朝鮮の奇跡と金日成主席
−2013年4月15日− 


 4月15日は、朝鮮民主主義人民共和国の永遠なる主席である偉大な金日成(キムイルソン)同志の誕生日である。

 朝鮮人民はこの日を意義深い太陽節として毎年盛大に記念し、社会主義朝鮮の貴重かつ崇高な、神聖かつ栄誉あるすべての最高体現者である主席の革命業績を感慨深く振り返っている。


祖国と民族の旗印―チュチェ思想

 金日成主席は、自分の運命の主人は自分自身であり、自分の運命を切り開く力も自分自身にあるという新しい指導思想―チュチェ思想の創始者である。

 主席は回顧録「世紀とともに」でこう述懐している。

 「私は我が国の民族主義運動と初期共産主義運動のこうした実態を分析し、革命をそのようなやり方で進めてはならないと痛感した。
 こうして私は、自国の革命はみずからが責任をもち自国人民の力に依拠して遂行してこそ勝利することができ、革命で提起されるすべての問題を自主的に、創造的に解決していかなければならないという信念を抱くようになった。これがいまいっているチュチェ思想の出発点となったのである」

 主席は、1930年卡倫で開かれた共青および反帝青年同盟指導幹部会議でチュチェ思想の原理をせん明した。主席はその後、革命闘争と建設事業を指導しながら革命実践が提起する問題に新たな解答を示す過程を通じて、チュチェ思想を絶えず深化、発展させた。

 主席は、革命と建設にチュチェ思想を全面的に具現して朝鮮を自主、自立、自衛の社会主義強国に引き上げた。

 昨年4月、朝鮮ではチュチェ思想世界大会が開かれた。

 この大会で、国際金日成賞理事会書記長であるビシュワナス・チュチェ思想国際研究所理事長は報告で次のように述べている。

 「金日成主席は人類思想史において最も高く輝かしい地位を占める不滅のチュチェ思想を創始し、自主時代を切り開いた天才的な思想家・理論家、偉大な領袖であります。
 主席を迎えたがゆえに人民大衆は、帝国主義、殖民地主義に反対し自由と解放を最終的に実現していく歴史の新時代を迎えました。 ……
 チュチェ思想は金日成主席と金正日(キムジョンイル)総書記の尊名とともに今日も明日も燦たる光を放ち、世界を差し照らすでありましょう」


2回にわたる革命戦争における偉大な勝利

 朝鮮の現代史は、朝鮮人民が世界の強敵を向こうに回して戦いその運命を開拓し民族の尊厳と栄誉を輝かせた歴史であった。

 朝鮮人民が初めて繰り広げた革命戦争は抗日革命戦争であった。

 1905年、日本帝国主義は全アジアを制覇する野望を抱いて朝鮮を軍事占領した。当時、日本帝国主義は、最新型軍事機材、軍事技術で爪先まで武装していた。

 金日成主席は、たとえ小さい国であっても自分の力を信じて断固と戦うならば、いかに強大な帝国主義侵略者をもゆうに打ち破ることができるという確固たる主体的立場から出発して抗日武装闘争路線を打ち出し、その実現のための闘争を正しく組織、指導した。

 主席は1932年4月25日、初のチュチェ型の革命的武装力である反日人民遊撃隊を創建し、抗日大戦を宣布した。

 日本帝国主義は、朝鮮人民の革命兵力を「蒼海の一粟」と嘲笑した。

 しかし、金日成主席は、日本帝国主義の軍事的・技術的優勢を政治的・思想的優越性と戦略的・戦術的優勢をもって圧倒すべきであるとし、朝鮮人民革命軍を強化する一方、広範な人民大衆を反日闘争に積極的に立ち上がらせた。こうして、国家的後方も正規軍の支援もない遊撃戦争で日本帝国主義侵略者たちを打ち破り、帝国主義の植民地体制には初の突破口が開かれた。

 朝鮮人民が2度目に対抗した敵は、世界の「最強」を誇るアメリカ帝国主義であった。

 久しい前から全朝鮮を占領し、アジアへ侵略戦争を拡大して全世界を制覇しようとする野望を抱いていたアメリカ帝国主義は1950年6月25日、共和国北半部にたいする不意武力侵攻を強行した。

 当時、朝鮮は解放されて5年、共和国が創建されて2年しかならず、経済力も幼弱だった。

 しかし、朝鮮人民は朝鮮人民軍最高司令官である金日成同志の賢明な指導のもとに、勝利は時間の問題であると豪語していたアメリカ帝国主義の傲慢な鼻柱をへし折り3年間に渡る祖国解放戦争を勝利のうちに締めくくった。

 当時、ポーランド作家マリアンベリツキはこう書いている。

 「朝鮮人民が英雄的な祖国解放戦争を繰り広げていたそのころ、私は従軍作家として燃える朝鮮を謳歌し、愛する祖国を守るために頑強、かつ英雄的に戦っている勇敢な朝鮮人民を屈服させる力はないということを歌った。 ……
 私は朝鮮人民軍戦士と軍官たちと多くの時間を過ごした。
 銃弾が発射され砲弾が炸裂する塹壕で勇敢に戦う彼らの姿を目の当たりにし、『祖国のために!』『金日成将軍のために!』と叫びながら敵陣へ突撃する姿を見た。私は英雄朝鮮を見た」


富強な自主独立国家の建設

 1945年10月、日本帝国主義の軍事占領から解放された祖国で平壌(ピョンヤン)市民と初めて対面した金日成主席は、朝鮮民族が民主の新しい朝鮮を建設するために力を合わせる時はきたとし、力のある人は力で、知識のある人は知識で、金のある人は金で民主主義自主独立国家を建設しようと呼びかけた。全国の人民が主席の民主朝鮮建設の構想を支持して立ち上がった。

 朝鮮で創造と建設の新しい歴史が創造されはじめた。

 日本帝国主義がおよそ10年が過ぎてもその一部しか完成できなかった普通江(ポトンガン)改修工事をわずか55日間で完成するという奇跡を生み出したことをはじめ、日本帝国主義植民地支配の後遺症である経済の植民地的跛行性が一掃され、工業と農業における技術的改造が行われて高い生産成長のテンポが保障され、自立的民族経済の土台を築くための活動が力強く展開された。

 主席の指導のもとに行われた戦後の復興建設は、朝鮮人民がその気概をいま一度示し、新しい奇跡をうみ出した闘争であった。

 戦争の全期間、アメリカ帝国主義の野獣じみた蛮行によって、工場、企業、農村が無残に破壊され、都市と村落は廃墟と化した。レンガ一枚として使い物にならず、街路樹もろくなものがなかった。アメリカ帝国主義は、今後朝鮮は100年が経っても立ち直れないと公言した。

 金日成主席は、党があり主権があり、人民があり領土がある限り、いかなる困難な状況のもとでも立ち直ることができるという確信をもって復興建設の正しい道を指し示し、廃墟となった工場や企業、農村を訪ねて人民を英雄的闘争へと呼び起こした。驚くべき奇跡が起こった。当時、降仙(カンソン)製鋼所の労働者たちは、わずか40日間で溶鉱炉を復旧し初の溶銑をとり、黄海(ファンヘ)製鉄連合企業所の労働者たちは、破壊された平炉位置に2倍もある平炉を10カ月間で復旧し初の溶銑をとった。

 朝鮮人民は主席のまわりに一心同体となって団結し、空想を現実化する奇跡を相次いでうみ出した。

 チョンリマ大進軍を力強く推し進めることにより、わずか35日間に自力でトラクターを造り、40日間で初のトラックを製作し、また、1年の間に国家計画外の1万3000台の工作機械が増産された。そして、14分間に1世帯分の住宅を組み立てる「平壌速度」が創造された。

 朝鮮人民は14年という短期間に社会主義工業化を完成させたのである。


人民大衆中心の社会主義制度

 金日成主席は、抗日武装闘争の時期である1936年に発表した「祖国光復会10大綱領」で、日本帝国主義を打ち破り真の朝鮮人民革命政府を樹立するという問題とともに、産業国有化と土地改革、8時間労働制、男女平等権、義務的な無料教育をはじめ、諸般の民主的施策を実施するという問題を規定した。これは、搾取と抑圧のない、誰もが同等の権利をもつ人民の主人となった社会主義社会を建設しようという主席の遠大な構想の発現であった。

 主席は解放された祖国の地にその構想を一つ一つ実現した。代々譲り受けてきた封建的土地所有関係を一掃する土地改革が1カ月もならないうちに成功裏に遂行され、産業国有化をはじめ、諸般の民主改革を遂行して日本帝国主義の植民地的残滓を清算することにより、短期間内に反帝・反封建民主主義革命を勝利のうちに完遂し社会主義革命遂行のための段階へ移行することができた。

 土地改革をはじめ、民主改革を遂行して民族の自由な発展土台を築いた主席は、反帝・反封建民主主義革命を遂行した後、社会主義革命へ移行するという思想と技術改造に先立ち経営形態を社会主義的に改造すべきであるという路線を打ち出した。その路線にそってわずか4〜5年という短期間内に生産関係の社会主義的改造が実現され、搾取と抑圧の根源が一掃された。

 こうして朝鮮には、社会主義制度が樹立された。

 社会主義制度は、朝鮮人民自身が選択しみずから建設したがゆえに、人民の生活のなかに深く根をおろすようになった。

 主席は、人民を政治、経済、文化生活の主人とならしめ、人民政権、社会主義政権が人民大衆の自主的権利の代表者、創造的能力と活動の組織者、人民生活に責任をもつ戸主、人民の利益の保護者としての使命と任務を果たすようにした。また、社会主義経済を人民大衆が管理、運営するようにし、帝国主義者の封鎖のなかでも社会主義の自立的民族経済を建設して誰もが食・衣・住の心配なく行き届いた生活を営むようにした。主席はまた、人民大衆を精神的・文化的財貨の創造者、享受者にならしめた。自主的、かつ創造的な生活を思う存分享受しようとする人民の宿願をかなえた。

 それゆえ、朝鮮人民は、自分たちの生活に責任をもって見守る人民大衆中心の社会主義制度を生のよりどころとしている。

 朝鮮人民が金日成主席を数千年来初めて迎えた偉大な領袖として高く仰ぎいただいたのは最大の栄光であり幸福であると同時に誇りであった。

 主席は今日も明日もとわに朝鮮人民の心のなかに生きつづける。




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