金正日総書記革命活動史

第7章 領袖永生の大業を立派に実現、
先軍政治をより高い段階で全面的に実現し、
「苦難の行軍」、強行軍を勝利に導くために

第2節 先軍政治方式の確立、党と国家の首位に推戴

 金正日総書記は、長い間、先軍革命指導、先軍政治を実現していく過程に積んだ貴い経験にもとづき、アメリカ帝国主義との対決が極に達していた1990年代の中期に至り、先軍政治方式を確立する活動を賢明に導いた。

 科学的で革命的な政治方式を確立することは、1990年代中期のかつてなく複雑で厳しい朝鮮革命の内外の環境から提起される切実な要求であった。

 ソ連と東欧諸国での社会主義の挫折を奇貨として強化されはじめた帝国主義者の反社会主義、対共和国孤立・圧殺策動は、朝鮮民族が被った最大の痛恨事を機にさらに悪辣に強行され、そのうえ数年来引き続く天災によって朝鮮革命はより厳しい環境にさらされた。

 革命発展情勢の要求を科学的に洞察した総書記は、先軍政治方式を確立するための活動を賢明に導いた。

 金正日総書記は、人民軍を革命の主力部隊、国の柱に押し立てた。

 総書記は、国と民族、チュチェの革命偉業の運命を決する政治方式の問題について思索に思索を重ね、その過程で久しい以前から育ててきた人民軍を革命の主力部隊、国の柱に押し立て、それに依拠して金日成主席の偉業を達成する決心をかためた。

 総書記は1994年7月13日、朝鮮人民軍の指揮メンバーに、主席が開拓し指導してきた革命偉業を達成するうえで人民軍が主力部隊とならなければならないと言明した。そして、1995年1月1日の小松林軍営への歴史的な視察によって先軍政治をより高い段階で全面的に実現するという決心を内外に表明した。

 小松林軍営を訪れた総書記は、寒風吹きすさぶ砲陣地で長い時間をかけて中隊軍人の訓練を指導し、党に限りなく忠実な強大な人民軍があるかぎり、祖国を統一し、チュチェの革命偉業をあくまで達成できることは確定的だと語った。

 ついで、中隊教育室と兵舎を見て回りながら、区分隊の思想教育活動と文化生活、給養活動の状況を確かめ、人民軍を政治的、思想的にしっかり武装させ、戦闘準備を完了し、軍人の生活を改善するための方途を示し、中隊軍人とともに意義深い記念写真を撮った。

 小松林軍営への総書記の視察は、新たな情勢に対処して人民軍の威力をさらに強め、それに依拠してチュチェの革命偉業をあくまで達成せんとする鉄の信念と意志の宣言であり、この時から先軍政治がより高い段階で全面的に実現されるようになった。

 金正日総書記は、革命的軍人精神を創造し、それを全社会に一般化させた。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「わたしは『苦難の行軍』の時期、人民軍軍人の間で高く発揚されている領袖決死擁護精神と肉弾精神、自爆精神を革命的軍人精神だと言い、全党と全社会が革命的軍人精神を見習うようにしました。全党と全社会に革命的軍人精神を見習う気風が強く発揮され、人民軍の威力がさらに強まった時、わたしの指導は先軍指導であり、わたしの政治は先軍政治だと言いました」

 総書記は小松林中隊に対する視察についで、柿の木中隊、五聖山、鉄嶺など絶え間ない先軍長征の道を歩みながら、人民軍が革命の首脳部を決死の覚悟で防衛する無敵の革命強兵、人民の幸福の創造者としての使命を果たしていくよう導いた。

 人民軍部隊にたいする絶え間ない視察によって、常に軍人のなかに入った総書記は、彼らを情愛と信頼をもってみ守り導き、軍隊内での党政治活動を一段と強化して軍人を革命的に教育し鍛えるようにした。

 総書記の精力的な指導のもとに、人民軍の政治的・思想的品格と闘争気風には、新たな転換がもたらされ、人民軍は革命の首脳部決死擁護精神がみなぎる革命隊伍に育ち、先軍時代を象徴し代表する革命的軍人精神の創造者となった。

 人民軍軍人の間では、党と領袖、祖国と人民のためには、自爆、自決の道もためらわぬ多数の英雄戦士が輩出し、「敬愛する最高司令官の命令を貫徹するまでは祖国の青空を仰ぐな!」というスローガンをかかげ、地下の切羽で青春の情熱をささげ、さらには生命をもなげうってたたかった安辺青年発電所軍人建設者の英雄的な行為もあらわれた。

 総書記は1996年6月10日、安辺青年発電所建設現場を現地指導し、軍人建設者が発揮した徹底した闘争精神を革命的軍人精神と命名した。この革命的軍人精神は、自分の領袖、自分の最高司令官のためなら青春も生命も惜しみなくささげる徹底した領袖決死擁護精神、決死貫徹精神、英雄的犠牲精神を基本とする朝鮮人民軍の気高い革命精神である。

 総書記は、全党と全社会が、人民軍で創造された革命的軍人精神を大いに見習うようにした。

 革命的軍人精神についての学習と安辺青年発電所建設現場の参観、見学を大々的に組織し、出版・報道、文学・芸術などさまざまの手段と方法を総動員して革命的軍人精神を体得させるための宣伝キャンペーンを繰り広げるようにした。

 そして、1997年3月17日の党中央委員会の責任幹部への談話『革命的軍人精神を見習うために』で、すべての部門、すべての単位で革命的軍人精神を見習うための課題と方途を示し、その実行のための対策も示した。

 金正日総書記は、国家機構体系を軍重視の原則で改めるようにした。

 金日成主席が逝去した直後、すでに国家機構体系を継承性を確固と保障し、軍重視思想の要求に即して発展させる構想を示し、その後、幹部にその具体的な方向と方途を示した。

 これにもとづき、1998年9月5日、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議第10期第1回会議では、新たな社会主義憲法が審議、採択され、それによって国家機構体系は、国防委員会を中枢とする軍重視思想が具現された新たな国家機構体系に変わった。

 こうして、先軍政治の法的・制度的保証がもたらされ、国の政治体系は、先軍政治の要求にかなった新しい国家機構体系、完成された先軍政治体系となった。これは、独創的な先軍政治を全面的に実現できる確固たる法的保証がもたらされた歴史的出来事であった。

 総書記は1999年2月8日、先軍政治は自分の基本政治方式であり、革命を勝利に導くための万能の霊剣であることを内外に宣言した。

 金正日総書記は、全党、全軍、全人民の一致した意思と念願によって党と国家の首位に推戴された。

 金日成主席が逝去した後、朝鮮人民は、金正日同志を朝鮮労働党の総書記に、国家主席にいただくことを切願した。

 総書記を一日も早く党と国家の首位にいただくことを請願する各界層人民の手紙が毎日のように党中央委員会に寄せられた。

 総書記は、主席の霊前で涙にむせんだ人民の悲憤がまだ心に残っているのに、党と国家の指導機関を新たに選挙して万歳を叫ぶのは戦士の道理でないとし、推挙を急がなかった。そして、ひたすら主席をさらに高くいただき、その遺訓を貫徹するために夜を日についで献身した。

 そうするほど、総書記を党と国家の首位にいただこうとする全党、全軍、全人民の熱望はさらに高まった。

 総書記を党の首位にいただこうとする全党員の意思と念願をこめて、各級党組織では、党創立52周年を控えて金正日同志を朝鮮労働党の総書記に推挙する政治行事をおこなった。

 1997年9月に平城市で開かれた朝鮮労働党平安南道代表会議を皮切りに、朝鮮人民軍代表会議、道(直轄市)代表会議など各党組織の代表会議が相次いで開かれた。これらの会議では、金正日同志を朝鮮労働党の総書記に推挙する問題を討議し、全代表の支持賛同により総書記推挙の決定を採択した。

 これを受けて、朝鮮労働党中央委員会と朝鮮労働党中央軍事委員会は1997年10月8日、特別報道を通じて、全党員の一致した意思により、金正日同志が朝鮮労働党の総書記に推戴されたことを厳かに発表した。

 金正日同志を朝鮮労働党の総書記に推戴しようとする党員と人民の熱望は、主席が逝去して3年後にようやく実現された。

 朝鮮人民の総意により、1998年9月5日の最高人民会議第10期第1回会議では、金正日総書記が朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長に選出された。

 金正日総書記を党と国家の首位にいただいたことは、金日成主席が切り開いたチュチェの革命偉業を最終的に完遂できる決定的保証がもたらされた意義深い出来事であった。





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