アメリカの朝鮮戦争勃発の歴史歪曲策動

2 戦争開始と時を同じくしてでっちあげた、
「北の奇襲」説と国連における謀略


 アメリカは戦争を開始した直後、あらかじめ作成しておいた筋書きに従い、国連の名を盗用して恥知らずにも「北の奇襲」説をでっちあげ、それを根拠に米軍の武力干渉を公然と強行し、国連の名でそれを正当化しようと画策した。


1 マッカーサーと李承晩のポケットから出た「北の奇襲」説

 朝鮮戦争を引き起こすや否や、アメリカは戦争を「全く意外な事変」、「北の奇襲」と印象づけるため権謀術数をつくした。

 1950年6月25日の早暁、アメリカの筋書きに従い、南朝鮮軍が朝鮮戦争を起こしたということは厳然たる事実である。

 しかし、アメリカは、この厳然たる事実の前で戦争犯罪人としての正体を隠し、「北の奇襲」説をもって世界の目を欺こうとした。

 彼らはこの策動を、1950年6月25日、開戦6時間後に、南朝鮮駐在米大使ムチョーが本国の国務省に送った「最初の報告」によって実現しようとした。

 ソウルで開戦の知らせを待っていたムチョーは、かいらい李承晩一味から渡された情報資料をもとに、国務省に送る電文を作成した。

 ムチョーが作成した電文には、「韓国軍事顧問団の現地顧問の情報により、部分的に確認された韓国軍の情報によれば、北朝鮮軍はけさ、数地点において韓国領土に侵入した。……この情報にかんして韓国軍事顧問団や韓国当局と協議したが、攻撃の性質とそのはじまり方からみて、韓国にたいする全面的攻撃であるかのようである」(アメリカの図書『朝鮮戦争の歴史』上 日本語版125ページ)と書かれていた。

 この電文に表現されているいくつかの曖昧な点は、ムチョーの報告に客観性と公正さが欠けていることを示している。

 アメリカの図書『朝鮮戦争───回答のない質問』(13〜14ページ)は、ムチョーの「最初の報告」にたいし大きな疑惑を抱いて、次のように評している。

 「ムチョー大使の報告は、注意を要するいくつかの問題点を提起している。第1に、それは、間接的で『部分的に確認』された通報にもとづいていることだ。結果、ムチョーは、分界線情勢についての自己の判断をくだせなかった。

 第2に、その報告が、国防部官吏たちが米軍事顧問団の野戦顧問たちに手渡した情報にもとづいていることだ。一般のアメリカ官吏が評するように、韓国官吏の信頼性は大いに疑わしいものであった。

 第3に、米軍事顧問団の野戦顧問は数的に少なく、彼らが、前線での事態発展についての情報を韓国軍のみから得なければならない状況で、彼らが韓国側の通報を確認できたかについては疑わしいところである。

 第4に、ムチョーの最初の電文にはいくつかの矛盾点があるが、その一つに、彼が『北朝鮮軍は、数地点において韓国領土に侵入した』と書きながらも、『攻撃の性質とそのはじまり方からみて、韓国にたいする全面的攻撃であるかのようである』と、付け加えたことである。

 第5に、北朝鮮軍が『韓国に侵入した』と断定したあとに、彼はその通報を調査する計画だとして、その主張からいく分後退したようだ。結論的に、ムチョーの報告は、一つの仮説的な報告だった。

 にもかかわらず、ワシントンでは、ムチョーの電報文が確定的なものとして取り扱われた」

 アメリカが、ムチョーの報告にある「未確認」の断片的な資料を確認しようとせず、「確定的なもの」として取り扱ったのは、「北が南侵した」ということを意図的にでっちあげるのがその本心であったからである。

 米国務省に報告されたムチョーの「最初の報告」は、国務長官アチソンの手によって再加工された。アチソンは、待機させておいた国務省の職員(30名)を動員して、作成ずみの「国連決議案」を考慮しながら、ムチョーの電文を修正加工した。

 アチソンは、ムチョーの電文を都合よく切り抜いて「北朝鮮軍が、きょう(25日)の早暁、いくつかの地点から韓国を侵略した」と付け足し、国連駐在アメリカ代表グロスに手渡した。グロスは、就寝中の国連事務総長トリグブ・リーを起こし、アチソンから渡された電文を見せて、国連安保理事会の招集を要求するとともに、準備してきた「決議案」を手渡した。

 アメリカの権謀術数と強要によって、国連安保理事会が真夜中の2時に招集され、ここで南朝鮮にたいする北朝鮮軍の武装攻撃は、平和に対する侵害になると断定する「決議」が採択された。

 トルーマンは、この「決議」が国連で「通過」すると歓声をあげ、この謀略の黒幕であるアチソンをおだてあげる、次のような「祝賀メッセージ」を送った。

 「ディーン・アチソン貴下

 6月24日と25日に関する件ですが、貴下が土曜日の夜、即刻、国連安全保障理事会の招集を提案して、私に通知したことは、その後に発生したすべての重要問題と緊密につながる行動でした。もし、貴下が迅速にそのような措置を講じなかったなら、アメリカは、単独で朝鮮戦争に参戦するしかなかったはずです。その後の多くの成果を見るに、貴下は、偉大な国務長官、すぐれた外交官に違いありません。貴下の功績を表彰する意味で、このメッセージを送ります。ハリー・トルーマン」(南朝鮮の図書『中国人の見た韓国戦争』24ページ)

 それだけでなくトルーマンは、「祝賀メッセージ」を送ったその日の夕刻に、ホワイトハウスで盛大な夕食会を催してアチソンを称賛する茶番劇を演じた。

 この「決議」は、共和国とソ連、中国代表の参加なしに、国連憲章に違反して「採択」されたものとして、世界中の非難と嘲笑を浴びた。

 アメリカとかいらい李承晩一味が主張した「北の奇襲」説のでたらめさは、朝鮮戦争の開始をじかに指揮したマッカーサーが、北侵の噂の伝播に慌てふためいて「緊急非常会議」を招集したことからしても露見した。

 彼らは、朝鮮戦争勃発と時を同じくして「北による南侵」を大々的に宣伝したが、隠すことほどあらわれるという言葉どおり日本において「韓国が北朝鮮を攻撃した」という事実が暴露されるに至った。これについてアメリカの図書『朝鮮戦争の歴史』上(日本語版114ページ)では、「東京のマクアーサー司令部は、不意をうたれたのだろうか? 世界旅行家で、新聞記者でもあるジョン・ガンサーはそのとき、日本を訪問しており、6月25日の日曜日、妻、ホイットニー将軍、それに二人の総司令部先任将校らとともに、日光にゆく計画だった。一行は、……朝8時に出発する予定だった。ところが、マクアーサーに最もちかい助言者であるホイットニーが、マクアーサーが自分を呼んでいるという理由で、約束をやぶらなければならないことになった。そのほかの連中は日光にでかけたが、ガンサーの言葉によると、そこで、占領軍の二人の重要メンバーのうちの一人が、思いがけなく電話によびだされた。かれはかえってきて『大うそは尻がわれてしまった。韓国が、北朝鮮を攻撃したのだ』と、ささやいた」とあかしている。

 「韓国が北朝鮮を攻撃した」という噂は、マッカーサー司令部はもちろん、東京市内をはじめ、他の都市へと広がっていった。こうして「マッカーサーが李承晩の電話(戦争開始を報告し、支援を要請した電話──編者)を受けたあと、連合軍最高司令部は騒然」となり、「マッカーサー将軍の高位補佐官たちが緊急会議に呼び集められた」(アメリカの図書『朝鮮戦争──回答のない質問』46ページ)。

 朝鮮戦争勃発と時を同じくして、李承晩とムチョー、アチソン、トルーマン、マッカーサーなどによって「北の奇襲」説がでっちあげられたので、アメリカのある評論家は、「北朝鮮が南朝鮮を攻撃したという1950年6月25日のニュースは、李承晩とマッカーサーのポケットから出た」(アメリカの図書『アメリカ現代史』日本語版153ページ)と、その真相を告発したのである。

 「北の奇襲」説が、朝鮮戦争犯罪人であるアメリカの「考案品」であることは、戦争に先立って秘密裏におこなわれた南朝鮮駐在米軍家族の疎開準備や、アメリカ本土と南朝鮮をはじめ、極東地域で朝鮮戦争に関する秘密が漏れ出たことによっても十分立証される。

 「戦争のはじまる前に、韓国から疎開する計画があった」(アメリカの図書『朝鮮戦争の歴史』上日本語版118ページ)ことを、米極東軍司令部参謀長ホイットニーが確認している。事実、戦争に先立って米極東軍司令部では、朝鮮戦争計画の一環として、南朝鮮に在留している米軍の家族をはじめ、アメリカ人を有事の際に撤収させる計画(「『コルラー』作戦という暗号で準備されていた」(日本の図書『朝鮮戦争』第1部 文芸春秋1981年)が作成されていた。それによると、この作戦には米第8軍と米極東空軍および海軍司令部が参与することになっていた。

 戦争に先立って疎開の準備が進められていたことについて、『ニューヨーク・タイムズ』紙(1950年6月26日付)は、「……まず指摘すべき点は、朝鮮での攻撃が少しも不意うちでなかったことである。朝鮮戦争のはじまったあの焼けつくような夏の日、新聞記者たちがペンタゴンとよばれる国防総省の大きなビルに集まったとき、ある副官は『……侵略が不意うちでなかった証拠として、南朝鮮にいた米軍将校、その他の家族をすぐ引き揚げうるように、配船の準備ができていた事実』を指摘した」(アメリカの図書『秘史朝鮮戦争』 日本語版17ページ)と暴露している。

 朝鮮戦争の始まる前に、その秘密が漏れていたことも公開された。

 日本の図書『朝鮮戦争』(洞富雄 24〜25ページ)は、「当時アメリカにいた中国人資本家のグループは、朝鮮戦争の開始期をかなり正確に予知していたようである」と述べ、その証拠として次の2つをあげた。その1つは、『秘史朝鮮戦争』を発行したマンスリー・レビューの責任者P・M・スウイジーが、この本の「発行者の序文」で「朝鮮戦争勃発直前に、51名のアメリカとその他の海外に住む国民党系の中国人が、アメリカの大豆市場で大々的に大豆を買い占め、3千万ドル以上の暴利を得た事実を指摘し、これは、アメリカに住む中国人が、李承晩の計画について事前に通報を受け、その情報を利用して金融上の利益を得ようとしたものだ、と推測した」ということであり、いま1つは、「『チャイナ・ロビー』特集号に『朝鮮戦争の勃発する2、3週間前に、華僑がシカゴの貿易市場で6百88万6千ブッシェルの大豆を1ブッシェル当たり2.34ドルで買い込んだ。……韓国侵入後、価格は34.5ドルに跳ねあがった』という記事が載った」ということである。

 またこの本に、当時ソウル駐在米大使館員だったコールドクエルとフロストの共著『朝鮮物語』から「イギリスは、イギリス人にたいし3週間前に、できるだけ身を避けるよう警告していたことを、戦争の始まったその日の夜遅く知った。イギリス大使館には6人しかいないのに、戦争の気配をさとったのだ」と引用されているのは、朝鮮戦争の秘密が事前に漏れていたことの例証となる。

 アメリカの図書『アメリカ現代史』(日本語版153ページ)は、当時資本主義世界のニッケル生産量の85%を占めていたダレスの「インターナショナル・ニッケル」会社が、1950年6月25日の2カ月前に、ニッケルの価格を25%も引き上げた事実と、1950年3月から5月までの間にアメリカのゴム価格が50%も跳ねあがり、同年二・四半期にアメリカのゴム輸出が戦後最高記録を立てたことを、戦争によって、極東におけるゴムの供給が危機に直面した現象と関連づけて、「ダレスの『インターナショナル・ニッケル』と、大豆投機業者以外にも、戦争を前もって知っている者たちがいた」と暴露している。

 そのほかにも、日本の図書『朝鮮戦争』(新人物住来社1973年 22〜23ページ)では、日本駐屯米第24歩兵師団の第16連隊が、1950年6月20日から戦車輸送船(LST)で本格的な上陸作戦演習をおこない、日本にいる米占領軍が朝鮮戦争直前に、朝鮮語辞典購入騒ぎを起こすなど、ただならぬ動きを見せることにより、戦争が真近に迫っているという予感を日本人に与えた、と評した。また、日本の雑誌『朝鮮研究』(1966年6月号)は、1950年6月中旬、米第24歩兵師団の駐屯していた九州小倉基地で、にわかに市内のペンキ業者を総動員して、米軍ジープの軍標識塗り替え作業を昼夜兼行でおこなったのは、戦争を示唆するものであった、と分析している。


2 米軍の武力侵攻を国連の「決議」で隠ぺい

 かいらい李承晩一味をそそのかして朝鮮戦争を引き起こしたアメリカは、共和国にたいする公然たる武力干渉を開始した後、それを国連の「決議」で隠ぺいしようとした。

 1950年6月25日2時(アメリカ時間)、国連安保理事会が北侵を「南侵」とした直後トルーマンは、共和国にたいする武力侵攻に米軍を投入する計略をめぐらした。6月25日の午後7時40分(アメリカ時間)過ぎにトルーマンは、国務長官、次官、陸海空軍の長官、統合参謀本部議長、陸軍参謀総長、空軍参謀総長、海軍作戦部長など軍部・政府の首脳陣を急遽、迎賓館(ブレアハウス)に呼び集めて、11時まで武力干渉のための会合を開いた。席上でトルーマンは、「全力をもってこの侵略に対処しなければならないことを、すべての人が認めた」(日本の図書『朝鮮戦争』 洞富雄 69ページ)とし、弾薬の支援と海・空軍の出動を命じた。

 同時に、統合参謀本部には朝鮮戦争に米軍を投入すべく命令を準備するよう指示し、米第7艦隊にはマッカーサーの指揮下にフィリピンから台湾海峡まで「哨戒」するよう命令した。

 トルーマンは6月26日から27日までの夜間(アメリカ時間で10時17分)、マッカーサーに、朝鮮で米海・空軍を戦闘に参加させる秘密命令をくだした。(日本の図書『日本再登場』48〜49ページ)

 これに先んじて米極東軍司令官マッカーサーは、米軍戦闘機をして38度線を越境して北朝鮮のすべての地点を爆撃するよう命令した。この命令はただちに実行に移された。

 アメリカ人ペレンバッハの著書『韓国戦争』(76ページ)には、「その日(1950年6月25日−アメリカ時間)米第5空軍の第68、第339戦闘飛行隊と第25戦闘爆撃飛行隊は日本から163回出撃した。……アメリカは、既に戦争を開始していたのである」と明かしている。

 このようにトルーマンは、共和国に対する武力侵攻を公然と開始しながらも、それを6月25日の国連安保理の決議によるものだと強弁した。

 これについてアメリカの新聞『ミネアポリス・タイムズ』(1950年7月23日付)が、「トルーマンは、自己の行動を正当化するため国連の6月25日の停戦決議を引用し、『安保理事会は、国連のすべての加盟国にこの決議の履行に際してあらゆる援助を提供することを要請した。こうした状況に照らして、私は米陸・海・空軍に韓国政府軍に援助と支持を与えることを命令した』と述べた」と指摘しているのは、その真相を暴露したものである。

 それゆえ、アメリカの図書『朝鮮戦争は誰が起したか』(日本語版76〜77ページ)は、「アメリカ国務省はその『白書』のなかで、6月27日の正午、大統領が『合衆国の空軍および海軍にたいし、韓国政府軍に掩護と支持をあたえよと命令』したのは6月25日の安保理事会の決議に従ったものである、と述べている。だが、これは全く事実に反している。既にみたように25日の安保理事会の決議には戦闘行為の停止が要求されているだけで、韓国にたいする援助についての決議が通過したのは27日の会議においてである」と明らかにしているのである。

 トルーマンは、国連の名で武力侵攻を正当化しようとする企図のもとに、不法にも「双方が調停に応じなければならない」との「国連朝鮮委員団」の提案も無視し、6月27日午後3時、国連安保理事会を強引に招集し、「武装攻撃を撃退し、その地域での国際的平和と安全の回復に必要な援助を大韓民国に提供することを国連加盟国に勧告する」という「決議」を採択させた。

 これについて『ニューヨーク・タイムズ』(1950年8月26日付)は、国連駐在ソ連代表マリクの見解を報じて次のように暴露している。

 「アメリカ政府は国連の非合法な決議も存在しないうちに、朝鮮人民にたいする武力侵略を開始した。このことは、ほかならぬアメリカ代表オースチン氏によっても確認されている。8月10日、安保理事会でオースチン氏は、アメリカ大統領が6月27日正午、アメリカ海空軍にたいして韓国政府を援助するよう命じた、と言明した。アメリカ代表は、アメリカの不当な朝鮮侵略を隠ぺいするために開いた安保理で、この非合法な決議をおしつけたが、その会議は、同じ6月27日の午後3時に招集されている。この事実は、公式記録からも全く明瞭である。したがって、アメリカ政府が安保理事会招集に数時間さきだって、不法かつ勝手に朝鮮侵略を開始し、こうして、国連と全世界の前に朝鮮侵略の既成事実をもちだしたことは、反論する余地のない歴史的事実である。……

 以上に述べたすべての事実からする唯一の論理的結論は、アメリカ合衆国政府が、まず侵略行為をおかし、しかるのちに国連の行動というレッテルをはりつけて、この侵略行為を隠ぺいしようと企てたということである」(アメリカの図書『朝鮮戦争の歴史』上 日本語版203ページ)

 アメリカが国連の名を盗用して朝鮮戦争勃発の責任を共和国になすりつけ、共和国にたいする米軍の武力干渉を国連の「決議」で隠ぺいし、国連の名で朝鮮戦争を引き起こしたため、フランスの月刊誌『レスプリ』(1950年8月号)は「……アメリカは疑わしいほどの迅速さで国連を利用し、かれらの利己的な利益にあまりにも密着させた決議を捏造した」とアメリカを非難している。アメリカのメディアでさえ、朝鮮でアメリカは国連を隠れみのにして参戦し‥その指揮を受け持ったマッカーサーは、国連の白紙委任状をもって米軍司令官の役割を果たしたにすぎない、と公正に評価している。


inserted by FC2 system