金正日総書記革命活動史

第5章 全社会の金日成主義化をさらに促進するために

第7節 「80年代速度」によって社会主義経済建設で
新たな高揚を起こし、人民生活をさらに向上させるために

 金正日総書記は、朝鮮労働党第6回大会の決定に呼応して社会主義経済建設で新たな高揚を起こすためのたたかいを指導した。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「我々は、全党、全国、全人民を奮起させ、社会主義経済建設で新たな高揚を起こさなければなりません」

 総書記は、社会主義経済建設で新たな高揚を起こすため「80年代速度」創造運動を力強く繰り広げるよう導いた。

 1982年6月8日の党中央委員会責任幹部協議会で、社会主義経済建設でいま一度新たな大高揚を起こすべきであると述べ、同年7月23日の党中央委員会の責任幹部との談話『党組織は、「80年代速度」を創造するための組織・政治活動を着実におこなうべきである』と、8月13日をはじめ多くの機会に、「80年代速度」を創造するうえで提起される原則的問題を明らかにした。

 「80年代速度」創造運動は、チョンリマ(千里馬)の大高揚の時期に朝鮮人民が発揮した革命精神を受け継ぎ、速度戦の原則を全面的に具現して、1980年代の社会主義経済建設で一大高揚を起こすための大衆的進軍運動であった。

 「80年代速度」創造運動の基本的要求は、チョンリマの大高揚の時期のその気勢、その気迫をもって奮闘することであり、高い目標をかかげ、非常に速い速度で進みながら最上の質を保障することである。

 総書記は、「チョンリマの大高揚の時期の勢いで『80年代速度』を創造しよう!」というスローガンを打ち出し、全党と全人民を「80年代速度」創造運動に立ち上がらせるための組織・政治活動を強化することに力を注いだ。

 1982年7月9日、総書記の示した方針を心に受け止めた金策製鉄所(当時)の労働者は集会を開いて、「80年代速度」創造運動の先鋒隊になる決意を表明し、全国の勤労者に社会主義経済建設で大高揚を起こすことを呼びかけた。これにこたえて、降仙の労働者や青山里の農民をはじめ、全国の勤労者が「80年代速度」創造運動に立ち上がった。

 総書記は、1982年10月と11月に全国青年熱誠者会議とチョンリマ運動先駆者大会を開いて、全人民を新しい速度の創造へと立ち上がらせるとともに、党組織が大衆を「80年代速度」創造運動に立ち上がらせるための宣伝・鼓舞活動を積極的に繰り広げるようにした。

 総書記は、検徳鉱業総合企業所(当時)第3選鉱場の建設で「80年代速度」のモデルを創造するよう導いた。

 1982年6月、150万トンの非鉄金属生産課題の遂行で重要な意義をもつ検徳鉱業総合企業所第3選鉱場の建設を立体戦の方法でおこなって期限前に完成するという方針を提示し、強力な建設指揮部を設け、建設陣容をかためるとともに、全党、全国、全人民が第3選鉱場の建設を積極的に支援するようにした。

 こうして、共和国創建35周年をひかえて、第3選鉱場の建設工事は、計画を大幅に繰り上げてわずか1年で立派に完了し、この過程で「80年代速度」のモデルが創造された。

 総書記は、「80年代速度」創造運動を人民経済各部門に拡大、発展させるよう導いた。

 総書記は、石炭工業、電力工業、金属工業、電子工業、自動化工業、建材工業、化学工業、農業など、人民経済の主要部門で「80年代速度」創造運動の炎を燃え上がらせて第2次7カ年計画を確実に遂行し、10大展望目標実現のための画期的な局面を開いていくようにした。

 総書記は、特に、人民経済の近代化を実現するうえで決定的意義をもつ機械工業を発展させることに力を注いだ。

 1984年5月と10月に龍城機械連合企業所と楽元機械工場(当時)を現地指導し、1万トンプレス、大型酸素分離機をはじめ、近代的な機械設備をより多く製作する課題を与えた。また、金日成主席の発案した1985年6月の工作機械の子生み運動を人民経済の各部門、各単位で強力に展開して、大型工作機械、特殊工作機械などの工作機械を量産し、その質を一段と高めるようにした。

 総書記は、西海閘門の建設で「80年代速度」の威力を余すところなく誇示するよう導いた。

 1981年5月、西海閘門の建設工事を人民軍に任せることにした総書記は、大立体戦の方法で工事を進めるよう指示するとともに、全国をこの工事に立ち上がらせるための大規模な作戦を展開した。

 総書記は、1983年4月と1984年4月、1985年9月に閘門の建設現場を訪ね、工事の基本的方向を示し、工事に新しい工法を導入するよう指示するとともに、工事の速度を速めるための方向と方途を示した。

 こうして、人民軍軍人をはじめ建設者は、大規模の西海閘門の建設工事をわずか5年で完了するという奇跡を生み出した。西海閘門の完成は、「80年代速度」創造運動の結実であり、新たな飛躍の速度、「80年代速度」の威力を誇示した驚異的な出来事であった。

 総書記の指導のもとに人民経済のすべての部門で「80年代速度」創造運動が力強く展開されることにより、社会主義経済建設で新たな高揚が起こり、1980年代を代表し輝かせる「80年代速度」が創造された。「80年代速度」創造運動の炎の中で、膨大な第2次7カ年計画が成功裏に遂行され、国の経済力は一段と強化された。

 総書記は、社会主義経済建設で引き続き革命的高揚を起こすため、全党と全人民を第3次7カ年計画の遂行に立ち上がらせた。

 金日成主席が提示した第3次7カ年計画(1987〜1993)は、第6回党大会が打ち出した社会主義経済建設の新たな展望目標を実現するための経済建設綱領であった。

 総書記は、1988年2月20日の党中央委員会政治局会議で、共和国創建40周年に際して全党員に党中央委員会の手紙とスローガンを送るようにし、各級党組織はこの手紙とスローガンに呼応して「200日間戦闘」を展開すべきだと述べた。

 「200日間戦闘」は、社会主義建設のすべての部門で革命的高揚を起こして第3次7カ年計画遂行の突破口を開き、共和国創建40周年を勝利者の大祝典として迎えるための張り合いのある戦闘であった。

 総書記は、「200日間戦闘」の勝利を保障するため、全党的かつ全社会的な雰囲気をつくるための組織・政治活動を繰り広げるようにするとともに、整然とした指揮体系を確立し、強力な指導陣容を派遣した。特に1988年5月、「すべての人が英雄のように生き、たたかおう!」というスローガンを提示し、党員と勤労者を英雄的闘争へと奮い立たせた。

 総書記は、「200日間戦闘」の主要攻略部門は基本建設であるとして、戦闘期間に動力基地、金属工業基地、化学工業基地、光復通り、北部鉄道などの重要対象建設を強力に推進しながら、すべての工場、企業で生産を正常化して国家計画を間違いなく遂行するようにした。そして、「200日間戦闘」期間に、平壌市、慈江道、平安北道、咸鏡北道をはじめ、全国の人民経済各部門を現地指導し、全党員と勤労者を新たな生産的高揚へと奮い立たせた。

 「200日間戦闘」期間に人民経済のすべての部門で大きな生産的高揚が起こり、世人を驚嘆させる「200日間戦闘速度」が創造された。工業生産は、前年同期の122%増となり、特に、基本建設が強力に推進されて共和国創建以来最高の実績をあげた。電力生産と石炭生産も共和国創建以来、最高の水準に達した。こうして、第3次7カ年計画遂行の突破口が開かれた。

 総書記は、いま一度「200日間戦闘」を展開して、社会主義経済建設で引き続き高揚を起こすようにした。

 1988年9月、共和国創建40周年を迎えて全国英雄大会を開催し、大会で、「200日間戦闘」を通じて高まった気勢をいささかも緩めることなく、いま一度「200日間戦闘」を展開することを全人民に呼びかけるようにした。

 総書記は、全人民をいま一度「200日間戦闘」に総動員するため、発展する現実の要求に即して党組織の指導的機能と戦闘力を高める一方、党、国家、経済機関の幹部が生産現場に出向いて大衆政治活動と生産の指揮をおこなうようにした。また、新たな「200日間戦闘」期間にも重要対象建設に引き続き力を集中し、生産の指揮を周到におこなって必要な原料と資材を十分に供給し、電力と石炭、鉄鋼材の生産を増やして人民経済のすべての部門で生産を正常化するようにした。そして、1988年11月の党中央委員会第6期第14回総会で、技術革命と社会主義経済建設を推進するうえでカギとなる工作機械工業と電子工業、自動化工業を速やかに発展させるための画期的な措置を講じた。

 新たな「200日間戦闘」期間に、人民経済の主体化、近代化、科学化の水準を高めるのに寄与する500余の対象建設が完了し、人民経済の各部門で高い生産計画が成功裏に遂行された。

 2度の「200日間戦闘」を通じて生産と建設で再び高揚が起こり、第3次7カ年計画が推進されるなか、安州地区炭鉱連合企業所、茂山鉱山連合企業所、金策製鉄連合企業所など多くの工場、企業が、改造、拡張され、チョンリマ製鋼連合企業所5月18日大型鍛造工場をはじめ、工場、企業の建設が完了し、自動機械・機具の生産で大きな前進が遂げられた。そうして、第3次7カ年計画遂行の確固たる保証がもたらされた。

 総書記は、チュチェの社会主義経済管理システムを擁護するために心血を注いだ。

 まず、幹部が経済の管理・運営において主体的立場と革命的原則を堅持することに優先的な力を入れた。1986年7月15日の党中央委員会の責任幹部への談話で、集団主義にもとづく社会主義的方法を具現することについて述べた。そして、幹部の間でチュチェの経済管理システムと方法の本質と優越性を深く認識させるための思想教育を強化するようにした。

 経済にたいする指導と管理を改善し、集団主義の原則を具現することに深い関心を払った総書記は、工業部門でテアンの事業体系を具現するよう導いた。

 総書記は、主席の意図どおりに、新たに設けられる道行政・経済指導委員会の体系と連合企業所の体系が優越性を発揮するよう具体的な措置を講じた。そして、種々の形態の連合企業所を合理的に組織し、連合企業所の体系がその優越性を十分に発揮するよう独立採算制を正しく実施するようにした。

 総書記は、農業の管理・運営において集団主義の原則を守るよう導いた。

 1986年5月と11月の党中央委員会書記局会議と党中央委員会責任幹部への談話で、農業を社会主義制度本来の要求に即して集団主義的方法で管理、運営する原則を堅持するよう強調した。そして、集団主義の原則を具現した分組管理制と作業班優遇制を正しく応用し、その優越性と生命力を発揮させるための措置を講じた。

 金正日総書記は1980年代に、人民の物質・文化生活を向上させるために精力を傾けた。

 1984年2月16日の党中央委員会責任幹部協議会でおこなった演説『人民生活をさらに向上させるために』、1989年1月5日の党中央委員会の責任幹部への談話『全社会に文化・情操生活気風を確立するために』などで、人民の物質・文化生活を一段と向上させる方針を提示した。

 これらの著作で総書記は、人民生活を一段と高めるためには、農業生産を増やし水産業を発展させて人民の食の問題をより円滑に解決し、軽工業を発展させ、人民へのサービス活動を改善し、住宅を大々的に建設しなければならないとして、そのための課題と方途を示した。また、全社会に文化・情操生活気風を確立して、すべての勤労者に文化的生活を営ませるという課題を提示した。

 総書記は、人民の物質・文化生活をさらに向上させるため、人民の食の問題を解決することに優先的な力を注いだ。人民生活の問題を解決するうえでの基本は、農業と水産業を発展させて人民の食の問題を円滑に解決することである。

 総書記は、社会主義農村テーゼを貫徹することに力を傾け、農業を立派に営んで農業生産を増やすよう導いた。そのために、農業部門への投資を大幅に増やして、農業の総合的機械化と化学化を高い水準で実現するとともに、海面干拓と新しい土地開墾運動を力強く展開して耕地面積を増やすようにした。一方、毎年チュチェ農法の大講習会を催し、適地適作、適期適作の原則を守り、科学的な施肥方式と育種体系を確立して穀物生産を引き続き高めるようにした。また、党の農業第一主義の方針に従い、全国が農業部門にたいする支援を強化するようにした。

 総書記は、水産業部門にも関心を払い、漁船を近代化、万能化し、科学的な漁労方法を広く取り入れて漁獲高を増やすとともに、加工技術を高めて人民に栄養価の高い魚とその加工品を十分に生産、供給するようにした。

 総書記は、軽工業の発展のために力を尽くした。

 まず、全党、全国、全人民を軽工業を発展させるための運動に立ち上がらせ、幹部が軽工業の発展にたいする正しい観点と立場に立って軽工業製品の生産を手際よく指揮するようにした。

 1984年3月31日の軽工業部門責任幹部協議会と同年4月1日のアルファ化米工場への現地指導において、軽工業を発展させるための課題と方途を再度具体的に示した。また、1984年4月15日と1985年2月16日には、党中央委員会と政務院の責任幹部に、人民生活について責任を負う立場に立って軽工業を発展させるための運動を推し進めるべきであると述べた。そして、多くの機会に、幹部は軽工業の発展にたいする観点と立場を正し、経済組織活動を綿密におこなうべきであると強調した。

 総書記は、第13回世界青年学生祭典を機に、全人民が軽工業製品の生産を増やし、品質を高めるために立ち上がるようにし、1989年6月の党中央委員会第6期第16回総会で、軽工業発展3カ年計画を立て、その実現に向けて全党、全国、全人民を動員するための対策を講じた。

 総書記はまた、軽工業部門の工場を近代化し、生産を正常化し、一般消費財の品目を増やし品質を高めるために力を傾けた。そのために、紡織工業、食品加工業、日用品工業、製靴工業をはじめ、軽工業の各部門に近代的なモデル工場をつくり、それを一般化させて軽工業部門の工場の近代化を推進するようにした。そして、軽工業部門の工場をフル稼働させて生産を高い水準で正常化するとともに、化学工業に力を入れて、ビナロンをはじめとする化学繊維や合成樹脂、苛性ソーダ、炭酸ソーダなど各種の軽工業用原料を十分に生産、供給するようにした。また、中央と各道には軽工業製品見本館を、各市・郡と工場には軽工業製品見本室を設け、安価で実用的な見本品を手本にして一般消費財の品目を増やし、品質を高めるための運動を活発化させるようにした。

 総書記はまた、一般消費財の生産を大衆あげての運動として力強く繰り広げるよう導いた。そのために、中央工業の企業に生活必需品を生産する分工場や職場、作業班を大々的に設ける一方、1983年8月には、種々の形態の家内作業班を広く組織、運営し、そこで得た貴重な経験を全国に一般化させるようにした。特に、1984年8月3日、平壌市の軽工業製品展示場を見て回り、内部の潜在力と可能性を引き出して、各種の生活必需品の生産を大衆運動として繰り広げるよう指示し、「8月3日一般消費財」生産運動の端緒を開いた。そして、党組織が、この運動に深い関心を払い、積極的に後押しするようにした。また、1986年5月13日には平壌市平川区域の模範を全国に一般化させるよう指示し、1989年5月には「8月3日一般消費財」生産模範郡(市・区域)称号獲得運動を展開するよう指示した。

 大衆的な一般消費財生産運動が力強く展開された結果、「8月3日一般消費財」の生産は、中央軽工業、地方工業とともに一般消費財の生産において重要な位置を占めるようになり、軽工業の発展を促した。

 総書記は、人民へのサービス活動の改善を図った。

 商品供給の改善に深い関心を払っていた総書記は、1984年4月の平壌市内の商店への指導と同年8月3日の商業部門の責任幹部への談話において、住民への商品供給を改善するうえで提起される課題を示し、商品供給で新たな転換をもたらすべきだと述べた。

 総書記は、商品供給において党が一貫して堅持している方針である注文制を徹底させるとともに、農村や炭鉱、鉱山など骨の折れる部門の勤労者に優先的に商品を供給するようにした。また、商店網を合理的に配置し、その物質的・技術的土台を強固に築くとともに、商店への商品供給システムを確立するようにした。

 総書記は、公共給食事業と便益サービス事業の改善にも深い関心を払い、平壌市と主要な都市に総合食堂と専門食堂をたくさん設け、きちんと管理、運営するとともに、料理の質を一段と高め、原材料を円滑に供給するようにした。一方、平壌市に総合的な便益サービス基地である蒼光院を建設し、それを手本にして各道都と郡機関所在地に蒼光院式便益サービス基地を築き、この部門の従事者の技術・技能水準を高めて種々の便益サービスの質を改善するよう導いた。

 人民へのサービス活動を改善するうえでサービス部門従事者のサービス精神を高めることの重要性を洞察した総書記は、1988年4月20日の党中央委員会の責任幹部への談話『サービス部門従事者のサービス精神の向上のために』で、サービス部門従事者のサービス精神を高めるうえで提起される問題を明示し、サービス部門従事者の間で人民への献身的奉仕精神を高めるための教育活動を強化しなければならないと述べた。そして、人民の生活上の便宜を最大限に図る原則にもとづき、サービスの手配りと方法を絶えず改善するようにした。

 総書記は、人民の住宅問題を円滑に解決するために力を尽くした。まず、近代的な建材生産基地を築くようにした。1984年4月末の党中央委員会の責任幹部協議会で、セメント工場、製鋼工場、部材工場、シリカリチート・レンガ工場などの建材生産基地を築く課題を提示し、それを実現するために精力的な指導を続けた。

 こうして、わずか数年の間に祥原セメント工場が建設され、安州、枇峴、咸興などに生産能力の大きなシリカリチート・レンガ工場が建てられ、スラグ気泡ブロック工場、アルミサッシュ工場など多くの新しい建材生産基地が築かれた。

 人民の住宅問題を円滑に解決するため、総書記はまた、平壌市で大規模な住宅建設を進めるよう導いた。そのために、1980年代に入って蒼光通りに近代的な住宅を建て、次いで平壌市の中心部に紋繍通りや安商宅通り、ポドゥナム通り、チョンリマ通り(第2段階)などの住宅街を建設するようにした。特に、1980年代の後半に光復通りの建設によって首都の面貌を一新させ、住宅問題の解決において画期的な転換をもたらした。そうして、1989年に万景台地区に一つの都市に匹敵する光復通りが生まれた。

 総書記は、光復通りの建設に次いで、1989年11月の初め、金日成主席の誕生80周年をひかえて統一通りと光復通り第2段階の建設を基本とする5万世帯の住宅建設を発案し、それを強力に推進するようにした。また、全国のすべての地方都市と農村でも住宅を大々的に建設するようにした。

 総書記は、全社会に文化・情操生活気風を確立することに大きな力を注いだ。

 全社会に文化・情操生活の条件を十分に整えることに優先的な関心を払った総書記は、幹部が文化・情操生活にたいする正しい認識をもち、この活動の先頭に立つよう導くとともに、1984年3月末には、新しい出退勤制度を確立し、勤労者の労働と休息、文化・情操生活に変革をもたらすための十分な条件を整えた。そして、東平壌大劇場、青年中央会館、メーデー・スタジアムをはじめ、文化・スポーツ施設を大々的に建設し、公園や遊園地、遊戯場、遊泳場などをよく整える一方、娯楽用器具専門商店や記念品商店などを設け、勤労者の文化・情操生活に必要な手段を生産、販売するようにした。

 全社会に文化・情操生活気風を確立するため、総書記はまた、人々が楽天的で感情豊か、文化的で衛生的かつ道徳的な生活を送ることにも深い関心を払った。こうして、人民の文化・情操生活には根本的な転換がもたらされ、全社会に豊かな情操と高尚な道徳、楽天的で文化的な生活気風がみなぎるようになった。





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