花束の少女は、「真由美」ではない
朝鮮中央通信が論評
−1988年3月6日−


 責任転嫁の新たな謀略宣伝

 南朝鮮かいらい集団は、旅客機事件の責任を共和国に転嫁しようと卑劣な謀略宣伝に固執している。

 5日、「安全企画部」は1972年11月、平壌で開かれた南北調節委員会第2回会議の時、「赤旗」紙特派員が撮った写真を持ち出して、そこで南朝鮮代表に花束を渡している女子生徒が「旅客機爆破犯」の「真由美」であると発表した。

 もちろん今回も彼らは、発表が「真由美」自身の「確認」と「陳述」によるものだとつけ加えている。

 彼らのこの謀略宣伝に元「赤旗」特派員まで合流し、「真由美」は、南朝鮮代表に花束を渡した少女に似ているとか言い出している。

 南朝鮮かいらい集団が旅客機事件をむりやりに我々と結びつけようと、既に「真由美」の名前、学歴、家族関係を捏造して北出身の「工作員」に仕立てている以上、新たな捏造がなされたとしても驚くにあたらない。

 我々は、彼らの捏造劇があまりにも幼稚で、でたらめなものなので失笑せざるをえない。

 我々は、旅客機事件と関連した立場を明白にしたし、事件がかいらい集団の自作劇であることが明らかになっている状況のもとで、彼らが何を言おうとも一顧の価値もなく、あえて、それに対して解明する必要を感じなかった。ししかし、彼らが何か有力な証拠にでもなるかのように日本共産党の出版物に掲載された写真を持ち出して我々を誹謗し、自分らの捏造劇を「認定」してもらおうとしている状況では、その真相に言及せざるをえない。


 母、姉弟らも平壌に住む

 かいらい集団が開城で南朝鮮赤十字代表に花束を渡したという少女が「真由美」でないように、南北調節委員会第2回共同委員長会議の時、張基栄に花束を渡した別の女子生徒もやはり「真由美」ではない。

 当時、張基栄に花束を渡した女子生徒は鄭姫善で、彼女は今も平壌で暮らしている。

 張基栄に花束を手渡した時、平壌金星中学校に在学していた彼女は1960年5月7日生まれで、その後、金亨稷師範大学を卒業し1981年9月から平壌外国語学院の教員をしている。

 彼女の父、鄭鍾汝は万寿台創作社の美術家であったが1984年12月に死亡し、母の朴仁淑(音訳)は、今も中区域敬臨洞16班に暮らし、手芸工として働いている。そして、鄭姫善の夫は1972年に日本から帰国し、現在国際関係大学の研究士として働いている。彼女の弟2人と姉1人も平壌に住んでいる。


 金星、倉田中学から選抜

 鄭姫善は1972年11月、南北調節委員会第2回共同委員長会議の時、平壌に来た南朝鮮側代表に花束を渡した生徒たちが、市内中区域管内の金星中学校と倉田中学校から選抜されたと言い、自分の前に立っている女生徒は一緒に平壌学生少年宮殿舞踏サークルに所属していた友達で、彼女が団長であった李厚洛に花束を渡し、自分は張基栄に花束を渡したと証言した。

 事実と真相は、こうである。

 花束を渡した当事者が共和国北半部に厳然として暮らしており、当時の彼女の写真がここにあるのに、彼女が「真由美」だというのは全くのたわ言である。

 写真に撮られた人の顔は隠すことも、人為的につくることもできない。

 かいらい集団が「真由美」をむりやりに「花束贈呈者」に仕立てたこのお粗末な芝居は、世界の人々に「旅客機事件」がどのように捏造されたかを示す端的な実例である。

 「旅客機事件」に我々を結びつけた捏造劇も、まさにこうした方法で仕組まれたものである。


 対決激化の正当化狙う

 かいらい集団が、改めて捏造品を持ち出して反共和国謀略に血道をあげている目的は明白である。

 彼らは、アメリカの背後操縦と日本反動層との共謀、結託のもとに旅客機事件を捏造し、我々を陥れるデマ宣伝に狂奔したが、時間が経つにつれて陰謀者たちの自作劇であることがあらわになり、国際世論の糾弾と嘲笑を受けている。

 また、宗主らと結託して事件を国連安全保障理事会に持ち出したが、そこでも冷たくあしらわれ汚れた目的を達成することができなかつた。

 南朝鮮内でも、旅客機事件に対する「捜査結果発表」は、「盧泰愚集団が、既に作成したシナリオにもとづいて演出」された「一片の信憑性もない捏造品、自作劇」であると糾弾する声が高まっている。

 自分の掘った穴に、みずからはまった身にとって、破綻しつつある謀略劇を復活させるための何らかの材料が必要だったのである。

 盧泰愚一派はこうすることで、共和国の北南連席会議提案に背を向け、北南対決をいっそう激化させて情勢を戦争瀬戸際へ導いている犯罪行為を正当化し、南朝鮮人民の不満にみちた目をほかにそらして執権「安保」を実現しようとしている。

 しかし、彼らの打算は愚かである。

 彼らが破産した謀略劇を成就させようと新たな考案品を持ち出すほど、その謀略劇の底はさらに割れ、人々のいっそう大きな糾弾、排撃にさらされるであろう。


 道理をわきまえ自重を

 我々はこの機会に、日本共産党と「赤旗」紙にも一言しておきたい。
 
 1972年当時、「赤旗」紙特派員が平壌に駐在していたのは事実であり、彼が南北調節委員会第2回共同委員長会議を取材したのも事実である。

 しかし、彼が撮った一枚の写真を取り上げて事実に合わないことを言い出し、かいらい集団の謀略宣伝に一役買っているのを見ると、精神錯乱症に陥ったのか、何がしかの金で買収されたのか理解しがたい。

 日本共産党と「赤旗」紙は、帝国主義者にまるめこまれて道理を分別できず、かいらい集団と手拍子を合わせるのが、どれほど恥知らずで醜い行為であるかを悟り、自重した方がよかろう。

 捏造者らは、自分の手でみずからの目を刺す愚かな行為をやめるべきである。

 我々は、こうした卑劣な反共和国謀略キャンペーンを絶対に見過ごさないし、世界の公正な世論も許さないであろう。



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