『金正日先軍政治』−1 先軍政治論

4 先軍政治は、現代社会主義の完成された政治方式


人民のための政治方式


 政治とは、階級あるいは社会の共同の要請に即して人びとの活動を統一的に組織し、指揮する社会的機能であり、その性格と完成度は、現政治の目的と施策をとおして判断することができる。

 人民大衆を中心に据えた人民的な政治こそ進歩的な政治だということはよく聞かれる言葉であるが、それがどのように具現されるかは、その政治方式によって左右されると見てよい。

 北朝鮮が人民大衆中心の社会主義を建設しているのは、人間を尊重し、人民のための社会主義的政治、人民中心の政治をおこなっているからである。

 北朝鮮では、軍と人民の間に敵対的な関係が全く存在しない。そこでは文字どおり、軍にとって、人民は父母であり、人民にとって軍は息子、娘である。

 人民軍は人民を愛し、国と民族を愛護することを、自己の存在と強化発展の原点としている。

 魚が水を離れては生きられないように、遊撃隊は人民を離れては生きてゆけないという抗日パルチザン時代の軍民関係が現在にそのままうけ継がれているのである。

 人民軍の使命は人民の安泰と幸福、ひいては自主的発展を守ることにあるとされているが、人民を愛し人民のためとあらば生命をもなげうつという覚悟ができていなければ、そのような使命は、とうてい果たせないであろう。

 朝鮮人民軍が人民をいかに愛し、人民にいかに奉仕しているかということは、1995年の水害に際して、軍隊がどのように活躍したかを見ればよくわかるであろう。

 8月に入って新義州(シンイジュ)市一帯は連日の豪雨で降水量が平年の3倍に達し、鴨緑(アムノク)江は1935年の最高記録をはるかに上回る水位8.05メートルという数字を記録して氾濫した。なかでも河口付近では数千の人命が危険にさらされる非常事態が発生した。こうした事態を前に、人民軍陸海空軍に水災民を救助せよとの最高司令官の緊急命令がくだされた。

 こうして空からはヘリコプターが、一面海と化した地上には高速輸送艇や水陸両用装甲車が急行して羅災民を一人残らず無事に救い出したのであったが、そこには10余人の新生児も含まれていた。

 水害救助活動中、最高司令部では金正日将軍が作戦台の前でずっと指揮をとり続けたが、作戦終了報告に接したとき、新生児まで残らず救ったと聞いて安心した。いま、外国では水害で多くの人命が失われている、しかし、我が人民軍は一人の死者も出さずに全員を救い出した、これは我が人民軍が人民に奉仕する人民の軍隊であることを世界にはっきり示したことになる、と語ったといわれる。

 人民を愛し、祖国と民族を愛護する思想・感情は、社会主義祖国の防衛精神と不可分に結びついている。

 先軍政治方式の人民性は、それが人民の絶対的な支持を受けていることにあらわれている。

 「祖国の安全と革命の獲得物を守る我が人民軍の使命は、侵略にたいする防御にのみ限られているのではない。火には火で、棍棒には棍棒で制圧するのが我が人民軍の気質である」(1993年3月29日、人民武力省第一次官の談話)、「我が人民軍の打撃には限界がなく、その打撃を避けるところは、この遊星上に存在しないということをはっきり知らなければならない。我々は戦争を望まないが、避けもしないし、一度戦争を押しつけられれば、その機会を逃さないだろう」(1998年12月2日、朝鮮人民軍総参謀部スポークスマン声明)などの強硬高圧的姿勢をもって相手を抑える堂々たる人民軍の態度から、人民は先軍政治こそ人民と社会主義の運命を守り、強盛大国の道を開く政治であるとの確信を強めている。

 こうして、国と人民の自主権と利益をゆるぎなく守る人民軍への全党、全人民の信頼と支持、愛情はいつにもまして高いレベルに達し、北朝鮮の民心はますます人民軍へと傾いている。

 人民軍なしにはなにもできないということが、こんにちの厳しい試練のなかで、北朝鮮人民が肌で学び取った貴重な真理である。

 このようにして、金正日将軍を中心とする人民軍と人民の一心団結は、国の政治力を非常に強めている。


自主を保障する政治方式

 政治の性格と完成度はまた、国と民族、人民の自主権と尊厳をどれほど強く守っているかということによっても判断される。

 冷戦終結後、世界の一極支配をめざすアメリカの戦略によって、多くの国と民族がその支配下におかれた。

 1996年1月1日号の『ニューヨーク・タイムズ』紙は、「アメリカ合衆国の第三帝国」と題する記事でボスニア・ヘルツェゴビナにおけるアメリカの軍事行動は、ペルシア湾からバルカンに至る地域が「アメリカ合衆国の第三帝国」の心臓部になりつつあるという印象を与えていると指摘した。

 これは、200余年のアメリカの歴史を分析したうえでの指摘である。

 1898年、アメリカはスペインを破ってキューバ、プエルトリコ、フィリピンを手に入れたが、これが「アメリカ合衆国の第一帝国」であり、第2次世界大戦の終結後、ヨーロッパにNATOを設け、東アジアでも一連の相互防衛条約を結んだが、これが「第二帝国」である。ところで、冷戦の終結とソ連の解体を奇貨として、アメリカは中近東とバルカン地域に軍事介入し、その「管轄地域」の拡大によって、いまや「第三帝国」を作り上げつつあるとしたのである。

 しかし、アメリカは、湾岸戦争とボスニア・ヘルツェゴビナ事態後もペルシア湾・バルカン地域に「第三帝国」を築くことができなかった。

 そこでかれらは、1998年〜1999年にも対イラク空襲を続ける一方、ユーゴスラビア連邦への武力干渉に乗り出したのである。その目的はなによりも重要資源が豊かに埋蔵されており、しかも軍事戦略的要衝地帯であるペルシア湾とバルカン半島を支配下に置き、ひいてはここを「21世紀に向けたNATOの新戦略」の実験場として、NATOを国際憲兵化し、それを踏まえて世界の一極支配を確立するということにあった。

 アメリカは東北アジアにおいても同じ文脈で北朝鮮の圧殺をはかったが、強大な国防力を誇る北朝鮮の強硬な対応を前にして、それは一場の夢と化した。

 先軍政治によって鍛え上げられた朝鮮人民軍は、いかなる大敵をも一撃のもとに撃滅し、国の自主権をゆるぎなく守るだけの実力を備えていたのである。軍事力が弱ければ、国の自衛は不可能である。この一事をもってしても、先軍政治方式は、帝国主義・支配主義勢力の挑戦を退け、国と民族の自主権を守るための完成された強力な自主的政治方式であることがうなずけるであろう。

 先軍政治は厳しい情勢のなかで、チュチェの方式=独自の方式で社会主義建設をおし進める政治方式である。

 自主独立国は当然、政治活動で主体性を確立すべきであり、自国の利益と意向にそって国と人民を導いていかなければならない。

 金正日将軍は、「チュチェの方式」「我々の方式」を、国政の基本的方向として定め、先軍政治によってそれを貫くよう導いている。

 「我々の方式」で生きるということは、チュチェ思想が求めるとおりに、自己の信念をもって考え、行動し、すべての問題を自国の革命と人民の利益に即して自力で解決していくという、言いかえれば、どこからどのような風が吹いて来ようとも、また、他人がなにをしようとも、それに左右されずに、チュチェ思想の旗を高く掲げ、チュチェ思想の要求どおりに生きてゆくということである。

 これは、他人の考え方ややり方に眩惑されることなく、チュチェ思想に立脚して、すべての問題を自国の革命と人民大衆の利益を守り、国情に即した方向で、いっさい他人に頼ることなく自力で、責任をもって解決していくということである。こうした意味で、「我々の方式」とは自主と同じ意味の用語だと言ってよい。

 北朝鮮が「苦難の行軍」と強行軍を勝ち抜き、強盛大国の建設に取り組めるようになったのも、革命と建設を自力更生の原則に立って「我々の方式」でおしすすめてきたからである。

 西側諸国では北朝鮮が、「1995年12月に崩壊する」「1996年下半期に崩壊する」などという憶測が飛び交い、北朝鮮の瓦解は時間の問題とされていた。

 この厳しい時期に、北朝鮮では「自力更生だけが生きる道だ」というスローガンが高々と掲げられていた。

 制裁であれ封鎖であれ、勝手にするがいい、我々は決して他人の奴隷にならない、というのが自立的に生きる我々朝鮮人民の気概だ。民族の自主権は誰かの贈りものでもなければ、天から降ってくるものでもない。我々は、自主に輝く社会主義朝鮮の尊厳をあくまでも守って自主の道を力強く進むであろう。世界は21世紀に、自立経済を持つチュチェの強盛大国=社会主義朝鮮を必ず目にするであろう。これが北朝鮮の主張であり、立場である。

 この「我々の方式」「チュチェの方式」の革命路線を裏うちしているのは、強大な自衛力である。先軍政治は強大な自衛力を備えることによって、外部勢力の威嚇や懐柔をともに退け、そうしたなかで、主体的かつ自立的な革命路線に沿って北朝鮮はひきつづき力強い前進を続けているのである。


平和を守る政治方式

 平和は人間の本性的要求であり、人類の普遍的な志向・念願である。こんにち、地球上に生きる人びとは、戦争のない平和な世界で暮らすことを切実に願っている。

 人類のこの念願を反映し、平和を志向する政治は進歩的な政治であり、そうでない政治は反動的な政治である。帝国主義・支配主義勢力の専横がいつにもまして露骨になっているこんにち、戦争を防ぎ平和を守ることは、遅滞を許せない人類の緊急課題である。

 朝鮮半島は常時戦争の危機にさらされているが、北朝鮮は先軍政治によって危機を克服し、朝鮮半島の平和を頼もしく守っている。

 最善の戦争防止策は、戦争勢力を制圧するに足る強力な武力を持つことである。侵略と戦争の勢力にたいしては、強力な軍事力をもって対応してこそ平和が守られるのである。

 1582年9月、李王朝の重臣李珥(リイ)が、10年後に日本の侵入が予想されるとして10万の兵力を養うよう、王に建議したことがある。

 王は、この太平の世に養兵とは何事だとして、耳を貸さなかった。ところが、それから10年たった1592年、日本軍が朝鮮侵略に乗り出したのである。20万の日本兵は1か月足らずで朝鮮半島の大半を占領し、ここで朝鮮人の鼻や耳を切り取って塩漬けにし、豊臣秀吉に送り届けるなどという鬼畜のような屠殺行為をくりひろげた。

 10万養兵の建議を聞き届けていたら、こんなことにはならなかったであろうと、王はほぞをかんだが、後の祭りであった。

 この出来事は、国を守るためには、強力な国防力を備えなければならないという深刻な教訓を残した。

 不当な自己本位の要求を突きつけ、国連も無視して主権国家に侵略兵力を送り、平和的住民にたいする無差別爆撃もはばからない覇権主義的強権政治が乱舞するこんにちの複雑多端な情勢は、軍事力の強化に力を入れなければ祖国の安泰をはかれないということをまざまざと見せつけている。

 近年、北の先軍政治への共感が国際社会はもとより、南朝鮮の各階層人民の間でもとみに強まっていることはよく知られているとおりである。

 先軍政治は、社会主義偉業の勝利の前進を裏うちする政治方式である。このことは、北朝鮮の現実がよく示している。社会主義政治は、軍重視の先軍政治となるとき、最も強力な政治となるのである。

 情勢が緩和したからとて国防力を弱めてはならない。そうなれば取り返しのつかないことになる。1941年12月の真珠湾奇襲を前に、日本がアメリカに和平攻勢をかけたことや、1941年6月のソ連侵攻を前にヒトラーがソ連と不可侵条約を結んだことなどからもわかるように、相手国に油断させておいて、奇襲をかけるのが侵略者の常套手段である。1950年6月25日の朝鮮戦争でも同じような手法がアメリカによって取られている。

 以上見てきたように、先軍政治は平和の擁護と社会主義の前進にとって、最善の革命的政治方式であると言える。




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