金正日総書記革命活動史

第7章 領袖永生の大業を立派に実現、
先軍政治をより高い段階で全面的に実現し、
「苦難の行軍」、強行軍を勝利に導くために

第1節 領袖永生の大業をなし遂げるために

 朝鮮労働党と朝鮮人民は、社会主義を固守し、祖国統一の画期的局面を開くためのたたかいを推し進めていた1990年代の中期、思いがけない重大な損失を被った。

 つとに、革命の道を踏み出して時代の前途を示すチュチェ思想、先軍思想を創始し、その旗のもとに人民大衆の自主偉業の達成のために精力的に活動してきた金日成主席が、1994年7月8日に急逝したのである。

 主席の逝去は、何をもってしても償うことのできない最大の損失、最も大きな悲しみであり、全人類にとって取り返しのつかない不幸であった。総書記は主席が逝去した後、その喪失の痛みを不屈の意志をもって堪え忍び、領袖永生の大業をなし遂げるべく思索と心血を注いだ。

 金正日総書記は、領袖永生の大業をなし遂げるうえでの原則的問題を明らかにした。

 1994年7月11日、19日、党中央委員会の責任幹部への談話『偉大な領袖金日成同志をわが共和国の永遠なる主席に高くいただこう』と1994年10月16日、党中央委員会の責任幹部への談話『金日成同志を永遠に高くいただき、その偉業をあくまでなし遂げよう』、1995年12月25日、朝鮮労働党中央委員会機関紙『労働新聞』に発表した談話『革命の先輩を敬うのは革命家の気高い徳義である』など一連の著作と談話で、領袖永生の大業をなし遂げることを朝鮮人民の念願を果たす問題としてだけでなく、世界の社会主義運動内に真の道徳観を打ち立てる重要な問題とし、それを実現するうえでの原則的問題を明らかにした。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「我々は金日成同志の永生についてよく口にしますが、金日成同志はとわに生きるということも金日成同志の思想と業績が不滅であり、金日成同志が朝鮮人民の心に生き続けるという意味です」

 領袖永生の大業をなし遂げるうえで重要なのは、領袖が人民の心に生き続けるようにし、領袖を生前の姿で高く仰ぎ、領袖の思想と業績を代をついでさらに輝かせることである。

 金正日総書記は、領袖永生の大業をなし遂げる事業を賢明に導いた。

 まず、主席の追悼行事をとおして、金日成主席は永遠に我々とともにおられるという信念を人民の心に植えつけた。総書記は、哀悼期間、弔意行事と告別式、追悼大会などの追悼行事が厳かにおこなわれるようにした。

 主席が逝去して数時間後の7月8日の朝、党中央委員会政治局の非常会議を招集した総書記は、青天の霹靂のような知らせに接して大きな悲しみに沈んでいる政治局員たちを慰め、追悼行事を最大の忠誠心をもっておこなうよう指示し、必要な措置を講じた。そして、主席の霊前にもうでることを願う人民の切なる心情を図り、国家葬儀委員会がすでに発表した哀悼期間を延長し、弔客を受け入れる期間を延ばすようにした。

 この措置によって7月17日までとされていた哀悼期間は20日まで延長され、16日までとなっていた弔客を18日まで受け入れることになった。哀悼期間、主席の霊前や弔意式場を訪れた弔客は全国的に延べ2億1200余万名に達した。

 総書記は、外国駐在の代表部でも追悼行事を厳かに挙行するようにした。そうして、外国に住む同胞とその国の党および国家首班をはじめ、多くの人士と各階層の人民が主席の逝去に深い哀悼の意をあらわした。

 1994年7月10日、告別式の準備を指導していた総書記は、告別式の時にかかげる主席の影像を太陽のような明るい笑顔の姿にするようにし、その原画写真まで選んでくれた。その後、主席の太陽像を最上の水準で完成するよう再三細かに指導し、7月19日の告別式の時にそれを霊柩車行列の先頭にかかげるようにし、追悼行事の場と平壌市内にはもちろん、全国各地の主な大衆教育の場にも主席の太陽像を丁重にかかげるようにした。

 総書記は、主席を追慕する追悼大会を厳かに挙行するようにした。

 7月20日、平壌では、総書記の参加のもとに主席を追慕する中央追悼大会が厳かに挙行され、追悼大会に参加したすべての人は、生涯を終える最期の瞬間まで、ひたすら祖国の隆盛・発展と人民の自由と幸福のため、祖国の統一と全世界の自主化のために不眠不休の労苦と心血を注いできた主席を最も敬虔な気持ちで追慕し、主席の永生を祈願した。

 総書記は、主席の懐で思う存分幸せを享受してきた世代だけでなく、次世代も社会主義朝鮮の始祖である主席を忘れないようにするため、1996年2月11日、主席が逝去した7月8日を民族最大の追慕の日として迎えることを伝統化とする指針を示した。

 この措置により、朝鮮人民は毎年7月8日に主席を限りなく敬虔な気持ちで追慕しながら、主席の高貴な革命的生涯を感慨深く思い返すことをたがえることのない慣習とし、民族固有の伝統とみなすようになった。

 総書記は、領袖永生祈願のスローガンと永生塔、記録映画、文学・芸術作品をとおして、人民の心に領袖永生の信念を深く植えつけた。

 1994年7月16日、「偉大な領袖金日成同志は永遠に我々とともにおられる」というスローガンを示し、金剛山と妙香山の名所と天然の岩に主席をたたえる文を刻み付けるようにした。

 また、主席の永生塔を全国の工場と農場、軍部隊、町と村に建てるようにし、1996年7月初旬には、主席がいつも通っていた金星通りの入り口に大型の永生塔を建立することを発起し、それを立派に建てるよう指導した。

 総書記は、『偉大な領袖金日成同志はとわに生きる』(第1〜7部)、『偉大な生涯の1994年』などの記録映画を制作し、それをとおしての教育を強めるようにし、歌謡『主席はいつもわれらとともに』、叙事詩『永遠のわが領袖金日成同志』、長編小説『永生』など領袖永生をテーマにした文学・芸術作品を創作して普及するようにした。

 主席が逝去した後、党中央委員会の政治局員と人民から、金正日総書記を共和国の主席に推戴すべきだという請願が数多く提起された。

 総書記は1994年7月11日、19日の談話『偉大な領袖金日成同志をわが共和国の永遠なる主席に高くいただこう』と1994年10月16日の談話『金日成同志を永遠に高くいただき、その偉業をあくまでなし遂げよう』で、金日成同志を共和国の永遠なる主席に、社会主義朝鮮の始祖に高くいただくべきだと言明した。

 そして、主席という言葉は、金日成同志の尊名と切り離しては考えられないものとして全朝鮮民族の胸に刻みつけられており、金日成主席という尊称は世界人民にとって消しがたいものとなっているとして、金日成同志を金日成主席という親しい尊称と高い尊名で朝鮮人民と世界の進歩的人民の心の中にとわに生き続けるようにすべきだと述べた。

 また、祖国と人民、世界と人類に卓抜な貢献をなし、最高の尊敬と欽慕を受けてきた金日成同志を朝鮮の歴史にただ一人の主席、最初にして永久に変わらぬ主席として高くいただこうというのが自分の確固とした意志であると語った。

 総書記は、金日成同志のような天稟をもった偉人はこの時代にまたとなく、それゆえ、金日成同志だけを唯一の主席として高くいただき、ほかの人は誰も主席という職名を持てないということを法制化すべきだと強調した。

 総書記の意思に従い、1998年9月5日、最高人民会議第10期第1回会議で新たに採択された朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法では、朝鮮民主主義人民共和国の創建者であり、社会主義朝鮮の始祖である金日成同志を共和国の永遠なる主席に高くいただくということを規定した。

 金正日総書記は、錦繍山議事堂(当時)をチュチェの最高聖地に整え、そこに金日成主席を生前の姿で永久に安置する事業を賢明に導いた。

 1994年7月11日、総書記は党中央委員会の責任幹部たちに、主席が長い間、革命と建設を指導してきた錦繍山議事堂を主席の記念館として立派に整え、ここに主席を生前の姿で永遠に安置しなければならないと教えた。そして、錦繍山記念宮殿(当時)の建設工事を人民軍に任せ、工事に必要な設備と資材を最優先的に供給する措置をとった。

 総書記は、工事がおこなわれた1年間、およそ400余回もの指示を与え、ほぼ毎日のように、ある日には2回も3回も現地に出かけて錦繍山記念宮殿と錦繍山地区を立派に整えるよう精力的に指導した。

 主席の大理石の立像を立てたホールと生前の姿のまま安置されている主席にまみえるために上る大階段を立派につくる問題から宮殿内部の照明や音響設備に至るまで深い関心を払って細かに指導し、チュチェの最高聖地を訪れる人民の便宜を図って金星通りに路面電車も設けるようにした。

 工事が仕上げの段階に入った1995年6月12日、朝鮮労働党中央委員会、朝鮮労働党中央軍事委員会、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会、朝鮮民主主義人民共和国中央人民委員会、朝鮮民主主義人民共和国政務院決定書「偉大な領袖金日成同志を永生の姿で末永く安置することについて」が採択、発表された。

 主席の1周忌に当たる1995年7月8日、総書記の参加のもとに新装なった錦繍山記念宮殿の開館式がおこなわれた。

 その後も、総書記は錦繍山地区をより立派に整えることに引き続き深い関心を向けた。

 錦繍山記念宮殿の内部をいっそう立派に整備し、宮殿の広場を拡張して花崗岩で舗装し、宮殿を訪れる人民の便宜をはかって宮殿外廊を建設するようにした。そして、宮殿の石垣と石造門を民族の情趣に富み、現代的美感に合うよう特色づけて形成し、広い空地に樹木園を造成し、錦繍山記念宮殿と平壌空港をつなぐ9.9節通りを新しく建設するようにした。

 金正日総書記は、金日成主席の思想と業績を代をついで輝かせる事業を賢明に導いた。

 主席の革命思想を革命の永久の指導思想として輝かせることに特別な意義を付与した総書記は、主席との永別を前にした1994年7月18日、党中央委員会の責任幹部たちに、主席の生存時といささかも変わることなく主席の思想を100%継承しなければならない、これが徹底されれば主席を永久にいただくことになると語った。

 1994年7月22日に「偉大な領袖金日成同志の革命思想でさらにしっかり武装しよう!」を党の基本スローガンとして提示し、それを実行するための積極的な措置を講じた。

 総書記は、主席の著作の編纂と展示に特別な関心を向け、主席の回顧録『世紀とともに』を続編の形式で引き続き編纂するようにし、チュチェ思想著作展示館を設けることを発案し、それを実現するうえでの諸問題を明示した。

 総書記は、主席の革命的生涯と業績を永遠に輝かせることにも深い関心を払った。

 主席の革命事績が宿る由緒深い所に主席の銅像を丁重に建て、現地指導事績碑と現地教示碑を設け、主席の尊名を記すようにした。

 こうして、金日成政治大学と金日成軍事総合大学に大元帥服姿の主席の銅像が立てられ、全国の数多くの単位に主席の現地指導事績碑と現地教示碑が立てられた。そして、1996年1月には、朝鮮社会主義労働青年同盟が金日成社会主義青年同盟に改称され、主席が数回現地指導した平壌大同門人民学校が「金成柱人民学校」(当時)と命名された。

 主席の1周忌を迎えて板門店の統一閣の前には、偉大な生涯の最後の瞬間まで祖国統一のために腐心した主席の革命業績を末永く伝えるため、主席の最後の親筆である「金日成 1994・7・7」という文字の親筆碑が建立され、朝鮮労働党創立50周年に際して党創立記念塔が立てられ、金剛山の法器峰の天然岩に「偉大な領袖金日成同志は永遠に我々とともにおられる」という文が、玉女峰の明堂岩には「朝鮮よ誇ろう、5000年の民族史に最も偉大な金日成同志を領袖としていただいていた栄光を!」という文が彫り付けられた。

 一方、総書記は、主席の革命業績を末永く輝かせるために図書の編纂を発起し、その活動を精力的に指導した。

 こうして、全21巻からなる叢書『偉大な領袖金日成同志の不滅の革命業績』は、わずか数年の間に編纂、刊行され、その他数多くの図書が執筆、出版された。

 総書記は、主席の革命的生涯と業績を末永く輝かせるために、チュチェ年号と太陽節を制定するようにした。

 1997年7月8日、朝鮮労働党中央委員会、朝鮮労働党中央軍事委員会、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会、朝鮮民主主義人民共和国中央人民委員会、朝鮮民主主義人民共和国政務院決定書「偉大な領袖金日成同志の革命的生涯と不滅の業績を末永く輝かせるために」が発表された。

 決定書は、主席がチュチェの太陽として誕生した1912年を元年とするチュチェ年号を制定し、主席が誕生した民族最大の祝日である4月15日を太陽節とすることを内外に宣言した。





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