区の滞在および通行制限措置を解除するなど誠意ある提案を打ち出したが、南側はソウルの指令を受けて極めて傲慢に振る舞い、席を蹴って会場を去るならず者の行為まで働いた。

 開城工業地区事業を破綻させようとする李明博一味の策動は、2010年3月の天安事件を契機にさらに強化された。

 事件発生直後の4月末、李明博逆徒は商工会議所と経済人連合会をはじめ、経済団体関係者と開城工業地区に進出した中小企業家を集めて対決的な「対北政策」をぶれることなく引き続き追求していくと公言し、「経済人が対北政策に意見を持ち得るが、時がたてば正しいとわかるはず」と言い散らした。

 そして、開城工業地区に入っている企業に、事業を新たに行わずいつでも撤収できる準備を整えるよう秘密指令まで下達した。

 それだけではなく、極めて悪辣な「5.24措置」の発表に続いて開城工業地区に滞在する南側企業の人員を半分に減らすようにし、工業地区に対する新たな投資をすべて中止させたし、設備、資材も搬入できないようにして企業の生産と経営活動に大きな障害をきたした。

 かいらい統一部長官であった玄仁沢をはじめ、対決狂信者は、「供与」だの何のと開城工業地区事業を阻もうと執拗に策動した。

 特に、金寛鎮かいらい国防部長官をはじめ軍部好戦狂は、開城工業地区に滞在している南側人員が今後、軍事作戦を展開する過程で人質となり得るので工業地区を閉鎖しなければならないと騒いだ。

 ハンナラ党一味も、開城地区から自分らの人員を撤収させなければならないと相づちを打ち、保守御用メディアは開城工業地区が南北間の「衝突を抑制した砦」の役割から「人質の事態をまねく危険地域」に変わったとして工業地区の閉鎖を積極的にあおった。

 かいらい一味は2011年1月、朝鮮政府・政党・団体の連合声明に基づいて北南当局会談が速やかに再開し、中断した赤十字会談と金剛山観光再開会談、開城工業地区会談を早期に開催することに関する提案も全面拒否した。

 我々はその時、北南関係改善のための善意の措置として、閉鎖された板門店赤十字連絡通路を再び開いて開城工業地区の北南経済協力協議事務所の凍結措置を解除し、工業地区事業と関連する会談をはじめ、北南会談の議題と日にち、場所などを明らかにしたア太委、赤十字会委員長、名勝地総合開発指導局、中央特区開発指導総局などの通知文を南側の各当該機関に送付した。

 しかし、かいらい一味は、むやみに「誠意がない」だの、「統一戦線戦術」だの何のと核放棄と天安事件、延坪島問題など不当な条件を持ち出して対話の提案をすべて拒否した。

 逆賊一味の意図的な破綻策動によって3段階に分けて全6000余万平方メートルの地域を開発しようとした開城工業地区事業が第2、第3段階はおろか第1段階区域の半分も開発しないまま頓挫した。

 李明博一味はそれでも足りず、工業地区を反共和国謀略と対決の場に悪用した。

 逆賊一味は、機会あるたびに開城工業地区を通じて北を「改革」「開放」へと誘導しなければならないだの、「北の勤労者に市場経済を学ばせる機会を提供しなければならない」だの何のと工業地区を反共和国体制転覆のための足場にする企図を公然とあらわにした。

 そして、人間のくずを駆り出して開城工業地区の近くで我々の最高の尊厳を中傷、冒涜するビラ散布劇を演出する一方、いわゆる電飾塔を点灯するだの何のと反共和国心理・謀略戦に熱を上げた。

 さらには2009年、開城工業地区に入って我々の体制を誹誘中傷し、不純な挑発行為を働いて摘発されたユ・ソンジン事件が示すように、南側企業家と労働者のなかに謀略家、偵察者を潜り込ませて工業地区内で我々の体制を害する陰険な謀略策動も絶え間なく行った。

 これは、李明博逆賊一味が、開城工業地区を壊すためにどれほどあがいたのかをそのまま示している。




 開城工業地区事業は、李明博「政権」の極悪な対決政策をそのまま引き継いだ現保守「政権」によってさらに危機に直面することになった。

 現「政権」は発足するなり、我々の平和的な人工衛星打ち上げと自衛的核実験を口実に反共和国「制裁」策動に狂奔し、その間、辛うじて行われてきた北南の民間団体の協力事業まで完全に遮断した。

 去る2月からは、何とか維持されてきた開城工業地区への物品の搬入を厳しく統制した。

 そして、いわゆる北の「金づる」だの、「飯の種」だのと我々の尊厳を極度に刺激する一方、「開城工業地区が閉鎖すればより大きな被害を受けるのは北」だの、「北は開城工団を絶対に放棄できない」だのと悪態をつくことに熱を上げ、工業地区を反共和国対決の場にしようと狂奔した。

 特に、極悪な軍事ごろつきで好戦狂の金寛鎮は、新「政権」のかいらい国防部長官に留任するなり、米国とともに北侵戦争策動にさらに血眼になって狂奔し、開城工業地区を戦争発源地にしようと悪辣に策動した。

 彼は去る4月初、セヌリ党の北核安保戦略特別委員会で「国民の身辺安全」だの何のとそれにそなえた軍事措置を講じていると公言したのに続いて、「人質救出」作戦を騒いで平和的な経済特区である開城工業地区にかいらい軍はもちろん米軍特殊部隊まで投入する企図を公然とあらわにした。

 これに便乗して南朝鮮保守政治家と専門家、メディアは、「大規模な抑留事態の発生」だの、「人質救出対策」だの何のとし、開城工業地区をさらに険悪な事態へと追い込んだ。

 南朝鮮の出版物は、「開城工団で人質事態が発生した場合にそなえて講じた国防部の秘密計画は、青瓦台に報告されたと伝えられた」「軍は、韓米連合で人質救出訓練も実施した」と明らかにした。

 これは、開城工業地区での軍事作戦計画が、青瓦台の女主人の承認のもとに作られ、米帝侵略軍が、かいらいと結託して「人質救出」作戦と関連した実動訓練まで行ったことを示している。

 これと時を同じくしてかいらい軍部ごろつきは、平壌をはじめ、共和国の各都市に丁重に建てられた我々の最高の尊厳の象徴である領袖永生、領袖称賛の記念碑に対する精密攻撃計画を作成する極めて無礼な挑発で挑戦した。

 その一方で「政権」発足の際、国防部長官に内定していた金秉寛とかいらい国防部報道官らごろつきは、あえて我々の最高の尊厳に対して、「北の政権の消滅」だの、「交代」だの、「崩壊」だのと極悪な妄言までためらわずに吐いた。

 そのうえ、青瓦台の裏部屋の主人まで出てきて、我々の体制と経済、人民の生活を公然とののしり、「変化」を騒いだあげく、「核開発と挑発で得るものはない」だの、「核を放棄しない限り、何も期待できるものはない」だの何のと我々を甚だしく冒涜した。

 このように、類例のない対決狂乱のなかで、開城工業地区がとうてい存在できなくなったことは言うまでもない。

 かいらい一味が口を開けば開城工業地区について北の「金づる」だの何のと我々が大きく得をしてるかのように騒いでいるが、工業地区を通じて莫大な利益を得るのは南側である。

 開城工業地区で働く我々の勤労者の賃金は初歩的な生活費にもならない。

 反面、開城工業地区で南朝鮮企業が得る利益は計り知れない。

 開城工業地区では、土地の賃貸料と使用料、各種の税金は、ほとんどただも同然である。

 かいらい当局の公表に基づいても、開城工業地区が閉鎖される場合に南側がここで被ることになる一日の被害額だけでも128万ドルに達し、これと関連する企業が被る被害額は60億ドルに及ぶという。

 特に、開城工業地区の軍事的、安保上の価値は、金ですべて計算することすらできない。

 この世界に我々の開城工業地区のように軍事的に最もデリケートな要衝を丸ごと提供した事例はどこにもない。

 これだけを見ても、我々が開城工業地区のためにどれほど大きな譲歩をしたし、南側がどれほど大きな得を得ているかがよくわかる。

 にもかかわらず、かいらい一味が我々に対して悪態をついて尊厳まで中傷しているのは、恩をあだで返す野蛮行為にほかならない。

 諸般の事実は、開城工業地区をこんにちの破滅の危機に追い込んだ張本人がほかでもないかいらい保守一味であることをはっきりと示している。

 かいらい一味が、我々の善意と雅量、同胞愛を愚弄して冒涜し、6.15の象徴として唯一残っている開城工業地区を同族対決のホットスポット、北侵戦争の発源地にしようとあらゆる策動を尽くしている状況で、我々が重大措置を宣布したのはあまりに当然である。

 いま、かいらい保守一味が「開城工団の正常化」だの、「対話」だの何のと騒いでいるのは、実際に南朝鮮の中小企業を思った何らかの局面転換のためではなく、開城工業地区を危機に追い込んだ責任を回避して自分らの対決と戦争策動を正当化しようとする狡猾な術策以外の何物でもない。

 外部勢力とともに反共和国「制裁」策動にあくどくしがみついて最新戦争装備を大々的に引き入れ、北侵戦争演習に狂奔して「対話」だの何のと言うことこそ相手に対する愚弄であり、破廉恥の極みである。

 かいらい一味は、開城工業地区をこんにちの重大な事態に陥れた犯罪の責任を絶対に逃れられない。

 万一、南朝鮮当局が我々の重大措置に対して引き続きどうのこうのと責任を転嫁しようとするなら、事態はさらに悪化し、取り返しのつかない域に至るであろう。

 かいらい一味は、無謀な反共和国敵対行為と北侵戦争策動で得るものは恥ずべき終末しかないことを銘記しなければならない。【朝鮮通信=東京】




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