アメリカの朝鮮戦争勃発の歴史歪曲策動

5 冷戦終結後、さらに甚だしくなった
朝鮮戦争勃発の歴史「裏返し」策動


 アメリカは冷戦終結後、国際情勢の「有利さ」に乗じて朝鮮戦争勃発の歴史を「裏返し」する策動をめぐらした。

 アメリカが唱えた朝鮮戦争勃発の歴史「裏返し」とは、彼らの利益にかなうよう朝鮮戦争勃発の真相を裏返しにすることを意味する。

 アメリカのこの歴史「裏返し」策動の裏には、冷戦終結の好機に乗じて朝鮮戦争勃発の責任を共和国になすりつけ、共和国を「戦犯国」に仕立て上げて孤立させ圧殺しようという凶悪な下心がある。

 こうした企図からアメリカと南朝鮮は、冷戦終結後、朝鮮戦争勃発の歴史「裏返し」策動を重要な課題とし、「大統領」をはじめ、高位級の人物と日本軍国主義者をはじめ、「同盟国」、「追随諸国」および崩壊した旧ソ連まで利用してその幅と度合いを強めた。そしてその効きめを強めるため、共和国にたいする孤立・圧殺策動を悪らつに進めた。


1 エリツィン政府との結託による朝鮮戦争勃発の歴史「裏返し」策動

 アメリカと南朝鮮は冷戦の終結を機に、エリツィン政府と結託して朝鮮戦争勃発の歴史を歪曲することに注目を向けた。

 彼らは、これまでの朝鮮戦争の歴史は、東西冷戦の影響を受けて公正に叙述されていないから裏返すべきだとし、これに朝鮮戦争とかかわりの深いロシアを引き入れて利用することにした。

 アメリカの差し金のもとに南朝鮮は1990年代の前半に、エリツィン政府にいくばくかの金をつかませて、朝鮮戦争にかかわる秘密資料の提供を求めた。エリツィン当局がこれに応ずる気配を見せると、南朝鮮は得たりとばかりに大統領をはじめ、外交官、安企部要員、御用学者まで動員して、ロシア当局から関連資料を手に入れようとした。

 1992年11月、金泳三(キムヨンサム)はエリツィンを南朝鮮に招き、「経済借款」を与える代価の一部として朝鮮戦争に関する秘密文書の提供を求めた。

 南朝鮮国会で、「6.25文書」を探して提供するとエリツィンが約束した後、金泳三は1994年6月にモスクワに出向き、朝鮮戦争前と戦争期間に共和国外務省と旧ソ連外務省との間に取り交わされたという「電文」、「面談録」などの外交文書や旧ソ連共産党中央委員会の会議録などの内部文書を含め、計216件、545ページに達する資料をエリツィンから受け取った。

 金泳三はこれらの文書が、「6.25が北の奇襲、南侵によるものだったという歴史的事実を詳細に明らかにする」であろう、とうそぶいた。

 そして『ソウル新聞』、『中央日報』、『東亜日報』などの南朝鮮の新聞を利用して
「ロシアも事実どおりに口を開くことになった」、「韓国戦起源論争の真実が明らかになるであろう」、「北侵説の虚構があばかれ、南侵説が既定事実化されることになった」などとデマ宣伝をおこなった。

 ところが、彼らはエリツィンから提供された 「6.25文書」をいくら調べても、「南侵」説を裏付けるこれといった資料を見つけることができなかった。こうなると彼らは、「当時ソ連と北の間に外交文書がしきりに取り交わされたということ自体が6.25戦争準備のためのもの」だの、「直接的な言及はないが、さまざまな資料から類推すると、6.25が南侵だったということが示唆される」だのと、内容を自分勝手に憶測したり歪曲する卑劣なべテン行為に取りすがった。

 1994年5月にロシア国営のオスタンキノTV放送社が製作、放映した『党中央委員会の秘密、朝鮮戦争』というビデオテープはその実例である。

 モスクワ・クレムリン文書保管所で発掘された朝鮮戦争に関する資料にもとづいて製作したというこのビデオテープは、朝鮮戦争勃発の歴史を途方もなく歪曲し、朝鮮戦争があたかも「北の南侵」によって起きたかのように描写している。

 このビデオテープは題目から内容に至るまで、すべてがとてつもない捏造品であったため、公開されるやいなや学界や社会各界の疑惑と非難をかった。

 ビデオテープの製作担当者であるボルコゴノフは、そのビデオテープが、だれも見られなかった秘密文書保管所に自分が直接入って発掘した資料にもとづいたものだと弁明した。

 彼の言葉はさらに大きな疑惑を呼び起こした。

 ロシアの歴史学博士ゼニーキンをはじめ多くの学者は、だれも見ることができなかった党中央委員会の秘密資料をボルコゴノフだけが見たというのは納得しがたい、と資料の信憑性に疑問を呈した。ゼニーキンは1994年5月31日付の『プラウダ』紙に寄稿した文章で、ボルコゴノフが「自分だけ知る秘密文書」を「独占取材」したというのは「非良心的なこと」だと非難し、ロシア科学アカデミー東方学研究所の朝鮮課長ワーニンは、だれ一人見られない秘密資料をボルコゴノフだけが独占して利用することができたという状況は理解できないと指摘した。そして、専門家の公開的な討論を経た厳正な学術的検討もないまま、資料にたいする自分勝手な引用と解釈によって「北朝鮮を戦争犯罪集団」と決めつけるのは学問的な態度というより悪意にみちた扇動行為にすぎないと非難した(南朝鮮の雑誌『ハンギョレ21』付録)。

 結局、「ビデオテープ」のでたらめさはあばかれた。

 こうして南朝鮮は、ロシア外務省の官吏や学者たちから面責と非難を受けた。

 1994年10月、モスクワで南朝鮮の「外交安保研究院」とロシアの世界経済および国際関係研究所の共催による「国際学術会議」に参加したロシア外務省次官パーノフと極東問題研究所所長チタレンコは、南朝鮮が「6.25文書を公開してロシアまで外交的苦境」に陥れたとして、「6.25が北の南侵」によって起きたという南朝鮮の主張を否定した。パーノフは基調演説で、「6.25の開戦直前に、南北間には大小の武力衝突が頻繁に起きていた。正直なところ北の『南侵』と断定するのは難しい」と言って「南侵」説を一蹴した。

 ロシアの外交官吏や学者たちが「6.25文書」の公開そのものを問題視したのは、もともと南朝鮮に「6.25文書」を渡す際、共和国および中国との関係を考慮して公開しないよう求めていたためである。エリツィンは、1993年6月にモスクワを訪れた元安企部部長の韓昇州(ハンスンジュ)に「6.25文書」の目録を手渡す際に内容を性急に公開しないよう念を押したとのことである。『ソウル新聞』(1993年6月25日付)は、それについて次のように報じている。

 「政府は『ロシアの要請』により、『6.25文書』を受け取ったという事実の外は内容を一切秘密に付している。外務長官も『内容を先ばしって明かさない方が韓ロ両国関係に役立つ』と極めて用心深く対応している。

 韓昇州がエリツィンから目録を受け取ってみずから保管し、帰国後、単独で金泳三に報告したのもこのためである」

 エリツィン当局が文書の内容を性急に公開しないように望んだのは、その文書に何か内容があったからというよりは、第三国と関係する外交機密文書を売り渡したこと自体に気がとがめたからである。

 それにもかかわらず、南朝鮮はそれを性急に公開したばかりでなく、その文書から自分たちの期待した資料を見つけることができなくなると、事実を勝手に憶測し誇張したことでエリツィンを苦境に陥れたのである。これらの事実は、アメリカと南朝鮮の、エリツィン当局との結託による朝鮮戦争勃発の歴史「裏返し」策動が失敗したことを示している。


2 日本軍国主義者を利用しての朝鮮戦争勃発の歴史「裏返し」策動

 冷戦の時期、日本軍国主義者は朝鮮戦争について公式的な見解の表明を避け、自分たちの朝鮮戦争加担の事実が放送や出版物によって漏れないよう徹底した報道管制を布いた。

 さらに、彼らは朝鮮戦争で死亡した者にたいする公式の評価や年金の支給もできず、その遺家族に5千ドルの慰謝料を払って「秘密遵守」を強要した。

 国際法に照らして日本の朝鮮戦争参戦を問題にすれば、賠償や処刑を免れないことは明らかであるため、日本軍国主義者は冷戦当時には朝鮮戦争の有益性を宣伝する程度でしか関与できなかった。

 冷戦が終結すると彼らはアメリカの庇護のもとに自己の本性をさらけだし、アメリカによる朝鮮戦争勃発の歴史「裏返し」策動に加担する挙に出た。

 日本軍国主義者がでっちあげた代表的な虚説の一つは、「朝鮮戦争は、マッカーサーの大謀略に北朝鮮の小謀略が巻き込まれた戦争」という詭弁である。

 日本の反動的な御用史家である萩原は、雑誌『文芸春秋』に寄せた文章で、「もともと朝鮮戦争は、米極東軍司令官であったマッカーサーが世界戦略の次元で準備したものであるが、戦争を起こす口実を見つけようとしていた矢先、北朝鮮が『南朝鮮解放』を熱望し、焦って事を起こしたので朝鮮戦争勃発の責任を北朝鮮が負うことになった」とした。そして、「北朝鮮がマッカーサーに乗せられた」だの、「マッカーサーの落とし穴にはまった」だのと歪曲した。

 萩原はこのような反動的虚説の妥当性を論証するため、中国で共産党が蒋介石の国民党を本土から駆逐したことに「北朝鮮が刺激を受けかねなかった」だの、そのため南朝鮮を解放して統一するための「南侵計画」を急いだだの、東京にいたマッカーサーは「北朝鮮の情報をウィロビーの情報部隊の報告によってすべて知っていたが、知らぬふりをしていた」だのと捏造した(南朝鮮の雑誌『マル』1994年6月号)。

 萩原のこの筋書きは、アメリカの差し金によってつくりあげられた「南侵」説の衣替えにすぎない。

 事実上、共和国はアメリカが朝鮮戦争を準備していることをことごとく知っていたし、それを傍観することなくアメリカの一挙一動を鋭く注視しながら、戦争に対処すべく必要な準備を整えた。そのため、共和国はかいらい李承晩一味の不意の侵攻を即時挫折させ、反撃に転ずることができたのである。事実がこうであるにもかかわらず、冷戦終結後、日本軍国主義者がアメリカの朝鮮戦争勃発の歴史歪曲策動に加担して朝鮮戦争勃発の歴史
「裏返し」に一役買って出たのは、朝鮮戦争に参加して犯した侵略行為を覆い隠し、共和国にたいする孤立・圧殺と再侵略に有利な状況をつくりだすためである。


3 対共和国孤立・圧殺策動に便乗した断末魔的な朝鮮戦争勃発の歴史「裏返し」策動

 1990年代初の湾岸戦争以後、アメリカは朝鮮戦争勃発の歴史歪曲策動を軍事的圧殺策動と結合していっそう悪らつに展開しはじめた。

 アメリカは、国際原子力機関の不穏勢力と野合して「核脅威」をつくりあげ、共和国に原子爆弾を出せと途方もない要求をつきつけて孤立・圧殺策動に踏み出した。

 これにたいし共和国が強硬な対決姿勢をとると、アメリカは軍事的「制裁」を云々し、国防長官ペリーをNBCテレビ番組に出演させ、「北朝鮮にたいする先制攻撃は、一つの選択案となっている」という傲慢きわまる好戦的な暴言を吐かせた。

 これとともにアメリカは、6隻の航空母艦、34個の戦闘飛行隊、4個の爆撃飛行隊、11個の陸軍部隊50万を投入して共和国を攻撃する作戦計画まで立て、第2の朝鮮戦争を引き起こす機会をうかがっていた。

 南朝鮮はアメリカの孤立・圧殺策動に呼応して、北が1950年代にソ連製戦車をもって不意に「南侵」したように、こんにちは核兵器を開発して同族に核の惨禍を被らせようとしているとヒステリックなデマ攻勢を展開しながら、アメリカに「先制攻撃」を要請した。同時に彼らは、アメリカにそそのかされ、特攻隊を派遣して共和国の原子力発電所を破壊するとまで放言した。さらに彼らはマスメディアを総動員して、1950年代に「人民軍の戦車南侵」によって「韓江(ハンガン)の人道橋が修羅場」と化したかのように想起させながら、核爆弾を搭載した爆撃機が今にも軍事境界線を越えてくるかのようにわめき立てた。

 こうした状況について南朝鮮の雑誌『マル』(1994年4月号)は、「『核脅威』騒ぎで住民は神経衰弱にかかり、気が転倒している」と伝えている。

 共和国がいかなる孤立・圧殺策動にも微動だにしないのを見てとったアメリカと南朝鮮は最近、さらに狡猾な「宥和政策」をとる一方、「北朝鮮の50年代の対米挑戦」を云々して新たな戦争準備に熱を上げている。

 ボイス・オブ・アメリカ(1998年1月13日)によるとアメリカは、「50年代にアメリカに挑んだのも共産北朝鮮であったが、こんにち、アメリカの新秩序確立に挑戦する最も危険な勢力も共産北朝鮮であり……アメリカの頭上に核爆弾を浴びせる唯一の敵も北朝鮮軍である」とし、1990年代末期に共和国を軍事的に圧殺するために手段と方法を選ばなかった。

 共和国が1998年8月に人工衛星「光明星1号」の打ち上げに成功したとき、アメリカとその追随勢力は、6.25朝鮮戦争勃発当時に唱えた「南侵奇襲」説の模写版である「北のミサイル脅威」を持ち出して情勢をいっそう緊張させ、共和国を孤立・圧殺するための策動に熱を上げた。

 1999年6月、アメリカと南朝鮮は、朝鮮西海の「北方限界線」を持ち出してそれを正当化しようと、南朝鮮海軍を動員して故意に「西海事件」を引き起こし、その後、南朝鮮とその周辺で戦争演習の頻度を高め、南朝鮮占領米軍と南朝鮮軍を増強して情勢を緊張させた。そして、「西海事件」の責任を共和国に転嫁する卑劣な行為まで働いた。

 この「西海事件」について南朝鮮のある判事が、西海上での武装衝突事件は南朝鮮海軍の意図的で冒険じみた挑発によって起こったという文章をインターネットで流すと、泡を食った南朝鮮当局は彼を捜査する騒ぎまで起こした。

 アメリカと南朝鮮は「西海事件」を起こした後、「北の軍事的脅威」と「予測不可能な挑発可能性」についてさらに喧伝し、極端な北侵策動を繰り広げている。彼らは共和国を標的にした1千余個の核兵器を南朝鮮に配備した状態で、北侵のための「OP5027−98」を立て、朝鮮半島での「全面戦争」の際、膨大な米軍兵力を緊急投入する対策と、日本をはじめ、追随諸国の兵力を引き入れる策略をめぐらしており、各種の合同軍事演習や南朝鮮占領米軍家族の退避訓練までおこないながら、先制攻撃にひとしい暴言まであえてしている。

 このように、アメリカとその追随勢力の共和国にたいする軍事的圧殺策動がさらに露骨化しているなかで、特に注目されるのは、その効果を高める目的でさらに強まっている朝鮮戦争勃発の歴史「裏返し」策動である。

 アメリカと南朝鮮は、2000年6月の朝鮮戦争勃発50周年にちなんで、莫大な資金と人員を動員して、2003年までの3年間、朝鮮戦争勃発をはじめ、軍事関係の歴史を歪曲宣伝する策動を集中的かつ広範におこなおうと画策している。

 アメリカの差し金で南朝鮮は、朝鮮戦争勃発50周年を控えて、アメリカと南朝鮮政界の上層部まで参加させる「行事」を大々的におこなうことにし、1998年に「準備委員会」を組織して予算まで編成した。南朝鮮は、2000年度に朝鮮戦争「50周年記念行事」を鳴り物入りで宣伝し、「造形物」の建立、「再照明された戦争史」の編纂、朝鮮戦争に参戦した数万人の米軍と追随諸国雇用兵のための「記念式」、「歓迎パーティー」、「記念メダル」の授与、「国連軍」の墓地参り、「市街パレード」、「仁川(インチョン)上陸作戦の再演」などを企画し、6.15北南共同宣言が発表された後も「仁川上陸作戦50周年記念行事」などさまざまな「戦闘記念行事」や「記念館、銅像の建立行事」をおこなうなどして、朝鮮戦争の歴史歪曲策動をつづけた。

 これは、アメリカと南朝鮮が朝鮮戦争を開始する前から始めた朝鮮戦争勃発の歴史歪曲策動を対共和国孤立・圧殺策動に便乗して、最終的段階でおこなおうとしていることを示している。


結びのことば


 朝鮮戦争を引き起こした責任を免れようとするアメリカとその追随勢力の卑劣かつ執拗な謀略策動を世界の面前にあばきだすことは、朝鮮半島においてのみでなく世界的規模でアメリカの侵略と戦争策動を阻止、破綻させ、平和を守るうえで意義が大きい。

 世界の心あるジャーナリストは、アメリカの朝鮮戦争勃発の歴史歪曲策動の内幕を明確に知り、それを粉砕するための闘争を繰り広げるべきである。

 こうして、朝鮮戦争を引き起こした戦犯であるアメリカとその追随勢力に、これ以上詭弁を弄する余地を与えないようにし、彼らを歴史の峻厳な審判場に引き出して法的責任を負わせるべきである。

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