金正日総書記革命活動史

第8章 先軍の旗を高く掲げて社会主義強盛国家を
建設するために

第7節 金日成主席の生誕100周年を迎えて
人民生活向上に画期的転換をもたらすために

 朝鮮人民は、金正日総書記の指導のもとに社会主義強盛国家建設偉業の歴史的転換期をかざる大高揚進軍の道で、金日成主席の生誕100周年を間近にするようになった。

 金正日総書記は、金日成主席の生誕100周年を迎えて強盛国家の扉を開くという雄大な目標を示した。

 2007年10月27日、党中央委員会の責任幹部への談話『革命発展の要請に即して党細胞の機能と役割を絶えず高めるべきである』と、2008年1月2日と1月6日、党中央委員会の責任幹部への談話をはじめ多くの機会に、2008年から総攻撃戦を繰り広げて主席の生誕100周年を迎え強盛国家の扉を開くという目標を提示した。

 金正日総書記は、次のように述べている。

「2012年は、金日成同志の生誕100周年に当たる意義深い年です。我々は、経済強国の建設を強力に推し進めて、金日成同志の生誕100周年に当たる年には青く澄んだこの空の下に強盛大国の扉を開かなければなりません」

 金正日総書記は、主席の生誕100周年を迎え人民生活の問題を決定的に解決することを決心し、それを実現するための活動を指導した。

 金正日総書記は、軽工業と農業生産を決定的に盛り立てるようにした。

 2010年3月31日、党・国家経済機関の責任幹部への談話『軽工業と農業生産に力を集中して人民生活の向上に決定的転換をもたらそう』で、軽工業と農業を発展させて人民生活を決定的に向上させるうえで提起される問題を明らかにし、これに全党的、全国家的な力を集中させるようにした。まず、軽工業を優先視し、これに総力を集中して一般消費財の問題を解決するようにした。

 軽工業工場の老朽化した設備と生産工程を近代的に改造することに力を入れる一方、最先端技術で装備された新しい軽工業工場を建設するようにした。

 こうして、原料の投入から製品の包装に至るまで自動制御装置を備えた近代的な食品工場が建設もしくは改造され、紡織・日用品工場の生産工程と設備が近代化され、一般消費財の生産を増大させる土台が築かれた。

 2009年4月、三日浦特産物工場で食品工業発展の火の手を上げるようにし、その模範を全国に一般化させた総書記は、食料、紡織、ニット、靴、日用品など軽工業部門の工場、企業を現地指導しながら、生産の正常化と製品の品質向上に努めるようにした。

 また、軽工業と関わりのある単位の工場、企業で生産を増やし、この部門に必要な原料と資材と資金を円滑に提供し、軽工業の原料、資材の生産をチュチェ化、国産化することに力を入れるようにした。特に、2008年5月、2009年2月と11月をはじめ、たびたび2.8ビナロン連合企業所を現地指導して、改造工事の段階別目標とその遂行のための方向と方途を示し、提起される問題を一つ一つ解決しながら、既存生産工程を全面的に改造してビナロン生産工程のCNC化を実現するための膨大な建設を2年間で完了するという奇跡を起こすようにした。

 2010年2月7日と9日、2.8ビナロン連合企業所を重ねて訪ね、16年ぶりに再び生産されたビナロン綿を見て大いに満足し、2010年3月5日にはビナロン工場を再興して全国を祝賀の雰囲気にわき立たせた2.8ビナロン連合企業所の労働者、技術者と幹部に総書記自身の名で特別感謝文を送った。そして、3月6日にはビナロン工場の竣工を祝う咸興市大衆集会に参加して、2.8ビナロン連合企業所の労働者をはじめ、咸興市民を熱烈に祝った。そして2010年8月、2011年1月と8月、10月と12月に重ねて2.8ビナロン連合企業所を訪れ、水平紡糸職場と繊維職場をはじめ、全般的生産工程を新たに設け、正常に運営するよう精力的に指導した。

 総書記は、地方産業の発展にも大きな力を注いだ。

 2010年11月、昌城郡を現地指導して地方産業発展の火の手を上げ、すべての市、郡がそれぞれの実情に即して地方産業工場の技術改造を着実に進め、自己の原料源泉を動員して生産を増大させるようにした。総書記は、中央軽工業、地方産業とともに一般消費財の生産で重要な役割を担っている8.3一般消費財生産運動を根気よく推し進めるようにした。

 2010年8月3日、咸鏡南道一般消費財展示場を見て回りながら、8.3一般消費財生産運動を活発に推し進める課題を示し、2011年1月にある工場で8.3一般消費財として生産した「ソリコッ」氷がき機を見て、工場、企業で一般消費財の生産を増大させるようにした。

 総書記は、農業生産で変革を起こすようにした。まず、穀物生産で革新を起こして食糧問題を解決するようにした。

 2009年4月8日、党・国家経済機関の責任幹部への談話『穀物生産で革新を起こして食糧問題を解決するのは現段階の社会主義経済建設で提起される最も切実な課題である』と、2011年1月28日、党・国家経済機関の責任幹部への談話『農業で大革新を起こして食糧問題を決定的に解決することについて』で、農業に力を総集中、総動員して穀物生産で革新を起こす課題を示した。これとともに、沙里院市嵋谷協同農場と載寧郡三支江協同農場、龍川郡新岩協同農場、泰川郡銀興協同農場、咸州郡東峰協同農場が互いに社会主義的競争を展開するようにし、すべての農場がこの単位の模範を見習って穀物のヘクタール当たり収量を一段と高めるようにした。

 そして、農業部門に対する国家的投資を増やし、すべての部門、すべての単位が農作業に必要な設備と資材を営農工程に支障をきたさないように優先的に提供し、農村にたいする勤労支援を強化するようにした。特に、2009年2月と11月、2010年8月、2011年1月と10月には、興南肥料連合企業所を、2009年5月と2010年6月、2011年5月には、南興青年化学連合企業所を現地指導し、技術改造と近代化工事を推し進めてより多くの肥料を生産して農業部門に供給するようにした。

 総書記は、人民生活の向上で重要な役割を担っている畜産と果樹栽培、養魚の発展にも深い関心を払った。新しく設けられた家禽工場と養豚工場、ヤギ牧場、ウサギ種畜場など家禽および畜産基地がその能力を最大限に発揮して、肉類やタマゴ、乳類などの畜産物生産を画期的に増やすようにした。

 2009年には、元興地区に大規模の果樹農場を設ける構想を示し、2009年11月と2010年6月、2011年7月など現地指導を重ねて大同江果樹総合農場を国のモデル果樹農場として立派につくるようにした。この課題を受けた朝鮮人民内務軍の軍人建設者と618建設突撃隊員たちは、2年余りの間に1000ヘクタール余りの土地を整理し、数百万株の果樹を植えて大同江果樹総合農場を整備し、大同江果物総合加工工場、大同江網工場、大同江養豚工場、乾果チップス工場、果実保管庫など果物の生産と加工に必要な対象を一式そろえて建設した。

 2009年6月と2011年6月には、高山果樹農場を、2011年5月には竜田果樹農場と徳城果樹農場を現地指導して、果樹農場を近代的な果実生産基地にする事業を大がかりに推進するようにした。これとともに、2009年8月と2011年5月に拡張された球場養魚場を、2009年10月にはサケ研究所を、2010年11月には竜井養魚場などの養魚場を現地指導して、養魚場を拡充し、先進的な魚類飼養管理方法を広く取り入れて生産を増やし、人民が実際にその恩恵を受けられるようにした。

 金正日総書記は、人民の住宅問題をより円滑に解決するための事業を精力的に指導した。まず、万寿台通りを先軍時代のモデル住宅街として完成させるようにした。

 総書記は、万寿台通りの古い住宅をすっかり取り払い、21世紀のモデルとなり、強盛国家の面貌に似つかわしい近代的な住宅街を建設する課題を示した。2007年12月27日、新しく建設する万寿台通りの住宅形成模型を見て、街の形成、住宅の内部構造を最高レベルで建設するようにし、その街の名を「万寿台通り」と命名した。そして、強力な建設陣を編成し、建設において綱領的指針とすべき事柄を一つ一つ示し、提起されるすべての問題を解決するよう取りはからった。こうして、万寿台通りは1年2カ月という短期間に完成された。

 総書記は、万寿台通りの住宅をモデルにして近代的な住宅を次々と建設するようにした。

 2009年10月20日、完成された万寿台通りの住宅を見て回り、幹部と建設者たちが1950年代の「平壌速度」の創造者たちと1970年代〜1980年代の「平壌繁栄期」の開拓者のように、新世紀の首都建設において先軍時代の新たな「平壌速度」を生み出し「平壌繁栄期」を再現するよう呼びかけた。

 2010年5月26日、党・国家経済機関の責任幹部への談話『党が示した首都の10万所帯住宅建設を強力に推し進めよう』で、首都の10万所帯住宅建設は党が決心し打ち出した重要な課題であり、世に宣言し人民に約束したことであるから、どんなことがあっても期限内に無条件遂行しなければならないと強調した。

 特に2011年4月、金日成主席の生誕100周年を迎えて倉田通りの住宅建設を完成させる課題を示し、幾度も住宅建築形成案を見て、新世紀の要請どおり最高の水準で建設するよう強調した。こうして、金日成主席の生誕100周年を迎え、首都の中心部に位置する倉田通りは近代的な通りに変貌した。

 総書記は、全国の地方都市と農村でもそれぞれの実情に適した住宅を多く建設するようにした。その結果、嵋谷里のスモモ村、アンズ村、黄津温泉郷など全国各地に仙境都市、仙境村が次々と建設されるようになった。

 金正日総書記は、商品供給と給養および便益・サービス事業をさらに改善するよう取り計らった。まず商品供給活動を改善して、人民の生活必需品の需要を充足させるようにした。百貨店や商店をはじめ、商業サービス基地を立派に整え、商業設備を近代化し、商品価格も適正なものにするようにした。そして、商品供給体系を整然と打ち立てて商品を切らさず人民に販売し、商品陳列とサービスの形式、方法を絶えず改善し、サービス従事者の奉仕精神を高めるようにした。

 総書記は、生涯の最後の年である2011年にしても、7月には平壌第1百貨店の第2回商品展示場を、9月には普通門通りの食肉商店を、12月には光復地区商業センターを現地指導し、商業部門の幹部とサービス従事者が人民にたいする献身的奉仕精神を発揮して商業サービス活動に決定的な改善をもたらすようにした。

 こうして、首都平壌には普通江百貨店、普通江商店をはじめ、近代的な商業サービス基地が生まれ、金日成主席の生誕100周年を契機に万寿橋食肉商店と未来商店が建設されてオープンした。

 総書記は、給食サービス事業の改善にも力を尽くした。玉流館と清流館を人民のための公共給食サービス基地として立派に整備するようにし、日増しに高まる人民の文化的要求に即して香満楼大衆食堂をはじめ、給食サービス基地を改造するようにした。

 また、民族料理だけでなく、スッポン、チョウザメ、ウズラ料理など世界的な名料理を専門に供する玉流館料理専門食堂を新設して国の料理発展において原種場の役割を果たすようにした。

 一方、中央と地方の給食サービス基地を訪ねて、すべての食堂で料理の水準を高め、衛生安全性を保障し、運営とサービス活動を絶えず改善していくようにした。

 総書記は、便益サービス事業の改善にも努めた。

 国を発達した社会主義文明国にし、人民によりよい文化生活条件をもたらすため、総合的な便益サービス施設を新たに建設し、既設の蒼光院式便益サービス基地をより立派に整備するようにした。

 総書記の恩愛によって、首都平壌市の東平壌地区に蒼光院と同じような総合的な便益サービス基地である柳京院が新たに建設され、全国各地に建設されていた数百カ所の蒼光院式の便益サービス基地である恩情院、恩徳院が改装されて面貌を一新した。

 総書記は、便益サービス部門従事者の技術・技能水準を高めて各種便益サービスの質を向上させ、人民の利益と生活上の便宜を最優先的にはかる原則でサービスの手配りと方法を改善するようにした。

 金正日総書記は、発展する時代の要請と人民の日増しに高まる文化的要求に即して人民の文化・情操生活をさらに改善するようにした。各地に近代的な文化・情操生活拠点と人民の文化的な憩いの場を設けるようにした。平壌市内の劇場、映画館を人民の立派な文化・情操生活基地として充実させるようにし、金日成主席の生誕100周年を迎え、万寿台地区に人民劇場を先軍時代の記念碑的建造物として新しく建設するようにした。そして、黄海北道芸術劇場をはじめ、各道に劇場を新しく建設または改装し、市、郡、工場、企業にも文化会館を立派に整備するようにした。

 総書記は、公園や遊園地、動物園を人民の憩いの場として立派に整備することにも深い関心を払った。

 2008年7月、凱旋青年公園を最新式の遊戯娯楽施設と電飾、各種のサービス施設を備えた総合的な遊園地に改造することを発起して、その建設を具体的に指導し、2010年4月と2011年12月、立派に建設された凱旋青年公園遊戯場を見て回り、人民になんの不便もないように遊戯場の管理運営を改善するようにした。また、竜岳山遊園地と妙香山遊園地をより立派に整備して、人民がここで祖国の美しい絶景を俯瞰できるようにし、綾羅島に遊戯場と総合遊泳場、イルカ館からなる遊園地を建設するようにした。これとともに中央動物園をたびたび現地指導して、動物園を勤労者と青少年の文化・情操生活と教育の重要な拠点となるよう拡充させた。

 総書記は、人民の文化・情操生活に役立つ電子設備と製品を開発して生産する近代的な基地を設け、その管理・運営を改善して人民の文化・情操的要求を充足させるようにした。モンランビデオ社に先端技術を導入したDVD工場を建て、勤労者と青少年に映画や演劇、テレビドラマなど各種の文芸作品を収録した文化媒体をより多く普及するようにし、液晶テレビをはじめ、各種電子製品の生産を拡大するようにした。さらに、国内と外国の音楽、舞踊に関する資料を収集、編集、普及する総合的な芸術情報基地としてハナ音楽情報センターを建設するようにし、偉大な生涯を終える時期である2011年12月15日にはセンターを現地指導し、みずから数十年間、革命と建設を指導する過程で体系的に収集してきた音楽作品をすべて寄贈し、それを人民が広く鑑賞し利用できるようにした。

 金正日総書記の指導のもとに、金日成主席の生誕100周年を迎え、人民の物質・文化生活が一段と向上することによって、強盛国家の扉を開くための闘争に決定的な転換がもたらされるようになった。





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