「国連軍司令部」の解体を要求
 朝鮮民主主義人民共和国外務省備忘録
 −2013年1月14日−


 朝鮮中央通信によると、朝鮮外務省は14日、「『国連軍司令部』を解体するのは、朝鮮半島とアジア太平洋地域の平和と安定を守るための必須の要求」と題する備忘録を発表した。その全文は次のとおり。


 今年は、朝鮮停戦協定締結60周年に当たる年である。

 戦争の砲火がやんで60年になろうとしているが、戦争はいまだに法的に終結していない。平和を保証する制度的装置が構築されないまま、朝鮮半島には、平和でも戦争でもない不安定な停戦状態が持続している。

 米国が、停戦協定を平和協定にかえることに関する我が共和国政府の一貫した立場と努力にあくまでも背を向けて停戦状態を持続させている背後には、「国連軍司令部」なる冷戦の幽霊がいる。

 この幽霊は最近、米国の新国防戦略に基づいて世界最大のホットスポットであるアジア太平洋地域に戦雲を引き寄せる侵略戦争の道具として復活しようとしている。

 朝鮮外務省は、米国のこのような動きがまねく極めて重大な危険性について国際社会の注意を喚起することが必要であると認め、この備忘録を発表する。




 米国は、新国防戦略に基づいて「国連軍司令部」を「多国籍連合機構」にすりかえて、アジア版北大西洋条約機構(NATO)の母体にしようとしている。

 米国が2012年1月に初めて発表した新国防戦略の隠れた目的は、アジアの他の大国が自分らと対敵し得る勢力に成長できないように包囲網を形成し、軍事的に抑制するところにある。このために米国は、今後10年内に海外に前進配備した米軍武力の60%をアジア太平洋地域に集中させようとしている。同時に、同地域内で米国と2国間の同盟関係にある各国を次第にNATOのように統一的な作戦指揮体系を備えた多国間の軍事同盟に引き入れる準備を進めている。

 米国が以前から、米日軍事同盟と米国・南朝鮮軍事同盟を合わせて三角軍事同盟を設けようと試みてきたことは周知の事実である。

 米国は冷戦時代、欧州でNATOに依拠して旧ソ連と東欧諸国を抑制し、崩壊させた「経験」に基づいて、アジア太平洋地域でも自分らの潜在的ライバルを包囲できるさらに大きな規模の集団的軍事機構を設けようとしている。

 米国は、関係国の反発を避けるために機構を新たに設けるよりは、既に看板だけだが存在している「国連軍司令部」の機能を復活させる巧妙な方法でこのような連合武力を形成しようとしている。

 「国連軍司令部」はもともと、先の朝鮮戦争時に米国が追従国家の兵力を引き入れ、それに対する指揮権を自分らが行使する目的ででっち上げた戦争の道具である。停戦後も、米国は、「国連軍司令部」を通じて南朝鮮に対する作戦指揮権を握り、行使してきた。しかし、1970年代に入って「国連軍司令部」を解体し、その武力を南朝鮮から撤退させることに関する内外の圧力が高まると、米国は1978年に米国・南朝鮮「連合軍司令部」をでっち上げ、作戦指揮権をそれに移管した。そうすることで、南朝鮮駐屯米軍の性格を「国連軍」から米国・南朝鮮「相互防衛条約」に基づいて派遣された武力に変身させ、自分らの南朝鮮占領を合法化、永久化しようとした。

 それ以来、「国連軍司令部」は、看板だけが残った有名無実の存在になっていた。

 米国が最近になって「国連軍司令部」の機能を復活させようとしているところにはまた、変遷した情勢下で南朝鮮をアジア太平洋支配のための前哨基地、侵略戦争の手下としてさらにしっかりと掌握しようという戦略的な打算が潜んでいる。

 南朝鮮で反米自主の機運が高まり、特に、軍隊の統帥権であるといえる作戦指揮権を米国から返してもらうことに関する圧力が高まると、米国はやむを得ず1994年に平時の作戦指揮権を南朝鮮側に返還せざるを得なくなった。また、2015年には、戦時作戦統帥権も委譲することになっている。それにともない、米国が南朝鮮に対する作戦統帥権を行使する道具になっていた米国・南朝鮮「連合軍司令部」も解体されることになっている。

 とはいえ、自分らのアジア太平洋戦略上、要衝である南朝鮮に対する統帥権を素直に手放す米国では決してない。

 米国が南朝鮮武力に対する実際の統制権を引き続き握って振り回せる「代案」として考案したのがまさに、「国連軍司令部」の復活策なのである。

 米国が1950年代に強圧的にでっち上げた国連安全保障理事会決議によると、この司令部には、南朝鮮に提供されるすべての武力が従属し、その指揮権は米国がもつことになっている。米国はこれとともに、1950年7月、「大田協定」に基づいて「国連軍司令部」の名義で南朝鮮当局の作戦指揮権まで奪い取った。したがって、ここで「国連軍司令部」の機能が復活することになれば、自動的に南朝鮮かいらい軍に対する米国の作戦指揮権が再び成立することになるのである。

 米国が南朝鮮と戦時作戦統帥権の返還協議を始めた2006年3月当時、南朝鮮駐屯米軍司令官は、米上院軍事委員会の公聴会で、「国連軍司令部」に網羅されている構成国を有事の際の作戦計画樹立はもちろん、その細部の活動にも参加させることで、「国連軍司令部」の役割をさらに拡大して「多国籍連合機構」に転換させるとの主張を持ち出した。

 その後、米国は、南朝鮮とその周辺で合同軍事演習の規模と回数を次第に増やし、そこに「国連軍司令部」構成国の作戦関係者を参加させて米国指揮下の連合作戦機能に熟達させてきた。

 2012年10月には、ワシントンで行われた第44回米国・南朝鮮定例安保協議で、「『国連軍司令部』が、朝鮮半島の平和と安定を維持するうえで必須である点を再確認」するとの共同声明を発表した。

 これは、米国が既に、「国連軍司令部」復活策を南朝鮮当局に伝えたことを示している。

 「国連軍司令部」の作戦半径をアジア太平洋地域全般に広げる準備も、なし崩しに推進されている。

 「国連軍司令部」の主力をなすことになる南朝鮮駐屯米軍には既に、東アジアの他の地域で危機が発生する場合も支援を提供できるよう「戦略的柔軟性」が付与された。最近は、オーストラリアに新たに駐屯させることになる米海兵隊兵力をフィリピンと南朝鮮に交互に循環配置する案が積極的に検討されている。

 アジア太平洋地域に集団的な軍事ブロックを設けようとする動きが許されれば、その目標となる他の国々も必ず力を合わせて対抗しようとするものである。そうなれば、この地域でも自然に、かつての欧州でのように国家間に敵味方の組み分けが起こり冷戦が復活するであろうし、核戦争の危険性は比べようもなく増大するであろう。こうなれば、最も大きな被害を受けるのは南朝鮮である。




 「国連軍司令部」はもともと、国連加盟国の総意とは何の関わりもなく、国連の名だけを盗用してきた不当な機構である。

 国連憲章第27条によると、国連安保理の主要な決定は、「常任理事国の同意投票を含む」7理事国(当時)以上の賛成投票によって採択される。米国が追従国家を7カ国かき集めたとしても、常任理事国のうち1カ国でも同意しなければ、我が共和国に反対するいかなる決定も採択できなかった。常任理事国である旧ソ連は、国連で中国の代表権を中華人民共和国ではなく、台湾当局が行使していることに抗議して1950年1月13日から理事会に参加していなかった。

 まさに、このようなてこを利用して米国は6月25日、李承晩逆徒を唆して我が共和国に対する不意の全面的な武力侵攻を開始するようにし、当日に国連安保理を招集して我々を「侵略者」と定める決議をでっち上げた。(国連安保理決議第82号、1950年)

 これに対して1950年6月29日と7月6日、ソ連政府は国連安保理に電文を送り、国連憲章に反して理事会の常任理事国であるソ連と中国の支持なしに採択されたそれらの決議は効力をもたないと強調した。

 にもかかわらず、米国は7月7日にも、やはりソ連の参加なしに招集した会議で、朝鮮戦争に国連加盟国が武力を派遣し、その武力を「米国指揮下の『連合司令部』」に所属させ、その司令部が「国連旗を使用」することに関する決議をでっち上げた。(国連安保理決議第84号、1950年)

 1950年7月25日には、国連安保理にこの司令部の報告書を提出するに当たり「連合司令部」の名称を勝手に「国連軍司令部」に変えてしまった。

 国連安保理常任理事国である旧ソ連が、理事会の活動に再び参加した以降の1951年1月31日、国連安保理では議定から1950年6月25日に米国が上程させた「大韓民国に対する侵略に関する提訴」の案件を削除することに関する決議第90号(1951年)が採択され、それ以降、朝鮮問題が討議されなかった。戦争が行われていたにもかかわらず、国連安保理がこのような決定を採択したのは、当初からこの戦争に国連が介入し、盗用されたのが誤りであったことをみずから是認したも同然である。

 「国連軍司令部」が、国連が管轄する機構ではなく、単なる米国の戦争の道具であることについては歴代の国連事務総長も公式に認めた。

 1994年6月、ブトロス・ブトロス・ガリ国連事務総長は、「『連合司令部』は、国連安保理がみずからの統制下にある付属機構として設立したのではなく、それは米国の指揮下に置かれるようになった」と認めた。(朝鮮外交部長に送った国連事務総長の1994年6月24日付の書簡)

 1998年12月、コフィ・アナン国連事務総長は、米国が朝鮮戦争に派遣した武力やその司令部に関して「私の先任者のうちの誰も、国連の名と結び付けることをどの国にも許諾したものがない」と明らかにした。(朝鮮最高人民会議常任委員会委員長に送った国連事務総長の1998年12月21日付の書簡)

 2004年7月27日と2006年3月6日、国連の報道官は、「『国連軍司令部』は国連の軍隊ではなく、米国が主導する軍隊」であると確認した。

 「国連軍司令官」を任命できる権限も、国連ではなく米国政府がもっており、「国連軍」の帽子をかぶっている南朝鮮駐屯米軍の削減や増強問題も、国連ではなく全的に米国政府が決定する。

 時代の発展とともに変遷した国連の構成を見ても、「国連軍司令部」は、なおいっそう国連とは何の関わりもない米国の付属物にすぎない。こんにちの国連は、米国が勝手に「国連軍司令部」をでっち上げた1950年代の国連ではない。我が共和国が、国連に加盟して堂々たる正式の加盟国になって20年が過ぎ、我々とともに「国連軍」と対座して朝鮮停戦協定に署名した締約国の一方である中国が国連安保理常任理事国として代表権を行使してからも40年が過ぎた。

 にもかかわらず、板門店にいまだに国連の旗が公然と掲げられているのは、時代錯誤の産物であって、国連の恥にほかならない。

 国連の権威と公正さを回復するためにも、「国連軍司令部」は速やかに解体されなければならない。




 「国連軍司令部」は既に、国連総会から解体宣告を受けた時代の汚物である。

 1975年11月、第30回国連総会では、「国連軍司令部」の解体問題に関する2件の決議が採択された。決議3390(×××)B号は、国連の進歩的な加盟国が提案したもので、「国連軍司令部」を無条件に即時解体することに関する決定であり、決議3390(×××)A号は米国が提案したもので、停戦を管理できる「他の装置が設けられれば」、1976年1月1日までに「国連軍司令部」を解体できるという内容であった。

 米国がこのように「国連軍司令部」の条件付きの解体論を持ち出したのはもちろん、広範な国際社会が求める無条件の即時解体を回避するための窮余の策にすぎなかったが、これは米国自身も「国連軍司令部」の不法で時代錯誤な性格については否認できなかったことを示している。

 当時の「国連軍司令部」の構成を見ても、もはや、多国籍軍ではなく、単に南朝鮮駐屯米軍だけが残る米軍司令部であった。

 朝鮮戦争に参戦した国連加盟国のなかで米国を除く残りの国々は、停戦協定が締結されるなり、皆、自国の武力を撤収させた。その後、ルクセンブルクとエチオピアは、「国連軍司令部」に象徴的に残していた自国の旗まで撤去し、まだ国旗を撤去していない国のなかにも「国連軍司令部」に自国の参謀メンバーを一人でも常駐させたり、その活動に直接関係したりする国は一つもない。

 米国は、停戦を管理できる他の装置がかわりに設けられてこそ、「国連軍司令部」を解体できるとしたが、実際には、現在の停戦状態は「国連軍司令部」によって管理されているのではない。

 1991年3月、米国はそれまで常に米軍将官が占めてきた軍事停戦委員会「国連軍」側首席代表の職に突然、南朝鮮軍将官を据える措置を講じた。米国が我々とは何の事前協議もなしに、停戦協定の当事者でもない南朝鮮の軍将官を「国連軍」側首席代表に据えたのは、停戦協定の修正と添付は必ず敵対する双方の司令官の相互の合意を経なければならないという停戦協定第5条61項に違反する明白な挑発行為であった。

 「国連軍」側が代表権を失い、軍事停戦委員会は事実上、麻痺状態に陥ることになった。結局、軍事停戦委員会の朝中側の一員であった中国人民志願軍代表団は1994年12月に撤退し、我が方では従来の朝中側にかわって停戦を管理する機構として朝鮮人民軍板門店代表部が設置された。

 時代の変化にともない、中立国監視委員会の構成国の地位が停戦協定締結当時の中立性を失い、中立国監視委員会もみずからの機能を遂行できなくなった。

 結局、従来の停戦管理機構は完全に凋落し、「国連軍司令部」は停戦管理のために対座する相手のいないかかしに転落することとなった。

 その時から、停戦状態の管理に関するすべての問題は、朝中側対「国連軍」側ではなく、朝鮮人民軍側と米軍側との間で協議、処理されてきた。

 朝米双方が、数十年間の停戦状態を効果的に管理してきている現実は、「国連軍司令部」を解体できない理由がもはやないことを示している。

 停戦協定を平和協定にかえる側面からも、「国連軍司令部」は百害あって一利なしの冷戦の遺物である。

 停戦協定によると、強固な平和問題は、軍司令官よりも一段上級の政治会議で論議することになっている。停戦協定の締結当事者である「国連軍司令部」の実際の政治的上級は国連ではなく、米国政府である。

 共和国政府は1994年4月、朝鮮半島に新たな平和保障体系を樹立することに関する提案を打ち出した。(1994年4月28日朝鮮外交部声明)

 その後は、朝鮮半島で完全な平和協定が締結されるまで武力衝突と戦争の危険を取り除き、停戦状態を平和的に維持するため朝米間に停戦協定にかわる暫定協定を締結することに関する提案も打ち出した。(1996年2月22日朝鮮外交部スポークスマン談話)

 朝鮮半島で新たな停戦管理機構を設ける問題と関連して、板門店では朝米軍部将官級会談が何度も行われた。

 朝鮮半島で恒久的な平和体制を樹立する問題は、我々と米国の他に中国と南朝鮮も参加した4者会談でも論議された。2000年10月、ワシントンで行われた朝米会談では、朝鮮半島で緊張状態を緩和し、停戦協定を強固な平和保障体系にかえて朝鮮戦争を公式に終息させるうえで、4者会談などさまざまな方途があるということを確認した。(2000年10月12日朝米共同コミュニケ)

 2007年10月、北南首脳対面で直接関係のある3者、または4者の首脳が終戦を宣言する問題を推進することに関する合意がなされた。(2007年10月4日北南関係発展と平和繁栄のための宣言)

 事実資料が示しているように、朝鮮半島で停戦状態を強固な平和へと移行させるための関係国間の論議と合意が多かったが、「国連軍司令部」の存在を前提とする方途はどこにも言及されたものがない。

 にもかかわらず、「国連軍司令部」がこんにちまで存続し、いまではそのうえ、多国籍軍の戦争の道具として復活しようとしているのは、朝鮮半島を含むアジア太平洋地域の安全を保障する見地から絶対に看過できない問題である。

 米国は、あたかも我が共和国が国防力を強化していることが地域情勢を緊張させる要因になるかのように騒いでいるが、それは自分らのアジア太平洋戦略の侵略性を覆い隠すための浅はかな術策にすぎない。

 「国連軍司令部」を即時解体するのかどうかは、米国が対朝鮮敵視政策を維持するのかどうか、アジア太平洋地域で平和と安定を願うのか、あるいは冷戦の復活を企むのかを見極められる一つの試金石になるであろう。

 朝鮮は、米国が正しい選択をする時まで、いかなる形態の戦争も抑止するための努力を絶えず強化することで、朝鮮半島とアジアの平和と安定を守ることに積極的に寄与するであろう。【朝鮮通信=東京】




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