金正日総書記革命活動史

第7章 領袖永生の大業を立派に実現、
先軍政治をより高い段階で全面的に実現し、
「苦難の行軍」、強行軍を勝利に導くために

第8節 祖国統一の3大憲章の旗のもとに国の統一を実現し、
海外朝鮮人運動を新たな高い段階へ発展させるために

 金日成主席が生涯の最後の瞬間まで心血を注ぎ、一生涯何よりも心を砕いてきた問題は分断された祖国を統一することであった。

 金正日総書記は、金日成主席の祖国統一遺訓を必ず実現することを自身の気高い使命とし、祖国統一3大憲章の旗のもとに国の統一を実現するために全力を尽くした。

 総書記は、祖国統一の3大憲章を定式化し、その実現のための原則的立場と方法を示した。

 1996年11月24日、板門店にある金日成主席の祖国統一親筆碑を見た際の教示と、1997年8月4日に発表した著作『偉大な領袖金日成同志の祖国統一遺訓をあくまで貫こう』で、金日成主席が示した祖国統一の3大原則、全民族大団結10大綱領、高麗民主連邦共和国創立方案を祖国統一の3大憲章として定式化した。

 金正日総書記は次のように述べている。

 「祖国統一の3大原則と全民族大団結10大綱領、高麗民主連邦共和国創立案は、金日成同志が偉大なチュチェ思想と祖国統一をめざす闘争の過程で積んだ貴い経験にもとづき、祖国統一の根本的原則と方法を全一的に体系化し集大成した祖国統一の3大憲章である」

 総書記は著作で、祖国統一の3大憲章にもとづき、祖国統一偉業を実現するための党の原則的立場をいま一度明らかにしながら、国の統一問題はあくまでも民族自主の原則にもとづいて解決し、武力行使ではなく平和的方法によって実現し、連邦制方式にもとづいて実現しなければならないと指摘した。

 また、3大憲章にもとづいて北南関係を改善し、祖国統一の画期的局面を開くための方法を示した。南朝鮮当局者は、外部勢力に依存し、外部勢力と共助すべきでなく、民族自主の立場で同族と力を合わせて外部勢力を排撃する道へ進むべきであると言明した。そして、北南間の政治的・軍事的対決状態を終わらせ、南朝鮮の社会政治生活が民主化されなければならないと指摘した。

 総書記は、祖国統一の3大憲章の旗のもとに民族の大団結によって国の統一を実現するための闘争を賢明に導いた。

 1998年4月18日、歴史的な南北朝鮮政党・社会団体代表者連席会議50周年記念中央研究討論会に送った書簡『全民族が大団結して祖国の自主的平和統一をなし遂げよう』で民族大団結の5大方針を示した。

 総書記は、民族の大団結はあくまでも民族自主の原則にもとづき、愛国・愛族の旗、祖国統一の旗のもとに全民族が団結しなければならないと指摘した。そして、民族の大団結をなし遂げるためには、北南間の関係を改善し、外部勢力の支配と干渉に反対し、外部勢力と結託した民族反逆者、反統一勢力に反対してたたかうべきだということと、北と南、海外の全民族が互いに来往し接触し、対話を発展させ、連帯・連合を強めるべきだということを明らかにした。

 総書記は、民族の大団結を実現するための闘争を積極的に推し進めた。まず、北と南の来往と接触、協力と交流を通じて民族的団結をさらに強めるようにした。

 総書記は、南朝鮮の各階層の人士が平壌を訪問できる道を大きく開き、彼らと会見した。

 総書記が開いた平壌訪問の大路を通じて1995年7月には、南朝鮮の統一愛国人士である文益煥牧師の夫人をはじめ、数多くの各界人士が平壌を訪問し、1998年6月と10月には南朝鮮の現代グループの名誉会長一行が平壌を訪問し、11月に平壌で催された尹伊桑統一音楽会にソウル演奏団のメンバーが参加したのをはじめ、南朝鮮各階層の人士が共和国を訪問した。

 南朝鮮の各階層人士の平壌訪問は、北と南の全人民に朝鮮民族は一つであり、民族の大団結は祖国統一を実現する根本的な方途であるという認識を植えつける重要な契機となった。

 総書記は平壌を訪問した南朝鮮の各階層人士に接見し、全民族の統一熱気をさらに高揚させた。

 金日成主席の1周忌に際して平壌を訪れた文益煥牧師の夫人である朴容吉女史に会い、高齢の身で万難を排して訪ねてきた行動を高く評価し、金日成主席があれほど願っていた統一のために全力を尽くすという自身の意志を披瀝した。そして、1998年10月30日、平壌を訪問した南朝鮮現代グループの鄭周永名誉会長一行に接見し、記念写真も撮った。これは、南朝鮮各階層の人士に、朝鮮労働党の民族大団結の思想と方針が決して空言ではなく、祖国と民族への愛情を多少とももっている人であるなら誰とでも手を取り合って統一の門を開いていこうという朝鮮労働党と共和国政府の揺るぎない路線であることを如実に示した。

 総書記は、北南間の民間級対話と来往、協力、交流もいっそう活発におこなうようにした。そうして、南朝鮮の各民間級団体や会社との和解・協力および交流が推し進められた。

 南朝鮮の各民間級団体の代表と各界の人士は、かいらい当局の迫害と弾圧にもかかわらず、合法的または非合法的に北半部の当該団体の幹部と会って祖国統一のために民族的和解と団結の雰囲気をつくり出すための協議を真剣におこない、その実現のための一連の来往と交流をおこなった。特に、汎青学連(祖国統一汎民族青年学生連合)南側本部の韓総連(韓国大学総学生連合)の代表はほとんど毎年、北半部でおこなわれる祖国統一汎民族青年学生連合の民族統一祭典に参加することで、南朝鮮青年・学生のくじきがたい統一意志を内外に強く示した。

 これは、南朝で反統一的・ファッショ的悪法である「保安法」を撤廃させようとする各階層の広範な人民の闘争気運を盛り立て、民族的和解と団結の雰囲気をいっそう高める重要な契機となった。

 総書記は、北と南、海外の3者連帯・連合を実現するための闘争を積極的に推し進めた。そのために1995年1月、共和国政党・団体連合会議を開き、南朝鮮と海外の政党、団体、各階層の同胞に、祖国解放50周年を契機に民族統一大祭典を盛大におこなうことを提案するアピールを送るようにした。こうして、同年8月13日から15日にかけて祖国解放50周年民族統一大祭典が、北と海外各階層の代表はもちろん、汎青学連の南側本部「韓総連」の代表と南朝鮮の「民家協」(民主化実践家族運動協議会)後援会の会員などが参加したなかで盛大におこなわれた。

 総書記は、祖国統一のための3者連帯・連合を実現するうえで汎民連と汎青学連組織の役割を強めることに大きな意義を付与し、汎民連が主管する汎民族大会が、北、南、海外の3者連帯・連合を強める重要な契機となるようにした。そして、民族最大の痛恨事に見舞われたなかでも計画済みの第5回汎民族大会を予定どおり開催するようにし、第6回、第7回、第8回、第9回汎民族大会も分裂主義勢力の反統一策動を粉砕し、北と南、海外全同胞の統一意志を込めて成功裏におこなわれるようにした。

 金正日総書記は、海外朝鮮人運動を新たな高い段階へと発展させるようにした。
 1995年5月24日、在日本朝鮮人総聯合会結成40周年に際して総聯と在日同胞に送った書簡『在日朝鮮人運動を新たな高い段階へ発展させるために』で、在日朝鮮人運動を新たな高い段階へ発展させるための課題と方法を示した。

 総書記はまず、総聯組織と同胞の間で社会主義祖国への信念を抱かせる教育をいっそう強化するようにした。

 1995年3月2日と10月20日、祖国を訪問した総聯中央常任委員会の責任幹部への談話と1996年1月、祖国でおこなわれる社労青創立50周年記念行事と社労青代表者会に参会した総聯の各代表団に接見した際の教示をはじめ、機会あるごとに総聯の活動家と同胞の間で3、4世代の同胞にたいする教育に重点を置き、彼らに社会主義への確固たる信念とチュチェの魂、民族の魂をもたせるための教育を着実におこなうよう強調した。そして、1996年10月には、平壌音楽舞踊団を日本に派遣して総聯の活動家と同胞に社会主義祖国への信念をさらに強く抱かせるようにした。

 総書記は、総聯隊伍の思想的・意志的団結を強化することに大きな力を入れた。1995年10月中旬、祖国を訪問した総聯中央常任委員会の責任幹部たちに会い、総聯の老革命家の模範を見習って彼らのように総聯の活動を忠実におこなうよう強調し、特に、総聯中央常任委員会の責任幹部が思想的団結をなし遂げ、互いに尊重し、総聯の活動において提起される諸問題を真剣に討議して見解の一致を見るべきだと指摘した。

 総書記は、総聯が同胞大衆との活動を幅広くおこなうよう導いた。総聯第17回全体大会後、総聯のすべての活動家が同胞大衆の中に深く入って大衆の思想動向を正確に把握し、それにもとづいて同胞大衆との活動を綿密におこなうようにした。

 総書記は、総聯の基層組織を強化することに大きな力を入れた。そのために、総聯支部委員長を能力のある人でしっかりかためることに特に関心を払うようにし、彼らが社会主義祖国を訪問するたびに毎回会って総聯支部の活動を改善、強化するよう強調した。

 総書記は、日本反動勢力と南朝鮮かいらいの反総聯策動を粉砕するためのたたかいを正しく導いた。

 1990年代の後半期に入り、日本反動勢力と南朝鮮かいらいは、総聯を分裂、崩壊させようといっそう悪辣に策動し、特に1996年を「総聯を崩壊させる年」と定め、いわゆる「参政権」付与という奸策を弄して悪辣に策動した。

 総書記は1996年6月、当該部門の幹部に「参政権」付与という術策の本質をあばき、それを粉砕するための具体的な方途を示した。そして、その後にも数回にわたって、祖国を訪問した総聯代表団と訪問団に会い、日本反動勢力と南朝鮮かいらいの反総聯策動を粉砕するよう強調した。

 総聯組織は、同胞大衆を自覚させて敵の反総聯策動を粉砕するための闘争に立ち上がらせ、社会主義祖国でも断罪と糾弾の声を高めた。そうして、敵の反総聯策動はことごとく粉砕され、総聯組織はいっそう強固になった。

 総書記は、総聯の強化、発展のために一生をささげた老世代の幹部を大事にし、次世代も彼らの功労を末永く忘れないようにすることに気を配った。

 1995年5月23日、総聯結成40周年に際して平壌軽工業大学を「韓徳銖平壌軽工業大学」と命名する集いがおこなわれた。そして、総聯と在日同胞が祖国に寄贈したすべての対象に彼らの愛国的なおこないが末永く伝えられるように、同胞の名を冠して呼んだり、「愛国」という呼称をつけて呼ぶようになった。

 総書記は、総聯の民族教育の発展のために、国の経済状況が困難な状況下でも毎年、巨額の資金を教育援助費と奨学金として送り、1995年1月、兵庫県をはじめ、近畿地方で大地震が発生した時には、即刻慰問電文と多額の慰問金を送った。

 総書記は、全般的な海外朝鮮人運動を民族的愛国運動に発展させるために力を尽くした。

 まず、朝鮮人の住むすべての国と地域に同胞組織を結成するようにした。1990年代の初めに発足した在中朝鮮公民総連合会が1998年4月から発展する現実の要請に即して在中朝鮮人総連合会に発展し、1997年9月には国際高麗人統一連合会の下部組織として極東高統連(極東高麗人統一連合会)が結成された。この他にも、朝鮮人の住む世界のすべての国と地域に同胞組織が結成し強化するための活動が活発におこなわれるようになった。

 総書記は、すべての海外同胞が祖国統一をめざす闘争に積極的に奮起するようにした。

 祖国統一は、北に住もうと南に住もうと海外に住もうと、朝鮮人の血筋を引いた人であれば誰も度外視できない民族至上の最も差し迫った課題である。

 総書記は、海外に住むすべての同胞に自主的な祖国統一方針を深く認識させるための宣伝活動を積極的におこなうようにした。そして、祖国の自主的平和統一を必死になって反対し、外部勢力依存と民族分裂を執拗に追求する事大主義的売国奴、分裂主義者の策動とその重大な結果についても具体的な資料をもって明確に認識させるようにした。

 こうして、世界各国と地域に分散して住みながら、ただ生業にのみ没頭していた多くの海外同胞が、祖国の現実を知り、民族分裂によって半世紀以上もなめている民族の苦痛とその原因について知り、それを終わらせるための統一運動に積極的に立ち上がるようになった。

 総書記は、海外同胞組織と汎民連および汎青学連組織の役割を一段と高めるようにした。

 祖国解放と民族分裂50周年に当たる1995年8月15日を契機に、広範な内外同胞の参加のもとに祖国統一のための多彩な行事が盛大におこなわれるようにした。そうして、1995年8月、北と南の各階層の代表だけでなく、総聯代表団、在中朝鮮公民総連合会代表団、在オーストラリア同胞代表団、在米同胞代表団、在カナダ同胞代表団、汎民連顧問一行、汎民連事務総長である海外本部事務局長、国際高麗人統一連合会代表団、汎青学連海外本部代表団、汎青学連中国地域本部代表団をはじめ、世界各国と地域に住む海外同胞の参加のもとに祖国解放50周年民族統一大祭典が盛大におこなわれた。

 総書記は、すべての海外同胞が高い民族的誇りを抱いて民族性を固守し、社会主義祖国を擁護し、祖国の富強発展のために積極的に奮闘するようにした。

 金正日総書記の指導により、海外朝鮮人運動は、朝鮮人の住んでいる世界のすべての国と地域を包括する広範な民族的愛国運動に拡大、発展するようになった。





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