金正日総書記革命活動史

第5章 全社会の金日成主義化をさらに促進するために

第8節 社会主義文化建設の成果を打ちかためるために

 1980年代に入り、金正日総書記は、社会主義文化建設における成果を打ちかためるために力を尽くした。

 金正日総書記は、教育事業のさらなる発展のために心血を注いだ。

 1984年7月22日、全国教育家熱誠者会議の参加者に送った書簡『教育事業をさらに発展させるために』で、教育事業をさらに発展させる方針を提示した。

 金正日総書記は次のように述べている。

 「我々は、革命発展の新たな要求に即して教育革命を起こし、学校教育事業を全般的に改善し教育の質を一段と高めて、新しい世代を有能な革命的人材に育て上げ、我々の教育が国の科学技術の発展と社会主義経済建設によりよく貢献するようにしなければなりません」

 この書簡で総書記は、チュチェ思想の根本原理にもとづき、社会主義教育の本質は、人間を有力な存在に育て上げる人間改造事業であると規定した。そして、全般的11年制義務教育の質を高め、技術者、専門家の養成事業を改善し、全社会のインテリ化を促進する問題をはじめ、教育事業をさらに発展させるための課題とその遂行方途を示した。

 総書記はまず、中等一般教育の質を高めることに第一の関心を払った。そのために、平壌第1高等中学校(当時)をモデルケースに仕立て上げ、それを一般化させるようにした。

 1980年10月、総書記は、平壌第1高等中学校を建てることを発議し、これを積極的に推進した。そして、1984年4月28日には、完成した同校を現地指導し、基礎教育を強化するためのモデルをつくり、それを一般化させて中等一般教育に質的変化をもたらし、優れた才能を持つ生徒を系統的に育成するようにと指示した。また、教育部門責任幹部協議会でおこなった演説『平壌第1高等中学校をモデルスクールとして整えるために』で、平壌第1高等中学校を英才養成基地として整え、それを全国に一般化させるようにと指摘し、その後、各道に近代的な教育施設を備えた第1高等中学校(当時)を建て、英才教育に力を入れるようにした。

 こうして、平壌市と各道都に近代的な第1高等中学校が新設されて英才教育がおこなわれ、ついで、全国のすべての高等中学校の教育水準を第1高等中学校の水準に引き上げるための運動が展開された。

 中等一般教育の質を高めるため、総書記は、教育の内容を正しく定め、教育学的過程を正確に経て、教育方法を抜本的に改善するようにした。また、1987年2月に「7.15最優等賞」を制定し、その獲得運動を繰り広げて、全国のすべての高等中学校の生徒の間に学習気風を確立するようにした。

 中等一般教育の内容と方法が根本的に改善され、教育の質が一段と高まることにより、高等教育の質的水準を向上させ、教育事業全般に新たな転換をもたらす確固たる保証が取り付けられた。

 総書記は、発展する現実の要求に即して高等教育部門で、技術者、専門家の養成事業を改善することに深い関心を払った。まず、金日成総合大学をよく整えて教育の質を高めるため、1984年9月に金日成総合大学の事業をさらに改善するという党中央委員会政治局の決定書を採択して確実に実行するようにし、これにもとづき、全国のすべての大学で教育の科学理論水準と物質的・技術的土台を金日成総合大学の水準に引き上げるための運動を展開するようにした。そして、有能な科学者、技術者をより多く育てるために各大学の養成規模を拡大し、多くの単科大学と高等専門学校を新設するようにした。また、工場大学、農場大学、漁場大学を急速に拡大し、その教育水準を向上させる一方、テレビ放送大学を創設し、その運営を正常化することにより、働きながら学ぶ教育システムを、さらに発展させるとともに、人民大学習堂の役割を強めるようにした。

 総書記は、教育事業をさらに発展させるため、1988年3月の党中央委員会第6期第13回総会で教育事業に革命的転換をもたらす問題を討議するようにし、全党と全人民を総会の決定の貫徹に立ち上がらせた。

 こうして、国の全般的教育水準は、新たな高い段階に達し、20代、30代の博士をはじめ、数多くの有能な科学者、技術者が育ち、教育は全社会のインテリ化を視野に納めるようになった。

 金正日総書記は、国の科学技術を高い段階へと発展させるために力を傾けた。

 1985年8月3日に党中央委員会の責任幹部におこなった演説『科学技術をさらに発展させるために』をはじめ多くの著作で、国の科学技術の発展方向とそれを実現するための課題を示した。そして、我々は、科学技術分野でおさめた成果に満足することなく、国の科学技術を新たな高い段階へと発展させるために奮闘しなければならないと指摘した。また、国の科学技術を発展させるうえで重要な課題は、原料、燃料、動力問題を解決し、機械設備の近代化で提起される科学技術上の問題を解決し、人民経済各部門の生産技術工程と生産方法、経営活動を新たな科学技術的土台の上に引き上げるための研究を強化し、基礎科学を発展させ、新しい科学技術分野を開拓することであるとし、その具体的な方途を示した。

 総書記はまず、国の科学技術を新たな高い段階へと発展させるための積極的な措置を講じた。

 1986年2月の党中央委員会第6期第11回総会と1988年3月の党中央委員会第6期第13回総会、1988年11月の党中央委員会第6期第14回総会などで、国の科学技術の発展問題を討議するようにし、電子工学、生物学、熱工学をはじめ、重要な科学部門を急速に発展させ、国の科学技術全般を世界的水準に引き上げるための対策を立てた。そして、1986年3月には、全国学位・学職所有者会議を、1988年10月には全国発明家大会を開催し、1986年からは、毎年、全国科学技術祭典を催して、科学者、技術者の責任感と役割を最大限に強めるようにした。また、幹部が、科学技術にたいする観点を正し、全社会に科学重視の気風を確立するための組織・政治活動を綿密におこなうようにするとともに、科学技術発展展望計画を正確に作成、実行し、科学研究活動にたいする国の投資を増やすようにした。

 次に総書記は、科学研究活動を国の経済発展にとって切実な問題を解決することに主眼を置いておこなうよう導いた。

 科学技術発展の課題を正しく設定し、その実行にたいする指導と統制を強化するため、総書記は、1983年5月、関係部門の幹部と有能な科学者、技術者を参加させて部門別に年間および展望科学技術発展課題を集団で審議し、各時期に政策的に重要な問題として提起される科学技術上の問題を解決するための仕事の手配を綿密におこなうようにした。そして、1984年7月には、全国の科学者、技術者を国家的見地から正しく動員するため、研究課題を統一的に与え、研究成果にたいする国家的な審議および導入システムと秩序を厳格に確立するようにした。また、科学者・技術者突撃隊活動を積極的に展開して、人民経済を主体化、近代化、科学化するうえで切実に提起される科学技術上の問題を解決し、新しい科学技術上の成果の生産への導入をいっそう強力に推し進めるようにした。特に、科学技術発展の世界的趨勢に即して、電子工学をはじめ、重要な科学部門を全面的に発展させることに力を集中するよう導いた。

 総書記はまた、外国の先進技術を積極的に取り入れることにも深い関心を払った。世界の科学技術の発展趨勢をいち早く知り、外国の科学技術上の成果を広く取り入れるため、総書記は、先進諸国と科学技術の交流を活発におこなうようにした。こうして、1980年代に国の科学技術を高い水準に引き上げるうえで大きな前進を遂げた。

 金正日総書記は、チュチェの文学・芸術をさらに発展させるために精力を傾けた。

 1981年3月31日に全国作家・芸術家熱誠者大会の参加者に送った書簡『チュチェの文学・芸術をさらに発展させるために』と、1986年5月17日の文学・芸術部門の活動家への談話『革命的文学・芸術作品の創作で新たな高揚を起こそう』で、文学・芸術をより高い水準に引き上げる課題と方途を具体的に示した。

 総書記は、文学・芸術をさらに発展させるためには、チュチェの革命偉業の遂行に寄与する思想性・芸術性の高い文学・芸術作品をより多く創作し、映画、歌劇、演劇をはじめ、文学・芸術のすべての分野で革新を起こさなければならないと指摘した。そして、文学・芸術部門に提起されている課題を成功裏に遂行するため、作家、芸術家と文学・芸術部門のすべての活動家は、金日成同志のチュチェの文芸思想と党の文芸方針で武装し、それを貫徹し、文学・芸術部門における党の業績を固守し、さらに輝かせることを第一としてすべての活動を展開しなければならないと強調した。

 総書記は、文学・芸術をより高い水準に引き上げるため、文学作品の創作で新たな転換をもたらすよう導いた。

 小説文学を開花、発展させることに第一の意義を付与した総書記は、叢書『不滅の歴史』をはじめ、領袖形象化作品の創作活動を推し進める一方、1978年から開始した「長・中編小説100編創作戦闘」を締めくくり、次いで1984年から5年を期間とする新たな「長・中編小説100編創作戦闘」を展開するようにした。こうして、1980年代に叢書『不滅の歴史』のうち抗日革命闘争時期編の創作が15編をもって完成し、長編小説『光り輝く朝』『1950年の夏』『廃墟の中から』『鉄の信念』『青春頌歌』『熱い心』『冶金基地』など、思想性・芸術性の高い作品が多数創作された。

 詩文学の発展にも深い関心を払った総書記は、『主席に従って千万里、党に従って千万里』『われらの信念は一つ』『とわにこの道を行かん』をはじめ、多様な主題の歌詞や詩も数多く創作するようにし、児童文学も子どもの年齢的・心理的特性に即してさらに発展させるよう導いた。

 総書記は、映画革命の成果を打ちかためることに力を注いだ。まず、革命映画の創作に第一の関心を払った。1970年代に得た成果と経験にもとづき、総書記は、映画で領袖の形象化をより高い段階へと発展させ、主席の革命活動史を全面的に描くことを革命映画創作の重要な課題として提起した。

 総書記の精力的な指導のもとに、主席の革命活動史を描いたシリーズ革命映画『朝鮮の星』と『民族の太陽』が創作、完成された。

 総書記は、主席の革命的家庭を描いた革命映画である『親衛戦士』『青松』『革命戦士』なども立派に創作するよう導いた。

 革命映画の制作とともに、思想性・芸術性の高い多様な主題の映画制作にも深い関心を払った総書記は、劇映画『郡党責任書記』『月尾島』『ただひとすじに』『その日の誓い』などの制作活動を指導して完成させ、これを機に映画の制作で新たな高揚をもたらした。

 映画制作を発展させるため、総書記は、映画制作にたいする党の指導を強化し、映画人の技量を絶えず高めるとともに、オープン・セット街を建設し、それを総合的な映画制作基地として築くよう導いた。

 総書記は、舞台芸術を新たな高い段階へと発展させることにも大きな力を注いだ。

 演劇革命の成果を固守し拡大発展させるため、名作である『血噴万国会議』『娘からの手紙』『3人1党』『慶祝大会』などを『城隍堂』式の革命演劇にする活動を指導して完成させ、演劇の開花期を開いた。そして、こうした成果にもとづき、1988年4月20日の文学・芸術部門の活動家への談話『演劇芸術について』で、チュチェの演劇理論を全面的に体系化し、深く解明した。

 歌劇革命の成果をかため、発展させるため、総書記は1983年1月、原作を代を継いで保存するシステムを確立し、多くの総譜や台本をつくる措置を講じた。また、民族歌劇『春香伝』の創作活動を指導し、人民の民族的情緒と感情にかなった民族歌劇創造の新たな境地を開いた。

 総書記は、音楽芸術を高い段階へと発展させることに深い関心を払い、数多くの名曲を創作するとともに、過去に創作された優れた作品も時代的美感に即して作り直すようにした。特に、電子音楽を発展させるため、1985年6月4日にポチョンボ・エレクトロニック・アンサンブルを組織し、細かに指導して、主体性が確立した人民的な現代電子音楽のモデルを創造した。

 総書記は、舞踊芸術分野において現代的な舞踊作品を多く創作する一方、民俗舞踊を広く発掘して時代の美感に即して創作、完成させるとともに、チュチェの舞踊表記法をつくりだすよう導いた。

 早くから、舞踊表記法の構想を練ってきた総書記は、1970年代の初めに舞踊表記法を作成することを発案し、舞踊表記法研究チームを結成した。そして、1978年11月30日の党中央委員会の責任幹部および舞踊表記法研究部門の活動家への談話『チュチェの舞踊表記法を完成するために』をはじめ、数度にわたって研究チームの活動を指導した。こうして、1987年2月に朝鮮式の子母式舞踊表記法が完成を見た。

 総書記は、音楽舞踊叙事詩の創作活動を細かに指導し、1982年に音楽舞踊叙事詩『栄光の歌』を、1987年に5000人の大公演『幸福の歌』を、1989年には7万人の大公演『祝典の歌』を創作、完成させ、舞台芸術の開花期をもたらした。

 総書記は、チュチェのサーカスの演目をより多く創作し、その水準を絶えず高めて、朝鮮のサーカス芸術を世界に誇りうるサーカスにした。

 総書記は、文学・芸術活動を大衆化することに深い関心を払った。

 1982年11月15日に全国文学通信員熱誠者会議の参加者に送った書簡『文学・芸術活動を大衆化する党の方針貫徹で文学通信員の役割を強めよう』で、全国の芸術化を文学・芸術活動の大衆化の高い目標として打ち出し、それを実現するために奮闘努力する課題を提示した。

 文学・芸術活動を大衆化し全国を芸術化するため、総書記は、大衆文学創作活動の中核である文学通信員の役割を強めるとともに、大衆文学創作活動にたいする指導を作家同盟あげての活動、全作家の活動に切り換えるよう導いた。そして、1982年に文学通信員のための「6月4日文学賞」を制定し、彼らが創作した優秀な作品に授与するようにした。また、文学・芸術サークル活動、機動芸能宣伝隊活動などの大衆芸術活動に広範な大衆を参加させ、文学・芸術普及システムをいっそう整然と確立し、勤労者の間で大衆文化普及活動を活発に繰り広げるようにした。そして、全国労働者芸術サークル祭典、全国農業勤労者芸術サークル祭典をはじめ、階層別の芸術サークル祭典や勤労者の歌謡コンクールなどをしばしば催すようにした。

 金正日総書記の指導のもとに、1970年代に全盛期を迎えた文学・芸術は、1980年代にいま一度飛躍的発展を遂げ、チュチェの文学・芸術の威力を示威し、全社会の金日成主義化偉業の促進に大きく貢献した。





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