金正日総書記革命活動史


偉大な指導者金正日同志は永遠に我々とともにおられる


 チュチェ革命偉業の継承完成のために一生涯をささげ、社会主義強盛繁栄と人民の幸せのために、祖国の統一と世界の自主化のために昼夜を分かたず精力的に活動していた金正日総書記は、2011年12月17日8時30分、急病により現地指導の途上であまりにも突然、あまりにも惜しく逝去した。

 社会主義強盛国家建設偉業の遂行に画期的局面が開かれていた歴史的時期に金正日総書記が急逝したのは、朝鮮労働党と朝鮮革命にとって最大の損失であり、全朝鮮人民の最も大きな悲しみであった。

 12月19日正午、重大報道として金正日総書記が逝去したという青天霹靂のごとき悲報が伝えられるや、全国、全世界が悲しみにとざされた。

 全朝鮮人民は、悲憤やるかたなき心情を抑えきれず、地をたたき胸をたたいて嗚咽し、最大の悲しみを抱いて金正日総書記を追慕した。

 10余日の哀悼期間、延べ2億6000余万の人民軍将兵と各階層の勤労者、青少年・学生が、全国大家庭の父を失った最も大きな悲しみに暮れて金正日総書記に弔意をあらわした。12月28日、首都平壌では、雪が降りしきる40キロの沿道に立ち並んだ数百万の平壌市民と人民軍将兵の哭声が天地をゆるがすなか、金正日総書記との告別式が厳かに挙行された。12月29日には平壌で中央追悼大会が挙行され、各道・市・郡でも追悼大会が催された。

 海外同胞と南朝鮮の同胞も民族の父を失った喪失の痛みを抱いて、金正日総書記の逝去に深甚なる哀悼の意をあらわした。

 希世の政治元老であり、人類の自主偉業の旗印である金正日総書記逝去の悲報に接して、全世界は大きな悲しみに沈んで深い哀悼の意をあらわした。

 世界190余の国々と国連をはじめ、国際機構、朝鮮と敵対関係にあった国々まで金正日総書記の逝去に最も深い哀悼の意をあらわし、党および国家、政府首班の弔問、弔旗掲揚などさまざまな弔意行事が厳粛におこなわれた。

 哀悼期間、120余カ国の党および国家、政府首班と政党、社会団体、それに政界、社会各界、軍部、経済界の高位人士、チュチェ思想研究組織、友好および連帯組織の代表が3000余件の弔電を寄せ、数多くの国の党および国家、政府首班、政党、機関、団体と人士が敬慕の念をこめた4100余の花輪や花かごを金正日総書記の霊前と金日成広場、在外代表部にある金正日総書記の太陽像、肖像画に捧呈した。

 国連本部とジュネーブ国連事務局をはじめ、国連各機関の庁舎にも弔旗がかかげられ、世界食糧計画では慣例を破って機関史上初めて庁舎の庭園だけでなく庁舎の屋上にも弔旗をかかげた。

 アメリカの元大統領カーターから弔電が寄せられ、日本の元首相小泉純一郎は金正日総書記の逝去に「心から哀悼の意をあらわしたい」と言って総聯中央会館を訪ねて献花し、金正日総書記の偉人像を回想した。朝鮮とは国交のない国まで弔意表示として、計画していた火砲実弾射撃およびミサイル発射訓練を中止する措置をとった。

 哀悼期間、世界150余の国と地域の1万余の報道・出版物が金正日総書記の逝去に関して、外国の国家元首の弔意行事ニュースの前例を破って時々刻々、速報として連日特集した。

 全世界が最も敬虔な態度で金正日総書記を追慕した日々は、朝鮮人民がいかに偉大な人を領袖として仰ぎ、代を継いで享受した領袖の福運、将軍の福運が朝鮮民族にとっていかに大幸運であったかを心の奥底から感じた日々であった。

 金正日総書記は逝去したが、朝鮮人民と全世界人民の心にチュチェの先軍太陽として生き続けている。

 金正日総書記は長い革命指導の全期間、人民をこよなく愛し、いつも人民と苦楽をともにし、強盛国家の建設と人民の生活向上のために不眠不休の労苦を尽くし、超強度の現地指導強行軍を続けてきた。

 革命的生涯の全期間、地球をほぼ17回も回ったことに等しい延べ65万8000余キロの強行軍を続け、全国の1万4290余の単位を訪ねた。そのうち、先軍革命指導の全期間に現地指導をした単位数だけでも延べ1万2790余カ所であり、路程は61万9000キロに達している。

 金正日総書記は、反帝・自主の旗を高くかかげて社会主義偉業の勝利のために、世界の平和と安定、諸人民間の友好・団結のために精力的な対外活動を展開して、朝鮮の国際的地位と権威を著しく高め、世界の自主偉業達成に不滅の貢献をした。

 1959年1月にソ連を訪問したときから革命的生涯を終える時期に当たる2011年8月まで、外国を歴訪した回数は18回、その路程の延長距離は9万8000キロであり、そのうち列車を利用した距離は6万4000キロ、空路を利用した距離は3万4000キロに達している。

 金正日総書記は、チュチェ革命偉業の偉大な継承者である金正恩第1書記の気高い革命的徳義心によって生き続けている。

 金正恩第1書記は、次のように述べている。

 「金正日同志は、わたしの心に、わが人民軍軍人と人民の心に永遠にともにおられます」

 金正恩第1書記は、金正日総書記を千年万年高くいただき、金正日総書記の強盛国家建設の念願を必ずや実現せんとする千万軍民の信念と意志をこめて、「偉大な金日成同志と金正日同志は永遠に我々とともにおられる」「偉大な金日成同志と金正日同志の革命思想でしっかり武装しよう!」というスローガンを提示した。

 金正恩第1書記は、チュチェの最高聖地である錦繍山記念宮殿を錦繍山太陽宮殿と命名し、ここに金正日総書記を生前の姿で安置し、錦繍山太陽宮殿が永遠の太陽の聖地となるようにした。

 2012年2月14日、朝鮮労働党中央委員会、朝鮮労働党中央軍事委員会、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会は、共同決定で、金正日総書記に朝鮮民主主義人民共和国大元帥の称号を授与し、2012年4月、朝鮮労働党第4回代表者会議と最高人民会議第12期第5回会議では、金正日総書記を朝鮮革命の永遠の領袖に、朝鮮労働党の永遠の総書記に、共和国の永遠の国防委員会委員長に推戴した。

 金正恩第1書記は、金日成−金正日主義を朝鮮労働党の指導思想として定め、全社会の金日成−金正日主義化を党の最高綱領として宣言した。

 そして、金正日総書記の思想と業績を断固として擁護、固守し、革命と建設で提起されるすべての問題を金正日総書記の思想と意図どおり、金正日的方式で解決していくようにし、金正日総書記の遺訓を綱領的指針として、寸分の狂いもなく、一歩の譲歩もなく無条件あくまで貫徹して、金正日総書記の構想と念願を立派に実現していくようにした。

 全朝鮮人民の念願により、万寿台の丘と万寿台創作社をはじめ、全国各地に金正日総書記の銅像と太陽像が丁重に建てられ、金正日総書記の誕生日である2月16日が光明星節として制定され、金正日勲章と金正日賞、金正日青年栄誉賞、金正日少年栄誉賞が制定された。

 金正恩第1書記の洗練された指導により、金正日総書記は永遠に朝鮮人民とともにあって千万軍民を新たな勝利へと鼓舞しており、金正日総書記の革命活動史は、金日成民族、金正日朝鮮の富強・繁栄のなかに引き継がれている。





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