金正日総書記革命活動史

第6章 人民大衆中心の朝鮮式社会主義を固守するために

第6節 アメリカ帝国主義の核査察騒動を粉砕し、
国の自主権と朝鮮式社会主義を守るために

 1990年代に入って、朝鮮を孤立させ圧殺しようとするアメリカの策動は極に達した。
 
 金正日総書記は、次のように述べている。

 「昨年、アメリカ帝国主義者は、社会主義のとりでであるわが国を孤立させ圧殺するため、核査察問題を口実に『チーム・スピリット』合同軍事演習を繰り広げ、反社会主義・反共和国策動をかつてなく強化しました。そのため、わが国には、いつ戦争が起こるかわからない一触即発の危機が生じ、わが党と人民は、社会主義を守るか否かという厳しい情勢に直面することになりました」

 旧ソ連および東欧諸国における社会主義の挫折と資本主義の復活を奇貨として、アメリカは、朝鮮を孤立させ圧殺するための攻勢をいつにもまして強めた。アメリカは、ありもしない核開発疑惑問題、核査察問題を執拗に持ち出し、それを朝鮮を国際的に孤立させる手段として利用しようとした。

 朝鮮は、南朝鮮からアメリカの核兵器を撤去させ、朝鮮にたいするアメリカの核の脅威を取り除き、朝鮮半島を非核地帯にする目的で、既に、1985年12月に核拡散防止条約に加盟していた。しかし、アメリカは、核保有国は非核保有国を核兵器で威嚇してはならないという条約上の義務を履行せず、朝鮮にたいする一方的な核査察圧力騒動を狂乱的に繰り広げた。

 金正日総書記は、アメリカ帝国主義の不当な核兵器開発疑惑騒動を粉砕するためのたたかいを賢明に導いた。

 1991年5月中旬、党中央委員会の関係部門の責任幹部に、ソ米間の和解が成立した後も、アメリカが南朝鮮に1000余の核兵器を配備している目的とその危険性、そして、それを正当化するためにありもしない朝鮮の核開発能力について云々し、核査察問題を執拗に持ち出してくる魂胆を余すところなく暴露すべきであると述べた。

 総書記の指示にもとづき、同年6月10日、朝鮮半島の核問題発生の根源とそれが解決されない理由、核問題に関する立場を明らかにした朝鮮の各政党・団体の連合声明が新聞や通信、放送を通じて一斉に報道された。

 連合声明は発表されるや否や、世界中で支持を受けた。連合声明の発表後1カ月足らずの間に、90余カ国の数多くの政党、社会団体と個々の人士が、連合声明を支持する400余の声明、談話を発表し、記者会見、放送演説、デモなどがおこなわれた。

 1991年6月、朝鮮は、アメリカが朝鮮に核拡散防止条約にもとづく保障措置協定の速やかな締結を要求していることに対処して、アメリカが保障措置協定締結に関する朝鮮の要求条件を受け入れるよう強く要求した。

 共和国政府は、保障措置協定が締結されていない責任は全的に、核保有国としての条約上の義務を守っていないアメリカにあることを明らかにする一方、朝鮮が保障措置協定を締結し、それにもとづく核査察を受け入れることができるよう、アメリカは南朝鮮から核兵器を撤去し、朝鮮にたいする核の脅威を取り除き、核兵器を使用しないという法的拘束力を持つ安全保障をおこなうべきだとする立場と正々堂々たる要求を内外に明らかにした。

 こうして1991年9月17日、アメリカは、他国に配備されている自国の短距離戦術核兵器を撤去する用意があると宣言するとともに、南朝鮮かいらいに「南朝鮮に核兵器はもはや存在しない」という「核兵器不在宣言」を発表させた。

 こうした情勢のもとで、共和国政府は、南朝鮮の「核不在」が確認されたら保障措置協定に署名し、国際原子力機関(IAEA)の手続きを踏んで核査察を受け入れる準備ができているという立場をいま一度明らかにした。

 そうして、朝鮮にたいする核査察とアメリカの核兵器の撤去は別個の問題だと言い張るアメリカの主張は通じなくなり、朝鮮の核保障措置協定問題とアメリカの核兵器撤去の問題は不可分の関係にあることが明白になった。

 アメリカは自国が南朝鮮に核兵器を配備したことを認め、朝米協商を通じて朝鮮半島の核問題を解決するとの朝鮮の提案をいれ、朝米高位級協商に臨まざるを得なくなった。

 総書記は、朝米高位級会談で朝鮮の原則的立場を貫くよう導いた。

 1992年1月22日、ニューヨークで開かれた朝米高位級会談で、朝鮮代表団は会談の主導権を握り、朝鮮を核で威嚇せず、チーム・スピリット合同軍事演習を中止することを強く要求し、アメリカはこれに応じざるを得なかった。

 金正日総書記は、アメリカの特別査察騒動を粉砕し、国の自主権と朝鮮式社会主義を守るための銃声なき決戦を賢明に導いた。

 朝米高位級会談でアメリカが朝鮮を核で威嚇せず、チーム・スピリット合同軍事演習を中止することを確約したので、朝鮮は会談直後の1月30日にIAEAと核保障措置協定を締結し、数度にわたる特定査察を受けた。その過程で朝鮮の核施設は核開発とは無関係であることが明白になった。にもかかわらず、アメリカは、朝鮮の一般の軍事対象にたいする特別査察を要求した。

 共和国政府は、一般の軍事対象にたいする査察の要求は、朝鮮と戦争状態にあるアメリカの策動によるもので、これにIAEAが介入した深刻な政治的・軍事的問題であり、これを許せば、朝鮮のすべての軍事対象を開放する第一歩となると主張した。そして、もし軍事対象にたいする不当な査察措置を講じるなら、それ相応の自衛的措置をとることになるだろうと言明した。

 アメリカは1993年1月26日、チーム・スピリット合同軍事演習を再開すると威嚇し、2月25日にはIAEA理事会で特別査察を強要する不当な決議を採択させ、政治的・軍事的圧力を強めた。そうして、朝鮮には、いつ何時戦争が起こるかわからない一触即発の危機が生じた。

 アメリカ帝国主義の反革命的攻勢に革命的攻勢をもって対抗するため、総書記は、敵が挑発的なチーム・スピリット合同軍事演習を開始するのと時を同じくして、1993年3月8日、朝鮮人民軍最高司令官命令第0034号「全国、全人民、全軍に準戦時状態を宣布することについて」を下達した。

 この命令で総書記は、もしアメリカ帝国主義と南朝鮮かいらい一味が新たな戦争を起こすならば、朝鮮人民と人民軍は党と領袖のため、血潮をもって勝ち取った人民大衆中心の朝鮮式社会主義のため、最後まで戦って侵略者にせん滅的打撃を与え、英雄朝鮮の尊厳と栄誉をいま一度とどろかせるであろうと厳かに宣言し、敵は共和国の寸土、一木一草をもみだりに侵すことができないことをはっきり知るべきであると警告した。

 朝鮮人民は準戦時状態へ移行せよとの最高司令官の命令に従い、各自の持ち場で勤労の偉勲を立てるとともに、人民軍を物心両面にわたって支援した。人民軍軍人は、命令がくだれば党と領袖のために、祖国と人民のために一命をなげうって戦うという決死の覚悟をかため、祖国の前哨を固守した。

 最高司令官命令第0034号が下達された4日後の3月12日、民族の自主権と国家の最高利益を守るため、核拡散防止条約(NPT)から脱退するという政府声明が発表された。

 NPT脱退声明が発表されると、世界の各界と報道機関は、「地球上のすべての核爆弾を爆発させても北朝鮮のこのたびの声明の威力には及ばないだろう」「北朝鮮の政治思想的、軍事的力の誇示」「アメリカに真っ向から立ち向かう国は北朝鮮しかない」「大勢を意のままに変える金正日指導者の指導力は全世界を揺るがした」と評した。

 こうして、アメリカはチーム・スピリット93合同軍事演習を期日を繰り上げて中止し、IAEAは特別査察の要求を撤回せざるを得なかった。そして、朝米協商を通じて朝鮮半島の核問題を解決するという朝鮮の提案にアメリカが応じることにより、朝鮮半島の核問題を国際化しようとしたアメリカの企図は破綻し、朝米政府間会談が開かれることになった。

 総書記は、朝米政府間会談で自主的立場と原則を堅持するよう導いた。

 1993年6月2日から11日にかけてニューヨークで開かれた第1ラウンドの会談では、歴史上初めて朝米間の共同声明が発表された。

 共同声明は、核兵器を含む武力を使用せず、そうした武力をもって威嚇もしないこと、全面的な保証適用の公正性保障を含む朝鮮半島の非核化、平和と安全を保障し、相手方の自主権を相互に尊重し、内政に干渉しないこと、朝鮮の平和的統一を支持することなどの諸原則において合意を見たと内外に宣言した。

 第2ラウンド朝米会談は、同年7月14日から19日にかけてジュネーブで開かれた。総書記はこの会談で、ニューヨーク共同声明で合意を見た諸原則、特に、核兵器を含む武力を使用しないという原則を再確認し、核問題解決のためのより主動的な提案をおこない、それを貫徹するよう導いた。

 朝鮮は会談で、自国の黒鉛減速炉と関連核施設を軽水炉にかえるという提案をおこなった。アメリカ側もこの提案を歓迎し、朝鮮とともに軽水炉提供の方途をさぐる用意があると明言した。

 第2ラウンドの会談後、アメリカは、第3ラウンドの朝米会談を開くためには、朝鮮がIAEAの査察を受け入れ、北南対話を再開しなければならないという前提条件を持ち出し、会談の開催を引き伸ばした。

 共和国政府は、アメリカが第3ラウンド会談開催の前提条件として持ち出している全面査察の要求と2カ所の軍事施設にたいする特別査察の要求を一蹴し、政府の原則的立場を明らかにした1994年1月31日付の外交部スポークスマンの声明を発表した。

 声明は、アメリカが約束を破るならば、朝鮮もこれ以上アメリカとの約束にとらわれないだろう、アメリカが朝米会談を拒否するなら、あえて会談をおこなうつもりはないという立場を表明し、アメリカが何か他の方途を選択するなら、朝鮮もそれに応じた方途を選択するであろうと厳かに宣言した。

 朝鮮の断固たる立場に気をそがれたアメリカは会談に臨まざるを得なかった。

 こうして、1994年8月5日からジュネーブで開かれた第3ラウンドの朝米会談では、朝鮮半島の核問題解決のための朝米基本合意書が採択され、同年10月20日には、アメリカ大統領クリントンがその履行を誓約する保証書簡を金正日総書記に寄せた。クリントンは保証書間で、金正日総書記に大統領のあらゆる権限を行使して朝米基本合意書を履行することを確約した。





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