アメリカの朝鮮戦争勃発の歴史歪曲策動

3 戦争の過程で朝鮮戦争勃発の真相を歪曲した謀略行為


 戦争の過程で朝鮮人民軍がソウルを解放して押収した信憑性のある機密文書により、アメリカによる朝鮮戦争勃発の真相が明らかになると、彼らは一時口をつぐんでしまった。しかし、1951年にマッカーサーの後任としてリッジウェイが「国連軍司令官」になった後、彼らは1951年5月に捏造した「ろ獲した北の文書」を持ち出して「6.25南侵」を「立証」しようとし、根も葉もない「戦車南侵」説、「北の先制攻撃によるソウル占領」説などの詭弁を弄して戦争勃発の真相を裏返そうと画策した。


1 ソウルで押収されたアメリカの戦争犯罪文書に対応して考案した「ろ獲した北の文書」

 朝鮮人民軍が1950年6月に反攻撃に転じてソウルで押収したアメリカとかいらい李承晩一味の「北伐」軍事戦略計画図と南朝鮮陸軍情報局3課が作成した1950年諜報工作計画案(A)をはじめ、数多くの報告、書簡などの文書は、アメリカが朝鮮戦争を引き起こしたことを白日のもとにさらけだす告発状となった。

 これに泡を食ったアメリカとかいらい李承晩一味は、その「対応策」として「ろ獲した北の文書」なるものをつくりあげた。1951年5月2日、国連駐在アメリカ代表オースチンを通じて国連事務総長トリグブ・リーに送る「特別報告」に「北朝鮮の『偵察命令第1号』と『戦闘命令第1号』」なるものを含めて公開する謀略がめぐらされた。

 彼らは「問題となった文書は、(1950年)6月18日に朝鮮人民軍第4師団の参謀長にロシア語でくだされたという『偵察命令第1号』と、6月22日に第4師団長が韓国語で下達した『戦闘命令第1号』である。前者は1950年10月4日にソウルで発見され、後者は7月におそらく戦場で発見されたのであろう」(南朝鮮の雑誌『新東亜』1990年7月号 448ページ)とでっちあげた。

 アメリカは、これらの「文書」は「1950年6月25日、韓国にたいして開始した北朝鮮の攻撃」を立証するものだとした。

 朝鮮人民軍側が「偵察命令第1号」と「戦闘命令第1号」の原本を提示するよう求めたのにたいし、アメリカは数十年が過ぎたこんにちまで国連や板門店(パンムンジョム)の会談場にそれを提示できないまま苦しまぎれの弁明を繰り返してきたが、結局、失敗を認めざるをえなかった。

 これについてアメリカの歴史学者ブルス・カミングスも「結局、原本は発見されなかった。私は、アメリカ政府の諸機関が数年にわたって原本を捜し求めたが、むだだったという話を二人の記録保管係から聞いた。……高位レベルの認可によって、ようやく機密解除となった韓国戦の最も重要な二つの文書は紛失したままである。……
1965年にそれが偽造文書だと北朝鮮が再び主張したとき、板門店のアメリカ代表は急いで軍史部長に連絡をとったが、彼もやはり見つけ出すことができなかった。彼はその原本を探すためウイロビー将軍に問い合わせた。ウイロビーからは『敵の文書取り扱いはほとんど日常的な作業だ』(同上448ページ)との返答があっただけだった」と告白している。

 また、「この文書の原本は入手不可能だ。ロシア語原本の複写本にはいかなる官印や署名、あるいは個人的な封印も押されていなかったが、すべてが同一の書体で書かれている。したがって、それは原本を書き写したものに違いない。とにかくその文書は外見だけでは立証できない。文字がロシア語であるのはおかしい。

 人民軍将校のうちロシア語で読んだり話したりすることができたのはごく少数であり
(大部分の将軍は中国で服務したので中国語を知っていた)、私が見た数多くの人民軍からろ獲した文書はすべて韓国語になっていた。……

 この文書をもって南韓が何をしたかを知るなら、この文書のもつ説得力は著しく弱まるであろう」(同上 449ページ)と評している。

 これは、アメリカが「南侵」を立証するために持ち出してきた「ろ獲文書」がすべて偽造文書であることを余すところなく暴露している。


2 「戦車南侵」説と「北の先制攻撃によるソウル占領」説

 アメリカは、朝鮮人民軍が「先に奇襲攻撃したということは戦争の過程であからさまになった」との論題のもとに、「戦車南侵」説、「北の先制攻撃によるソウル占領」説のごとき詭弁を弄してつっかかってきた。

 アメリカは 「……1台の戦車もなく押しまくられた軍隊(南朝鮮軍───編者)がソ連製の戦車2百余台を先に攻撃したということを信じる者はいない」(南朝鮮の雑誌『週刊韓国』1990年7月号)と言って「戦車南侵」説を主張した。

 この詭弁の本質は、共和国は戦車を持っていたので侵攻者となり、彼らは戦車を持っていなかったので侵攻者にならないということである。

 かいらい李承晩一味は、朝鮮戦争を引き起こす前に、戦車を保有しようと狂奔した。

 朝鮮戦争当時の南朝鮮陸軍参謀総長丁一権(チョンイルグォン)の『回想録』によれば、1949年10月に李承晩は、人民軍には戦車があるのに韓国軍にはないと言って、アメリカに戦車の提供を求めたが、「韓国は、道路や橋梁の状態が悪いから戦車を送っても役に立たない」と拒まれたとのことである。

 にもかかわらず、アメリカが「李承晩に戦車をやると北侵を断行して戦争を起こしかねないのでやらなかった」とか、戦車を持っていた「北が戦車を先に立たせて先制攻撃した」と言うのは、戦争勃発の責任を共和国に転嫁するための詭弁にすぎない。

 またアメリカは、戦争が始まってから3日目に人民軍がソウルを占領した「秘訣」は、「人民軍が日曜日の早暁、国防軍が気をゆるめたすきに、不意に先制攻撃したから」だという論理を持ち出してきた。

 これもまた、朝鮮戦争犯罪人の正体を隠ぺいするためのでたらめな言辞にすぎない。

 朝鮮戦争が勃発して3日目にソウルが陥落したのは、アメリカとかいらい李承晩一味が人民軍の戦闘力と戦闘準備を過小評価して挑みかかつてきたためである。

 1977年2月に米国務省が公開した『アメリカの対外関係』(1950年 第7巻)の「軍事」という表題の「外交機密文書」に、「北朝鮮をソ連、中国との関係においてのみ考察し、独自の思考法と経済的・軍事的潜在力を正しく評価できなかった」と記録されている事実や、朝鮮戦争当時、米第8軍司令官だったリッジウェイが「遺憾にたえないことではあるが、多大な血の代価を支払わされた原因は、北朝鮮軍の高い戦闘能力を正しく評価できなかったことにあったと考える。戦闘が始まると、司令部は毎日のように必要な兵員数を計算しなおしてふやさねばならなかったが、我々は確かに敵の戦闘力を正しく評価できなかった」(アメリカの図書『朝鮮戦争』 35ページ)と告白している事実は、「北の先制攻撃によるソウル占領」説のでたらめさを実証している。


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