金日成主席の回顧録 『世紀とともに』「他郷で春を迎え」
抗日の女性英雄金正淑女史を回想して
偉大な革命家、偉大な母
 
 
 今年の12月24日は、抗日の女性英雄金正淑女史の生誕100周年に当たる日である。

 この日を迎える朝鮮人民は、金日成主席の最も近しい戦友、忠実な革命戦士であり、偉大な革命家であった女史の輝かしい生涯をしみじみと振り返っている。

 金正淑女史は、金日成主席のために自分のすべてをささげた真の親衛戦士であった。

 女史は、主席の安泰と健康を擁護、防衛するのを革命戦士の第一の本分とした。抗日革命闘争時期の撫松県城戦闘、紅旗河戦闘、大沙河付近戦闘をはじめ、敵弾が雨あられと降り注ぐ戦闘現場はもとより、行軍の合間にも司令部の安全・防衛に専心し、一身がとりで、盾となって司令官同志を命を賭して擁護、防衛した女史であった。

 また、主席の思想と路線を最も正当なもの、自分の第一生命とし、児童団活動、炊事隊と裁縫隊の任務、地下工作活動、患者の看護、大衆政治活動をはじめ、主席が与える任務を立派に遂行した。

 解放(1945・8・15)直後、新しい祖国建設時期にも女史は、警護隊員となって主席の活動を精力的に補佐し、主席の新しい祖国建設路線を体し富強・繁栄する人民の国を打ち立てるために心血を注ぎ、労苦を尽くした。

 女史は、祖国と人民のために自分のすべてをささげた偉大な革命家であった。

 つとに外部勢力に国を奪われた悲しみとうっ憤を骨身にしみるほど体験して成長したがゆえに、女史は10代の幼い年に朝鮮人民革命軍に入隊した。血戦万里を踏み分けなければならない抗日戦の数々の戦闘で女史は、不屈の闘志と百発百中の射撃術によって日本帝国主義侵略者を容赦なく掃滅し、巧みな地下工作活動によって各階層の大衆を祖国解放の歴史的偉業を実現するための反日聖戦へと力強く奮起させた。

 女史は、革命同志への真心のこもった愛情とあつい人情味を天稟としていた。私は死んでもいい、また凍えても、痛くても結構だ、しかし同志たちがひもじい思いをせず、寒さと痛さに苦しまなければそれで本望だ、このような人生観をもって宿営地のかがり火のもとで夜を明かして隊員の破れた軍服や帽子、靴を手入れし、熱病で意識を失った女隊員を真心を尽くして治療し、彼女の病を完治させた。実に、女史の姿は慈愛深い母、やさしい姉のようであった。

 解放後には、抗日革命闘争で亡くなられた戦友たちの子女が親の後を継いで未来の担い手として育つよう万景台革命学院の院児たちに肉親の愛情を注いだ。

 金正淑女史は、朝鮮のいま一人の太陽を育て上げた偉大な母であった。

 女史は、金正日総書記が卓越した統帥、偉大な継承者としての品格を身につけるよう手取り足取り導いてくれた。総書記が兼備している人一倍聡明で、機知に富んだ思考力とたくましい胆力、おおらかで並々ならぬ探究心を貴び、総書記が金日成主席を忠実に仰ぎ、その意志を立派に継承するようにした。

 女史の慈愛深い愛と崇高な念願、真心を胸に刻みつけた総書記は、幼年時代から領袖への忠実性の最高化身、文武を兼備した政治家、思想家・理論家、偉大な先軍総帥、高邁な徳性を身につけた希世の偉人として成長した。

 金日成主席は、金正淑が我々に残した遺産といえば、金正日を未来の指導者に育て、党と祖国の前に立たせたことである、彼女が革命の前に残した最も大きな功績はまさにこれである、と胸熱く回顧した。

 まさに、祖国と人民のために自分のすべてをささげた偉大な革命家、偉大な母である金正淑女史の不滅の業績は千万年の歳月が流れ、世代がかわっても朝鮮人民の心の中に末永く生きつづけるであろう。





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