天女ときこリ

 むかし、ある高い山のふもとに、美しい森がありました。その森の中の小さな小屋に、若いきこりが住んでいました。きこりは、強くて心やさしく、立派な若者でしたが、たったひとりぼっちで、家族も話し相手もせわをしてくれる人もいません。自分ひとりで食事をつくり、畑をたがやし、着ものをつくろい、そのあいまに山へ登って木をきる毎日でした。さびしいと思うこともありましたが、きこりはいつも明るく楽しそうでした。

 ある日、きこりはいつものように山へ登り、谷川のそばで木をきっていました。ところが、どうしたはずみか、ちょっと手がすべったと思うと、斧はきこりの手をはなれて、あっというまに川にしずんでしまいました。

 「ああーつ。」びっくりぎょうてん、きこりは激しくあわだつ流れに、身をのりだして叫びました。「水の神さま、私の斧をかえしてください。斧がないと、仕事ができません。」

 そのときです。流れの真ん中がひときわ白くあわだったと思うと、水の女神があらわれました。女神の手には、きらきらと光る金の斧がにぎられています。

 「これはおまえの斧か?」 女神はやさしくたずねました。

 きらめく金の斧に、きこりの目はかがやきました。けれども、きこりは正直者。首をふって答えました。

 「いいえ、女神さま。それは私のではありません。私の斧は鉄でできた古い斧です。」

 女神はにっこりとわらい、水の中にしずんだと思うと、またすぐに鉄の斧をもってうかびあがってきました。きこりの目は、さっきよりもずっとうれしそうにかがやきました。

 「これはおまえの斧か?」 女神はもう一度たずねました。

 きこりは手をさしだして答えました。

 「はい、女神さま。私の斧です。」

 女神は、やさしく笑いながら、きこりに斧を返してくれました。そればかりか、さっきのきらめく金の斧までくれたのです。

 「おまえは正直だこと。それに働き者だし。私はこの川の中から、もうなん年もおまえのようすを見てきましたが、おまえはいつだって、働くのが楽しくてしかたがないというふうでしたよ。褒美に、おまえに美しい妻、それも天女の妻をあげましょう。この金の斧は、その天女の花嫁への、私からの贈り物です。しあわせになるのですよ。」

 こういって、水の女神は流れの中にきえていきました。あとにのこされたきこりは、あまりのふしぎに、夢でも見たのではないかと思ったほどです。しかし、その手には確かに、自分の斧ともうひとつ、きらめく金の斧がかかえられていたのです。

 つぎの朝、きこりはいつもと同じように山に登り、いそがしく木をきっていました。そこへ突然、山奥から一匹のの鹿がすごいいきおいで走ってきました。鹿は、きこりを見るとたちどまり、いいました。

 「狩人に追われています。お願い、助けてください。」

 もともと、心のやさしいきこりです。かわいそうに思って、とっさにしげみのかげに鹿をかくしてやりました。まもなく、弓矢をもった狩人がやってきて、きこりに声をかけました。

 「このへんに鹿が逃げ込んできただろう。」

 きこりはだまって首をふり、むこうの林のほうを指さしました。すると狩人はまた足ばやに遠ざかっていき、その足音もすぐに聞こえなくなりました。鹿はしげみから出てきて、きこりに礼をいいました。

 「きこりさん、ありがとう。おかげで命が助かりました。お礼にあなたの望みをかなえてあげましょう。きこりさん、あなたはお嫁さんをほしいと思っているのではないですか。あなたほど立派ですてきな人が、こんなさびしいところにたったひとりで暮らしているなんて、お気の毒です。あなたにすばらしい花嫁さんをあげましょう。いいですか、よく聞いてくださいよ。

 この山のずっと奥に大きな滝があるのを知っていますか。その滝の上が池になっているのですが、これがじつは天女の池なんです。毎日、天女たちが水あびのために、その池におりてきます。あなたはあすのお昼、その池までいって、草むらのなかにかくれてまっていなさい。まもなく天から三人の天女の姉妹がおりてきます。そして、着ている羽衣をぬいで、池にはいります。三人は水あびにむちゅうになるでしょう。そのあいだに、あなたは、三人のうちでいちばんすてきだと思う天女の羽衣をとってかくしてしまいなさい。羽衣がなければ、天女は天に戻れずに、あなたの花嫁になるしかありません。そして、お二人はきっと幸せになるでしょう。」

 この鹿の話に、きこりは目をかがやかせました。

 「ああ、おれはひとりぼっちじゃなくなる。」

 きこりにとっては、夢のような話でした。そのようすを見て、鹿はまたいいました。

 「ただし、これだけは忘れないでください。お二人のあいだに三人の子どもができるまでは、どんなことがあっても、けっして羽衣を天女に見せてはいけませんよ。三人の子どもの母親になれば、天女は天に帰ることをあきらめるでしょう。三人の子どもをかかえてとぶことはむりだからです。でも、ふたりなら、天女は両腕にひとりずつかかえて、天に昇ってしまいますよ。」

 いいおわると、鹿はもう一度頭をさげて、どこかへいってしまいました。

 つぎの日、きこりは鹿に教えてもらったとおり、山奥の滝の上に登り、天女の池を見つけました。美しい池でした。あたり一面、よいかおりがあふれ、池の水はどこまでも青くすんでいます。きこりは池のそばの草むらに身をひそめました。

 まもなく、空が明るくかがやいたと思うと、三人の天女が天からおりてきました。その美しいこと。いままでにこんな美しい人たちは見たこともありません。中でもひときわかわいい末の妹を、きこりはすぐに気にいってしまいました。

 さて、見られているとも知らない天女たちは、羽衣をぬいで草むらにおくと、つぎつぎに池に入りました。三人で水をかけあったり、おどったり。青い水しぶきがあがるたびに、声をたてて笑いあいました。そうやって三人が水あびにすっかり気をとられているすきに、きこりは末の天女の羽衣をそっととって、ふところの奥深くしまいこみました。

 しばらくして、天女の姉妹は池からあがり、羽衣を着ようとしました。ところが、どうしたことか、末の妹の羽衣がありません。

 「あら、私の羽衣がないわ。盗まれたのかしら。」

 おどろいた天女たちは慌ててあたりをさがしましたが、羽衣は見つかりません。

 「まあ、どうしたらいいのでしょう。」三人は声をそろえてなきじゃくるばかりです。

 そうしているうちにも、時はどんどん過ぎていき、とうとう夕ぐれが近づいてきました。ふたりの姉はなくなく妹をだきしめました。

 「かわいそうに。羽衣をなくしてしまったら、もう天へは戻れないのね。そんなあなたをひとりぼっちにしてここにおいていくのは、とてもつらいわ。でも、私たちだけでも帰らなければ、もう天の門がしまってしまう。ね、元気を出すのよ。そして、羽衣をはやくさがしだして、あとから帰っておいで。」

 こういって、ふたりの姉たちは、うしろをふりかえりふりかえり、とんでいってしまいました。かわいそうな妹の天女は、たったひとり、池のほとりに残されました。ついさっきまではとても美しくかがやいて見えたこの泡も、いまとなっては恐ろしいところに思えます。天女は顔をおおって泣き崩れました。

 そのとき、誰かが天女の肩をやさしくゆすりました。天女がはっとして顔をあげると、美しい若者が立っていました。いままで草むらにかくれていたきこりです。

 「天女さま。どうして泣いているのですか。かわいそうに、あなたの目はまっ赤、ほおは青ざめていますよ。なにか、とても悲しいことがあったようですね。ああ、わかった。あなた、天で木をきっていて、銀の斧をこの池に落としてしまったんでしょう。私はきこりですが、私だって、前に、川に斧を落としたことがあるんですよ。もっとも鉄の斧でしたけどね。私もあなたみたいに泣きました。すると、親切な水の女神さまが斧を返してくれたんです。そればかりか、その女神さまは、この私が天女と結婚するでしょうといって、花嫁のための金の斧までくれたんですよ。だから、いま、こうして会ったのは、私たちが結婚するために違いありません。どうか、私と結婚してください。」

 きこりはやさしく天女の手をとりました。天女のほうも、きこりの美しく男らしい顔だちとやさしいなぐさめの言葉に心を動かしました。

 「やさしいきこりさん、ありがとう。でも、私が泣いていたのは、銀の斧を落としたからではありません。私、だいじな羽衣をなくしてしまったのです。羽衣がないと、もう天へは帰れません。それが悲しくてないていたのです。あなた、見ませんでしたか、誰かが私の羽衣をもっていくのを。」

 これを聞いて、きこりの胸はいたみました。

 「かわいそうに。こんなに悲しんでいる。いっそ羽衣を返してあげようか。しかし、それではこの人は私のそばにいてくれなくなる。」

 きこりは心をきめて、天女の手を強くにぎりしめました。

 「美しい天女さま。そんな羽衣のこと、忘れておしまいなさい。羽衣なんかなくても、あなたはとても美しい。あなたは天がこいしいようだけれど、この地上だってそんなに悪いところじゃありませんよ。私の小屋はちっぽけでみすぼらしいけれど、まわりの森は美しいところです。さあ、私といっしょにきて、暮らしましょう。もうすぐ日もくれます。とにかく山をおりなければ。」

 きこりにこういわれると、ほかにたよるあてもない天女です。きこりについていくよりしかたありませんでした。

 こうして、天女はきこりの妻になりました。森じゅうに咲き乱れていた花ばなが実をむすぶころには、ふたりのあいだにもかわいい子どもが生まれました。天女はいまではすっかり地上の生活になれ、夫のきこりを心から愛していました。そしてまもなく、ふたりめの子どもも生まれ、月日は静かに過ぎてゆきました。

 ある夏の日のことです。西の空が夕やけで赤くそまるころ、きこりはいつものように背負いはしごいっぱいのたきぎをせおって、家に帰ってきました。小屋の戸をあけると、夕ごはんのにおいがして、妻と子どもたちの声がむかえてくれます。

 「おかえりなさい。」

 それから一家そろっての楽しい夕ごはん。美しい妻とふたりの子どもにかこまれて、きこりはとても幸せでした。黒苺の酒を飲んでいい気持ちになったきこりは、つくづくと自分の幸せをかみしめていましたが、そのとき、ふと、心が苦しくなりました。きこりは、そっとそばにいる妻の顔を見ました。

 「この人も、あんなこうごうしい天女だったのに、いまではただのきこりの妻だ。あのとき、私が羽衣をかくしてしまったばかりに。あれから、ずっと、私はこの人をだましつづけてきたのだ。」

 きこりには、妻がとてもあわれに思えました。そして、天女もいまでは自分のことを、心から愛してくれているし、羽衣を見せてほんとうのことを話したところで、自分や子どもたちをおいて天へ帰るとはいうまいと考えました。

 きこりは鹿の忠告を忘れていたのです。そして、だいじにしまってあった羽衣を出してきて、妻に見せました。ところが、その羽衣をひと目見たとたん、妻の心には、むかしの思い出があふれるようによみがえってきました。妻は、もとの天女に戻ったのです。

 天女はあっというまに羽衣を着たと思うと、ふたりの子どもを両わきにかかえて、小屋の上にふわりとうかびあがりました。そして、悲しそうにきこりに笑いかけ、あとはまっすぐに空へ空へとあがっていってしまいました。みるみる小さくなっていく三人の姿を見ながら、きこりはただあっけにとられているばかりでした。

 しばらくして、きこりはわれにかえりました。鹿の忠告も思いだしました。胸をうち、頭をかきむしっては泣き、空をにらみつけては、妻と子どもたちの名前を呼びつづけました。けれども、その声は遠い空にすいこまれるばかりで、こだまさえ返ってきません。

 「おれはなんてばかだったんだ。羽衣を見せるなと、あんなに強く鹿にいわれていたのに。」 きこりはいつまでも泣いていました。

 つぎの朝、きこりは重い足をひきずりながら、木をきりに出かけました。またひとりぼっちに戻ってしまったいまは、誰のために働くというわけではありませんが、ガランとした家の中にいるのが、とてもつらかったのです。

 仕事場についても、きこりの斧は重く、思うように動きません。そればかりか、いつもは楽しい森の中も、すっかりようすが変わったようです。鳥の声も小川のせせらぎも、風も花も、すべてが悲しみにしずみ、色あせて見えました。

 きこりはそばの草むらに寝ころびました。ずーつと上のほうに広がる青い空と白い雲。

 「ああ、自分もあそこまでのぼっていけたらなあ。」

 きこりは考えました。天女と結婚してからの楽しかった日々が、つぎつぎと頭にうかんでは消えていきます。そして、そのうちに、きこりのまぶたはだんだん重くなり、いつしかねむってしまいました。

 夢の中で、きこりはいつかの鹿に会いました。きこりは鹿にきのうのできごとを話し、助けてくれと頼みました。すると鹿は笑って、口からひとつぶのザクロの種をはきだしました。その種を前足で地面にうずめ、なにやら呪文をとなえると、これはふしぎ、みるみるうちにザクロは空へ空へとのびていきました。あまり高すぎて、木のてっぺんがどこまでのびたか見えないほどです。鹿はきこりにいいました。

 「さあ、このザクロの木をまっすぐにのぼるのです。そうすれば、天上のおくさんや子どもたちに会えるでしょう。ただし、天にたどりつくまで、ぜったいに下を見てはいけませんよ。もし下を見おろしたらさいご、あなたは木からまっさかさまに落ちてしまいますよ。」

 きこりは、すぐさまザクロの木をのぼりはじめました。どんどん、どんどん、ただ空をにらみつけてのぼりました。そして、とうとう木のてっぺんまでのぼりつめてみると、そこは天まであと一歩という高さでした。突然、きこりは不安になりました。しがみついているザクロの木は、風にゆらゆらとゆれています。

 「うまく天までとべるだろうか。もし足をふみはずしたら、どうなるんだろう。ああ、背負いはしごをもってくるんだった。あれさえあれば、いつも谷川をわたるときみたいにうまくいくんだがなあ。」

 きこりは、ひょいと地上を見おろしました。そのとたん、ザクロの木が大きくゆれ、きこりはポーンとはじきとばされました。下へ下へと落ちて、墜落したところは、さっきの木の根もと。これを見ていた鹿は笑っていいました。

 「はっはっ。仕事熱心なきこりさんですね。天の入口までいっていても、背負いはしごのことを忘れられなかったんだから。さあ、しかたがないから、もうひとつの方法を教えてあげます。ほら、天女の池。あの池へ、いますぐいってごらんなさい。天女たちは羽衣がなくなってからというもの、こわがってあの池へおりてきませんが、そのかわり、銀のおけを天からたらしては、池の水を汲み上げて水あびをしているのです。

 今夜は7月7日。織姫星と彦星が年に一度、天の川で会う夜です。そのお祝いの会が金星のところで開かれることになっています。天女たちも水あびをして、きれいに着かざることでしょう。いま、天女の池では、銀のつるべがあがったりおりたりしているはずです。銀のつるべが池におりてきたら、あなたは池にはいり、うまくおけの中にもぐりこみなさい。そうすれば、天女たちがあなたをひきあげてくれますよ。」

 ここで、きこりは目をさましました。あたりを見まわしましたが、鹿の姿もザクロの木もありません。きこりは目をこすりながらつぶやきました。

 「天女の池だって? 銀のおけだって?」

 きこりは、はっきりと目がさめました。そしておおいそぎで天女の池へ、山奥の滝の上へと走りました。

 天女の池は、むかしと同じように美しくかがやいていました。いえ、夕日の光のふりそそぐ池は、むかし見たときよりも、もっとやさしく静かに見えます。そのとき、天から銀のおけがおりてきました。きこりはいそいで池にとびこみ、おけにはいりこみました。その重みに、天女たちは水が汲めたと思って、おけをひきあげました。

 こんどこそ、きこりはぶじに天上についたのです。そしてすぐさま、なつかしい妻と子どもたちの姿を見つけました。妻の天女は、織姫星と彦星が天の川にむかって近づいていくのを見ていました。

 「あの星たちは年に一度は会えるのだわ。けれども、私はもう、地上の夫に会えない。」

 天女は肩をおとしてつぶやきました。これを聞いたきこりは、うしろからやさしく天女をだきしめました。

 「私なら、ここにいるよ。」

 天女と子どもたちは、どんなによろこんだことでしょう。こうして、きこりは、天女や子どもたちといっしょに、天上でくらすことになりました。そしてときどきは地上へもおりてきて、あの天女の池で水あびをした、ということです。

出典:ほるぷ出版「世界むかし話」10

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