金正日総書記革命活動史

第4章 全社会の金日成主義化を実現するために

第7節 「70日間戦闘」を力強く展開、
自力更生の旗のもとに社会主義経済建設を推進

 我々の方式で生きるという戦略的方針を提示金正日総書記は、全社会の金日成主義化の要求に即して社会主義経済建設を強力に推進するために心血を注いだ。

 金日成主席は、革命発展の要求を深く洞察し、1974年2月の党中央委員会第5期第8回総会で社会主義大建設の方針を打ち出した。

 社会主義大建設の方針は、6カ年計画を繰り上げて遂行し、近い将来に鋼鉄、非鉄金属、石炭、電力、セメントの生産をはじめ、社会主義経済建設の10大展望目標を達成することにより、全社会の金日成主義化を促進するための経済建設綱領であった。

 金正日総書記は、金日成主席の遠大な構想を体し、社会主義大建設を力強く推し進めるための活動を指導した。

 総書記は、以前、映画革命と歌劇革命を指導する過程で得た経験にもとづき、1974年2月、社会主義建設のすべての部門で速度戦を展開するという方針を示した。総書記は、速度戦は、すべての活動を電撃的に推し進める社会主義建設の基本戦闘形式であり、革命的な活動展開原則であると述べた。また、速度戦の基本的要求は、すべての力を総動員して仕事を最大限に速めるとともに、その質を最高のものにすることであると述べた。そして、速度戦を力強く展開するためには、思想革命を確固として優先させ、技術革命を強力に推進して絶えず新技術を導入し、正しい組織・指導活動を裏打ちしなければならないと述べた。

 総書記は、速度戦の方針を具現して社会主義大建設を推し進めるために精力を傾けた。

 まず、「70日間戦闘」を提唱し、それを輝かしい勝利へと導いた。

 総書記は、社会主義大建設戦闘が始まった初年から速度戦の要求を具現するため、経済建設を指揮する政務院(今日の内閣)の委員会、部の党組織と活動家の責任感と役割を強めなければならないと指摘し、さまざまの必要な措置を講じた。ところが、この年の経済建設は、原料と資材の不足、輸送難など多くの困難が伴ったうえに、活動家の消極的な活動態度がわざわいして、第3・四半期が終わるころになっても年間計画を遂行するめどが立たず、6カ年計画の遂行にも重大な影響を及ぼしていた。

 金日成主席は、1974年10月3日の党中央委員会政治委員会で、人民経済計画の遂行状況を具体的に確かめ、どんなことがあっても年間計画を必ず遂行しなければならないと述べた。

 総書記は、主席の指示どおりに経済活動における困難を克服し、1974年の人民経済計画を無条件に遂行するため、「70日間戦闘」を提唱した。

 1974年10月5日、総書記は、党中央委員会の活動家たちに「70日間戦闘」をおこなうべきだと述べた。そして10月9日には、党中央委員会および政務院の責任幹部、道党委員会責任書記の協議会でおこなった演説『全党が奮起して「70日間戦闘」を力強く繰り広げよう』で、「70日間戦闘」の目的と中心的課題、その遂行方途などを明示し、全党、全国、全人民を「70日間戦闘」へと奮い立たせた。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「我々は、今回の『70日間戦闘』の手配を綿密におこない、初めから気を緩めることなく力強く推し進めて、どんなことがあっても勝利に導かなければなりません」

 総書記は10月下旬から「70日間戦闘」をおこなうようにし、それを成功裏に進めるため、中央集権的な戦闘指揮体系を確立し、強力な指導陣容を整えることに深い関心を払った。

 中央から各道、市、郡と工場、企業に至るまで「70日間戦闘」指揮部を設けて整然とした指揮体系を確立し、中央指揮部が戦闘を統一的に掌握し作戦する参謀部の役割を果たすようにした。また、党および政務院指導グループをはじめ、「70日間戦闘」グループを組織して各道と人民経済の重要部門、単位に派遣し、中央と地方の責任幹部が生産現場に出向いて戦闘を指揮するようにした。

 総書記は、「70日間戦闘」で速度戦の方針を具現するため、思想戦を強力に展開し、これに綿密な仕事の手配を裏打ちするようにした。1974年11月2日、「70日間戦闘」で勝利をおさめるためには、困難に立ち向かう屈強な攻撃精神をもたなければならないと述べ、何よりも「70日間戦闘」中央指揮部のメンバーがこうした精神をもって戦闘の指揮に当たるようにした。

 そして、「70日間戦闘」勝利の鍵を思想の啓発に見いだし、党員と勤労者の主席と党にたいする忠誠心を強め、彼らが主席の教えと党の方針貫徹において無条件性の精神を発揮するようにすることに重点を置いて思想教育を積極的におこない、あらゆる宣伝・鼓舞手段を総動員し、それを戦闘の基本的方向に集中して生産鼓舞攻勢を展開するようにした。また、大衆の創造的熱意を最大限に発揮させるようにした。

 総書記は、採掘工業、輸送、輸出の問題を解決することを「70日間戦闘」のキーポイントとみなし、それに力を集中させた。

 採掘工業、鉄道運輸、輸出部門に指導陣容と宣伝・鼓舞陣容を集中的に派遣する一方、採掘工業を盛り立てるため、探鉱と掘進、はく土作業を先行させ、炭鉱、鉱山に能率的な採掘設備を集中的に供給し、運搬のコンベヤー化と空中ケーブル化を推進するようにし、不足している労働力の問題も解決した。また、輸送問題を解決するため、鉄道指令指揮体系を確立し、集中輸送を強化し、輸送の手配を綿密におこなって貨車の回帰日数を短縮し、車両の修理と生産を速めるようにした。そして、輸出品の生産を急速に増やし、その輸送を円滑に保障し、貿易港の貨物通過能力と保管能力を高めるための措置を講じた。一方、全党、全国、全人民が、採掘、鉄道運輸、輸出部門を積極的に支援するようにした。

 総書記は「70日間戦闘」を勝利に導くため、各期間の戦闘方向と方途を示し、毎日全国の戦闘状況を確かめて必要な対策を講じた。また、信川、海州など各地域と載寧鉱山、苔灘鉱山などの戦闘単位を訪ね、活動家の戦闘指揮状況、生産状況、生産保障および給養活動状況に至るまでつぶさに確かめ、懸案を解決した。

 総書記の卓越した、かつ洗練された指導と不眠不休の精力的な活動により、「70日間戦闘」期間に300人近くの勤労者が労働英雄称号を授与され、15万人の革新者が国家叙勲の栄誉に浴し、数多くの勤労者が朝鮮労働党員の栄誉を担った。こうして、「70日間戦闘」は勝利に終わり、社会主義大建設ではめざましい成果がもたらされた。

 「70日間戦闘」の過程で新しいチョンリマ速度、「70日間戦闘」速度が創造され、工業生産は戦闘以前に比べて1.7倍に高まり、1974年の工業生産総額は前年比17.2%増となった。そうして、遂行があやぶまれていた年間計画は超過遂行され、6カ年計画を繰り上げて遂行できる確固たる展望が開かれ、速度戦の新時代が開かれた。

 人民は「70日間戦闘」を通じて、金正日総書記の指導に従えば、いかなる困難も乗り越えて勝利をおさめることができるということを確信し、党の指導に忠実に従うという鉄石の信念をもつようになった。

 1975年2月15日、朝鮮民主主義人民共和国中央人民委員会(当時)は、金正日総書記に朝鮮民主主義人民共和国英雄称号を授与するという政令を採択した。

 総書記は、「70日間戦闘」でおさめた成果にもとづき、党創立30周年までに6カ年計画の主要な課題を繰り上げて遂行するための新たな戦闘を正しく指導した。

 1975年1月の党中央委員会責任幹部会議で、主席の新年の辞を心に受け止めて新たな戦闘を展開し、10月10日までに年間計画を完遂し、6カ年計画の主要な課題を繰り上げて遂行することによって、党創立30周年を勝利者の大祝典として輝かせるという方針を提示し、それを貫徹するための準備と組織・政治活動を周到におこなうようにした。

 総書記は、新たな戦闘を成功裏に進めるためには、3大革命路線を堅持し、政治、経済、文化の各分野でそれを具現しなければならないとして、新たに3大革命指導グループを各道と主要な工場、企業に派遣し、3大革命中央指揮部を設けた。そして、「70日間戦闘」で生産的一大高揚を起こしたその勢いで年初から生産を正常化するよう積極的な措置を講じるとともに、2月を新たな戦闘の準備期間と定め、万全の準備を整えるようにした。

 総書記は、大衆を新たな戦闘へと立ち上がらせるため、勤労者の間に主席の新年の辞と1975年2月の党中央委員会第5期第10回総会の決定書、党創立30周年に際する党中央委員会のスローガンを浸透させ、全国各地で生産鼓舞活動を活発に繰り広げるようにした。同時に、高揚した勤労者の革命的熱意を技術革命の遂行へと導き、金属工場をはじめ、重工業部門の重要な工場、企業における全面的オートメ化と採掘工業部門における採掘設備と運搬設備の大型化、高速化を積極的に推し進めるようにした。また、「速度戦青年突撃隊」を組織して、経済建設の突破口を開くうえで青年が先駆的役割を果たすようにした。

 総書記は、新たな戦闘を成功裏に遂行するため、社会主義建設の基本部門で革命的高揚を起こすよう導いた。

 まず、生産の最初の工程である採掘工業を盛り立て、特に、非鉄金属鉱物の生産において革新を起こすことに力を入れた。

 検徳鉱山で新たな生産的高揚を起こすため、総書記は、全国がこの鉱山を積極的に支援するようにし、強力な指導陣容と生産鼓舞陣容を派遣するとともに、科学者、技術者を送って技術革命の遂行を助けるようにした。また、1975年7月1日、検徳鉱山の事業を現地で指導し、この鉱山に投資を集中する問題、大型長距離ベルトコンベヤー輸送ラインを設け、設備管理を強化し、坑指揮体系を確立するなど技術革命を進め、思想革命を力強く展開し、生産文化と生活文化を確立する問題、給養活動を改善する問題をはじめ、鉱山の事業を発展させるうえで提起される問題をすべて解決した。

 総書記は、輸送部門が3化輸送方針(パイプライン化、ベルトコンベヤー化、空中ケーブル化)を貫徹するよう導いた。

 オートメ化された黄海製鉄所により多くの鉱石を送るため、殷栗鉱山の大型長距離ベルトコンベヤー輸送ラインの建設を提唱し、西海に数千メートルの大型長距離ベルトコンベヤーを設けるよう指導した。そして、1975年6月23日には完成したベルトコンベヤー輸送ラインを見て回り、殷栗鉱山の大型長距離ベルトコンベヤーは自力更生の偉大な産物だと高く評価した。また、金策製鉄所─茂山鉱山間の大型長距離精鉱輸送パイプの建設をはじめ、運搬のパイプライン化、空中ケーブル化を推進するために力を傾けた。

 総書記は、農業部門が穀物生産計画を遂行するよう精力的に指導した。

 1975年1月、社会主義農村テーゼを貫徹するためのたたかいで党組織の役割を強めるようにするとともに、多くの協同農場を訪ね、チュチェ農法の要求どおりに農業を科学的、技術的に営むよう導いた。また、農業の機械化、化学化を推進するため、トラクターを量産し、1万数千台の田植機と数千余台の稲刈機を生産して農村に送るようにし、1975年7月には興南肥料連合企業所を訪ね、肥料の増産に取り組むよう励ました。こうして、党創立30周年までに6カ年計画の主要な課題を遂行するという奇跡が生まれた。

 金正日総書記は、自力更生の革命的旗のもとに第2次7カ年計画を遂行するためのたたかいを正しく指導した。

 第2次7カ年計画は、人民経済の主体化、近代化、科学化を推し進めて社会主義の経済的基盤をさらに強化し、人民生活を一段と向上させることを基本課題としていた。

 総書記は、新しい展望計画の遂行に取りかかった初日の1978年1月1日、党中央委員会の責任幹部におこなった演説『自力更生の革命的スローガンを高く掲げ、全党、全人民を立ち上がらせて第2次7カ年計画を期限前に遂行しよう』で、自力更生の革命精神を強く発揮することを第2次7カ年計画遂行のための党活動の総体的方針として提示した。そして、自力更生の道だけが革命の最終的勝利を得る道であり、我々にはこれ以外の道はないとし、自力更生の革命精神を強く発揮して第2次7カ年計画を期限前に遂行しなければならないと述べた。

 また、自力更生の革命的旗のもとに新しい展望計画を確実に遂行するためには、勤労者にたいする思想教育を強化し、すべての党組織が経済的課題の遂行に重点を置いて党活動をおこなわなければならないとした。そして、主席の教示と党の政策を無条件に貫徹する革命的気風を確立し、増産と節約運動を強化し、全社会に革命的に活動し生活する気風を打ち立てなければならないと述べた。

 総書記は、新しい展望計画を遂行するためのたたかいを力強く展開するよう導いた。

 そのために、すべての勤労者を第2次7カ年計画の遂行へと立ち上がらせるための組織・政治活動を綿密におこなうようにした。1978年1月の党中央委員会第5期第16回総会で、総書記は、すべての党員に送る党中央委員会の手紙を採択して下達するとともに、手紙を貫徹するための全党的な討議を着実におこない、すべての党員と勤労者を経済建設へと奮い立たせるようにした。同時に、第2次7カ年計画の膨大な課題を確実に遂行するため、経済活動にたいする党の指導を強化し、特に、党活動を経済活動と密着させるようにした。

 また、1978年5月29日の道党責任書記協議会でおこなった演説『全党が発奮して「100日間戦闘」を力強く展開するために』と題する演説をおこない、「100日間戦闘」を成功裏に進めるための課題と方途を示し、すべての党組織が大衆を「100日間戦闘」へと奮い立たせるようにした。

 総書記の指導により「100日間戦闘」は成功裏に遂行され、第2次7カ年計画遂行の突破口が開かれた。これにもとづき、総書記は新しい展望計画の重要な課題を遂行するためのたたかいを正しく導いた。

 まず、石炭の生産を増やすことに優先的な力を入れた。1978年11月の党中央委員会責任幹部協議会で、炭鉱で探鉱と掘進、はく土作業を先行させ、炭鉱設備を大型化、近代化、高速化し、坑内作業の総合的機械化を積極的に推し進めるようにした。特に、安州地区炭鉱を改造・拡張して総合的機械化のモデルケースにすることに大きな力を入れ、人民経済のすべての部門が安州地区炭鉱を積極的に支援するようにした。のみならず、炭鉱労働者の生活条件と給養活動にも深い関心を払い、安州地区に短期間に文化的な炭鉱労働者の都市を建設するようあらゆる措置を講じた。

 総書記は、鉄道運輸を発展させるために精力を傾けた。

 そのために、1977年におこなった「輸送革命200日間戦闘」を1978年の年初から再度展開するようにし、それを成功裏に進めるために鉄道局と鉄道分局、鉄道工場に指導グループを派遣した。また、輸送事業を発展させる問題について討議した党中央委員会第5期第18回総会が開かれた直後の1979年7月に5.18無事故・定時・牽引超過輸送運動を提唱し、鉄道運輸部門で増大する人民経済の輸送の需要を満たすための大衆的革新運動を積極的に展開するようにした。そして、鉄道の電化に第一義的な意義を付与し、吉州─恵山間、新成川─大同江間の電化をはじめ、鉄道の電化工事を力強く推し進めるよう導く一方、運輸手段と設備を重量化、オートメ化し、車両・機械工業を主体的に発展させるようにした。また、数多くの駅を訪ねて、駅の建設や鉄道の運行と近代化、制度と規律の確立で提起される問題を明示し、鉄道従事者を励ました。そうして、鉄道運輸部門では、かつてない革新が起こり、輸送難が解決された。

 総書記は、主席が確立したテアンの事業体系を貫徹して経済管理を改善することに大きな力を入れた。

 テアンの事業体系の要求どおりに企業管理をおこなうため、1979年1月、モデル工場をつくるよう指示し、その対象として降仙製鋼所(当時)をはじめ、7つの工場を選定した。そして、モデル工場の模範を助長する一方、その企業管理の経験を関係部門に一般化させるための活動をおこなうようにした。そして、テアンの事業体系の要求どおりに人民経済計画事業をさらに改善するため、計画部門の活動家が主席が構想し意図する問題を適時に反映して科学的で革新的な計画を立てるようにし、国の財政管理を強化するため、実践を通じてその生命力がすでに実証された日別生産・財政総括制度を人民経済のすべての部門、すべての単位で取り入れることにより厳格な財政規律を確立するようにした。

 総書記は人民生活の向上にも深い関心を払った。

 人民の物質・文化生活水準を高めるため、軽工業の発展に大きな力を入れた総書記は、1979年に重点的に解決すべき一般消費財生産の10大目標を定め、この目標を成功裏に遂行するよう導いた。また、既存の軽工業部門の工場をフル稼働させ、生産工程と生産方法の近代化、科学化を推進し、新しい工場の建設を第6回党大会までに終え、その運営を正常化するようにした。

 首都の住民によりよい生活条件をもたらすため、楽園通りに一挙に3000世帯の高層住宅を建設し、次いで環状線通りをそっくり取り壊し、そこに蒼光通りを建設するようにした。また、近代的な平壌産院や蒼光院、万寿台芸術劇場、大城山遊園地をはじめ、数多くの文化・厚生施設と情緒生活基地を整えるようにした。

 このほかにも、国際親善展覧館、平壌─元山間道路をはじめ、チュチェ時代の記念碑的建造物を建設するよう導いた。

 総書記は、1978年12月25日の党中央委員会責任幹部協議会でおこなった演説『党の戦闘力を高めて社会主義建設に新たな転換をもたらそう』と、1979年12月19日の党中央委員会の責任幹部への談話『我々の方式で生きていくという党の戦略的方針を貫徹しよう』で、我々の方式で生きていくという方針を提示し、それを貫徹するための課題と方途を示した。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「『我々の方式で生きよう!』、まさに、これが、こんにち、わが党が強く打ち出している戦略的スローガンです」

 総書記は、我々の方式で生きようというスローガンの本質的内容を明示した。

 我々の方式で生きていくというのは、まず、自分の信念に従って思考し行動するということである。言いかえれば、他人の信念、他人の言動を真似るのではなく、確とした主体的立場と観点に立ち、主席の教示と党の意図どおりに思考し行動するということである。

 我々の方式で生きていくというのはまた、すべてのことを朝鮮革命と朝鮮人民の利益、朝鮮の実情に即して解決するということである。それは、革命の具体的環境と条件、人民の志向と要求に即して路線と政策を打ち立て、革命と建設を進めるということであり、他国の経験を受け入れる場合もうのみにするのではなく、朝鮮の実情と好みに合わせて改造し変革して創造的に受け入れるということである。

 我々の方式で生きていくというのはまた、すべてのことを自分の力で解決するということである。それは、いかなる問題であれ、他人に依存するのではなく、自分自身が責任をもち、自分の労力と資源、自分の技術によって解決することを意味する。

 総書記は、我々の方式で生きていくための具体的な課題を示した。

 我々の方式で生きていくためには、まず、主席の教示と党の方針を無条件に貫徹することに重点を置いて党活動を積極的に展開し、特に、自力更生の革命精神を強く発揮しなければならない。また、党の戦闘力を高めることに大きな力を入れて、必勝不敗の革命的党にしなければならない。また、党員と勤労者にたいする思想教育を強化し、彼らを主席の革命思想、チュチェ思想で武装させなければならない。

 金正日総書記が、我々の方式で生きていくという戦略的方針を示すことにより、朝鮮労働党と朝鮮人民は、チュチェ思想が指し示す道に沿って社会主義建設をさらに強力に推進することができるようになり、朝鮮革命の陣頭には、チュチェの旗、民族自主の旗、自力更生の旗がいっそう力強くはためくようになった。





inserted by FC2 system