金正日総書記革命活動史

第5章 全社会の金日成主義化をさらに促進するために

第9節 高麗民主連邦共和国創立方案を実現し、
在日朝鮮人運動に新たな転換をもたらすために

 1980年代に入り、祖国統一のためのたたかいにおける最も重要な課題は、高麗民主連邦共和国創立方案を実現することであった。

 金日成主席が朝鮮労働党第6回大会で打ち出した高麗民主連邦共和国創立方案は、自主、平和統一、民族大団結の3大原則にもとづき、朝鮮の現実的条件に即して祖国の統一を実現する最善の方途を示した統一憲章である。

 高麗民主連邦共和国創立方案は、北と南が相手側に現存する思想と体制をそのまま容認する基礎のうえで、双方が同等に参加する民族統一政府を組織し、そのもとで北と南が同等の権限と義務をもち、それぞれ地域自治制を実施するという統一方案である。北と南に現実に相異なる思想と社会体制が存在している状況のもとで、一方が食ったり食われたりすることなく、国の統一を公正に、平和的方法で早く実現する最も現実的かつ合理的な方途は、二つの体制をそのままにして、北と南が連合する方法で一つの統一国家を形成することである。

 金正日総書記は、主席が提示した高麗民主連邦共和国創立方案を実現するために心血を注いだ。まず、高麗民主連邦共和国創立方案の正当性と現実性を広く宣伝するようにした。

 総書記は、金日成同志が示した高麗民主連邦共和国創立方案をはじめ、わが党の祖国統一方針の正当性を巧みな方法で積極的に宣伝し、内外のすべての朝鮮同胞がわが党の統一方案を支持し、祖国統一のための愛国の道にこぞって立ち上がるようにしなければならないと指摘した。

 1980年10月と12月をはじめ多くの機会に、総書記は、高麗民主連邦共和国創立方案の宣伝を強化すべきだとし、内外の朝鮮同胞の間で高麗民主連邦共和国創立方案を広く宣伝するようにした。そのために、党機関紙、政府機関紙をはじめ、多くの出版物が連邦国家創立方案と統一国家の10大施政方針に関する報道と反響資料を集中的に掲載する一方、新聞、放送を通じてその正当性を解説するようにした。そして、第6回党大会の決定を貫徹するための勤労者団体の大会や主要な記念報告会などの政治的行事でも、新たな祖国統一方案を実現することを重要な問題として提起し、積極的な宣伝攻勢を繰り広げるようにした。また、さまざまな形式と方法で世界の広範な人民に朝鮮労働党の新たな祖国統一方案の公明正大さを宣伝するようにした。

 総書記は、連邦国家創立の前提条件を整えるために精力を傾けた。北南間の民族的和解と団結を図り、朝鮮半島の緊張を緩和し、戦争の危険を除くことは、北と南が連合して一つの連邦国家を創立するための基本前提である。

 総書記はまず、北南間の民族的和解と団結の雰囲気をつくるために大きな力を注いだ。

 1984年9月、総書記は、南朝鮮の水害被災民に肉親の情のこもった救援物資を送り、民族的和解と団結の新局面を開いた。

 南朝鮮では、1984年8月末から9月初めにかけての豪雨により一挙に20万7000余人の罹災民が出た。総書記は直ちに、共和国赤十字会の名義で南朝鮮の水害被災民に救援物資を送るという決定を発表するようにした。そして、莫大な量の救援物資を短期間に最高の水準で準備するためのスケールの大きい作戦を展開し、細かな指示を与えて、救援物資の受け渡しが円滑に行われるよう導いた。

 こうして、国土分断以来約40年にして初めて、5万石の米、50万メートルの織物、10万トンのセメントと大量の医薬品が南朝鮮の水害被災民に届けられた。これを機に北南間に対話の雰囲気が生まれて北南経済会談の道が開かれ、1985年5月には北南赤十字会談が12年ぶりに再開され、祖国解放40周年を契機に北南間に赤十字芸術団および故郷訪問団の相互訪問が実現し、北南国会会談のための予備接触とスポーツ会談がおこなわれた。これは、分断の障壁に往来の突破口を開き、全民族的規模で祖国統一への熱望を一段と高めた。

 総書記は、金日成主席が提唱した北南の当局者を含む諸政党・社会団体の代表と各界の人士が参加する北南連席会議と北南の指導的人士による政治協商会議の開催を実現するための積極的な措置を講じた。そして、平壌を訪れた南朝鮮の「全国民族民主運動連合」顧問の文益煥牧師や「全国大学生代表者協議会」の代表など統一の使節を温かく迎えて称揚するようにし、民族の和解と祖国統一の気運を一層盛り上げた。

 次に総書記は、朝鮮半島の緊張を緩和し、祖国統一の平和的環境をつくるためのたたかいを積極的に推進するようにした。

 金日成主席は、朝鮮半島の緊張を緩和し、恒久平和を保障するため、朝鮮停戦協定を平和協定にかえ、北南間に不可侵宣言を採択することを目的とする朝鮮とアメリカ、南朝鮮の3者会談や北南高位級政治・軍事会談の開催など、合理的な提案を示した。

 総書記は、主席が示した平和的提案を実現するため、まず、3者会談開催の提案を実現するための措置を講じるようにした。

 1984年1月、朝鮮民主主義人民共和国中央人民委員会と最高人民会議常設会議の合同会議は、朝鮮とアメリカ、南朝鮮の3者会談の開催を呼びかけ、その旨をしたためた手紙をアメリカ政府とソウル当局に送った。そして、1985年4月の最高人民会議第7期第4回会議は、最高人民会議と南朝鮮の「国会」との会談を開き、不可侵宣言を発表することを提議する手紙を南朝鮮の「国会」に送り、国際平和年である1986年には、朝鮮半島で戦争の危険を防ぎ、鋭い軍事的対峙状態を緩和するための一連の措置を講じた。北南間の対話がおこなわれる期間、一切の軍事演習を中止するという提案、朝鮮半島に非核地帯、平和地帯を設けるという提案、15万人の朝鮮人民軍軍人を平和的建設に参加させるという重大措置などは、緊張を緩和し、平和統一の前提条件を整えるための朝鮮労働党と共和国政府の誠意ある努力のあらわれであった。

 総書記はまた、北南高位級政治・軍事会談の開催と軍縮の提案を実現するための措置を講じるようにした。

 1987年1月から3月にかけて、朝鮮民主主義人民共和国の政務院総理と人民武力部長は、共同名義で4回にわたって北南高位級政治・軍事会談の開催を提案する手紙を南朝鮮の「国務総理」と「国防長官」に送り、会談の早期開催を求めた。そして、共和国政府は、1987年7月に声明を発表して大規模の段階的兵力縮小を提案し、12月末までに朝鮮人民軍の各軍種、兵種から10万人の将兵を除隊させて社会主義建設場に進出させる措置を講じた。また、1988年11月には、平和保障4原則と包括的な平和方案を提示した。

 祖国統一の平和的環境をつくり、緊張を緩和するための朝鮮労働党と共和国政府の措置と真摯な努力は、内外で絶対的な支持と歓迎を受けた。

 総書記は、高麗民主連邦共和国創立方案を実現するため、民族大統一戦線を形成することに精力を傾けた。

 全民族的な統一戦線の形成を促進するため、総書記は、北と南、海外の人士で構成される民族共同の協議機構を設置することを構想し、これに関する合理的な提案をおこなうようにした。

 1980年11月に平壌で招集された共和国北半部の諸政党・社会団体連席会議は、北と南、海外の各党、各派、各階層の適当な数の代表からなる高麗民主連邦共和国創立準備委員会のような民族共同の協議機構を設置するための予備会議を開くことを提議する手紙を採択し、南朝鮮と海外の各階層の人士に送った。

 準備委員会設置の提案は、内外の各界の人士の積極的な支持と歓迎を受けた。しかし、南朝鮮の当局者だけは、この提案を誹謗中傷し、手紙を受け取った人の大半を公職から追放しただけでなく、さまざまな「罪」をかぶせて弾圧し、逮捕、投獄した。

 総書記は、南朝鮮当局者の反民族的・分裂主義的策動を暴露、断罪する一方、南朝鮮と海外で団結できるすべての愛国的民主勢力を広く包容するようにした。

 これに応じて、1981年8月、祖国統一民主主義戦線中央委員会は声明を発表し、南朝鮮当局者である全斗煥一味を除き、祖国の統一を志向する北と南の諸政党・社会団体の代表と海外同胞が参加する民族統一促進大会の招集を提議し、1982年2月、祖国平和統一委員会は、祖国統一のための協商機構として北と南、海外の人士の100人連合会議の招集を提案し、その参加対象者名簿を発表した。こうして、南朝鮮と海外では、連合会議招集のための政治運動が活発に繰り広げられた。

 総書記は、全民族的な統一戦線の形成を促進するため、北と海外同胞との連帯を実現することに大きな力を注いだ。

 北南間の幅広い統一対話がまだおこなわれていない状況のもとで、北と海外の連帯実現は民族大統一戦線形成の突破口となった。総書記は、平壌を訪ねる海外同胞人士が北と海外の連帯を実現するうえで先駆的な役割を果たすよう、連共統一の道に導いた。そうして、同胞社会の中間政治勢力と良心的な各界の人士、学界、宗教界の人士はもちろん、民族自主を志向する右翼人士も連共合作の道を歩むようになり、彼らは海外同胞を自主統一と民族大団結へと立ち上がらせるうえで大きな役割を果たした。

 海外の民主人士の間で連共、連北の気運が高まると、総書記は、海外同胞との対話と協商を拡大するよう導いた。そして、1981年11月、オーストリアの首都ウィーンでは国土分断以来36年にして初めて、祖国統一のための北と海外同胞のキリスト教信者の第1回の対話が成功裏に行われ、1982年12月にはフィンランドの首都ヘルシンキでより大きな規模で第2回の対話が開催された。これは、内外の同胞の和解と連合を図り、祖国の自主的平和統一を促進するうえで重要な契機となった。

 高麗民主連邦共和国創立方案を実現するための海外同胞の愛国運動は、日本をはじめ、アメリカとオーストラリア、ヨーロッパ諸国で急速に拡大し、海外で民族の団結のための基礎が築かれた。こうして、1984年12月には、北と海外同胞の汎同胞大会が開かれ、非常設協議体として「祖国統一のための民族連合」が結成された。「祖国統一のための民族連合」の結成は、北と海外同胞との統一戦線の実現であり、民族大統一戦線の形成を促進するための基礎となった。

 総書記は、全民族的な統一戦線を形成するため、金日成主席が提案した北南連席会議の招集を実現するための実際的な措置を講じるようにした。そうして、1988年1月、朝鮮民主主義人民共和国中央人民委員会、政務院、諸政党・社会団体は合同会議を開き、北と南の当局者を含む社会団体の代表と各界の人士が参加する北南連席会議の招集を提案する手紙を南朝鮮の諸政党・社会団体と個々の人士に送り、北南連席会議北側準備委員会を構成した。

 北南連席会議招集の提案は、内外で大きな反響を呼び、積極的な支持と歓迎を受けた。特に南朝鮮では、統一問題の解決において民衆が主体とならなければならないという主張が強まり、統一問題の解決に直接参与しようという各階層の人民の要求が日ごとに高まった。祖国統一に対する全朝鮮人民の志向が高まり、統一の主体的勢力がいつにもまして強まるにつれて、総書記は、北と南、海外の統一運動団体の代表と各界の愛国人士が参加する汎民族大会を開くためのたたかいを力強く推し進めるようにした。

 そうして、1989年7月に平壌で招集された内外同胞の祖国統一促進大会では、祖国解放45周年に当たる翌年の1990年に板門店で祖国統一のための8.15汎民族大会を開催することにした。

 民族大統一戦線を形成するためのたたかいが力強く展開されることにより、祖国統一のための民族の主体的勢力を強化し、統一運動を全民族的規模に拡大発展させるうえで新たな転機がもたらされた。

 1980年代に高麗民主連邦共和国創立方案を実現するためのたたかいが強力に繰り広げられることにより、祖国統一運動では新たな高揚が起こった。

 金正日総書記は、在日朝鮮人運動に新たな転換をもたらすために心血を注いだ。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「こんにち、総聯をめぐる主・客観的情勢は大きく変わり、こうした情勢は総聯にとってその活動のすべての分野で新たな革命的転換をもたらすことを切実に求めています」

 1980年代に入って、在日朝鮮人運動は新たな発展への転換期を迎えた。この時期、在日同胞の間では世代の交替がなされ、日本で生まれ育った2世、3世の同胞が圧倒的多数を占め、彼らが在日朝鮮人運動の主役として登場するようになった。また、商工人が総聯の基本大衆をなしていた。

 総聯の活動環境にも大きな変化が生じていた。総聯にたいする日本政府の分裂策動がいっそう強まる一方、日本と南朝鮮の癒着関係が深まるにつれて、総聯組織を破壊し、在日朝鮮人運動を瓦解させようとする南朝鮮の反動勢力の策動もかつてなく悪辣さを増していた。

 総聯の変化した環境と現実は、新しい世代の同胞、同胞商工人との活動をよりいっそう強化し、総聯のチュチェ思想化をさらに力強く推し進めていくことを求めていた。

 総聯の変化した環境と在日朝鮮人運動発展の合法則的要求を深く洞察した総書記は、1986年9月15日の党中央委員会の責任幹部への談話『発展する現実の要求に即して総聯の活動をさらに改善強化するために』で、総聯はチュチェ思想を指導思想とするチュチェ型の海外同胞組織であるとし、総聯のチュチェ思想化は総聯が恒久的に堅持していくべき戦略的目標であると述べた。また、変化した現実に即して総聯の活動に新たな転換をもたらすための課題と方途を示した。

 総書記は、在日朝鮮人運動に新たな転換をもたらすため、まず総聯の幹部陣容をかためるよう導いた。

 総書記は、変化した現実に即して幹部陣容を革新するとともに、幹部の教育と後続幹部の養成に力を入れるようにした。そして、総聯の活動に生涯をささげている老幹部を大事にして押し立て、彼らが引き続き中核的役割を果たすよう導いた。

 総書記は、広範な同胞大衆を組織に結束し、彼らにたいする思想教育を強化することに大きな力を注ぐようにした。

 総書記は、同胞商工人を総聯の基本大衆、在日朝鮮人運動の主力部隊として押し立て、彼らの愛国衷情を発揚することにも深い関心を払った。そして、総聯の幹部の間で革命的信念の教育を強化するとともに、在日同胞に朝鮮民族第一主義の精神と祖国への献身的奉仕精神を植えつけることに重点を置いて祖国愛、民族愛の教育を着実におこなうようにした。

 総書記は、同胞の民主主義的民族権利を擁護し、祖国の社会主義建設と自主的平和統一のための愛国運動を力強く繰り広げるよう導いた。

 総書記は、同胞の人権と企業権、生活権、教育権を擁護し拡大することは、総聯の重要な任務であるとし、広範な同胞大衆を立ち上がらせて引き続き力強くたたかうようにした。そして、新しい「愛国栄誉旗獲得運動」を力強く展開して、総聯の愛国事業に新たな転換をもたらすよう導いた。

 金正日総書記の指導のもとに、総聯はチュチェの海外同胞組織のモデルとして、いっそうしっかりかためられ、在日朝鮮人運動には新たな革命的転換がもたらされた。





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