南朝鮮当局は、対話破壊者の正体を隠せない
祖国平和統一委員会書記局備忘録
−2011年4月23日−


 朝鮮中央通信によると、祖国平和統一委員会(祖平統)書記局は23日、「南朝鮮当局は、北南対話の悪辣な破壊者、蹂躙者の正体を隠せない」と題する備忘録を発表した。その全文は次のとおり。


 北南対話は、同族間の不信と対決を解消して和解と団結を図り、祖国統一を実現するための重要な方途である。

 我々は、歴史的な6.15共同宣言の旗印のもとに北南関係を改善し、平和と統一の局面を開こうとする確固たる立場から、南朝鮮に保守「政権」が登場した以降も終始一貫して北南対話のためにあらゆる努力を尽くした。

 しかし、南朝鮮保守当局は、同族対決を悪辣に追求して対話を拒否し、北南関係を破局へと追い込んだ。

 祖平統書記局は、北南対話の破壊者、蹂躙者としての南朝鮮保守当局の正体と反統一的犯罪行為を内外にことごとく明らかにするため、この備忘録を発表する。


北南共同宣言の否定と蹂躙・抹殺

 歴史的な6.15共同宣言と10.4宣言の発表は、北南関係の発展と祖国統一運動で画期的な転換をもたらした一大出来事である。

 この間、我々と南朝鮮の以前の当局間には、北南共同宣言履行のための対話と接触が数多く行われ、その過程に大きな前進が遂げられた。

 現南朝鮮保守一味は権力を握るなり、それらすべての対話を一朝にして断絶し、6.15共同宣言と10.4宣言によっておさめられた成果を余すところなく踏みにじった。

 かいらい保守一味は、権力を握る以前から全民族と全世界が全幅の支持、歓迎を寄せた6.15共同宣言と10.4宣言について「容共利敵文書」だの、「政治家たちが平壌へ行って署名してきたからといって、後任者が履行するものではない」だの何のと全面否定しただけでなく、その履行のための北南対話を極力妨げた。

 当時、野党であったかいらい保守一味は、「今まで対話が、真の対話であったのか考えて見るべきである」として、10.4宣言履行のために2007年11月と12月、我々と前南朝鮮当局の間に行われた北南総理会談と副総理級北南経済協力共同委員会会議をはじめ、当局の対話と接触に対して異を唱えたし、分野別の協議履行機構の運営にも悪辣にブレーキをかけた。

 2007年12月、かいらい大統領選挙を通じて権力を握ると、保守一味は反対話的な本性をさらに露骨にさらけ出した。

 かいらい一味は、まだ正式に「政権」を引き継いでいない状態にもかかわらず、既に合意した会談と協力事業でも「大統領職引き継ぎ委員会」と事前に「実用性」と「妥当性」などを協議しなければ推し進められないとクギを刺して北南対話に直接的な脅威を加えた。

 かいらい保守一味の悪辣な妨害策動によって、2008年1月末から2月まで開城で我々と前南朝鮮当局の間に行われた北南鉄道協力分科委員会第1回会議と金剛山観光活性化のための北南実務接触、北南道路協力分科委員会第1回会議をはじめ10.4宣言履行のための一連の対話と接触が何の実も結べずにうやむやになった。

 かいらい一味の反対話策動は、2008年2月に「政権」の門札をかかげた後に政策化されて極度に悪辣に行われた。

 かいらい保守一味は、途方もない「非核・開放・3000」なるものを持ち出して「対北政策」として正式に宣布し、「北が核を放棄し、開放する前には、どんな対話や協力も行わない」と公言することで事実上、北南対話の全面拒否を公式に宣言した。

 これによって、2008年上半期の間に行われることになっていた第2回北南総理会談と副総理級北南経済協力共同委員会第2回会議をはじめ、20余件の北南対話と協力事業がすべて破綻したし、それで終末を告げた。

 10.4宣言に明示された西海平和協力特別地帯の設置に関する北南当局間の実務協議もかいらい一味によって破綻した。

 もともと、海州地域とその周辺海域を包括する西海平和協力特別地帯の設置は南側当局の要請によって、我々が、軍事的にデリケートな地帯であるが平和と共同繁栄の見地から寛大に受け入れて10.4宣言に盛り込まれた問題である。

 我が方は、海州港地域に対する南側の現地調査まで許可して、それを推し進めるための実務協議に積極的に臨んだ。

 しかし、かいらい一味はむやみに、西海平和協力特別地帯の設置はNLLをなくそうとする北の戦略だの、それに巻き込まれてはならないだの何のと反対したし、南朝鮮の企業が現地調査もできないようにして結局、西海平和協力特別地帯推進委員会会議は前「政権」の時である2007年末にたった一度行われ、その後開かれないまま幕をおろさなければならなかった。

 10.4宣言が履行されて西海平和協力特別地帯が設置されたなら、西海海上でこんにちのように複雑な事態が発生せず、危険極まりない戦争の危機も醸成されなかったであろうというのは言うまでもない。

 かいらい一味によって、10.4宣言に明示された開城工業地区第1段階の建設を早期に完工して第2段階の開発に着手する問題は、推進はおろか、さらに萎縮して存在するかどうかという岐路に立たされており、開城−新義州鉄道と開城−平壌高速道路の改・補修問題は1、2回現地を考察することで終わり、臨津江河口共同利用の問題、安辺と南浦に造船協力地区を建設する問題など、協力事業は手付かずのまますべて吹き飛んだ。

 かいらい一味は、両北南共同宣言に明示された祖国統一と北南関係、平和問題に関する重要な合意の履行もすべて破綻させた。

 統一問題を、我が民族同士が力を合わせて自主的に解決していくことに対しては醜悪な親米事大・売国逆賊行為でこたえ、相互の思想と制度を尊重して内部問題に干渉せず、連邦制統一を実現していくことに対しては不純な体制対決と「吸収統一」の妄想、反共和国心理戦の再開で挑戦した。

 北南間の軍事的敵対関係の終息と朝鮮半島の緊張緩和、平和保障問題に対しても北侵戦争策動と反共和国核騒動を強化し、特大型の謀略事件と軍事的衝突事件を挑発することで逆行した。

 実に、南朝鮮保守一味によって歴史的な両北南共同宣言が否定され、宣言によっておさめられた成果がことごとく蹂躙、抹殺されたし、和解と団結、平和と統一の道をたゆみなく前進してきた6.15統一時代の流れがいっときでも止まることになったのは嘆かわしいことにほかならない。


北南当局対話の全面破綻

 南朝鮮保守当局は、両北南共同宣言を履行するための既存の対話をことごとく断ち切ったばかりか、北南関係の破局を防ぎ、平和と統一の新たな局面を開くための我々の対話の努力にあくまでも背を向けた。

 我々は、南朝鮮で保守当局が政権を握った初日から反共和国対決と北侵戦争騒動が前例なく甚だしく繰り広げられたが、最大限の自制と忍耐力を持って北南対話のため誠意と努力を尽くした。

 我々は2009年8月、複雑な情勢のなかでも特使弔意訪問団をソウルに派遣して北南関係改善のための積極的な意志を示したし、金剛山観光客事件に関しては現代グループ会長の平壌訪問を契機に提起される問題を最高の水準ですべて解決する誠意もあらわした。

 そして、北南赤十字会談を主動的に提案して離散家族・親戚再会事業を実現し、北南関係の改善、対話と協力事業を発展させるための措置を講じた。

 この過程に、不法行為で抑留されていた南朝鮮の人員を寛大に許して送り返し、我が方水域に不法侵入した南朝鮮の船と漁民を直ちに送還する雅量も示した。

 しかし、かいらい保守一味は、悪辣な親米・事大と同族対決政策にしがみついて北南対話に臨もうとしなかっただけでなく、我々の対話の努力を愚弄、冒涜し、正面切って北南当局対話を否定した。

 南朝鮮当局者は就任するや否や、最初の統一部の業務報告と対国民記者会見なる場で、北に引きずられる「対北協議の姿勢」を変えて「新たな南北関係」を樹立すべきであるとし、「原則をもって毅然と対処すべきである」という妄言を吐いた。

 それだけでなく、多くの手先がそれぞれ「北を南の新政権に順応させるためには南北関係調整期、呼吸をととのえることが不可避である」「南北対話を5年間行わないようなことがあっても、原則なしに北に引きずられない」「任期末まで南北関係を凍結状態に置く覚悟ができている」と騒いで反対話の姿勢を公然とさらけ出した。

 特に、かいらい統一部の玄仁沢長官をはじめ、悪質保守一味はいわゆる「原則固守」だの、「待つ戦略」だの何のの詭弁を持ち出し、北南対話を執拗に阻んだ。

 かいらい一味の対話否定の姿勢は、彼らがせっかくもたらされた対話と接触に臨んで傲慢に振る舞い、意図的に破綻させたことでさらに如実にあらわれた。

 2009年4月から7月まで行われた開城工業地区実務接触はその一つの実例である。

 我が方は、南朝鮮保守当局の反共和国対決政策によってつくり出された緊張した情勢のなかでも、北南協力事業の象徴であり、6.15の結果である開城工業地区事業を維持し、改善するため主動的に北南当局間実務接触をもたらし、建設的な提案を出して誠意をもって努力した。

 しかし、内外の世論の圧力によって実務接触にやむを得ず引きずり出されたかいらい一味は、工業地区事業とは関係ない問題を持ち出して冗長に並べ立て、問題の討議を回避して実務接触を中断させた。

 翌年1月と2月、開城工業地区活性化のための実務接触に再び引きずり出されても不当な立場を引き続き固執してとうとう破綻させた。

 南朝鮮保守当局の不誠実な対話の姿勢は、金剛山観光再開のための会談でもそのままあらわれた。

 かいらい一味は2009年11月、我々が金剛山観光再開のための当局会談を提案すると、朝鮮アジア太平洋平和委員会の権能にむやみに中傷し、責任ある当局が出て来るべきだと言いがかりをつけて回避した。

 2010年2月、やむを得ず実務接触に引きずり出されては、のっけからいわゆる「黙禱」だの何のの奇怪な妄動で我が方を甚だしく刺激しただけでなく、金剛山観光客事件に対して十分な解明と保証を与えたにもかかわらず、観光客事件解決のための「3大条件」なるものを口実に無礼に振る舞い、次回の接触の日にちも決めないまま帰ってしまうことで、せっかくもたらされた対話を壊してしまった。

 かいらい一味は、人道上の問題を解決するための北南赤十字実務接触および会談までも不純な対決目的に悪用した。

 2009年8月、金剛山で開かれた北南赤十字会談の際にはいわゆる「拉北者」だの、「国軍捕虜」だの何のを持ち出して人為的な障害をつくる一方、2010年9月と10月に開城で行われた北南赤十字実務接触および会談の際には離散家族・親戚再会の定例化だけに一面的に固執し、それに必要な条件と雰囲気をととのえ、全般的な人道協力事業を活性化することに関する我々の正当な主張には終始、背を向けることで接触を空転させただけでなく、そのうえ延坪島事件を口実に一方的に中断させてしまった。

 かいらい一味の悪辣な対話破綻策動は、今年の2月の北南高位級軍事会談開催のための予備会談で集中的にあらわれた。

 元来、この予備会談は、本会談開催のための実務手続きなどを簡単に協議するのが目的であった。

 しかし、かいらい一味が艦船沈没事件と延坪島事件に執拗に食い下がって、いわゆる「誠意」だの「責任ある措置」だのと不遜に振る舞ったあげく、席を蹴って会談場を出る無礼な行為もためらわないことで、本会談に進めないまま予備会談の段階で挫折してしまった。

 去る3月末と4月中旬に2度開かれた白頭山火山共同研究のための北南実務接触に対しても、南朝鮮当局は顔も出さずに何の実権や責任もない民間人を押し立てて資料に難癖をつけて極めて誠意なく接した。

 かいらい一味の下心は、何としても北南当局対話はしないというものであり、反共和国制裁策動と北南接触・交流遮断措置が崩れかねないということから協力事業も避けようというものであった。

 今年初、我が共和国の政府、政党、団体は、連合声明を発表し、北南対話に関連する積極的な立場を明らかにする重大提案を宣明した。

 これは、内外の大きな関心と支持を呼び起こしたし、全同胞はもちろん、全世界が北南間に関係改善の新たな局面が醸成されることを期待した。

 しかし、同族対決に狂った南朝鮮保守当局は、我々の誠意ある重大提案に対して「誠意」だの何のと中傷して応対すらしなかった。

 そうして、北南当局会談のレベルと日時、場所を協議するための局長級実務接触を行うことに関する提案と、我々の最高人民会議と南朝鮮国会との間の議員の接触と協議、中断された北南赤十字会談および金剛山観光再開のための会談と開城工業地区実務会談を開催することに関する我々の提案が数カ月が過ぎてもいまだに実現されずにいる。

 すべての事実は、南朝鮮保守一味が政権を握ってこんにちに至るまで、北南当局間にまともな対話が一度も開かれていないし、ようやく実現した会談もすべて破綻の運命を免れなかったことを示している。

 対話を阻むためのかいらい一味の前提条件は日増しに積み重なっている。

 昨日は核問題と「拉北者」「国軍捕虜」問題のようなものにかこつけて対話を拒否したなら、今日になっては各種の謀略・捏造事件にまで言いがかりをつけて「謝罪」と「誠意」を云々し、対話を忌避している。

 かいらい一味は、「人権」だの「体制変化」だのも対話の前提条件にかかげようとする下心を隠していない。

 これは、かいらい保守一味に初めから北南対話を行おうとする考えが少しもないことを示している。


北南、民間の対話と接触の絞殺

 南朝鮮保守当局は、6.15以後活発に行われてきた北南民間団体の対話と接触も悪辣に阻んだ。

 かいらい一味の遮断策動によって、毎年盛大に行われてきた6.15民族共同行事と北南労働者のメーデー統一行事をはじめ、北と南、海外の各階層の統一会合が2008年6月以降、たった一度も開かれなかった。

 かいらい一味は6.15共同宣言発表8周年を契機に金剛山で民族統一大会が開かれることになった時には、南朝鮮の進歩的な統一運動団体が参加できないようにカンヌキをかけただけでなく、南側代表の演説文と北南共同文書にまで言いがかりをつけて自分らの気に障る文言を削除するようにした。

 昨年、平壌で北と南、海外の共同行事として行われることになっていた6.15共同宣言発表10周年記念行事は、かいらい一味が南側代表の参加を遮断したことで別々に開催しなければならなかった。

 2009年4月には北南教育者代表者会議、北南女性代表者の集いに参加するため6.15共同宣言実践南側委員会教育本部代表団、南朝鮮女性団体の代表が提出した平壌訪問の申請を退けることで共同行事が行われないようにした。

 かいらい一味は、2008年4月に金剛山で行われた北南青年学生団体代表者会議に参加しようとする南朝鮮青年学生団体の代表をファッショ悪法である「保安法」を振りかざして阻んだし、同年11月に6.15共同宣言実践南側委員会青年学生本部の代表のうち、一部メンバーの平壌訪問も許可せず、彼らが第三国で我が方と会うことさえ承認しなかった。

 かいらい一味は、2010年3月の艦船沈没事件発生以降、いわゆる「5.24措置」を発表して民間の接触と交流を完全に遮断した。

 それによって、昨年9月と11月に南朝鮮の民主労働党の我が方地域訪問と我が社会民主党との接触が実現されなかったし、6.15共同宣言実践南側委員会言論本部と北側委員会言論分科委員会との間の開城実務接触も破綻した。

 今年に入ってかいらい一味は、遮断措置をよりいっそう強化して南朝鮮の「対北協力民間団体協議会」をはじめ、民間協力団体と統一運動団体が提出した我が方との接触の申請をすべてはねつけ、北南民間団体の間で行ってきた通信連携と記事交流までも遮断した。

 そうして今、北南対話と接触、往来が完全に絶たれ、言葉一つ、文字一つさえやりとりできない窒息状態に陥っている。

 かいらい一味は、北南間の民間レベルの接触と交流を阻んだだけでなく、これまで平壌や第三国で我々と接触したことのある南朝鮮の運動団体と進歩的人士を「保安法」にかけて「親北左派」「容共」「スパイ」に仕立て上げて弾圧するファッショ的蛮行もはばかることなく働いている。

 南北共同宣言実践連帯を含む統一運動団体が「利敵団体」に仕立て上げられて迫害を受けており、全国教職員労働組合、祖国統一汎民族青年学生連合南側本部、進歩連帯、全国農民会総連盟、民主労働党の関係者をはじめ、多くの統一愛国人士が「スパイ」「赤」のレッテルを貼られて逮捕、処罰されるなど過酷に弾圧されている。

 かいらい一味は、6.15共同宣言発表10周年を契機に共和国を訪問した南朝鮮の統一愛国人士、韓相烈牧師に対しても、彼が帰るために板門店の分離線を越えるや否や飛びかかって野蛮に逮捕して運行し、鉄窓の中に閉じ込めて重刑を科した。

 実に、南朝鮮保守当局が執権3年間に働いた北南対話拒否・破綻策動をあげれば切りがない。

 諸般の事実は、かいらい保守一味こそ、北南対話の悪辣な破壊者、蹂躙者であることを示している。

 かいらい一味の対話拒否・破綻策動によって北南関係は甚だしく破壊され、戦争の危険は極限に達した。

 南朝鮮保守一味が北南関係をこのように凄惨にしておきながらも、「正常な軌道に入った」だの、「正しくなった」だの何のと騒ぐのは、逆賊一味が追求する北南関係がどんなものであるのかを示している。

 とりわけ、かいらい保守一味が不当な前提条件で北南対話をすべて遮断して「対話の扉は開かれている」と言い散らすことこそ、彼らの厚顔無恥さをそのままあらわにしたものである。

 南朝鮮の現当局は、この3年間を北南対話の空白期にしたことで、北南関係の歴史に最も恥ずべき汚点を残した。

 振り返れば、過去の軍事ファッショ「政権」時代にも北南対話は続けられてきたし、その過程に7.4共同声明が誕生し、高位級会談も開催された。

 1970年代初、初の赤十字会談から始まり北南対話の最高峰を成した歴史的な6月の平壌対面と10月の平壌対面に至るまで、世紀と年代を継いで数十年間命脈を維持してきた北南対話と接触が、現保守「政権」が権力を握ったこんにちになって全面断絶されたことに対して今、全同胞が込み上げる憤激を禁じ得ずにいる。

 対話を破綻させ、北南関係を破局の状態に陥れた李明博一味の反統一的犯罪行為は絶対に許されない。

 対話のない北南関係は、不信と対決へさらに突っ走るものである。

 我々は対話を重んじるが、かいらい保守一味が同族対決に狂奔してあくまで背を向けるなら、対話にこれ以上こだわらないであろう。

 南朝鮮保守当局は、我々の対話の努力を見誤ってはならないし、反対話・反統一策動が招く重大な結果について熟考する方がよかろう。
2011.4.23 朝鮮中央通信−朝鮮通信=東京




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