南朝鮮は、世界で一番危険な核火薬庫、
核戦争の発祥地である
朝鮮反核平和委員会の白書
−2012年3月14日−


 今月の26、27の両日、ソウルで「核安全保障サミット」が開かれる。

 世界最大の核火薬庫であり、「キー・リゾルブ」「フォール・イーグル」合同軍事演習のような危険きわまりない核戦争演習がヒステリックに行われる南朝鮮で「核安全保障サミット」が開かれることについて内外が大きな懸念をあらわしている。

 特に、南朝鮮の李明博逆賊一味が、我々の最高の尊厳を謗る特大型の犯罪を働き、事実上の宣戦布告をした状態で、「核安全保障サミット」が開かれるということが最も不当であるという世論が高まっている。

 朝鮮反核平和委員会は、南朝鮮を世界最悪の核拡散、核戦争の危険地域につくった米帝と南朝鮮のかいらい逆賊一味の罪悪を暴露するために、この白書を発表する。


世界最大の核火薬庫

 「核安全保障サミット」が標榜する目的は、核兵器と核物質の拡散防止である。

 ところが、その第1回会議が世界で一番先に核兵器を製作して唯一に使用し、いまも最多の核兵器を保有している米国で開かれたし、第2回会議は米国の核前哨基地であり、世界最大の核火薬庫である南朝鮮で開かれるということが「核安全保障サミット」が抱えている悲劇である。

 核という言葉も知らなかった南朝鮮に核兵器が搬入されたのは、1950年からである。

 特に、1950年代末から米国は「オネスト・ジョン」戦術核ミサイルと280ミリ原子砲、爆撃機搭載用B61核爆弾などを次々と搬入した。

 南朝鮮に対する米国の核兵器の搬入と配備は絶えず増大して、その数が1970年代には1000個余りを超え、1990年代には1720個余りに及び、配備密度において世界最大となった。

 南朝鮮を世界最大の核兵器庫につくった米国は、ずうずうしくも核兵器の搬入を認定も否定もしないという「NCND政策」を掲げて世界の世論を愚弄した。

 1990年代に入ってソ米の冷戦が終息すると、南朝鮮で米国の核兵器を撤去しろという世界社会界の声がより高く響き出た。米国は、その時から南朝鮮に搬入した核兵器を全部撤収したと言ってきた。

 しかし、南朝鮮占領米軍基地に核ミサイルと核爆弾、核地雷などおおよそ11種に及ぶ核兵器がいまだ備蓄されているということが最近、多様なルートを通じて全世界に暴露された。

 2005年10月9日、かいらい国会に提出された「駐韓米軍の核輸送・配置現況図」にも、南朝鮮江原道の春川、京畿道の烏山はもちろん、ソウル、大田、釜山、大邱、光州などの主要大都市に核兵器が備蓄されているということが記入されている。

 2010年12月に公開された米軍機密文書「韓国武器支援団―韓国核作戦標準の手順」には、2005年4月まで春川米軍基地に核兵器が配備されていたということが明らかにされている。

 同文書には、春川米軍基地に配備された核兵器の入・出庫手順と核兵器を軍用車やヘリに積む要領などが、運搬手段別に詳しく説明されていた。

 全羅北道の群山にある米軍基地には、「牧場」と呼ばれる地下8キロの核兵器倉庫があり、このような「牧場」がいまも引き続きつくられているということも秘密ではない。

 米国は、京畿道の水原と烏山、忠清北道清州などの米軍基地に総274万発の劣化ウラン弾を備蓄している。これは、1991年の湾岸戦争の時に米空軍が使用した劣化ウラン弾の3.5倍に及ぶ。

 2002年に米国が作成した「核体制の見直し(NPR)」には、群山米空軍基地に駐屯している米第8戦闘飛行団所属F16戦闘爆撃機編隊がB61核爆弾で朝鮮を攻撃する訓練を受けたという内容が指摘されていた。

 南朝鮮に核兵器を引き続き搬入しようとする米国とかいらいの野望はいまも変わりがない。

 前かいらい国防部長官の金泰栄は2010年11月の「国会」で、「北の核兵器に対応して戦術核兵器の再配置を検討する」と公言した。

 その翌年の2月、かいらい国会では前「ハンナラ党」代表の鄭夢準が「米国の戦術核兵器を再配置する必要がある」と公開発言した。

 翌日、米国の大量破壊兵器政策調整官のセイマーは記者会見で、「現在、米国は原子力潜水艦や海外米軍基地など韓半島隣近の核戦力で韓国を十分に防御することができる」「そのうえに、韓国が戦術核兵器の再配置を公式に要求するなら、米国は応じるだろう」と相づちを打った。


南朝鮮は、米国の移動式核兵器庫でもある。

 米国は1950年代末から現在まで、南朝鮮で「防御」と「定例的」という看板のもとで各種の北侵核戦争演習を行い、超大型原子力空母とイージス巡洋艦、原子力潜水艦など膨大な核攻撃手段を大々的に搬入した。

 原子力空母と原子力潜水艦は、一つの地域を核で焦土化することのできる強力な核兵器を搭載している。

 秘密解除された米国防総省の検閲報告書によると、米原子力潜水艦に搭載された「トライデント」戦略核ミサイルは発射命令が下されてから13分で発射が可能であるという。

 米国は毎年、核爆弾搭載が可能なF15E、F16戦闘爆撃機を循環配置の形態で南朝鮮に搬入しており、昨年12月と今年1月にはF16CM、F16C戦闘爆撃機24機を群山基地に追加搬入した。

 2009年10月22日、米国とかいらいは第41回定例安保協議会で「宣言的水準」にあった南朝鮮に対する米国の「核の傘」保護を米本土が核攻撃された時と全く同じ方式で相手を打撃するという「拡張された抑止力」に具体化することにより、任意の瞬間に南朝鮮に膨大な核兵器を追加搬入することのできる道を開いた。

 これは、南朝鮮が米国の巨大な移動式核兵器庫、核前哨基地になっているということを実証している。


最もおろそかな核統制地域

 米国は、あたかも南朝鮮で核の統制が厳格に実施されているかのように喧伝しているが、実際は核の統制が全くなされていないところがまさに南朝鮮である。

 米国は、1956年に南朝鮮のかいらいと「原子力協定」を締結した以降、南朝鮮の核開発の研究に深く関与しており、定例的に催す合同原子力エネルギー協力委員会を通じて核開発の実態も具体的に掌握しているかのように喧伝している。

 しかし、南朝鮮で核兵器開発の試みは朴正煕「政権」時代からあったし、その以降、全斗煥が先任者が推し進めていた核兵器の開発を「代替エネルギー事業」という美名のもとに引き続き継いできたということは秘密ではない。

 そして、1993年に米国の核技術専門家らが作成した「大量破壊兵器拡散危険評価」報告書に、南朝鮮を核分裂技術を保有した対象に載せた事実からさらけ出されたように、米国がかいらいの核兵器開発の実態を把握しておきながら黙認しているということも事実である。

 米国は、南朝鮮のかいらいの核兵器燃料の抽出に目をつぶっている。

 1998年と2003年に、南朝鮮の原子炉でプルトニウムを抽出した痕跡が発見されたが、知らん顔をして伏せてしまった。

 2011年11月、南朝鮮のある小説家が「帽子かぶせ」という実話小説を通じて、南朝鮮の科学者らが2000年にウラン濃縮設備を開発して高濃縮ウランを3回にわたって抽出したという事実を暴いて波紋を呼んだ。

 それによると、当時、国際原子力機関(IAEA)はかいらいのウラン濃縮の実態を査察し、その結果について、「韓国科学者らは、2つの方法を利用して国内外の監視を避け、実験を成功させることができた。1つは濃縮されたウラン濃度を再び落として証拠を希釈する逆実験方式であったし、もう1つは『帽子かぶせ』方式であった」と指摘した。

 逆実験というものはウラン235にウラン238を混ぜて濃縮度を落とす方式で、「帽子かぶせ」方式は他の実験を前面に立てて本実験を隠す、いわゆる影実験を意味する。

 当時、米中央情報局(CIA)要員らが大々的に南朝鮮に派遣されてかいらいのウラン濃縮状況を具体的に調査したが、その内幕は徹底的に秘密に付され、米国はこれについて「学術実験に過ぎないもので、大きく懸念すべき事項」ではないとして黙認した。

 南朝鮮のかいらいは、原子炉の使用済み燃料を系統的に水中貯蔵庫に貯蓄しており、2002年12月に、既にその累積量はおおよそ5982トンに及んだ。

 この使用済み燃料からは、兵器級プルトニウムを36トンも抽出が可能で、この量なら日本の長崎に投下された原爆を3000個余り作れる。

 米国は、「使用後、核燃料を再処理するという韓国の希望などを考慮する」とし、今年、南朝鮮と「原子力協定」改正協議まで行っている。

 米国は、核物質だけでなく核兵器製造技術も積極的に後押ししている。

 米国は、南朝鮮の核兵器開発に転用されうる敏感な技術をかいらいと締結した「科学技術協定」の美名のもとに系統的に移転し、ただその秘密が漏れないようにするという確約を取り付けた。

 米国は、1982年にバーンズ・アンド・ロー社を推し立てて南朝鮮と高速増殖炉技術導入契約を締結させてそれを支援するようにし、コンバスチョン・エンジニアリング社は南朝鮮に原爆の設計およびシミュレーション、製作などに利用される201件の技術資料を渡した。

 米国は、南朝鮮の核兵器運搬手段の保有も援助している。

 米国は、1970年代に核兵器の搭載可能な「オネスト・ジョン」「ナイキハーキュリーズ」「ホーク」ミサイルをかいらい軍に譲渡し、1979年には「ミサイル協定」を締結してミサイル開発の道も開いてやった。

 その後、2001年に「ミサイル協定」を改正して弾道ミサイルの射程を180キロから300キロに伸ばすようにし、最近は1000キロに伸ばしてほしいというかいらいの要請を受け入れて協定再改正も進めている。

 南朝鮮の原子力研究所所長チャン・インスンをはじめ、かいらい核専門家らは現在、南朝鮮の核爆弾製造能力は世界10位で、3カ月なら1個の核兵器の製造が可能であり、濃縮ウランの抽出技術も「世界的水準」と公開的に宣伝している。

 このような南朝鮮で、いわゆる核兵器や核物質の拡散を防止する「核安全保障サミット」を開催するということは、国際社会を愚弄する大詐欺劇に過ぎない。


最も危険な核戦争の発祥地

 こんにち、朝鮮半島は、米国が日本の広島と長崎に原爆を投下して以来、次の核打撃地に選定して、その計画を一度も変更させたことのない最も危険な地域となっている。

 米国の次回の核戦争計画において、南朝鮮はその前哨基地になっている。

 2010年10月、米AP通信が秘密解除された米陸軍文書を入手して公開したところによると、米国は朝鮮戦争を挑発してから7週間後の1950年8月中旬、核兵器を南朝鮮に初めて配備した。

 これに基づいて1950年11月当時、米大統領のトルーマンは記者会見で、「朝鮮戦争に原爆の使用を積極的に検討している」と公言し、米極東軍司令官マッカーサーは同年12月、「北中国境地域に原爆30〜50個を投下する計画がある」と核恐喝の道に踏み出した。

 1968年1月、朝鮮領海に不法侵入した米帝武装情報収集艦「プエブロ」号がだ捕された時、米行政府は空母や駆逐艦などを動員して我が共和国を屈服させようと狂奔し、それに失敗すると、核攻撃の検討までした。

 「プエブロ」号事件が米国の降伏でけりが付いてから4カ月後の1969年4月、米軍偵察機EC121が共和国の領空に浸透して撃墜されると、米国はまたもや核攻撃を検討した。

 当時、全羅北道群山の米空軍基地で戦闘機操縦士として勤務した米軍飛行士チャールズは、朝鮮半島有事の際、北の空軍基地に核空襲を加えるのが自分の任務であったし、自分が操縦していた戦闘機F4には広島に投下された核爆弾より破壊力が20倍も強いB61核爆弾が搭載されていたと言った。

 この核戦争計画は、米国がベトナム戦争の泥沼に陥って第2次朝鮮戦争を行えないという判断により実行に移されなかったがその後、ニクソン行政府は類似の事件が発生する場合に備えて25の非常計画を作成し、そのうち、「自由落下」という名称の作戦計画は朝鮮に核兵器を使用するということであった。

 我が共和国を侵略するための米国の核戦争挑発策動は、1976年からかいらいとともに毎年行った「チーム・スピリット」合同軍事演習を通じていっそう露骨になった。

 この訓練には、核兵器の搭載可能な戦闘爆撃機F16と長距離戦略爆撃機B1Bなどが動員され、核ミサイルを搭載した潜水艦も参加した。

 また、北の野戦砲の戦闘力を焦土化させるとの名分で、原子砲の訓練も随時行われた。

 米国は、1994年10月のジュネーブ朝米合意で朝鮮に対する核脅威・恐喝を中止すると約束したが、その後も対朝鮮核攻撃訓練を続けた。

 朝鮮半島での核戦争の危険は、米国にブッシュ政権が登場してから増大した。

 ブッシュ政権は、核兵器の使用を「報復」に限らさず、有事の際、いわゆる「悪の枢軸」の国家に先に使えるという「ブッシュ・ドクトリン」を採択した。

 そして、2002年の「核体制の見直し」で我が共和国を最優先的な核攻撃対象と指定し、その後、オバマ行政府は「核兵器なき世界」を唱えながらもやはり、共和国を核先制攻撃対象のカテゴリーに入れた。

 現在まで、米軍と南朝鮮のかいらい軍は、作戦計画「8―53」「大量報復計画」「作戦計画5026」「作戦計画5027」「作戦計画5029」「作戦計画5030」「作戦計画5012」「作戦計画8044」「作戦計画8022」「作戦計画8010」など数え切れないほどの核戦争計画を作成し、それは「フォーカス・レンズ」「フォール・イーグル」「ウルチ・フォーカス・レンズ」「チーム・スピリット」「連合戦時増援演習」「キー・リゾルブ」「ウルチ・フリーダム・ガーディアン」など各種の核戦争演習によって練磨されてきた。

 米国の核戦争挑発の危険は、南朝鮮に極悪な好戦狂である李明博逆賊一味が政権をとってからさらに現実化している。

 李明博一味は、執権初年の2008年に「連合戦時増援演習」の名称を「キー・リゾルブ」に取り替えて以前のように「フォール・イーグル」訓練と並行し続けて行いながら「作戦計画5027」より危険な核戦争計画である「作戦計画5029」「作戦計画5012」を稼働した。

 「天安」号沈没事件と延坪島砲撃戦が起きた時には、「北を打撃できなかったのが恨めしい」と言い散らして朝鮮半島水域に米国の原子力空母と原子力潜水艦を搬入し、南朝鮮にある核打撃手段が全部稼働して我々を攻撃しようと狂奔した。

 また、2011年11月には米国のネブラスカ州にある米戦略司令部でかいらいと拡張抑止手段運用演習を初めて行って、我々を核で先制攻撃する「合わせ式抑止戦略」を熟達する狂気も振るった。

 民族が大国喪にあった時、それに付け入って我が共和国を打撃するための軍事的妄動を振るった李明博逆賊一味はその降、またもや我々の最高の尊厳を冒涜し、いまも南朝鮮で米軍とともに各種の合同軍事演習をヒステリックに強行している。

 諸般の事実は、米国と李明博逆賊一味こそ核戦争狂信者であり、南朝鮮はそれこそ21世紀の核戦争の発祥地になっているということを示している。

 このような核戦争狂信者らが、南朝鮮でいわゆる「核安全保障サミット」を催すなら、それは自分らが行おうとする核戦争を合理化し、いったん有事の際、朝鮮戦争に追随国を引き入れるための核戦争謀議の場になるであろう。

 これがまさに、ソウル「核安全保障サミット」の本質である。

 もし、米国と李明博一味が我々のたび重なる警告にもかかわらず朝鮮半島の情勢を最悪へ追い込む場合、その結果に対する全責任は挑発者が負うことになるであろう。

2012年3月14日 平 壌
【朝鮮中央通信】




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