米軍の南朝鮮占領は、不法な犯罪行為
朝鮮法律家学会白書
−2010年9月6日−

 朝鮮中央通信によると、朝鮮法律家学会は6日、「米軍の南朝鮮占領は、朝鮮民族の分裂と不幸をもたらした不法・非道な犯罪行為」と題する白書を発表した。その全文は次のとおり。


 米国が1945年9月8日に南朝鮮を占領し、植民地統治を実施してから65年になる。

 現在、地球上のどこにも朝鮮民族のように半世紀をはるかに越える長い歳月、外部勢力によって分裂してあらゆる不幸と苦痛を経ながら統一を叫ぶ民族はない。

 こんにち、我が民族が統一を遂げられず、分裂の悲劇にあっており、朝鮮半島が戦争の危険が最も濃い世界最大のホットスポットとして残っているのは、全面的に米国の対朝鮮支配政策と米軍の南朝鮮占領によるものである。

 朝鮮法律家学会は、新世紀に入って10年になるこんにちまで、あらゆる口実を設けて南朝鮮に米軍を駐屯させ、侵略政策を執拗に追求している米国の破廉恥な策動に対処して、朝鮮民族の分裂と不幸の始まりである米軍の南朝鮮占領の経緯とその不法性を明らかにし、断罪するためこの白書を発表する。


 米軍の南朝鮮占領は、米国の対朝鮮支配政策の産物

 1世紀前から我が国に対する侵略の黒い魔の手を伸ばしてきた米国は、自分らが打ち出した世界支配戦略に従って第2次世界大戦時に「信託統治」の名目で全朝鮮を支配する策動に執着した。

 当時、朝鮮に対する植民地支配の実現が対朝鮮政策として打ち出された理由は、世界支配戦略の実現で政治・軍事的に、経済的に重要な戦略的要衝である朝鮮半島が占める位置と、当時日帝の植民地であった朝鮮が、ほかの連合国の関心の焦点になっていなかった事情に関連する。

 ほかの国と民族に対する侵略と略奪を本性に、生存方式にしている米国は、ここから第2次世界大戦時、戦後処理問題に関連して開かれたワシントン会談、カイロ会談、テヘラン会談、ヤルタ会談などで朝鮮に対する「信託統治」を実現するためにあらゆる面から策動した。米国が主張した新植民地主義的統治の名分は、日帝の軍事統治下にあった朝鮮民族に「自治能力」がないので、大国の共同管理のもとにそれを育てた後、朝鮮に独立を付与するというものであった。

 1945年8月に入り、東北アジアの急変する情勢は、朝鮮に対する米国の新植民地主義的統治の実現に危険をもたらした。8月9日、朝鮮人民革命軍が旧ソ連軍とともに日帝撃滅のための総攻撃作戦を展開することで、日本の降伏が目に見えて明らかになるや、米国は非常に焦るようになった。当時、米国は朝鮮に自分らの侵略武力を投入する余裕がなかったのである。

 日帝の必死の抵抗により、日本本土に対する米軍の作戦が計画通りに行われていなかったし、太平洋地域の米軍の基本武力は朝鮮から1500−2000マイルも離れたフィリピン一帯で足踏みしていた。朝鮮半島と600余マイルを置いて最も近くにあるという沖縄駐屯米軍武力も先の上陸戦闘で莫大な被害を受け、戦闘能力をほぼ失ったも同然であった。

 こうした状況で、これ以上おくれれば朝鮮の地に足をかける機会すら失いかねないと危惧した米国は、全朝鮮を占領しようとする侵略の野望を一時抑え、何としても朝鮮の半分の地だけでも占領する策を求めてきゅうきゅうとした。

 米国は、朝鮮の半分の地だけでも占領するためには朝鮮人民解放軍と旧ソ連軍の朝鮮域内進出をある程度の線で防がなければならず、そのためには何からの担保を得なければならないと打算した。そこで米国は、朝鮮を二分して朝鮮人民が自力で国を解放するのを阻止しようとする犯罪的計画の樹立に執着した。

 米国はあらゆる謀議を重ねた末に、日本軍を武装解除する「作戦分担線」問題を持ち出した。ソ米両軍の「作戦分担線」を北緯38度線にすべきであるという草案を作成した米国は、38度線を界線にして、北は旧ソ連軍の作戦地域に、南は米軍の作戦地域にし、関東軍は旧ソ連極東軍司令官に、「大本営」直属連合部隊は米極東軍司令官にそれぞれ降伏させるという最終案を作成した。

 トルーマン元米大統領が「38度線を朝鮮の分割線とするのは、一度も国際間の討議に上がらなかった。それは、米国側が日本の戦争機構が突然崩壊した時、実際の解決策として提案したことであった」と回顧したように、38度線は徹底的に米国による意図的な境界線であった。

 こうして、朝鮮半島の腰を貫く線が米国によって引かれ、当時、トルーマン大統領は連合国との何の合意もなしに「作戦分担線」案を承認し、連合国軍総司令官の「一般命令第1号」で連合国に通知するよう命令し、その案は1945年8月15日に太平洋地域連合軍のマッカーサー総司令官に伝えられて実践に移された。

 米国の38度線分割案は、朝鮮半島の半分の地でも占めてこそ今後、これを足場にして全朝鮮を占領し、ひいてはアジアと全世界の支配の目的を実現することができるという打算で考案されたものであった。

 このように、「作戦分担線」の名目で朝鮮半島に侵略の足を踏み入れる名分を得た米軍は、銃一発撃たずに南朝鮮を占領することができた。

 1945年9月2日、米国は、好戦狂マッカーサーに日本の横浜港に入港した米帝侵略軍戦艦ミズーリから朝鮮の38度線の南の地域を米軍が占領することを公布させた。続いて9月4日には、米帝侵略軍第24軍団の先遣隊37人を乗せた飛行機が南朝鮮の金浦に到着し、9月8日には、米海軍艦船と民間船舶まで大量に動員して沖縄にあった軍団主力が仁川に上陸した。

 米帝第24軍のホッジ団長は、米帝第7艦隊のキンケイト司令官とともに9月9日午後、ソウルにある日帝の朝鮮総督府第1会議室で朝鮮占領日本軍司令官と朝鮮総督から日本軍の降伏を現地で「接受」し、南朝鮮占領米軍司令部を設置した。こうして、9月9日午後4時から南朝鮮全域に米国の旗が掲揚され、不法な米「軍政」が実施されるようになった。

 米国は1945年10月まで、米帝侵略軍第24軍団所属第6、7、40師団の4万5000余人を南朝鮮に送り込んで全地域を占領した。

 米帝侵略軍の南朝鮮占領は大体、中央から道(市)、郡、邑、面の順序で拡大された。ソウル、釜山、全州にそれぞれ師団司令部を、主要な市には連隊本部を設け、各大隊が幾つかの郡を管轄地域にし、地域内の邑に分遣隊を置いた。これがまさに、第2次世界大戦末期を前後した米軍の南朝鮮占領の過程であった。この時から数千年間同じ領土で単一民族として暮らしてきた朝鮮民族が、外部勢力が勝手に設定した分割線によって人為的に分かれて暮らす心痛に耐えない悲劇に見舞われることとなった。

 朝鮮の腰を横切って伸びた数百キロの分割線によって514の村落が消え、8の郡と122の里が北と南に分かれ、河川、鉄道と道路が二分された。

 65年前の9月8日から始まった分裂の歴史は、我が民族に、米国こそ朝鮮民族を二つに分け、不幸と苦痛を被らせた張本人であり、侵略と戦争の禍根であることをはっきりと示している。


 米軍の南朝鮮占領は、国際法規範に乱暴に違反した不法行為

 自分らの対朝鮮支配政策に従って38度線をつくり上げて南朝鮮を占領した米国の策動は、国際法上何の妥当性もない不法行為である。

 米軍の南朝鮮占領は何よりも、我が民族の自主権を重大に侵害したものである。

 民族の自主権は、すべての民族問題をどんな外部勢力の干渉も受けることなく、自分の意思と利益に即して、みずからの力で解決していく権利である。民族の自主権は、国と民族の地位と役割を規制する基本要因であって、誰も奪うことも、侵害することもできない個々の民族の神聖な権利である。

 したがって、国連憲章をはじめ、多くの国際法的文書では、国と民族の自主権に対する尊重を一つの重要な原則として認め、それに基づいて国際関係を発展させることを優先的に強調している。

 しかし、米国は自主独立国家の堂々たる主人になろうとする朝鮮民族の意思と要求は眼中にも置かず、ただ自分らの利益に即して南朝鮮を占領し、朝鮮民族を分裂させた。結局、我が民族は、いまだに全国的範囲で民族の自主権を確立できずにいる。

 民族の分裂は一つの民族として生き、発展しようとする民族の権利に対する根本的な蹂躙であり、民族の存在自体に対する否定である。朝鮮民族は他民族、他国を一度として侵略したことも、脅かしたこともなく、外部勢力によって分裂を強いられる何の理由もない。

 にもかかわらず、米国が数千年間、単一民族として暮らしてきた朝鮮民族を二分したのは、みずからの運命を自主的に決定し、みずからの利益に沿って処理する朝鮮民族の神聖な自主的権利を無慈悲に踏みにじった犯罪行為である。

 米軍の南朝鮮占領はまた、朝鮮問題に関する国際協定を無視した破廉恥な背信行為である。

 当時、米軍の南朝鮮占領による朝鮮の分断の経緯は、第2次世界大戦を挑発したドイツの分断の経緯と根本的に異なる。ドイツの分断の経緯は、連合国の意図によるものであったし、これを後押しする国際協定に伴ったものであった。

 しかし、朝鮮の分断の経緯は、国際協定によるものではなかった。

 1943年、戦後処理問題として上程された朝鮮問題に関する列強のカイロ会談では、朝鮮人民が日帝の奴隷状態にあることを認め、朝鮮が自由独立しなければならないということを宣言したし、この宣言は1945年7月、戦後処理問題に関する連合国の最後の戦時会談で「ポツダム宣言」として再確認された。これらの国際協定のどの条項にも、日本軍の武装解除のためのソ米両軍の「作戦分担線」に関する、朝鮮の分断に関する内容を定めたものはない。

 米国は、戦後処理に関する国際会議に参加して会議の決定を承認した当事国である。国際協定を公認した当事国は、協定事項が十分に履行されるようみずからの義務をまっとうすべき責任を負う。しかし、米国は国際会議の決定を朝鮮に対する自分らの「信託統治」の実現に利用できなくなるや、自分らも同意した国際協定を白紙に戻す背信の道に進んだ。結局、米国は自分らの対朝鮮支配政策の要求に即して自分勝手に38度線をつくり上げ、日本軍の武装解除を口実に南朝鮮を不法に占領した。

 もし、朝鮮問題に関する国際協定の締約国である米国が国際決議を誠実に履行したなら、我が国は分断の受難を経なかったであろう。

 米軍の南朝鮮占領は次に、国際法上公認された戦争法規に対する乱暴な違法行為である。

 まず、1907年の「陸戦の法規慣例に関する条約」(ハーグ陸戦条約)には、合法的な軍事的占領の最も重要な条件は占領地域が敵軍の権力内に入った地域でなければならないと明記されている。この条約によって、敵軍の権力内に入らない地域に対する占領は不法な軍事的占領として取り扱われ、したがって、そのような行為を働いた国家は国際的な犯罪者として責任を負わなければならない。

 日本は、米国が南朝鮮を占領する前に、朝鮮人民革命軍と旧ソ連軍の総攻撃作戦の前に無条件降伏を宣言し、朝鮮が日本のくびきから脱して独立すべきであると再確認した「ポツダム宣言」を認めた。したがって、我が人民の創意によって組織された人民委員会に朝鮮への統治権限をみずからわたし、処分を待つのみであった。南朝鮮全域にわたって組織された各級人民委員会は、日本の軍隊と警察の武装を解除させ、自治を実施して社会の安定を保っていた。

 こうした状況で、米国が日本軍の権力の及ばない南朝鮮を軍事的に占領する何の口実や名分もなかった。

 また、戦争に関する国際法規は、軍政の実施を次のような2つの場合にのみ認めると定めている。その1つは、被占領国が他国の自主権を侵害したことによって占領国から自主権の行使を一時的に制限されなければならない場合であり、もう1つは戦後、被占領国につくり出された無秩序を正し、その国の人々が自治を行える準備を整えてあげなければならない場合である。

 朝鮮は、他国の自主権を侵害したことがなく、また解放後、全国各地に組織された人民委員会の活動によって国のすべての地域、すべての部門、すべての部分では安定した秩序が維持されていた。朝鮮人民は、どんな外部勢力の援助がなくても、みずからの手で社会を管理、運営し、富強の自主独立国家を建てることができた。

 にもかかわらず、米国は国際法上公認された戦争法規に乱暴に違反し、不法に南朝鮮を占領したし、ファッショ的な「軍政」を実施した。

 諸般の事実は、米軍の南朝鮮占領が公認された国際法規も眼中に置かない不法・非道な非法行為であり、米国の対朝鮮支配政策がどれほど侵略的であるのかを明白に示している。


 南朝鮮からの米軍撤退は、全朝鮮民族と新世紀の差し迫った要求

 南朝鮮占領米軍は、朝鮮人民が経ているすべての不幸と苦痛の禍根であり、朝鮮の平和と統一のがんである。

 南朝鮮を占領して李承晩「政権」をつくり上げた米国は、全朝鮮を掌握するため朝鮮戦争を挑発して最も残忍かつ野獣じみた方法で爆撃と砲撃、人間大殺りく蛮行を働いた。朝鮮戦争の砲声が鳴りやんでから半世紀以上がたったが、年代と世紀を継いでこんにちまで朝鮮半島では戦争の暗雲が消えていない。

 毎年、我が共和国に対する核先制攻撃を狙って「チームスピリット」だの、「リムパック」だの、「フォールイーグル」だの何のの各種名目の北侵戦争演習に膨大な南朝鮮占領米軍武力を投入してきた米国は、最近は朝鮮東海で南朝鮮かいらい好戦狂と結託して大規模の連合海上訓練を行ったのに続き、南朝鮮全域で「ウルチフリーダム・ガーディアン」合同軍事演習を大々的に行ったし、今年の末まで毎月北侵合同軍事演習を強行しようとしている。

 これは、朝鮮半島で軍事対決と緊張状態だけを激化させている。

 米国による増大する戦争の脅威は、我が党と共和国政府に経済発展と人民生活の向上に力を入れられなくさせ、社会主義強盛大国の建設に大きな難関をつくり出している。

 米軍の北侵戦争演習騒動と各種の犯罪的な蛮行は、南朝鮮人民の生命と財産に莫大な被害を与えたし、それによってこんにちまで南朝鮮人民は心休まる日がなく、不安な毎日を送っている。

 米国が朝鮮を二分した時から、我が共和国と南朝鮮人民に及ぼした被害額がそれぞれ64兆9598億5400万ドル(2005年現在)、43兆1390億2063万ドル(2003年現在)であるという天文学的な数字だけを見ても、米軍の南朝鮮占領が北と南の朝鮮民族にもたらした不幸と苦痛は計り知れない。

 米国は、南朝鮮を軍事的に占領した初日から朝鮮の永久分断を画策したし、特に、朝鮮の北と南で統一の機運が高まるたびに途方もない謀略事件をでっち上げ、南朝鮮の親米保守勢力をあおって反統一対決策動を騒々しく行ってきた。

 我が民族が受けるすべての不幸と苦痛の原因はまさに、米軍の南朝鮮占領にある。

 米軍が南朝鮮を占領している限り、朝鮮の平和と統一はもちろん、東北アジア地域の平和と安全に対しても考えられない。

 なので、北と南、海外の全朝鮮民族はもちろん、世界の進歩的人民と、果ては米国の政界、社会界でも南朝鮮からの米軍撤退の声を高めている。

 南朝鮮から米軍を早急に撤退させるのは、朝鮮半島から冷戦の残滓が一掃されて、アジア太平洋地域とひいては世界の平和と安全が遂げられることを願う新世紀の要求でもある。

 米国は、変化した情勢と歴史の発展の流れを正しく見て、すべての朝鮮人民の要求と世界の平和愛好人民の志向に即して対朝鮮政策を大胆に改変すべきであり、朝鮮半島の統一に有利な平和的な環境をもたらすために打ち出した共和国の公明正大な平和協定締結提案を一日も早く受け入れなければならない。

 朝鮮法律家学会は、米国が和解と協力、発展が基本の流れになっている新世紀の要求に即して南朝鮮に対する支配と干渉策動をやめ、南朝鮮占領米軍を直ちに撤退させることを強く求める。

 そして、全世界の平和愛好人民と進歩的な法律家が南朝鮮から米軍を撤退させて平和協定締結の提案を実現するための朝鮮人民の正義のたたかいに積極的な支持と連帯を送ることを呼びかける。

2010.9.6 朝鮮通信=東京



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