『金正日先軍政治』−1 先軍政治論

5 先軍政治は、勝利の宝剣


社会主義を守る必勝の宝剣

 アメリカの対北朝鮮政策作成担当者ポールは、「現在の北朝鮮の状況からすれば、朝鮮半島では、既に社会主義の存在が消滅していたはずである。ところが、北朝鮮人が言う朝鮮式社会主義は依然として存在し、アメリカと西側世界に強腰で挑戦している。最近アメリカ政界で論議の的となっている強力な北朝鮮の存在意味を金正日最高司令官の登場と結びつける評価は、我々政策作成者の見解と一致しているが、これは偶然なことではない」と語ったことがある。

 北朝鮮の存在意味を金正日将軍の政治指導力に求めるのは、全く正しい見解だと言える。

 「核疑惑」「ミサイル危機」「地下核施設査察」など、力による北朝鮮の圧殺をはかってきたアメリカは、それがことごとく失敗すると、90年代の末から北朝鮮の軍事力弱体化と内部崩壊を夢想して融和策へと方向を転換した。

 1999年5月末、アメリカ大統領の特使ペリーが平壌(ピョンヤン)を訪れた。その目的は、冷戦終結後の世界制覇戦略にもとづく東アジア秩序圏への北朝鮮引き入れを策する対北朝鮮政策の調整をはかって、一連の政治的取り引きをおこなうことにあると見られた。

 かれの平壌訪問に時間を合わせてアメリカは、ユーゴ連邦の首都ベオグラードとセルビアに、空襲開始以来最大の出撃回数をもって猛烈な爆撃を加えた。これは、北朝鮮に屈服を求める一種の警告であった。世界は息を殺して事の成り行きを見守った。このとき、平壌は人びとの意表をつく衝撃的なニュースを流した。

 金正日将軍が朝鮮人民軍近衛ソウル金策(キムチェク)第4歩兵師団を視察したというのである。従来の軍視察報道の形式とは異なって、視察の対象が公式の名称で報道されたことに世界のマス・メディアと軍事界は注目し、近衛ソウル金策第4歩兵師団についての情報を集めた。

 第4歩兵師団は50年前の朝鮮戦争の際、開戦後数日にしてソウルを解放し、大田ではディーンのアメリカ第24師団を壊滅させるなど多くの戦いで勇名をとどろかせた鋼鉄の師団であった。

 これは、金正日将軍がアメリカ帝国主義者にたいしていささかの妥協もありえないことを示威したものと解釈された。

 ペリーの訪朝後、アメリカは対北朝鮮政策調整問題で数か月間頭を悩ました末、ベルリン朝米共同コミュニケとニューヨーク合意にもとづいた報告書を発表せざるをえなかった。共和党はこれに反発して、いま一つの報告書を公表した。

 ペリーは、アメリカの対北朝鮮政策報告書の発表と関連して、『PBS(米公営テレビジョン放送)』とのインタビューで次のように答えた。

 記者…圧力の行使による北朝鮮の崩壊を仮定するのは間違いであるというが、そのような結論をくだした背景はなにか。
 ペリー…観測者は、北朝鮮が深刻な経済危機によってすぐにも崩壊するものと判断している。協商は不要で、崩壊を待っていればよいということである。
 しかし、そのような状況を想定し、それに依拠すべきではない。
 北朝鮮の体制は、極めて強力な統制力のもとにある。北朝鮮の体制をそのままにしておこうと言うのではない。北朝鮮は、極めて強力な統制下にあるということを強調したいのだ。北朝鮮が直ちに崩壊すると想定するのは軽率な判断だ。
 北朝鮮政権が我々が望むとおりになるという判断をもって協商するのではなく、現状そのままの北朝鮮政権と協商しなければならないだろう。

 2000年2月の年頭教書で、クリントンが「世界で最もよく訓練され、装備が最も充実した軍の維持」を訴え、国防長官コーエンが米軍を「地球上で最高の準備態勢と装備、出動能力を備えた」軍隊に作り上げると豪語するなど、アメリカは冷戦後、軍事力の絶対的優位にもとづいた世界制覇戦略の実現に総力を上げてきた。

 いまやかれらは、国連憲章も国際法も無視し、強権と専横をもって世界を意のままに動かそうとする企図を公然とさらけ出している。

 例えば、上院外交委員長へルムズは国連安保理事会における演説で、国連がアメリカの意志どおりに改革をおこない、「アメリカの効果的な外交用具になるべきだ」「アメリカの国内法は国際法の上位にある。他国にたいするアメリカの行動は国連の委任を必要とせず、国連はアメリカの政策にたいして意見を述べる権利がない」とし、国連が権限の行使へと動くならば国連脱退も辞さないと威嚇した。

 世界は驚愕し、「アメリカは、世界を奴隷社会に逆戻りさせ、自分らはそこに君臨する奴隷主になろうとしている」と非難した。

 無力な国は無法な言いがかりをつけられて、白昼ミサイルの洗礼を受けても訴えどころがなく、死か奴隷かの二者択一を迫られているのが現状である。

 しかし、先軍政治に支えられた北朝鮮だけは、力には力で対抗し、傲慢な武力行使には仮借のない懲罰をもってこたえている。

 1998年8月31日、北朝鮮最初の衛星発射を機に、朝米関係は再び最悪の状態に陥った。クリントンが急遽ソウルに飛んで、南朝鮮駐留米軍の動員態勢と飛行隊の非常出撃準備状況を点検する一方、北朝鮮の「核開発」に難癖をつけて、「アメリカは、アメリカ国民と友邦を守るためにどんなことでもする覚悟ができており、その能力がある」と大言壮語した。アメリカのタカ派は、「米朝基本合意文の破棄」「断固とした対応」などと騒ぎたてた。米軍部は「北朝鮮への進攻を予見した新戦争計画を完成しつつある」とし、朝鮮戦争惨敗の恥をそそぐべく、第2の北朝鮮侵略戦争をもくろんだ「5027作戦計画」を公開した。

 これにたいする北朝鮮の対応は断固としていた。

 1998年12月2日の朝鮮人民軍総参謀部スポークスマンの声明は、「外科手術式打撃」とか、「先制打撃」という「打撃」は決してアメリカだけの選択肢でなく、その打撃方式も決してアメリカの独占物ではない、人民軍の打撃には限界がなく、それを避ける場所はこの遊星上にない、アメリカだけでなく、それに追従する「韓国軍」と日本も同じく打撃目標になるであろう、我々は戦争を望みはしないが避けもしない、いったん戦争が強要されたら、二度とその機会を逃さないであろう、という強硬なものであった。

 国の自主権を侵害しようとする相手にたいしては、それが地球上のどこにいようとも仮借のない打撃を加えるというのが、先軍政治の社会主義守護原則であり、方法論である。

 1998年9月、平壌・金日成広場における共和国創建50周年慶祝行進のアメリカ向け実況放送で、CNN特派員チノイは、こう報じた。

 「領袖と大衆が一丸となったこのような特異な政治体制は世界にたぐいがない。北朝鮮の最大の威力はここにある。こんにち、北朝鮮では老若男女を問わず、誰もが金正日指導者のためなら肉弾となる覚悟ができている。

 実際、西側はこのために北朝鮮を恐れ、核兵器を所有しながらも、容易にこの国に、手出しができないのである」


強盛大国建設における創造の宝剣

 先軍政治は、人民軍を祖国の守護者としてだけでなく、人民の幸福の創造者として押し立てる政治方式である。

 こんにち、幸福の創造者としての人民軍の面目が躍如としているのは、強盛大国の建設においてである。

 強盛大国の建設で、人民軍は大黒柱=先鋒としての使命を立派に果たしている。

 金正日将軍は21世紀における強盛大国の建設構想を示し、「我が国、我が祖国の大地に一日も早く社会主義強盛大国を建設して、いかなる敵もあえて手出しができないようにし、全人民がなんの不安もなく幸せに暮らせるようにすることが、私の構想であり、確固とした決心です」と語った。

 90年代後半に遭遇した北朝鮮の試練は、最悪、最大の試練であった。北朝鮮人民はこの厳しい試練の日々、他国の人なら数百回も倒れたであろう絶体絶命の死線に立たされもした。

 雑誌『民』2000年1月号は、「では、最も厳しい試練であった『苦難の行軍』の過程で、難関と逆境を乗り越えることのできた力は何であったろうか」という疑問を出し、金正日将軍の先軍革命指導=先軍政治にその回答を見出している。

 北朝鮮は先軍政治のゆえに強盛大国の建設という明るい展望を示すことができ、1998年8月31日の衛星「光明星1号」の発射を合図に、その実行段階に移った。

 では、先軍政治は強盛大国の建設でどのような役割を果たしているのだろうか。

 北朝鮮における強盛大国の建設は、最も苦しい時期に開始されたという意味で、とりわけ困難な大課題である。

 この至難の課題を他人の力や、なにか物質的・経済的な力に頼るのでなく、建設にじかに取り組む軍と人民の力を最大限にくみ上げて進めようというのが、金正日将軍の構想・意図である。

 将軍は、祖国の守護者、人民の幸福の創造者である人民軍が当然社会主義建設でも先鋒になるべきであるとし、電気、食糧、石炭、金属、鉄道輸送をはじめ、社会主義建設の主要部門を人民軍に受け持たせ、強盛大国建設の突破口を開くようはからった。

 軍は、将軍の強盛大国建設構想を体して、祖国の防衛も社会主義建設もみな我々が受け持とう、というスローガンをかかげ、革命的軍人精神をもって強盛大国建設の最も骨の折れる主要部門に進出し、突破口を開いている。

 江原(カンウォンド)道と平安(ピョンアン)北道をはじめ、全国各地で耕地を社会主義にふさわしい大規格田野に作り変えるための大自然改造事業がおしすすめられ、九月(クオル)山、七宝(チルボ)山、正方(チョンバン)山など国内の名勝が、人民の社会主義的生活を潤すために、より美しく作り変えられている。

 耕地の整理によって江原道では、延べ1万2000余キロもの畔が5600余キロに縮小し、23万3800余にのぼる小区画の田圃が6万5500余の規格化田圃に整理された。こうして、新たに得た作土は1760余ヘクタールに達した。

 江原道に続いておこなわれた平安北道の耕地整理もわずか5か月で完了し、5万余ヘクタールの田野が大規格耕地に変容した。延々40キロの雲田(ウンジョン)平野と博川(パクチョン)平野、竜川(リョンチョン)平野など西海沿いの田野だけでなく、寧辺(リョンピョン)の館下(コワンハ)原、泰川(テチョン)のハンドゥレ原、義州(イジュ)の弘南(ホンナム)原など中間・山間地帯の田野も広々と開け、多くの土地が新規に開墾された。

 耕地の整理以外に、平壌−元山(ウォンサン)間観光道路補強工事をはじめ、連年の大水で甚大な被害を受けた河川や橋梁、堤防、道路の復旧工事も人民軍が担当し、いずれも立派に遂行した。

 いま、北朝鮮では、「苦難の行軍」で最大の難事とされた食糧の自足対策が積極的に講じられており、経済の全般が活性化しつつある。

 将軍は、食糧問題の解決策としてジャガイモの大量作付けを奨励し、その方向と方途を教え、具体的な指導をおこなっている。

 ここで、両江(リャンガン)道の大紅湍(テホンダン)郡の農場がジャガイモ栽培のモデル農場として指定され、技術者や働き手が続々と送りこまれている。

 将軍は、1998年10月と1999年8月、2000年4月など、現地をしばしば訪れて、ジャガイモの栽培状況を視察し、運輸機材その他の営農資材を優先的に送るなど、懸案問題の具体的な解決策を講じる一方、ジャガイモ栽培の先頭に立って立派に働いている除隊軍人とも会って、かれらの功労をたたえ、励ましている。

 将軍は、除隊軍人は、祖国の防衛で軍功を立て、いまは、農業戦線で党の意図を貫くために奮闘している真の革命家、熱烈な愛国者であり、不屈の闘志をもって、大紅湍を住みよい土地に作り変えた何者にもまして誇り高い前衛闘士だとたたえ、祖国と人民の幸せのために青春をささげている諸君の偉勲を孫・子たちは忘れず、いつまでも誇らしく追憶するであろうと言った。

 将軍は、除隊軍人の新居にも立ち寄り、生活上困っていることはないか、父母の訪問を受けたかなど、かれらの生活に深く心を配った。

 将軍の温情に励まされた大紅湍の除隊軍人は、いま、兵士時代に劣らず革命的軍人精神を大いに発揮して働いている。

 北朝鮮がめざす強盛大国は、自力更生の強盛大国である。

 人民軍が自力更生の旗をかかげて軍の生計を自力で立てているのはもとより、強盛大国の建設で持ち上がるすべての問題を自力で解決している。

 人民軍は、「自力更生だけが生きる道だ」というスローガンをかかげて、いたるところに現代的施設の食品加工工場や牧場、養魚場、発電所を建設して全社会に手本を示している。

 軍は、今日のための今日でなく、明日のための今日を生きようという金正日将軍の思想をもって、中隊芸術サークル・区分隊芸術宣伝隊・軍人家族サークル活動をさかんにおこなって革命軍歌をはじめ、党・領袖頌歌、祖国賛歌を全国にこだまさせており、またモデル兵営をとおしてすべての軍部隊が文化的な生活を営むよう心がけるなど、全軍に新しい社会主義文化気風をうちたて、軍内はもとより全社会にそうした気風がみなぎるよう努めている。

 人民軍の創造的な力は、困難が大きいときほど、より強く発揮されている。北朝鮮での強盛大国建設は、人民の幸福の創造者としてのこの人民軍の創造的な力を背景にして構想され、実行されている。

 そのような意味で、先軍政治は、強盛大国建設を力強くおし進める創造の宝剣だと言われているのである。

 不可能というものを知らない人民軍を創造の宝剣とする金正日将軍の先軍政治は、強盛大国の建設を必ずやなし遂げずにおかないであろう。




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