金剛山・開城観光再開阻止策動は容認されない
−2010年3月19日−


 朝鮮中央通信によると、名勝地総合開発指導局は19日、「金剛山、開城地区の観光再開を阻む犯罪的策動は、絶対に容認されない」と題する詳報を発表した。その全文は次のとおり。


 このほど、朝鮮アジア太平洋平和委員会(ア太委)はスポークスマン談話を通じ、3月から開城地区観光、4月から金剛山観光の扉を開き、南朝鮮当局が観光再開を引き続き阻む場合、やむを得ず思い切った措置を取るということを厳かに宣布した。

 これは、金剛山と開城地区の観光再開のための北南実務接触が南朝鮮当局によって決裂した状況で、観光を不純な政治目的に悪用しようとする連中にたいする断固たる宣言である。

 振り返れば、6.15とともに内外の大きな関心のなかで10年間も行われてきた金剛山観光と開城地区観光が、保守一味の執権以来、2年近く中断されているのは実に嘆かわしいことである。

 我が名勝地総合開発指導局は、全同胞に喜びと統一の希望を与えた金剛山と開城地区の観光がどのようにして中断され、なぜ再開されていないのかを内外に明らかにし、保守一味の犯罪的策動を断罪するためこの詳報を発表する。


「金剛山観光客事件」の真相

 2008年7月、金剛山地区では、通行が禁じられた我が方の軍事統制区域内に不法侵入した正体不明の者が、警戒勤務中の我が人民軍哨兵の取り締まりと警告を無視して逃走し、射撃されて死亡する事件が発生した。

 報道によると、死亡者はパク・ワンジャさんという南朝鮮の中年の女性観光客であったという。

 当時、南朝鮮の全土を席巻した各階層人民の大衆的なキャンドルデモと弾劾闘争によって風前のともしびの危機に陥っていたかいらい保守一味は、好機とばかりに、あたかも我々が「罪のない観光客」を故意に射殺したかのように大騒ぎし、金剛山観光を一方的に中断させて反共和国謀略騒動に狂奔した。

 それは、自分らに向けられた社会の耳目をほかにそらして危機を免れ、反共和国対決策動をいっそう悪辣に繰り広げるための卑劣な術策以外の何物でもない。

 「金剛山観光客事件」は、かいらい一味が騒ぎ立てているように、決して「罪のない観光客」が決められた観光区域内で通常の観光の過程に起きた不祥事ではない。

 周知のように、金剛山観光区域は、世界的に最も先鋭な軍事境界線の非武装地帯に位置している。よって、観光コースが別途に定められ、観光客がそこから外れないよう観光区域境界標識と鉄製のフェンスをはじめ、各種の遮断物が設置されている。

 事件が起きた現場を見ても、境界標識のあるフェンスと陸地から海にまで伸びている堤、そして12メートル幅の溝など二重三重に観光区域が徹底的に区分、隔離されており、軍事統制区域には無断で立ち入ることができなくなっている。

 金剛山観光地区には、観光コースと時間、観光客が遵守すべき安全規定と出入りおよび滞在に関する決まりが正確に定められており、観光客はそれについて事前に徹底的に教育を受けることになっている。

 にもかかわらず、一体南朝鮮の観光客が、それも女性が単独でどうしてまだ通行時間にもなっていない薄暗い明け方に境界のフェンスを迂回し、堤を越えて靴までぬらしながら溝を渡って我が方の軍事統制区域に深く侵入したのかということである。これは、いまだに疑問の余地を残している。

 軍事統制区域に入ってきた不法侵入者に対する我が哨兵の行動は徹頭徹尾、軍事規定と規範に基づいた正当なものであった。

 哨所を守って通常の警戒勤務にあたっていた我が人民軍哨兵は、夜がまだ明けていない早朝に、ぼうぼうたる大海とつながっている海岸に沿って遮断物を越えて軍事統制区域に侵入した正体不明の真っ黒な物体を発見した瞬間、規定通り停止するよう大声で命令して止まるよう求めた。

 すると、侵入者は取り締まりに応じるかわりに、来た道を引き返して慌てて逃走し始めた。我が方の哨兵は後を追って重ねて停止命令を発したが、侵入者は逃げ続けた。哨兵が警告射撃をしたが止まらなかったので結局、照準射撃で侵入者を懲罰した。

 我が方は、死亡した侵入者の正体を確認しようとしたが、その身体には身元を確認できる何の証明書や標識もなかったし、南朝鮮の観光客が義務的に携行することになっている観光証のようなものもなかった。

 我が方はあちこちに問い合わせた末、南側の金剛山観光事業者である現地の現代峨山側に連絡して身元の確認を求めた。現代峨山側の関係者は、現場に来て死亡者を検査までした後、正体不明の侵入者が南朝鮮の観光客であることを確認した。

 事件現場で我が方の関係者は、南側の関係者に海水浴場の境界のフェンスを越えて軍事統制区域に侵入した観光客の移動ルートを現場の足跡をたどって見せながら、事件発生の経緯について具体的に説明し、現場と死亡者に対する撮影も許可した。

 我々は、事件の経緯がどうであれ死亡者が南朝鮮の観光客というので、人道主義と同胞愛の見地から名勝地総合開発指導局と朝鮮人民軍金剛山地区軍部隊スポークスマンの特別談話を通じて遺憾表明もし、真相も公開した。

 「金剛山観光客事件」の真相はこうである。

 一言で言って、「金剛山観光客事件」は、観光地区の規定と秩序に甚だしく違反し、制定された観光コースを逸脱して我々の軍事統制区域を侵犯しておきながら、取り締まりと警告に応じなかったことから発生した不祥事である。

 南朝鮮の観光客が我が哨兵の取り締まりに素直に応じていれば、そのような悲劇的な事件が起きなかったはずであるというのは言うまでもない。

 過去にも、南朝鮮の観光客が観光区域を逸脱して我が方の軍事統制区域に接近したり、侵入したことはあったが、その都度彼らは我が哨兵の取り締まりに従ったので不祥事を免れることができた。

 一体、自分の軍事統制区域に入ってきた不法侵入者を放置する軍隊がどこにあり、南朝鮮の軍事統制区域内でそのようなことが起きたなら南側が放任するというのかということである。

 不法侵入者を取り締まり、それに応じなければ断固懲罰するのは、我々の当然の自衛権の行使である。にもかかわらず、かいらい一味が「過剰対応」だの、「無防備状態の観光客に銃撃を加えた」だのと騒ぎ立てているのは、盗人猛々しい荒唐無稽で破廉恥な詭弁である。

 「金剛山観光客事件」の責任をただすなら、あくまでも本人の不注意であり、観光客に対する管理と統制を十分にしなかった南朝鮮当局に責任がある。


故意の言いがかり

 最近行われた金剛山と開城地区の観光再開のための北南実務接触で、南側は「金剛山観光客事件」の「真相究明」と「身辺安全保障」「再発防止」措置を「3大条件」にかかげ、それが解決されなければ観光を再開できないと強弁を張った。

 そればかりでなく、玄仁澤かいらい統一部長官をはじめ、当局関係者がそうした「政府の立場には変わりがない」だの何のと騒ぎ立てている。

 これは、観光事業を破綻させるための故意の言いがかりにすぎない。

 観光客事件の真相究明問題について言うなら、我々が事件発生後直ちに事件の全容をすべて明らかにし、南側関係者と共同で現地調査までしたので、事実上、これ以上解明するものなどない。

 事件当事者は死亡しており、事件の現場は軍事統制区域であって、だれもむやみに出入りすることができないうえ、事件から日時が経過して高潮などの影響によって地形・地物も大きく変わったことにより、現地調査の意味もなくなったということは、だれの目にも自明である。

 身辺安全と再発防止措置についても言えば、既に北南間に十分に協議、解決され、合意した問題であり、別途にも南側に何度も保証している。

 1998年10月にア太委と現代との間に締結した「金剛山観光事業に関する付属合意書」には、「観光客およびすべての人員に対する身辺安全と便宜および無事帰還の保障」を規定しており、2004年2月に行われた第13回北南閣僚級会談で採択された「開城工業地区と金剛山観光地区の出入りおよび滞在に関する合意書」には、南側人員の「身辺安全と出入りおよび滞在の目的遂行に必要な便宜を保障する」と明記されている。

 そして、2000年5月に我々は人民保安相の名義で、南朝鮮の観光客に対する身辺安全保障の覚書まで特別に発給して南側にわたした。

 特に昨年8月、観光事業の当事者である現代グループ会長の平壌訪問の際、我々は我が方の地域に入る南朝鮮の観光客の身辺安全と再発防止問題を最高の水準で保証したし、それについてア太委と現代との間の共同報道文を通じて内外に公式に宣明した。

 共同報道文には、我々の最高首脳部の特別措置によって観光に必要なすべての便宜と安全が徹底的に保障されることが明確にされている。

 我々の誠意ある措置は内外の大きな反響を呼び、南朝鮮の人民と全同胞は観光が再開される希望と喜びにあふれてそれを積極的に歓迎した。

 にもかかわらず、「統一部」をはじめ、かいらい保守一味は、「民間業者との合意は認められない」と意地悪く振る舞いながら、不作法にも我々の特別措置を全面否定し、我々が現代を通じて南朝鮮当局に特別措置の内容を通報した際には「当局間の合意」が必要であると言ってこじらせ、南側当局の関係者と直接会って保証しようとすることにたいしては正式の会談を通じて保証してほしいと言って背を向けた。

 我々の主動的な努力によってまさに当局実務接触問題が提起されると、これ以上避けてとおれなくなったかいらい一味は、だれかの代表団の権能に差し出がましく言いがかりをつけて接触の日を数日も遅滞させたばかりか、やむを得ず会談のテーブルに着いても「3大条件」にかこつけて極めて傲慢無礼で不誠実に振る舞った揚げ句、接触自体をひっくり返す妄動を働いた。

 去る2月8日におこなわれた金剛山と開城地区の観光再開のための北南実務接触の全過程は、かいらい一味が観光再開にわずかな関心もなく、ただ破綻させる下心しかないことをそのままさらけ出した。

 接触で我が方は、北南の和解と協力の象徴である金剛山観光と開城地区観光のためにこれまで誠意ある努力を傾けてきたことに触れ、我々が「観光客事件」の真相を具体的に明らかにして再発防止と身辺安全も最高の水準で保証した状況で、観光を再開できない理由がないとして観光再開に関連した合意書の草案を提示した。

 合意書草案の第2項は、「2009年8月17日に北側のア太委と南側の現代グループとの間に合意、発表した共同報道文に従って観光に必要なすべての便宜と観光客の身辺安全を徹底的に保障することにした」となっている。

 しかし、初めから破綻を目的にして何の準備もなく手ぶらで臨んだ南側は、我が方が提示した合意書の草案については、聞いているやら、いないのやらで、しらじらしく「3大条件」だけをオウムのように唱え続け、しまいにはこれ以上協議が必要ないとして次回の接触の日も決めないまま逃げる無礼な行動をためらわなかった。

 しかも、接触を始めるや否や、あらかじめ用意したシナリオに沿って北南対話史にかつてない「黙祷」の茶番まで演じたのは、かいらい一味が問題を解決するためではなく、世論をかわそうと接触にやむを得ず応じたということをそのまま示した。

 かいらい一味が最近、観光再開と関連して口さえ開ければ「身辺安全」を引き続き騒ぎ立ててそれを前提条件に掲げているが、我が方の地域には現在も毎日のように多くの南側の人員が出入りし、開城工業地区だけでも少なくない南側の人員が常駐していても、彼らの身辺には何の問題も提起されていない。

 チュチェ思想が全面的に具現されている人間中心の最も優れた社会主義制度が樹立され、政治的に高度に安定した我が共和国でのように、制度的に、法律的に、社会的に身辺安全が徹底的に保証される場所はどこにもないであろう。

 我が共和国には、他国でよく見られるマフィアも個人テロもなく、強盗もいない。共和国地域に入って規定と秩序だけしっかり守れば、だれでも観光を存分に楽しめる。それゆえ、誇り高い世界的な名勝があり、身辺安全も徹底的に保証される共和国への観光需要は日を追って高まっている。

 諸般の事実は、かいらい一味が「身辺安全」だの何のと言うのは、単に観光事業を破綻させるための言いがかりであることを示している。


観光再開を阻む下心は何か

 「統一部」をはじめ、かいらい保守一味が「3大条件」にかこつけて金剛山と開城地区の観光再開を阻んでいるのは、決して南朝鮮の観光客の身辺安全を本当に心配しているからでもなく、「観光客事件」の再発を懸念してのことでもない。

 もともと、米国に祖父のように仕えて事大・売国とファッショ独裁をなりわいとするかいらい政権にとって、人民の安全や生命は眼中にあったためしがない。

 権力を握るや否や、米国産狂牛病牛肉を食用として大量に引き入れて南朝鮮人民の大衆的怒りを爆発させたのも現かいらい保守一味であり、厳冬の中、竜山の貧しい住民の家を奪って寒空の下に追い出し、それに抗議して立てこもった撤去民(立ち退き住民)を野蛮に弾圧し、焼死させた許しがたい蛮行を働いた張本人も、ほかならぬ現「政権」である。

 そのような連中が、北南交渉のテーブルに着いて死亡した自分らの観光客1人を名分に立てて「黙祷」する茶番を演じ、「身辺安全」だの何のと振る舞う姿こそ、鼻持ちならない醜態にほかならない。

 現在、かいらい保守一味が「北に観光に行けば銃に撃たれて死ぬ」「だれも北に観光に行かせようとしない」というたちの悪いことを広めているが、そうした「懸念」を実際にする人がいるとすれば、同族を敵視する一握りにもならない反統一保守一味とその一門であろうが、絶対多数の民心は金剛山観光の再開を一様に待ち焦がれている。

 昨年、ア太委と現代との間に観光再開に関連した共同報道文が発表されると、多くの人が先を争って現代峨山側に観光予約をし、世論調査で大多数が金剛山観光の再開を支持した事実がそれをよく物語っている。

 金剛山観光中断の余波で大きな打撃を受けた南朝鮮江原道高城郡の企業と住民が絶望に陥って観光の再開を指折り数えて待っており、南朝鮮の「国会」議員たちまで金剛山観光の中断による経済的損失額が数千億ウォンに達するとし、観光を早急に再開するよう主張している。

 こうした現実にもかかわらず、かいらい一味が世論をミスリードしてまで金剛山と開城地区の観光再開をこうも悪辣に阻んでいる下心がどこにあるのかということである。

 それは何よりも、米国に追従して反共和国核対決騒動と「制裁」策動にいっそう悪辣にしがみつこうとするところにある。

 現在、かいらい一味は数十年間、外部勢力のあらゆる封鎖と圧殺策動のなかでも日を追って勝利をおさめている共和国の気概と不敗の威力に戦慄している。

 彼らは、我々の正当な偉業と断固たる気概の前で、米国が主導する敵対勢力の反共和国核騒動と「制裁」策動が効果を上げられずに水泡に帰している事態に慌てふためき、「北の核問題が解消される前には観光を再開してはならない」だの、「3大条件問題が解決されるとしても核問題と結び付けて観光問題を扱わなければならない」だのと最後のあがきをしている。

 かいらい一味は特に、「金づる」だの、「供与」だのと観光再開問題をそれと結び付けて妄言を吐いている。

 民族の和解と団結のための崇高な観光事業をいくらかの金で冒涜しててんびんにかけるのも汚らわしくて低劣であるが、観光の代価を我々の強盛大国の建設と自衛的国防力の建設と結び付けてああだこうだと言うことこそ、現「政権」一味がどんなに愚かで鈍く、無知な連中であるのかを実証するだけである。いくら金しか知らない「実用政権」でも、我々を相手にするつもりなら、共和国の強大な政治的・軍事的・経済的潜在力と最先端の境地に上がった我々の現実から十分に知って臨むべきではないか。

 観光の代価が、「ミサイルと核兵器の開発」に利用されかねないというのは、反共和国対決ヒステリーと被害妄想にかられた連中の断末魔の発作騒動がどの境地に至ったのかを示している。

 かいらい保守一味が、金剛山観光と開城地区観光の再開を阻んでいるのはまた、北南共同宣言を蹂躙、抹殺して北南関係を破局へと追い込み、民族の和解と団結、統一に逆行して、分裂と対決の障壁をもっと高く築こうとするところに、その醜悪な下心がある。

 歴代のファッショ徒党は、北南和解・協力事業の「玉童子(玉のような男の子)」に、6.15の象徴と呼ばれる金剛山と開城地区の観光を快く思わず、それを破綻させようと策動の限りを尽くしてきた。

 1989年1月、我々と現代グループとの間に金剛山観光に関する議定書が初めて締結された時、当時の軍部独裁「政権」は、それが効果をあらわす前に無残に踏みにじったし、南朝鮮で「政権」が交代して1998年11月に金剛山観光の道が開かれると、権力のポストから押し出されたハンナラ党一味は主人の米国と結託して「観光代価の軍事費転用」だの何のと言いがかりをつけてそれに挑戦した。

 2002年10月には、ハンナラ党が「国会」の多数議席を占めたのを機に、「南北協力基金」の使用を統制する方法で金剛山観光にたいする資金支援を事実上中止させ、2003年には「対北送金特検」騒動を起こして北南協力と金剛山観光の道を開拓した企業家を死に追い込んだ。

 かいらい保守一味は、2008年に権力を再び掌握するや否や、北南共同宣言を白紙に戻して対決政策を宣布するとともに、「観光客事件」を口実に一遍に金剛山観光を中止させ、開城地区の観光も阻んだばかりか、国際舞台にまで「観光客事件」を持ち出して反共和国騒動を大々的に繰り広げた。

 これらすべての事実は、金剛山と開城地区の観光が再開されていないのが、「観光客事件」や「身辺安全問題」のためではなく、全面的にかいらい保守一味の極悪な反共和国対決政策のためであることを示している。

 南朝鮮当局の反統一対決政策が撤回されない限り、これから南側と百回対座しても観光再開問題が解決されないということは火を見るより明らかである。

 観光再開にたいする否定は北南関係にたいする否定であり、北南共同宣言にたいする否定であり、和解と団結、統一にたいする否定である。

 かいらい保守一味が観光再開を阻むことで何かを得られると考えるなら、それほど愚鈍でばかげた妄想はないであろう。

 現在、この地に再び観光の季節である春が深まるにつれ、民族の名勝を見たがる南朝鮮人民の望みは日を追って増しており、全同胞は金剛山と開城地区の観光が一日も早く再開されるよう願っている。

 これから観光の道が開かれるか否かは、全面的に南朝鮮当局の態度次第である。

 かいらい保守一味が、反共和国対決策動に執着してあくまで観光再開を阻む場合、我々はア太委のスポークスマン談話で宣明した通り、断固たる措置を講じる方向に進むであろう。

 南朝鮮当局は、事態の深刻さをしっかり認識して分別のある行動を取るべきである。

 金剛山、開城地区の観光再開を阻むかいらい一味の犯罪的策動は、絶対に容認されないであろう。
2010.3.19 名勝地総合開発指導局詳報(全文)−朝鮮通信=東京



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