金正日総書記革命活動史

第8章 先軍の旗を高く掲げて社会主義強盛国家を
建設するために

第11節 「わが民族同士」の理念のもとに
祖国の統一を実現するために

 金正日総書記は、金日成主席の祖国統一遺訓を必ず実現するかたい意志を持して、「わが民族同士」の理念のもとに祖国統一を実現するための闘争を指導した。

 祖国の統一は、金日成主席の畢生の偉業であり、切なる念願であり、朝鮮民族の最大の悲願であり至上の課題である。

 金正日総書記は、北と南、海外の3者連帯・連合を実現するための闘争を賢明に指導した。まず、南朝鮮の「民主労総」代表たちの平壌訪問を実現させて、北南労働者の組織的な連帯・連合を可能にする道を開いた。

 1999年4月、平壌に来る南朝鮮「民主労総」の代表を歓待し、彼らが提起した北南労働者サッカー競技開催の問題も成就させ、北南間の自由な往来を実現するようにした。

 こうして南朝鮮「民主労総」の代表たちが、4月27日に平壌に到着し、滞留期間に双方代表間の実務会談がおこなわれ、共同合意文が採択された。

 共同合意文で双方は、国と民族が分裂して以来初めての「民主労総」代表たちの平壌訪問が、北南間の合意による祖国統一の3大原則を具現して民族の和合と大団結、統一偉業を達成するうえで有意義な契機になると認め、1999年8月と翌年8月に平壌とソウルでそれぞれ北南労働者のサッカー競技大会を開催することにした。

 総書記は、1999年4月と5月に、生涯を民族の和解と祖国統一のための愛国愛族の道にささげた文益煥牧師を回顧する集いと第10回汎民族大会を共同で推進する活動を通じて、北と南、海外統一運動団体の連帯・連合を発展させていくようにした。

 これにもとづき、同年6月1日に中国の竜井で「文益煥牧師を回顧する集い」が催され、これには、北の民族和解協議会と南の「全国連合」をはじめ、北と南、海外の統一運動団体と個別的人士が多数参加した。

 この集いで北と南、海外の統一運動団体は、8.15統一大祝典を汎民連と共同で主催することに意見の一致を見、南朝鮮の「全国連合」は、汎民連南側本部を固守し、汎民連との連帯・連合を実現していく決意を表明した。

 総書記は、特に、民族の自主と大団結のための99統一大祝典、第10回汎民族大会が、北と南、海外の広範な統一愛国勢力の参加する完全な大会、3者連帯・連合が実現した汎民族的な大政治・文化祝典となるようにした。

 1999年8.15統一大祝典を契機に3者連帯・連合を新たな高い段階に引き上げる構想を示し、第10回汎民族大会が、北と南、海外の3者連帯の大会となるよう祝典の名称を3者連帯の要請に即して改め、大会に南朝鮮の基本統一運動団体をすべて参加させるようにした。

 そうして、民族の自主と大団結をめざす99統一大祝典、第10回汎民族大会は、汎民連南側本部と海外本部の代表だけでなく、南朝鮮の基本運動団体である「全国連合」「韓総連」「民主労総」など南朝鮮のほとんどすべての運動団体の参加のもとに全民族的な大統一祝典として盛大に開催された。

 民族の自主と大団結のための99統一大祝典、第10回汎民族大会は、北と南、海外の広範な統一愛国勢力が参加した大会に、3者連帯・連合が立派に実現した汎民族的な大政治・文化・体育祝典となった。

 金正日総書記は、6.15北南共同宣言の採択とそれを実行するための闘争を賢明に導いて祖国統一の画期的局面を開いた。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「民族自主の原則、愛国と民族愛の精神で貫かれた先軍政治と、それにもとづく我々の祖国統一政策と主動的な努力によって、歴史的な平壌対面が実現し、6.15北南共同宣言が採択され、北南間の和解と協力の関係が各分野にわたって深化、発展しています」

 20世紀の最終年である2000年に至り、朝鮮人民の祖国統一運動と内外情勢には新たな変化が起きた。偉大な先軍の旗のもとに共和国は、祖国統一の強力な堡塁として打ちかためられ、朝鮮人民の祖国統一運動は全民族的規模でさらに組織化、積極化され、統一を志向する愛国勢力と反統一勢力間の勢力構図は祖国統一に有利に変わった。南朝鮮では、大勢の流れに便乗して保守的な政治家と執権上層までも北南関係の改善を標榜するようになった。

 こうした情勢の推移を読み取った総書記は2000年初に、北南首脳の対面によって祖国統一偉業実現の画期的局面を開く構想を立てた。

 2000年4月8日、歴史的な平壌対面と北南最高位級会談開催に関する北南合意書が採択された。

 全民族の耳目が集中されるなか、2000年6月13日から15日までの間に平壌で、国の分断以来55年目に初めての北南首脳対面と最高位級会談がおこなわれた。

 総書記は、空港に出て南側当局者一行を同胞愛をもって迎え、6月13日から15日まで10回にわたって多くの時間を南朝鮮執権上層との活動に当て、6月14日には南朝鮮執権者との単独会談をおこなった。

 総書記は単独会談で、我々が初めて対面するのであるから、7千万同胞に祖国統一への希望と未来への楽観を与える宣言文を一つ発表すべきだとし、民族が力を合わせて自主的に統一を実現することに関する問題と統一の方途に関する問題、非転向長期囚の送還と離散家族・親戚の訪問団交換問題、北南対話問題など、祖国の統一を実現するうえで提起される重要な問題を主動的に提起した。

 こうして2000年6月15日、北南共同宣言が採択、発表された。

 総書記が南朝鮮当局者とともに署名した歴史的な北南共同宣言には、国の統一問題をその主人である朝鮮民族同士で互いに力を合わせて自主的に解決していく問題、北側の低い段階の連邦制方案と南側の連合制方案に共通性があると認め、この方向で統一をめざしていく問題、離散家族・親戚訪問団の交換と非転向長期囚問題の解決など人道主義的問題を速やかに解決していく問題、経済協力を通じて民族経済を均衡的に発展させ、社会、文化、体育、保健医療、環境など各分野の協力と交流を活性化して相互の信頼を深めていく問題、以上のような合意事項を早急に実践に移すため、早い期日内に双方当局間の対話をおこなう問題などが明記されている。

 6.15北南共同宣言は、「わが民族同士」の理念で一貫されている北南関係発展の里程標であり、祖国統一の大綱である。

 総書記は、歴史的な北南首脳対面と最高位級会談以後、6.15北南共同宣言履行のための活動を賢明に指導した。北南閣僚級会談をはじめ、各分野の会談が、北南関係の改善と祖国統一に寄与する実のある会談になるようにした。

 こうして、6.15北南共同宣言が発表された後、2007年6月までの間、北と南の間に数十回の閣僚級会談をはじめ、各分野の会談と接触がおこなわれた。

 総書記は、北南間の協力と交流が活発におこなわれるよう導いた。その結果、北南間の不信と対立の歴史が和解と協力の新時代に変わる歴史的転換がもたらされた。

 北南間の和解と協力の雰囲気のなかで断ち切られた鉄道と道路を連結する驚くべき出来事が起こり、2003年2月に開城──汶山間の臨時道路が開通し、2003年6月と2007年5月には、北南東西海鉄道連結行事と北南東西海列車開通のための試験運行がおこなわれて全同胞と世界の注目を受け、北と南が共同で開発する開城工業地区の建設と金剛山観光事業が成功裏に開始されるようになった。

 北南間のスポーツ・文化の交流もかつてなく活発におこなわれた。

 2002年の秋、南朝鮮の釜山で開かれた第14回アジア競技大会と2003年8月に大邱で開かれた第22回ユニバーシアードに共和国の選手団と応援団が、2003年10月に済州島で開かれた民族統一平和スポーツ・文化祝典に共和国の体育団とテコンドー示範団などで構成された大規模の代表団が参加し、2006年12月にはカタールのドーハで開催された第15回アジア競技大会の開幕式に北と南の選手が統一旗をかかげて一緒に入場したのは、スポーツ事業において北と南の民族的和解と協力の明白な発現であった。

 また、2000年8月の朝鮮国立交響楽団のソウルでの公演と2002年9月の南朝鮮「KBS」交響楽団と「MBC」公演団の平壌訪問公演をはじめ、北南アーチストの合同公演と合同演奏会が開かれ、2001年6月には平壌で民族服装展示会が、2002年9月と10月には平壌とソウルで北南テコンドー示範団の出演、そして、北南歴史学者の平壌とソウル、金剛山での討論会と共同資料展示会および写真展示会などが開かれた。

 総書記は、北南間の往来と接触も活発におこなわれるようにした。

 2000年8月に南朝鮮の言論社代表団が、共和国北半部を訪問した。8月12日、総書記は南朝鮮言論社代表団と会見し、昼食会を催し、記念撮影もした。

 南朝鮮言論社代表団の平壌訪問以後、南朝鮮言論人の間では、金正日総書記の偉人としての風格を積極的に宣伝し、連共・連北を志向する言論活動がかつてなく強化された。このほかにも、朝鮮労働党創立55周年祝賀行事に南朝鮮の政党、団体代表団と各界の人士40人が参加し、2005年には分断以来初めて北と南、海外が当局と民間の区別なく朝鮮民族同士で6.15と8.15を記念し、北と南の離散家族・親戚の10余回にわたる平壌とソウル、金剛山での対面がおこなわれた。そして、李仁模の祖国帰還についで2000年9月には数十年間、敵のあらゆる迫害を受けてきた63名の非転向長期囚が金正日総書記の懐に抱かれる劇的な出来事が起こった。

 総書記は、民族自主によって北南間の対決状態を解消し、和解と団結をなし遂げることに大きな関心を払った。

 いかなる情勢においても歴史的な北南共同宣言を固守し履行していく原則的立場を堅持するようにし、北南間の軍事的緊張を緩和し、多方面にわたる協力と交流を推進していく積極的な対策も立てた。また2002年1月には、共和国政府・政党・団体合同会議で祖国統一のための画期的な提案として、全朝鮮人民に送る3大呼びかけ、3大提案をこめたアピールを発表するようにした。

 共和国政府・政党・団体合同会議で採択、発表された6.15北南共同宣言の徹底固守履行、北南関係の前進と祖国統一運動の活性化、国の平和を脅かし、統一を妨げる要因の除去を内容とする3大呼びかけと、2002年を「『わが民族同士』で団結と統一を促進する年」に、北南共同宣言が発表された6月15日を「『わが民族同士』で統一の扉を開く日」に、5月から7.4共同声明が発表された7月を経て祖国が解放された8月までを「『わが民族同士』で力を合わせていく運動期間」にするという3大提案は北と南、海外のすべての同胞の全幅的な支持と呼応を受け、外国の政党、社会団体も支持を表明した。

 こうして、対決と不信が存在するだけだった北南間には、「わが民族同士」で力を合わせて統一をめざす6.15時代が開かれるようになった。

 金正日総書記は、北南関係を新たな高い段階に拡大発展させるため、北南首脳の対面を再び実現させた。

 2007年7月、南側当局者一行の平壌訪問を受諾し、その準備を細心に指導した。そして、2007年10月2日には4・25文化会館の前まで出て彼らを温かく出迎え、最高位級会談を成功裏に導き、10月4日には「わが民族同士」の精神で一貫された「北南関係発展と平和繁栄のための宣言」を採択させた。

 「北南関係発展と平和繁栄のための宣言」は、全民族の統一意志を内外に誇示し、朝鮮民族同士で力を合わせて北南関係をより高い段階へ発展させ、平和と民族共同の繁栄をなし遂げるための具体的な目標と課題を明らかにした実践綱領である。

 総書記によってもたらされた北南首脳の対面と10.4宣言は、北南関係の発展と平和繁栄の新たな局面を開いた歴史的な出来事であり、その結果、北南間には和解と協力の雰囲気がさらに高まり、祖国統一の前途には明るい展望が開かれた。

 金正日総書記は、北南関係を完全な破局に導いた李明博一味の反共和国対決策動を粉砕し、祖国統一運動を力強く推し進めるようにした。

 2008年2月、南朝鮮で「政権」の座についた李明博は、執権するや否や6.15共同宣言と10.4宣言を全面的に否定し、反共和国対決策動に狂奔して北南関係を最悪の破局へと導いた。

 総書記は、共和国の不敗の政治的・軍事的威力に依拠して祖国統一の前途に横たわる難局を打開し、民族最大の悲願である祖国統一偉業を成就するための活動を賢明に導いた。

 まず、李明博一味の反共和国・反統一策動を粉砕するようにした。「非核・開放・3000」だの「非常統治計画―復興」だのを唱え、共和国の「体制変化」と「吸収統一」を妄想する一方、アメリカ帝国主義とともに「キー・リゾルブ」「フォール・イーグル」などの北侵戦争演習を繰り広げて情勢を極度に悪化させる李明博一味の体制対決策動を強硬威圧によって粉砕するようにした。また、北南間の対話と協商を全面拒否し、北南間の人道主義的協力事業まで遮断した李明博一味の策動も断固として暴露断罪するようにした。

 総書記は、「わが民族同士」の旗を高くかかげて6.15共同宣言と10.4宣言を固守し履行するための闘争を引き続き強力に推し進めるようにした。

 2008年の新年の共同社説を通じて、民族の自主的発展と統一促進を鼓舞する旗印であり、6.15共同宣言を全面的に具現するための実践綱領である10.4宣言を履行することによって、対決時代の残滓を取り除き、北南関係を名実ともに「わが民族同士」の関係に確固と切り替え、平和繁栄の新しい歴史を創造していくべきことを強調するようにした。これにもとづき、共同社説では、北と南、海外のすべての同胞が「『わが民族同士』で力を合わせて自主統一、平和繁栄の新しい時代を開いていこう!」というスローガンを高くかかげ、祖国統一運動をさらに力強く推し進めていこうと強調した。

 総書記は2008年1月、新年の共同社説で示された課題に従い、「わが民族同士」で力を合わせて自主統一、平和繁栄の新しい時代を開いていくための有利な対外的環境をつくりだすことに重点を置いて祖国統一にたいする国際的支持と連帯を確保する活動を展開するようにした。

 2009年8月には、南朝鮮の現代グループ会長と会見して彼の要請をかなえてやり、南朝鮮の元「大統領」金大中が死去したときには弔電を送り、高位級の特使弔問団をソウルへ派遣した。

 金正日総書記の賢明な指導により、北と南、海外のすべての朝鮮民族は、「わが民族同士」の理念のもとに反統一勢力のあらゆる悪辣な策動を果敢に粉砕し、この地に必ず統一された強盛国家を打ち立てるための全民族的な闘争に力強く立ち上がるようになった。

 <参照>金日成主席の、高麗民主連邦共和国創立方案、祖国統一の3大原則、民族大団結10大綱領、金正日総書記の首脳会談について。「北南共同宣言」など。





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