李明博逆徒の反統一対決妄言白書
祖国統一研究院白書
−2011年7月6日−


 朝鮮中央通信によると、祖国統一研究院(祖統研)は6日、「北南関係を破局へ追い込んだ万古の逆賊を断罪する」と題する李明博逆徒の反統一対決妄言白書を発表した。その全文は次のとおり。


 今、北南関係は、かいらい逆賊一味の極悪非道な挑発的妄動によって最悪の破局に瀕している。

 李明博逆徒が北南関係をどう系統的に破壊してきたのかは、彼の醜悪な妄言が歴史の生きた記録としてことごとく告発している。

 祖統研は、極悪な同族対決狂信者である李明博逆徒の反民族的、反統一的な正体を全世界に告げるためこの妄言白書を出す。


北南共同宣言に対する挑戦的妄言

 6.15以降、良好に発展していた北南関係が破局に瀕することになったのは、何よりも李明博逆徒が歴史的な6.15北南共同宣言と10.4宣言を否定し、その履行を阻んだところにある。

 逆徒は、執権前から両共同宣言を否定する下心をあらわにした。

 2007年5月10日、李明博逆徒はかいらい大統領選挙の出馬宣言文で、6.15共同宣言発表以降の驚異的な北南関係の発展を「北に引きずられた南北関係」だの、「失われた10年」だのと冒涜した。(「ファイナンシャルニュース」2007.5.10)

 その一方、2007年8月29日、南朝鮮駐在米国大使との面談で逆徒は「盧武鉉政府と民主党が民族共助という側面から南北関係を重要視するが、私は伝統的な友好国である米国との協力を重視する」と挑戦した。(「世界日報」2007.8.29)

 特に、2007年11月27日、選挙遊説の場で逆徒は、宣言の履行について「供与」だの何のとして「大統領になればただす」と言い散らした。(「ネイル新聞」2007.11.28)

 かいらい大統領に当選した後、逆徒は両北南共同宣言をさらに露骨に否定する妄言を言い散らした。

 逆徒は2008年1月14日の新年記者会見で、「2007年10月の南北首脳会談の合意事項が原論的な水準であり、具体的ではない」と10.4宣言を途方もなく中傷し、その履行を回避しようとする下心をあらわにしたし、2008年2月1日の記者会見ではさらに一歩進んで「政治家たちが平壌へ行って署名してきたからといって、後任者が履行するものではない。優先するもの、後でするもの、できないものを区分する」と宣言の履行を事実上、全面否定した。(「聯合ニュース」2008.1.14、2.2)

 特に、李明博逆徒は、北南共同宣言の中核である我が民族同士の理念に対してまで悪辣に冒涜、蹂躙した。

 2008年2月25日、「大統領」就任の辞で逆徒は、「対北政策を理念の物差しではなく実用の物差しで解決していく」と騒ぐ一方、3月1日の「大統領」就任後初の「3.1節記念の辞」と4月3日のかいらい軍将官の任命式なる場では、我が民族同士は「偏狭な民族主義」であり、「排他的民族主義」であり、「それで南北関係を解決することはできない」との妄言を吐いた。(「アジア経済」2008.2.25、「KBS」2008.3.1、「統一ニュース」2008.4.3)

 李明博逆徒は、このように両北南共同宣言を否定、蹂躙して青瓦台はもちろん、統一部、情報院などかいらい政権の各部、各処で6.15共同宣言、10.4宣言の関係者と支持者をすべて粛清し、6.15関連団体を過酷に弾圧したし、そのうえ与党一味と政治暴力のごろつきを駆り出して北南共同宣言に判を押した2人の前職「大統領」を陥れ、迫害してとうとう死に追い込む蛮行もためらわなかった。

 逆徒が北南共同宣言に対してどれほど敵意を抱いたのかは、彼が執権期間に何度も行われた民間団体の共同宣言発表記念行事に一度も顔を出さなかったし、宣言の履行に関する言葉が一つもない事実からも如実にあらわれている。

 全民族と全世界が全幅の支持を送り、歓迎した民族共同の統一里程標である歴史的な北南共同宣言を逆徒が無残に踏みにじったことで、北南関係は当初から破局の奈落に転げ落ちなければならなくなった。


悪辣な北南関係否定妄言

 李明博逆徒は、歴史的な北南共同宣言に従って行われてきた北南対話を一朝にして中断させ、北南関係を全面遮断した。

 逆徒は執権直後の2008年3月14日、かいらい統一部に「北にいかなる対話提案や接触もするな」と指令したし、続いて3月26日、統一部の最初の業務報告で「これまでの協議の姿勢を変えなければならない」と言って北南対話を全面否定した。(「統一ニュース」2008.4.3、「聯合ニュース」2008.3.26)

 これに対する非難が内外で大きく起きると、李明博逆徒は2008年4月13日の対国民記者会見で「この10年間の南北関係の既存の枠が新しく定立される調整期間を経ている。政府は、そのような観点から原則を持って毅然と対処している」という詭弁を並べ立てたし、6月3日の米時事週刊誌「タイム」との会見で6者会談にかこつけて「南北関係だけを進展させる別途の接近はしない」と述べた。(「マネートゥデイ」2008.4.13、「ニューシス」2008.6.6)

 李明博逆徒は、北南対話と北南関係を阻むため牽強付会し、「核放棄」だの、「誠意」だの、「原則固守」だの、「北の態度変化」だののありとあらゆる口実を探してきてつけた。

 逆徒は2008年3月26日、統一部の業務報告などで「先核放棄」だの、「供与」だのと北南協力事業に遮断棒をおろす一方、11月12日、「北が姿勢を変えるのを待っている。待つのも戦略」であると言い散らした。(「聯合ニュース」2008.3.26、「ニューシス」2008.11.12)

 李明博逆徒は、北南対話と関係改善のための我々の誠意ある努力に対しても終始背を向けた。

 我々は、かいらい保守一味が権力を握った初日から南朝鮮当局に北南関係を悪化させる行為をやめ、北南対話に誠実にのぞむよう重ねて要求し、それに開通する建設的な提案を誠意を込めて打ち出した。

 しかし、そのたびに李明博逆徒は、「南北関係で後退したものはない」「分断60余年で1年間梗塞したのはあり得ることである」と言い散らしたばかりか、対話を行えば「北の権力だけを強化させることになる」「対話を行わないのが対北政策を生かす道」と言って挑戦した。(「統一ニュース」2008・8・18、2009.1.31、「文化日報」2011.2.17)

 そのうえ、逆徒は「原則のない会談は行わない」「現在の南北関係が最も正常な軌道で進んでいると思う」「任期中に首脳会談を一度も行わなくても良い」との妄言もためらわなかった。(「聯合ニュース」2009.11.6、2010.4.23、「東亜日報」2010.11.15)

 李明博逆徒は手先にも「南北関係が悪化して緊張が高まれば経済に悪影響を及ぼすという考えは捨てよ」「私の任期5年間、南北関係に進展がなくても良い」「南北関係がうまくいくと言われようとしないで、長期的な戦略を駆使しなければならない」と彼らを北南対決へ積極的にけしかけた。(「ハンギョレ」2008.11.3、「プレシアン」2008.11.26)

 2008年12月31日、逆徒はいわゆる業務報告なるもので、当時の統一部長官が当局対話と経済協力、人道事業、特使派遣などを翌年に推進しようと思うと提案するなり「対話の再開が我々の目標になってはならない」とののしったうえに、しまいには彼の首を切って極悪な反統一対決分子である玄仁沢をそのポストに据えた。(「中央日報」2009.1.5、「KBS」2009.2.12)

 南朝鮮で玄仁沢に対する恨みが高まることに伴い2011年2月1日、テレビ座談会で統一部長官など保守強硬派を交代させる考えはないかという質問に逆徒は「北が嫌がる人もいなければならない」の一言で切り捨ててしまった。(「毎日経済」2011.2.1)

 逆徒は、金剛山観光事業に関しては、自分らの不注意で起きた不祥事である観光客事件にかこつけて「徹底した真相調査と再発防止の約束、身辺安全保障措置」を云々し、一方的に中断させて観光再開を拒否する一方、挑発的な艦船沈没事件と延坪島事件に悪辣に言いがかりをつけて「これ以上の対話と協力は無意味である」と公言し、いわゆる「認定」と「謝罪」を北南対話の前提条件に掲げている。(「KBS」2008.7.16、「聯合ニュース」2010.5.24、2011.4.1)

 これらすべては、李明博逆徒に北南対話はもちろん、北南関係を改善しようとする考えが少しもなく、何としても言いがかりをつけて妨害しようとする下心しかないことを示している。


醜悪な反共和国核騒動妄言

 朝鮮半島で核問題が発生することになったのは全的に、米国の核兵器搬入と核戦争騒動、核の威嚇のせいであることは誰もが知る事実である。

 にもかかわらず、李明博逆徒が米国の北侵核戦争策動に対しては一言半句もなかったばかりか、積極的に協力、追従して主人とともに我々の「核放棄」だけを騒ぎ、それを北南関係の前提条件にかかげるのは、もっぱら我々を武装解除して侵略目的を達成しようというものであって、これこそ言語道断である。

 南朝鮮で以前のかいらい支配層も反共和国核騒動にしがみついてきたが、李明博逆徒のように外部勢力と結託して核問題を全面にかかげ、反対語・反平和・反統一対決の目的に悪用しようとあがいた者はいない。

 李明博逆徒は、2007年11月19日の放送記者との討論会と、それに先立って行われた9月10日の「中央日報」記者との会見で、「北の核を廃棄させるのが南北関係の懸案のなかで最も重要な問題」であり、自分は「盧武鉉、金大中の両政権と違って核廃棄を念頭に置いて対北政策を実施する」と言い散らした。(「MBC」2007.9.10、「京郷新聞」2007.12.27)

 それにも満足せず、逆徒は2007年11月30日、「北が核廃棄と改革、開放を選択しない場合、どんなことも期待できないということを知らなければならない」という妄言を吐き、2008年2月初めのメディアとの会見で「北の核廃棄が南北関係の大前提」であると公言したのに続き、2008年2月25日の「大統領」就任の辞で「非核・開放・3000」を「対北政策」として公式に宣布するに至った。(「ノーカットニュース」2007.11.30、「自主民報」2008.2.7、「KBS」2008.2.25)

 2008年7月11日の第18代「国会」開会演説と9月26日の外国人記者との会見で逆徒は、「北の核放棄」を「対北政策の最優先」「先決課題」「最も大きな要」などと釘を刺し、それが解決されなければ北南関係を一歩も前進させないという下心をさらに露骨にあらわにした。(「KBS」2008.7.11、9.26)

 李明博逆徒は2008年4月中旬と11月、2009年9月など、米国訪問と主人の米国人と会う多くの機会に反共和国核謀議を行い、「任期中の対北政策の目標は、北が核を放棄して国際社会に出てくるようにすること」だの、「北を核保有国として認めれば核拡散問題が深刻になり得る」だの、「この20年間の核会談の轍を踏んではならない」だのと言って、極めて不純な「グランドバーゲン」なるものを持ち出して反共和国核騒動をさらに執拗に繰り広げた。(「イーデイリー」2008.4.16、「KBS」2008.11.17、「統一ニュース」2009.9.22)

 逆徒は、2009年8月31日の日本の首相につくことになった鳩山(由紀夫)との電話と、2011年1月15日の日本の外相との面談でも「南北問題は根本的に北が核を放棄するのが大前提である。核放棄なしには、どんなことも不可能であるというのが政府の立場である」「北が核を完全に放棄するという意志を前提に会談にのぞまなければならない」「北のウラン濃縮問題は、国連安全保障理事会に付託しなければならない」と言い散らした。(「中央日報」2009.9.1、「MBC」2011.1.16)

 李明博逆徒が朝鮮半島の有事に、米本土防衛の時のように核兵器を積極的に使用するようにする「拡大抑止力」を主人の米国に哀願し、南朝鮮に米国の原子力空母と原子力潜水艦を頻繁に引き入れて「北の核は絶対に認めない」と騒ぎ、北の「核放棄」を北南対話と北南関係の前提条件にかかげることこそ、鉄面皮極まりない妄言である。

 したがって、南朝鮮の各階層と内外世論も、李明博逆徒の無謀な妄言を核問題の本質もわからない強弁、南北関係にブレーキをかけるための口実であると非難している。

 李明博逆徒の悪辣な反共和国核騒動によって北南関係は一歩も前進できなかった。


極悪な体制対決妄言

 歴史的な7.4共同声明と両北南共同宣言には、北と南が互いの思想と制度を認めて尊重し、国の統一を自主、平和統一、民族大団結の原則、我が民族同士の理念に基づいて実現する問題が明らかにされている。

 李明博逆徒は、この北南関係の基本原則、祖国統一の3大原則を乱暴に踏みにじり、誰それの「変化」と「開放」だの、「自由民主主義体制下の統一」だの何のと体制対決を悪辣に追求することで、北南関係を収拾できない破局へと追い込んだ。

 逆徒は、2007年2月6日の外国人記者招請懇談会などで「実質的な変化を誘導する戦略的な対北開放政策が切実に求められる」「私が大統領になれば以前の大統領たちと異なるであろう。おいそれとはいかない」との妄言を吐く一方、12月20日の「大統領」当選記者会見でも「過去の政権のように北に対して批判を控え、北の機嫌を一方的に取らない」「北に対して言うことは言う」との同族対決悪口をむやみに言い散らした。(「KBS」2007.2.7、12.20、「東亜日報」2008.4.4)

 逆徒の体制対決妄想は執権後、さらに露骨になった。

 李明博逆徒は2008年11月、米国を訪問して「オバマとしっかり協議すれば効果的に北を変化させられる」とし、「自由民主主義体制下で統一するのが究極の目標」との妄言を吐いた。(「統一ニュース」2008.11.19)

 2009年6月13日、米紙「ウォールストリート・ジャーナル」との会見で逆徒は、「過去の政府は北の人権問題を取り上げることが南北関係を阻害すると考えたが、私はそう思わない」と言い散らしたし、2010年4月20日には青瓦台で会食を開いていわゆる「基本権」だの、「幸福権」だのと体制対決の下心をあらわにしたあげく、しまいには我々の祝砲夜会行事まで悪辣に誹謗・中傷した。(「プレシアン」2009.6.13、「聯合ニュース」2010.4.20)

 逆徒は、かいらい統一部の任務と職能も南北関係の改善と和解、協力ではなく「吸収統一」と定めてそれに備えるようにする一方、あらゆる烏合の衆である人間のくずまでかき集めてビラ散布と反共和国謀略放送を強化せよと騒ぎ立てた。(「アジア経済」2010.12.29、「文化日報」2011.2.17、「統一ニュース」2011.4.12)

 そのうえ、逆徒は2011年5月8日、ドイツ訪問時の同胞懇談会で、「1989年に西ドイツの首相がベルリンの壁が50年はこのままであろうと言ったが、10カ月後に崩れた」として、南北の統一もそのようにおとずれるかもしれないと騒ぐ一方、2011年6月21日、民主平和統一諮問会議の連中を集めて「統一が泥棒のように真夜中にやってくるかもしれない」との妄言まで吐いて大きな物議をかもした。(「毎日経済」2011.5.9、「ファイナンシャルニュース」2011.6.21)

 実に、李明博逆徒の体制対決妄言は、その悪辣さと極悪非道さにおいて前例のないものであって、全民族の大きな怒りをかき立てている。


無分別な軍事的対決と戦争妄言

 最近、北南関係が戦争の危機にまで直面したのは、李明博逆徒が執権後これまで米国を後ろ盾にして軍事的対決と北侵戦争策動に狂奔し、軍部好戦狂を挑発的妄動へと駆り出したところにある。

 逆徒は「大統領」に当選するや否や、南朝鮮の江原道の最前方部隊から訪れて戦争熱を鼓吹したし、2008年1月11日にかいらい国防部を見て回っては「強い安保意識」だの何のと北侵戦争態勢を強化するよう訓示した。(「KBS」2007.12.31、「ファイナンシャルニュース」2008.1.11)

 2008年3月12日には、かいらい第3野戦軍司令部へ出向いて国防部の業務報告を受け、「世界最強の北の軍事力を目前にしている」「強固な韓米間の協力と安保意識が重要である」と騒ぐ一方、8月18日の「国務会議」では「局地戦の紛争の可能性」を公然と騒ぎ立てた。(「ノーカットニュース」2008.3.12、「ネイバー」2008.8.18)

 特に、李明博逆徒は2008年9月26日、共和国の国旗を標的にかかげて行ったかいらい軍合同火力示範訓練場を訪れて軍部好戦狂をおだてて、「現代戦は前線が特にない。完璧に対応できるよう態勢を整えなければならない」と青筋を立てたし、2010年5月4日、かいらい軍主要指揮官会議などで「北と敵対状態」だの、「特殊な状況」だのと言って「主敵概念を確立せよ」と騒ぎ立てた。(「聯合ニュース」2008.9.26、「京郷新聞」2010.5.4)

 逆徒は、2010年5月24日の天安事件に関する対国民談話と2010年6月9日の民主平和統一諮問会議の連中との懇談会などで、「わずか50キロ先に最も好戦的な集団がいるということを知らなければならない」「断固たる姿勢を示さなければならない」「戦争を恐れるな」「百の言葉よりも行動で示す時である」と言い散らす一方、2010年11月23日と12月23日、かいらい合同参謀本部の指揮統制所と最前方かいらい軍部隊に行っては「交戦規則を超えた対応をしなければならない」「大反撃を加えなければならない」「当然の代価を払わせる」「北の方に向かって目を光らせなければならない」などの極悪な妄言もむやみに吐いた。(「KBS」2010.5.24、「アジア経済」2010.6.9、「聯合ニュース」2010.11.23、「ニューシス」2010.12.23)

 逆徒がどれほど対決と戦争に狂ったのかは、2011年6月24日に青瓦台にかいらい国会国防委員会の委員を呼んで「延坪島砲撃時、北を攻撃できなかったのが千秋の恨みである。鬱憤が爆発して本当につらかった。今も怒りを静められない。我慢できない」と言い散らしたことに集中的にあらわれている。(「東亜日報」2011.6.24)

 最近、かいらい軍部一味があえて我々の体制と最高の尊厳に抵触する標的事件、標語事件のような極悪非道な挑発的妄動を働いたのは、李明博逆徒のこのような妄言と悪口、訓示によるものであって、その張本人はほかならぬ李明博逆徒である。

 以上の李明博逆徒の妄言は、南朝鮮のメディアに公開されたうちの一部にすぎない。

 李明博逆徒の妄言を挙げれば切りがない。

 今、南朝鮮の各階層は、李明博逆徒の極悪非道な反統一対決妄言を「大統領の舌が国民全体を惨禍のなかに陥れている」「李明博の対北政策は、毒蛇の政策」「李明博は、口を閉じて生きろ」などと込み上げる怒りに満ちて断罪している。(「民衆の声」2008.11.29、「京郷新聞」2010.5.25、「統一ニュース」2011.5.12)

 売国逆賊である李明博逆徒の極悪な万古の大罪は絶対に許されず、我が軍隊と人民は全民族とともに逆賊一味を必ず審判するであろう。
祖統研11.7.6−朝鮮通信=東京




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