『金正日先軍政治』−2 先軍政治の具現

3 帝国主義との対決を勝利に導いて


思想、政治、外交における勝利

 世界が社会主義理論に終止符が打たれたかのように騒いでいた1994年11月、金正日将軍は『社会主義は科学である』を発表した。

 これは、ソ連と東欧社会主義諸国を崩壊させた要因の一つとされる先行社会主義理論の歴史的限界性を明らかにしたうえで、チュチェ思想の原理にもとづく社会主義理論を展開し、社会主義の科学性と真理性、正当性と優越性を新たに解明した文献である。

 これについて、共産党連盟−ソ連共産党評議会シューニン委員長は、著書『社会主義の光明は朝鮮から』で次のように述べている。

 「多くの国が社会主義の理念を捨てたこんにち、朝鮮人民はあまりにも苛酷な環境のもとで社会主義を建設している。

 数十年間続いたアメリカの軍事的威嚇と挑発、経済封鎖、恒常的な戦争の脅威、そのうえ全社会主義国に加えられていた圧力と謀略まで肩がわりして受けながら社会主義を建設しているのである。

 そうした困難のなかでも経済を発展させ、アメリカを威圧する国防力を備えた朝鮮人民の絶大な力は、チュチェ思想に根ざす自力更生の力であり、かれらが堅持している路線は、チュチェ思想にもとづく世界最初の社会主義建設理論=三大革命路線である。

 人民大衆のものとなった、この朝鮮労働党の思想と路線こそ、そのように巨大な物質的力となったのである。

 地球上のいかなる人民も耐えられないほどの圧力−強大な経済力と軍事力に依拠していた大国さえ耐えきれなかったその圧力と懐柔、謀略を、朝鮮労働党と人民は、思想の力ではねのけながら前進している」

 それでは、1990年代後半、いよいよ激しくなる帝国主義連合勢力との思想的対決のなかで、北朝鮮の人民は社会主義思想をどのように守り抜いたのであろうか。

 帝国主義者との思想的対決で、社会主義思想を守りとおすためには、いかなる資本主義の思想毒素にも侵されない思想の強者=前衛闘士の集団がなければならない。

 思想的陣地は、帝国主義者の反社会主義攻勢が思想分野にとどまらず、軍事分野、政治・外交分野など全分野にわたって立体的におこなわれている状況のもとで、それらすべてに対応しうるものとならなければならない。

 先軍政治は、そうした思想的陣地を人民軍に求めたのであった。

 外交とは、口と口、頭脳と頭脳の対決であると言われ、歴史には、純粋に口舌や頭脳の力でたたかいに勝利したり、外交で相手を屈服させるといった例が多い。しかし、民族の運命を決する重大問題では、常に軍事的ないし経済的な力を背景にしてこそ外交の成功を期することができるのである。

 先軍政治の不敗性は、90年代後半における朝米政治外交の争点となった「地下核施設疑惑」問題と弾道ミサイル発射問題で明確になった。

 1994年10月、ジュネーブ朝米会談で、クリントン大統領の担保書簡を基礎にして朝米基本合意書が採択されたとき、アメリカ国内のタカ派は、合意書の廃棄を主張した。

 国会多数派の共和党は、朝米基本合意書が採択されるや、朝米合意書は間違った選択である、「クリントン政権は譲歩しすぎた」「ホワイトハウスが米朝合意と関連して共和党と事前に十分協議しなかった」などと言いがかりをつけ、合意の再検討を迫った。こうして翌年1月、上院外交委員会をはじめ、国会のすべての委員会で基本合意書に対する聴聞会が開かれ「問題点」が追究された。

 上院外交委員長は、朝米基本合意書を「一つの報酬」だと非難し、共和党院内総務は、「アメリカが譲歩しすぎた」と政府を攻撃した。共和党の主だった議員も、クリントン大統領が「北朝鮮の核計画」を阻止するための交渉であまりにも多くの譲歩をしたと非難し、「我々は合意書履行資金の提供に反対し」「合意を覆すために努力するであろう」と公言してはばからなかった。

 共和党は、「米朝ジュネーブ合意の破棄、軽水炉建設の支援阻止、これが共和党の立場だ」として、1996年11月初の大統領選挙戦でも、米朝基本合意書をアメリカ外交の主要実績だとする民主党にたいし、それこそ大きな外交恥辱だと食ってかかり、非難合戦をくりひろげた。そうしたなかでタカ派は、朝米合意を葬り、クリントン政府を窮地に追いこむため、金倉里(クムチャンリ)「地下核施設疑惑」カードを持ち出した。

 アメリカで以前からくすぶっていた核疑惑説が再燃したのは、1998年8月17日付『ニューヨーク・タイムズ』が、ある情報を引用して「北朝鮮が秘密裏に建設している地下施設は、核兵器再開発用のものと認められる」と報じたことからであった。

 同年11月22日付『ワシントン・ポスト』は、「ジュネーブ核凍結合意を喜ばない議会と国防省、情報機関内の批判勢力は、最近の地下核施設疑惑を米朝基本合意をぶち壊し、対平壌対決政策へと進む好機と見ている」と報じた。

 ここで民主党はタカ派に屈し、地下核施設疑惑のレールを走る共和党の列車に同乗した。アメリカ政府は、対北朝鮮政策の見直しをおこない、「核疑惑」が解消されないかぎり、基本合意書の「保留も辞さない」という方針をとった。

 国防長官は同年11月1日、『朝日新聞』記者とのインタビューで、「北朝鮮が地下施設の査察を受諾しなければ、米朝合意は崩壊の危機に直面するであろう」と公言し、国務省のスポークスマンは11月9日の記者会見で、「北朝鮮で地下施設の査察が実現されなければ、米朝核協定の存立自体が問題視される」だろうと威嚇した。

 北朝鮮が地下施設の「査察」をあくまでも拒否する場合、「断固たる対応」をとるのに、アメリカは長い時間をかけないであろうという「警告」が当局筋やタカ派のなかからあいついで発せられると、北朝鮮はこれに断固として対応した。

 「地下核施設」の査察強要は、共和国の自主権と国の安全を乱暴に踏みにじる行為であって、絶対に許せない、疑惑なるものをどうしても解明したければ、卑劣な中傷と冒涜によって我が共和国のイメージを傷つけたことにたいし、当然政治的および経済的補償をおこなうべきである、と。これは禍を転じて福となすあざやかな戦略であった。

 アメリカは北朝鮮の要求で会談場にあらわれ、重なる会談の末、北朝鮮の要求を容れて「見学料」を支払うことを約束し、見学文書にサインした。

 こうして、アメリカの専門調査チームは1999年5月、高い「見学料」を払って金倉里地下施設を空しく見て回ったのであった。

 世界のマス・メディアは、アメリカが北朝鮮が最初に付けた3億ドルをはるかに上回る5億ドル相当のコメを金倉里地下構造物見学料として支払ったとし、アメリカ外交の低能ぶりをあざ笑った。

 朝米外交戦におけるアメリカの失態は、南朝鮮の言論界でも大きく取り沙汰された。

 『マル』1999年8月号は、うんざりするほど長い対決の末、アメリカが点を取ったのは、がら空きの金倉里洞窟に食糧をぎっしりと詰めてやったことだとし、北が「疑惑」を生み出せば、アメリカ側は食糧支援の方法を模索する、と辛辣に揶揄した。

 金倉里「地下核施設疑惑」が空中分解すると、アメリカのタカ派は北朝鮮の「ミサイル脅威」論に飛びついた。

 これは、北朝鮮のミサイルがアメリカ本土を狙っているというもので、1998年初めの国防省年例戦略報告書でも、アメリカ本土を打撃しうる「唯一の弾道ミサイル開発国」として北朝鮮が名指しされている。

 「ミサイル脅威」論は、同年8月31日の、北朝鮮の人工衛星発射(参考)によって急浮上した。

 アメリカのタカ派は、衛星「光明星1号」を弾道ミサイルだと強弁し、それがすぐにもアメリカ本土に撃ちこまれるかのように騒ぎ立てた。

 共和党の指導者は、1998年8月31日、「北朝鮮が弾道ミサイルを発射」したとし、「アメリカ本土を打撃する恐れがある」「危険このうえない」と騒ぎ、「強力な国際的指導力」の行使を政府に迫った。

 国防省でも「北朝鮮が弾道ミサイルを発射」したとし、「アジアの安全保障を揺るがす深刻な出来事」という認識のもとに、「北朝鮮の意図とミサイル開発能力の分析」を急いだ。

 平壌がアメリカの巡航ミサイル攻撃を受けるかも知れないという危機意識の高まりのなかで、北朝鮮はアメリカを会談場に引き出し、激論の末、かれらの強硬意見をあますところなく粉砕し、1999年9月17日のベルリン朝米高位級会談では、北朝鮮の経済制裁を一部解除させるという勝利をかちとった。

 アメリカの国内をはじめ世界は、それを超強大国のいま一度の屈服外交として騒ぎ立てた。共和党議員は、「ホワイトハウスが北朝鮮の圧力に屈服」したとしてクリントンを非難し、下院外交委員長は、「数十年間続けられた制裁の緩和計画に反対する声明」なるものを発表した。かれは声明で、「クリントン政府の対北朝鮮接近方式は、国会の支持を受けていないし、次期大統領のもとでは維持されないであろう」と主張した。

 最近、ある軍事評論家は、その著『北朝鮮とアメリカの関係と韓半島の情勢』で次のように指摘している。

 「元来アメリカは、相手が弱いと判断すると、どのような口実をつけても必ず侵略する国である。

 イラクやユーゴの例がそれである。

 しかし、アメリカは北朝鮮に恐れをいだいている。北朝鮮はアメリカとは死を覚悟して戦い、必ず勝つという自爆精神と必勝の精神で武装した百万の軍隊を保有している。

 とりわけアメリカは、北朝鮮のミサイル能力が一通りでないことをよく知っている。もし、北朝鮮が射程500キロのミサイルしか持っていないとしたら、アメリカは北朝鮮を協商の相手としないであろう。

 北朝鮮がアメリカ本土をも打撃しうるミサイル能力を持ち、またアメリカと戦う決意の固い国であるから、アメリカは北朝鮮を強大国とみなして協商しているのだ」

 筆者が指摘しているように、北朝鮮の対米強硬外交の背景には政治的・軍事的力があるのである。

 先軍政治が、帝国主義との政治外交的対決で堅持している立場は、いささかの譲歩もなしに自国の根本的利益を固守するという強硬高圧姿勢である。

 強硬自主外交は、誰にでも実行できるものではない。激しい外交戦における決定的な切り札は、自国の強力な政治的・軍事的潜在力にある。

 北朝鮮が、世界が手に汗を握って見守るなか、国運をかけた諸分野の対米交渉で勝利をかちえているのは、それが強力な軍事力=先軍政治に支えられているからである。

 90年代における北朝鮮の外交は、このように妥協を知らない原則外交として特徴づけられる。

 歴史をかえりみれば、タレーラン式雄弁と説得外交、ビスマルク式鉄の外交、チャーチル式打算外交、松岡式奸計外交、モロトフ式沈黙高圧外交などさまざまな外交形態が存在していた。

 ところが、北朝鮮は政治情勢の推移を巧みに利用して、アメリカや日本を対話に呼び出しては相手の主張を逆手に取ってやりこめ、原則をいささかも曲げることなく、常に自己の主張をとおしてきた。

 それでは、どうして、アメリカや日本が、北朝鮮の原則外交の前に膝を屈して、譲歩をくりかえすのであろうか。

 アメリカの外交関係協議会(非政府研究団体)は、1998年6月の政策報告書で、「金正日体制は滅亡しない。北朝鮮を武力で屈服させることはできない」という内容を骨子とする対北朝鮮外交指針を発表しているが、アメリカや日本の外交の背景にも強大な軍事力と経済力がある。外交は、そうした力によって目的を達成する一つの手段にすぎないのである。

 北朝鮮の場合も同様なことが言える。

 北朝鮮がそれほど豪胆な気骨をもって、外交原則を守りとおせるのは、先軍政治の力があるからである。

 1999年5月、クリントンは特別補佐官ペリーを平壌に送って、朝米対決の平和的解決策を模索した。

 ペリーは帰国後、平壌を武力で屈服させることは不可能である、平壌はバクダッドやベオグラードとは全く異なる、北朝鮮を見くびれば手痛い打撃を蒙るであろうから、平和的方法で朝米関係を解決すべきだとする『ペリー報告書』を公表した。

 他方、あれほどミサイル騒動に熱を上げていた日本は、村山富市元総理を団長とする『超党派』代表団を平壌に送り、朝日国交正常化会談の再開を申し入れた。

 しかし、だからといって、アメリカと日本が、北朝鮮の孤立・圧殺政策を放棄したのではない。

 共和党の『アーミテージ報告書』に見られるように、アメリカの保守勢力はいまなお、先制攻撃による北朝鮮の制圧を夢見ており、日本には、「平壌を一撃のもとに壊滅」させると放言する石原(慎太郎)東京都知事のような極右保守勢力が横行している。

 けれども、北朝鮮は金正日将軍の先軍政治によって、今後もいっさいの危機を巧みに制御して自己の意図を貫いていくであろう。


軍事的対決における勝利

 1990年代初めの冷戦終結によって平和が到来したかのごとく言われているが、国際場裏では、アメリカなどの帝国主義勢力が依然として「力の政策」を強行し、資源地帯や軍事戦略的重要地帯を軍事的に制圧、支配する意図をむきだしにしている。

 アメリカは、20世紀はアメリカの世紀であったが、21世紀もまた、アメリカが唯一の超大国となるアメリカの世紀となるであろうとし、それに見合った軍事力を備えるべきだと公言している。

 アメリカは、朝鮮半島を最も重要な戦略的要衝とみなして、南朝鮮と日本の各地に軍事基地を設け、数万にのぼる最新装備のアメリカ軍を配備し、これに膨大な軍事費を注ぎこんでいる。

 アメリカが朝鮮半島の制圧にそれほど躍起になっているのは、冷戦の終結後も社会主義の旗を高くかかげて、アメリカの政治的・軍事的世界制覇戦略に真っ向から対決する北朝鮮を目の上のたんこぶとして憎悪しているからでもある。

 では、この軍事的対決での勝者はどちら側であろうか。

 冷戦終結後における対決の序幕は、1994年12月17日、アメリカ軍ヘリの撃墜事件によって開けられたと言えよう。

 この日、前線警戒勤務にあたっていた人民軍兵士が、非武装地帯の休戦ラインを越えて北側領空を侵犯したアメリカ軍ヘリをただの一発で撃墜したのであった。

 2人の乗務員のうち1人が即死し、生き残った1人は、かれらの計画的なスパイ行為を認め、釈放を懇願した。ここにアメリカの犯罪行為は白日のもとにさらけだされた。

 ところが恥知らずなアメリカは、南朝鮮駐留アメリカ軍司令官の名で人民軍側にメッセージを送り、越境が偶発的な出来事であったの、遺憾だのとして犯罪を否定し、死亡した操縦士の遺体と捕虜をクリスマス前に送還するよう威圧的に要求した。

 これにたいする北朝鮮の態度は断固としていた。人民軍板門店代表部はアメリカ軍司令部側代表を呼び出して厳しく抗議し、共和国領空の侵犯および軍事施設にたいする偵察行為を認めて謝罪するよう求め、さもなければ、操縦士を絶対に送還しないであろうと宣言した。

 この事件は、アメリカ大統領特使が平壌を訪れ、アメリカ軍機の北朝鮮側領空の侵犯を認めて謝罪し、事件の再発を防ぐことを担保するとともに、朝米軍部の接触を約束することによって決着した。

 北朝鮮はアメリカ軍の侵犯行為を、大小にかかわりなく国家自主権の侵害行為とみなし、そうした視点からすべての侵犯問題に対処しているのである。

 アメリカがヘリの不法侵入事件を偶発的な出来事とし、その重大性を認めようとせずに不当な圧力を加える一方、第三国を動かして捕虜を取り返そうとしたとき、金正日将軍はかれらの愚劣な行為を糾弾し、この事件は共和国とアメリカが直接解決すべき問題である、我々は国の自主権を侵したアメリカの軍事行動を重大視しなければならない、と指摘した。

 1996年に入ると、アメリカはまたしても共和国北半部を刺激しはじめた。

 アメリカは1月初め、原潜「バーミンガム」を朝鮮半島周辺に送り込んで「潜水艦連合大訓練」をおこない、2月には、核空母「インディペンデンス」を朝鮮東海に出動させるとともに、原潜や核戦略爆撃機をはじめとする攻撃用作戦兵器を投入して、海軍合同軍事演習「バリアント・アーサー96−2K」を強行した。

 これと時を同じくして、アメリカ国防長官は、年例の「防衛報告」で北朝鮮を視野に入れ、「アメリカの死活的利益を危くする」脅威を抑制するだけでなく、「戦って勝利する」であろうと好戦的な暴言を吐いた。

 これは、前年の大水による北朝鮮の経済難を奇貨として、北朝鮮の軍事的支配をもくろんだ計画的な行為であった。

 北朝鮮にたいするアメリカと南朝鮮の攻撃がいよいよ実戦段階に移ろうとしたとき、北朝鮮は人民武力省第1次官の談話をもって、これに断固とした反撃を加えた。

 「祖国の安全と革命の獲得物を守る我が人民軍の使命は、侵略にたいする防御にのみ限られているのではない」「火には火で、棍棒には棍棒で制圧するのが我が軍の気質である」「我が祖国の寸土、一木一草をも侵すなら、強力な自衛的措置をもって一大痛棒を加えるであろう」という強硬内容で貫かれた談話は、北朝鮮のゆるぎない決心と意志をこめた宣言であった。

 談話が発表されると、アメリカの国内に混乱が生じた。

 北朝鮮は、1996年4月4日、板門店代表部スポークスマン談話をもって、朝鮮人民軍側は、停戦協定によって課された軍事境界線および非武装地帯の維持・管理と関連した自己の任務を放棄するとし、その付随措置として、板門店共同警備区域および非武装地帯に出入りする人員・車輌の識別標識をいっさい付けないことにすると宣言した。

 アメリカにたいする連続強打であった。アメリカは、これに一言の反駁もできずに戦争挑発騒動を中止した。

 1998年8月、北朝鮮の人工衛星打ち上げで生じたアメリカ・日本側と北朝鮮との軍事的対決でも同じことが言える。

 共和国が人工衛星を打ち上げ、正確に軌道に乗せたという、9月5日の平壌側公式報道にもかかわらず、アメリカと日本は、北朝鮮が弾道ミサイル発射実験をおこなったとして、「制裁」「対応」を云々し、軍事的対決へと動き出した。

 アメリカは、軍部首脳の秘密会議を開いて「アメリカ軍の朝鮮における戦争準備状態の維持」を決定し、19億ドルの軍事予算の追加を決定した。

 南朝鮮に飛んだクリントンは、1998年12月22日、烏山(オサン)アメリカ空軍基地で「アメリカは、アメリカ国民と友邦を守るためにどんなことでもする覚悟ができており、その能力もある」「我々の力は外交的努力とともに、強力な軍事力によってのみ裏付けられるであろう」とうそぶいた。

 アメリカの保守勢力は、協商が失敗した場合、南朝鮮駐留アメリカ軍の増強と戦域ミサイル防衛体制の構築によって、北朝鮮にたいする「抑止力」を強化し、最悪の場合、「北朝鮮の核施設への先制攻撃」も考慮すべきだと主張した。

 日本も、北朝鮮の人工衛星打ち上げを弾道ミサイルの発射だと主張し、日本がその射程内にある以上、対応策を講じるべきだと騒ぎ立てた。

 ここで、日本をはじめ、帝国主義連合勢力と北朝鮮の軍事的圧殺を謀議したアメリカは、すでに80年代に作成し、90年代初めから推進しはじめた朝鮮半島「有事」における「作戦計画−5027」を大幅に修正して、「作戦計画5027−98」を策定した。これは、アメリカと南朝鮮の連合軍が北朝鮮を先制攻撃し「国家機能を崩壊させることを目的」とする北侵戦争計画で、ここでは、5つの段階を経て北朝鮮を軍事的に制圧することが予定された。

 第1段階は、朝鮮半島とその周辺にアメリカ軍を集結し、空と海、国境を封鎖する制裁行動によって北朝鮮の動きを抑えることにあり、第2段階は「無力化打撃」段階で、膨大な野戦砲兵力と飛行隊、巡航ミサイルで北朝鮮全域に長期の砲爆撃を加えて北朝鮮を「無力化」することにある。第3段階は「地上攻撃作戦」段階で、北朝鮮の東西両海岸での大上陸作戦と空挺作戦、特攻隊作戦を組み合わせた全面的地上攻撃作戦によって、平壌の作戦的包囲を実現し、清川江(チョンチョンガン)界線まで「占領」する段階である。第4段階は「作戦成果の拡大」段階で、清川江以北の全域を「占領」し、第5段階は、「終戦」段階で、「自由民主主義体制下の統一を実現するというものであった。

 この計画にはまた、3つの戦争開始方法が設定されており、第1は、核問題と人権問題を口実にして制裁を加え、その延長線上で武力攻撃に移る方法であり、第2は、北朝鮮の「核疑惑施設」に「外科手術式」打撃を加える方法であり、第3は、長期間情勢を緊張させ、情勢の険悪化を口実にして先制打撃を加える方法である。

 アメリカは、作戦計画の実現をはかって、54万5000余のアメリカ軍と63万の南朝鮮軍、5〜7の空母戦団、ステルス戦闘爆撃機「F117」「F111」、核搭載戦略爆撃機「B1」「B1B」「B52」などハイテク兵器と大型打撃手段を投入する万端の準備をととのえた。

 これにたいし、北朝鮮は、1998年12月初め、朝鮮人民軍総参謀部スポークスマン声明をとおして、「作戦計画5027−98」の真相をあばき、次のように宣言した。

 「我々には、我々の方式の作戦計画がある。『外科手術式』だの『先制打撃』だのというのは、決してアメリカだけの選択権でなく、その打撃方式もアメリカの独占物ではない。我が人民軍の打撃には限界がなく、その打撃を避けうるところがこの衛星上にないということをはっきり知るべきである」

 アメリカはぐうの音も出せずに、肩をすくめ、「作戦計画5027」は泡沫のごとく飛散した。結局、北朝鮮の占領支配を狙ったこの計画は、アメリカが北朝鮮の軍事的威力を認定し、強大国の地位に座らせるという皮肉な結果をもたらしたのであった。

 CNNテレビの特派員マイクル・チノイは、記者会見で、「北朝鮮は人工地球衛星の発射によって、朝鮮民族はやはりあなどりがたい民族であり、やたらに手出ししえない存在だということを、いま一度誇示した。アメリカと日本が北朝鮮の衛星打ち上げを『弾道ミサイルの発射』だと騒いでいるが、実を言えば、これは恐怖心のあらわれである。北朝鮮は今度の発射を通じて、地球上のどこであろうと強力なミサイル攻撃を加える能力があることを示した」と指摘した。

 いま、アメリカは北朝鮮の軍事力を認めている。1999年のユーゴ空爆後、国防省では、朝鮮半島で戦争が起きた場合、どれほどの戦費を要し、どちらが勝つかをシミュレーションしたことがあった。

 コンピューターは、朝鮮半島戦争でアメリカが支払う戦費は一日平均57億〜71億ドルであり、勝者は北朝鮮である、という答えを出した。これは、一日平均5000余万ドルを費やしたユーゴ空爆に比べて、100〜140倍の膨大な費用、言いかえれば2600億ドルの国防予算中アジア太平洋地域に支出される軍事費870億ドルを戦争開始2週間で使い果たしながらもアメリカが敗北するということである。なんとも恐ろしい結論であった。

 現実的にも仮想的にも、また将来においても、アメリカは北朝鮮との軍事的対決で勝利できないというのが、こんにち、世界の認識である。

 これは、金正日将軍の先軍政治によって朝鮮人民軍は無敵の強兵に成長し、軍と人民は、将軍を中心に一心団結した強大な力を備えているからである。

 先んずれば人を制すると言われているが、金正日将軍が先軍政治をもって軍を強化し、北朝鮮の国力を充実させなかったとしたら、北朝鮮人民はあの苦難にみちた時期に、アメリカを先頭とする帝国主義連合勢力の軍事的圧殺策動に屈して、植民地奴隷の境遇に落とされていたであろう。

 国の自主権と民族の尊厳を守った金正日将軍の先軍政治こそ、北朝鮮を軍事強国に堂々と押し上げた偉大な政治である。




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