高麗民主連邦共和国創立方案30周年備忘録
−2010年10月8日−


 朝鮮中央通信によると、祖国平和統一委員会(祖平統)は8日、高麗民主連邦共和国創立方案提示30周年に際して全文次のような備忘録を発表した。

朝鮮労働党第6回大会の報告を執筆する金日成主席
1980年8月14日


 金日成主席が歴史的な朝鮮労働党第6回大会で、高麗民主連邦共和国創立方案を提示してから30周年になった。

 意義深いこの日に際して、北と南、海外の全同胞は、祖国と民族のための聖なる偉業に一生をささげ、祖国統一の輝かしい青写真を示した不世出の愛国者、民族の太陽であり、祖国統一の救い星である金日成主席に謹んで崇高な敬意をあらわしている。

 当委員会は、高麗民主連邦共和国創立方案提示30周年に際して、主席の祖国統一指導業績と連邦制統一方案の正当性と生命力、その実現のための我が党と共和国政府の積極的で、終始一貫した努力を内外に広く知らせるためにこの備忘録を発表する。




 高麗民主連邦共和国創立方案は、国の統一を一日も早く実現しようとする全同胞の切々とした念願と、北と南の具体的現実を正確に反映した最も正しい統一方案である。

 外部勢力による民族分裂により、北と南に相異なる思想と体制が長期間存在した我が国の条件のもと、ある一方の体制による統一を実現しようとするなら対決と分裂を激化させ、取り返しのつかない民族的な災難を招くであろう。

 金日成主席は1980年10月、朝鮮労働党第6回大会で全同胞の志向と国の具体的現実を反映した高麗民主連邦共和国創立方案を新たに示した。

 1民族、1国家、2体制、2政府に基づく連邦制統一方案は、我が国の実情にかなった最も正当な祖国統一方途の大原則である。

 高麗民主連邦共和国創立方案は、北と南が互いに相手側に存在する思想と体制をそのまま認め、容認する基礎のうえで、北と南が同等に参加する民族統一政府を設け、そのもとに、北と南が同じ権限と義務を負い、おのおの地域自治制を実施する連邦共和国を創立して祖国を統一することを基本内容としている。

 高麗民主連邦共和国創立方案は、統一国家の全貌とその実現方途を明示した設計図である。

 この方案は、連邦国家の組織と構成原則、権限分配と任務、統一国家の性格と国号、その対外的地位などを北と南の共通の志向と要求に即して定めている。

 それゆえ、高麗民主連邦共和国創立方案は、思想と政見、信教がどうであれ、北に住もうと南に住もうとにかかわらず、民族を愛し、統一を念願する人なら誰もが共感し、受け入れられる最も現実的かつ合理的で、公明正大な統一方案となる。

 高麗民主連邦共和国創立方案は、連邦国家の実行すべき10大施政方針も全民族的統一国家としての性格と使命、すべての朝鮮民族の利益と要求に即して定めている。

 連邦国家の10大施政方針は、朝鮮民族の一致した志向と念願を正確に反映して統一祖国の進む前途を明示する愛国・愛族的で、平和愛好的な綱領である。

 実に、高麗民主連邦共和国創立方案は、長い歳月分裂によって試練と曲折を経てきた我が民族にとって希望の旗印である。

 金日成主席が、北と南に相異なる思想と体制が存在し、異なる階級、階層と政治勢力の利害関係が複雑に絡んでいる我が国の具体的現実に合致する最も合理的であり、現実的な連邦制統一方案を提示して、祖国統一を早期に、順調に実現することのできる道が大きく開かれた。

 高麗民主連邦共和国創立方案は、二分された当初から終始一貫、一つの朝鮮路線、統一路線を堅持し、祖国統一のためにすべてをささげてきた金日成主席の偉大な思索と献身によってもたらされた愛国・愛族の統一憲章であり、主席が全民族と同胞に残した限りなく崇高な統一遺産である。

 北と南が団結と合作によって連邦国家を樹立して国の統一を達成するなら、我が国は五千年の悠久な歴史と燦爛たる民族文化、強大な国力を持つ自主独立国家の堂々たる尊厳と権威をもって世界舞台に登場するであろうし、三千里の国土にさらに富強し、繁栄する人民の楽園を建設するであろう。

 それゆえ、高麗民主連邦共和国創立方案は、発表されるなり、国内外で全同胞の念願と志向を反映した民族共同の統一綱領、最も公明正大で現実的な統一綱領として嵐のような支持と熱烈な賛同を呼び起こした。

 南朝鮮の各階層の人民と政界、社会界の人士は、高麗民主連邦共和国創立方案が我が国の現実的条件において祖国統一問題を最も早く解決できる最善の方途であるとして連邦制統一を主張し、果ては南朝鮮当局者も連邦制方式の統一方案にそれ以上背を向けられなくなった。

 世界各国の党と国家首班、政府と政党、団体も、連邦制統一方案に全幅の共感をあらわし、高麗民主連邦共和国創立方案支持委員会を設け、世界的範囲で連邦制統一を支援する大会と行事を相次いで開催して連帯運動を活発に展開した。

 実に、金日成主席が一つの朝鮮路線、統一路線を一貫して堅持し、祖国統一方途の大原則に合致する統一祖国樹立の政治憲章である高麗民主連邦共和国創立方案を提示して統一の進路を明示した不滅の業績は、我が民族の統一運動史とともに末永く輝くであろう。




 我が党と共和国政府はこの30年間、高麗民主連邦共和国創立方案を実現するために誠意ある努力の限りを尽くしてきた。

 金日成主席は、高麗民主連邦共和国創立のための前提を設けることに優先的な関心を払い、多岐にわたる対話と交渉を通じて統一の雰囲気を絶えず高揚させていくようにした。

 これに伴って、1980年11月11日に行われた共和国政党・社会団体連席会議では、高麗民主連邦共和国創立方案の早急な実現のために、北と南、海外の各党、各派、各階層を網羅する高麗民主連邦共和国創立準備委員会を組織することを提案する手紙を南朝鮮と海外同胞に送った。

 そして、1981年8月に、北と南、海外の各階層代表が参加する民族統一促進大会招集提案など、連邦制統一方案を実現するための幅広い協商方案を相次いで提示した。

 しかし、南朝鮮の軍事ファッショ一味は、我々の誠意ある措置に必死になって背を向けて、我々が手紙を送った対象者を公職から追放し、各種の罪名で逮捕、迫害し、各階層人民の統一論議を容赦なく弾圧した。

 このような情勢のなかで1982年2月10日、当委員会は祖国統一のための協商機関として、北と南、海外の政治家連合会議を招集することを提案する声明を発表した。

 北と南、海外の政治家による100人連合会議の招集をうたった提案は、米帝と南朝鮮軍事ファッショ一味の悪辣な妨害策動によって成功しなかったが、1982年12月、1984年12月、フィンランドとオーストリアで祖国統一のための北と海外同胞、キリスト教信者間の対話が行われたのをはじめ、北と南、海外の各階層人士の統一対話の発展に大きく寄与した。

 我々が1980年代の後半期に示した北南連席会議と北南指導級人士の政治協商会議招集提案も、連邦制統一方案を実現するための闘争の過程にもたらされた幅広い協商方案であった。

 連邦制統一に対する全民族的な念願と意志が高まっていた1989年3月末、南朝鮮の統一人士である文益煥牧師が平壌を訪問した。

 主席はかくも多忙ななかでも、2度にわたって彼と会見し、祖国統一に関して虚心坦懐に談話し、国の統一を連邦制方式でなし遂げることで見解の一致を見た。

 文益煥牧師の平壌訪問は、我々の一貫した全民族的対話と協商提案の正当性と生命力に対する明確な誇示として、北と南の団結と連帯の実現に大きな突破口を開いた。

 我が党と共和国政府は、連邦制統一実現の大前提である全民族の和解と団結を通じた大団結実現にも大きな関心を払ってきた。

 民族の和解と団結の新たな局面を開くうえで1980年代中葉、洪水被害に見舞われた南朝鮮の人民に、共和国人民の熱い同胞愛と至誠が込められている救護物資を送ったのは、特筆すべき出来事であった。

 民族の父である主席は、1984年8月末から9月初めに降った豪雨によって、南朝鮮の各地域で多くの人命被害と被災民が発生したという報告を受けて、速やかに救護物資を送るよう恩情のこもった措置を講じた。

 救護物資の伝達過程は、血は水よりも濃く、同胞愛は思想と政見よりも優位にあり、民族の和解と団結はどのような力によっても阻むことができないということを実証した。

 我が党と共和国政府は、救護物資の伝達を契機に、北南間の幅広い対話と協商、多面的な合作と交流を実現するために努力した。

 我々の主動的な発起と真摯な努力によって、1970年代にせっかくもたらされたものの中断していた北南赤十字会談が再開され、その結果、祖国解放40周年を契機に分裂史上初めて北南間に芸術団と離散家族・親戚の故郷訪問団の交換が実現された。

 しかし、米帝と南朝鮮かいらいは1980年代中半期から、大規模な北侵核戦争演習である「チームスピリット」合同軍事演習にさらに狂奔して北南間の和解の動きを遮断し、平和統一の前途に重大な難関をもたらした。

 このような情勢のなかでも、連邦制統一実現の平和的状況と条件を整えるための我々の努力は粘り強く続けられた。

 北南間の不可侵に関する問題を討議するための北南国会会談も提案し、1986年6月と1987年1月には軍事当局者会談と北南高位級政治軍事会談の開催を求める手紙も南朝鮮当局に送り、1988年11月には民族共同の平和綱領として平和保障4原則と包括的な平和方案も打ち出した。

 また、米国と南朝鮮当局に3者会談の開催を提案し、その実現のために誠意の限りを尽くした。

 しかし、南朝鮮当局は、我々のすべての提案と方案を回避し、拒否したあげく、いわゆる「自由民主主義体制下の統一」を唱え、対話と平和統一を全面否定した。

 金日成主席は、1980年代末から1990年代初にかもしだされた重大な情勢に対処して1990年5月、祖国統一の5大方針を提示し、続いて1991年の新年の辞で連邦制統一のための具体的で実践的な方案を新たに宣明した。

 主席は、我々は高麗民主連邦共和国創立方案が民族的合意の基礎となり得る公明正大な民族共同の統一方案になると信じているが、それに対する民族的合意をより容易に実現するために、暫定的には連邦共和国の地域自治政府にさらに多くの権限を付与し、将来的には、中央政府の機能をなおいっそう高める方向で連邦制統一を漸次的に完成する問題も協議する用意があることについて明白に示した。

 これには、北と南の相異なる体制を一つの体制にする問題は、これからゆっくり、円満に解決していくよう後代にゆだねてもよいが、思想と体制の相違を超越して一つの民族として一つの統一国家を樹立することだけは、これ以上先送りすることができないという深奥な意味が宿っている。

 愛国・愛族の理念で一貫した画期的な方案に鼓舞された北と南、海外の全民族は、祖国統一に対する新しい楽観と確信を抱いて民族挙げての統一運動にこぞって奮起した。

 その結果、1990年代に入り、全民族的対話の章が開かれ、祖国統一汎民族連合が結成されたのに続いて、北南高位級会談が開催されるなど、連邦制方式の統一を実現するための有利な環境がもたらされた。

 金日成主席は、1993年4月に発表した著作「祖国統一のための全民族大団結10大綱領」で、北と南が現存する2体制、2政府をそのままにして、各党、各派、各階層のすべての民族構成員を代表する汎民族統一国家を創立することについて再度明確に宣明した。

 全民族大団結10大綱領は、全民族の大団結によって自主的かつ平和的で中立的な連邦制方式の統一国家を早急に創設できる根本保証をもたらした不滅の民族大団結叢書である。

 金日成主席の賢明な指導のもとに、国内外で民族挙げて展開された連邦制統一を実現するための力強い闘争によって、祖国の自主的平和統一の前途には明るい曙光が差すようになった。




 金日成主席が開拓し、導いてきた祖国統一偉業を継承して連邦制方式の統一を繰り上げて実現することは、金正日総書記の鉄の意志であり、信念である。

 1996年11月24日、対決と分裂の象徴である板門店を訪ねた金正日総書記は、金日成主席の祖国統一遺訓を畢生の使命とみなし、あくまでも貫徹する鉄の意志を内外に厳かに宣明した。

 金正日総書記は、1997年8月4日に発表した著作「偉大な領袖金日成同志の祖国統一遺訓を徹底的に貫徹しよう」で、金日成主席が示した祖国統一の根本原則と方途を全一的に体系化し、集大成して祖国統一の3大憲章として定立した。

 祖国統一の3大原則と全民族大団結10大綱領、高麗民主連邦共和国創立方案を基本内容とする祖国統一の3大憲章が提示されたことにより、我が人民と全同胞は明白な目標と方向をもって民族挙げての統一大進軍をいっそう力強く推し進められるようになった。

 1997年8月、平壌で開かれた祖国の平和と統一のための第8回汎民族大会は、祖国統一の3大憲章の旗印のもとに連邦制統一を一日も早く実現しようとする北と南、海外の全同胞の確固不動の意志を内外にはっきり誇示した。

 1998年2月、共和国政党・団体連合会議では、南朝鮮に新「政府」が発足した状況のもとで、北と南が団結して自主的に民族の活路をともに切り開こうという内容の手紙を南朝鮮の政党、団体に送った。

 総書記は、1998年4月18日に発表した著作「全民族が大団結して祖国の自主的平和統一をなし遂げよう」で、民族大団結の5大方針を提示して連邦制統一の基本保証である民族大団結の実践的方途を具体的に明示した。

 総書記が開いた民族大団結の広い道に沿って、南朝鮮の統一愛国人士である文益煥牧師の夫人朴容吉女史と現代グループの鄭周永前名誉会長一行をはじめ、和解と協力の開拓者、先駆者が平壌行きの途についたのに続き、労働者、農民、青年学生、宗教家、政治家、言論人など、多数の各階層の人士が共和国を訪問した。

 特に、1999年に催された第10回汎民族大会は、北と南、海外の3者連帯実現によって極少数の分裂売国勢力を孤立させ、広範な統一愛国勢力の絶対的優位を確固と実現した。

 変化、発展する現実の要求と民族史の推移を深く洞察した金正日総書記は、祖国統一の新しい局面を切り開いた。

 金正日総書記の確固たる統一意志と大勇断によって、高麗民主連邦共和国創立方案提示20周年に当たる意義深い年である2000年に、全同胞と世界の人々の期待と関心のなかで民族分裂55年ぶりに初めて歴史的な北南首脳対面と最高位級会談が行われた。

 金正日総書記は2000年6月15日、南朝鮮の金大中元大統領と対面し、祖国統一の里程標である6.15共同宣言を採択した。

 6.15共同宣言では、北と南が国の統一問題をその主人である我が民族同士が力を合わせて自主的に解決することと、国の統一のための北側の低い段階の連邦制案と南側の連合制案の共通性を認め、今後、その方向で統一を志向させていくことで合意した。

 民族の運命と祖国統一偉業の遂行において特出した位置を占める6.15共同宣言は、北南首脳が直接合意し、署名、発表した最高の権威をもつ民族共同の指導指針であり、統一の大綱である。

 6.15共同宣言の発表により、北と南が連邦制統一へ志向していくことのできる民族共同の基礎が築かれるようになった。

 総書記が、民族分裂55年史で遂げられなかったこの民族史的課題を55時間の平壌対面を通じてなし遂げて祖国統一の転換的局面を開いたことは、時代と民族のために積み上げたもう一つの永遠不滅の功績である。

 6.15北南共同宣言発表以降の10年間は、全民族的範囲で自主が親米・事大を抑え、連北統一力量が反共和国対決勢力を圧倒し、北南関係を不信と対決から和解と協力、統一に転換させた誇らしい勝利の日々であった。

 著しく高まっている民族の自主統一熱望のなかで、2007年10月、平壌で北南首脳対面が再び行われ、「北南関係発展と平和・繁栄のための宣言」が採択された。

 10.4宣言は、6.15時代の実践を通じてその正当性と生命力が検証された我が民族同士の理念に対する絶対的認定と確認から発している実践綱領である。

 10.4宣言では、6.15共同宣言の基本精神とそれに貫いている基本内容である我が民族同士の理念を宣言の第一の条項にはっきりと明記して祖国統一の前途をいっそう明るく示した。

 北と南が6.15共同宣言と10.4宣言の旗印を高く掲げて互いに力を合わせていくなら、北南関係の発展と朝鮮半島の平和保障、連邦制統一実現の道が開かれるが、そうでなければ対決と戦争しか招かれないということが、この10年間の歴史的総括である。

 こんにち、両北南宣言を固守し、連邦制統一を実現するための闘争は、それを否定し、遮断するために狂奔している反統一の群れとの熾烈な闘争を伴っている。

 親米・事大と同族対決で6.15統一時代の前進を阻んだ南朝鮮の現かいらい保守一味は、反民族的かつ反統一的な「実用主義」や「非核・開放・3000」のたぐいの各種の対決論を掲げて、北南共同宣言の履行と連邦制統一の実現に必死になって反対している。

 南朝鮮の保守一味は、以前の「政権」が北と合意したことを履行すべき義務がないと強弁を張る一方、北と南が連邦制方式で統一を実現することで合意したのは、「北の対南戦略に巻き込まれたもの」「6.15式統一は絶対に駄目である」などと露骨に否定している。

 北と南が共同で合意し、内外に宣布した7.4共同声明と6.15共同宣言、10.4宣言は、全同胞が統一のその日まで高く掲げていくべき旗印であり、同胞の念願と志向に逆行する親米・事大・売国集団が否定するからといって、その民族史的意義が棄損され得ない。

 南朝鮮かいらい保守一味は今、米国とともに謀略的な艦船沈没事件を我々と結び付けて海上と地上、空中で各種規模の戦争演習をヒステリックに行う一方、いわゆる「3段階統一方案」と「統一税」を云々して体制対決を公然と鼓吹している。

 民族の運命と前途に対する初歩的な一家言すらない現保守一味が、誰それの「急変事態」を云々して体制対決と戦争策動に狂奔するほど、国の統一は遠ざかり、民族の運命は極めて危ない状況に陥らざるを得ない。

 現実は、外部勢力を後ろ盾にして同族対決と戦争を追求する現保守一味を放置すれば、北南共同宣言の履行も、国の平和と統一も期待することができないということを雄弁に示している。

 北と南、海外の全民族は、南朝鮮保守一味の執権によって招かれた重大な現実を通じて、連邦制方式の統一だけが民族を戦争の危険から救い、国の統一偉業を順調に成就する正当かつ唯一の道であることをはっきり悟り、その実現のための闘争に果敢に立ち上がるべきである。

 こんにち、自主統一偉業の前途には一時的な難関が横たわっているが、金日成主席が提示した高麗民主連邦共和国創立方案が、民族共同の統一方途として全民族の心のなかに固く刻まれており、6.15共同宣言と10.4宣言がその実現のための里程標を明るく照らしている限り、我が民族の統一前途は洋々としている。

 北と南、海外の全同胞は、歴史的な北南共同宣言の旗印を高く掲げて連邦制統一を実現するための闘争にこぞって決起することにより、この地の上に、この空の下に富強、繁栄する統一強盛大国、高麗民主連邦共和国を必ず打ち立てるべきである。

 高麗民主連邦共和国創立方案万歳!

 歴史的な北南共同宣言万歳!
2010.10.8 祖平統備忘録(全文)−朝鮮通信=東京


ページのトップ


inserted by FC2 system