金正日総書記革命活動史

第3章 党の唯一思想体系確立のための活動を指導、
先軍政治の開始

第7節 党活動を改善、強化するために

 朝鮮労働党第5回大会以後、金正日総書記は、党と革命発展の要請に即して党活動を改善、強化するための活動を精力的に指導した。

 金正日総書記は、まず、党組織活動を抜本的に改善することに大きな力を注いだ。

 総書記は、全党に新たな党生活総括制度を打ち立てるようにした。

 新しい党生活総括制度のモデルをつくるため、1970年代初から文学・芸術部門のいくつかの党細胞で新しい形式の党生活総括をおこなうようにし、1972年8月に文学・芸術部門のすべての党組織に新しい党生活総括制度を一般化させた。

 総書記は、実践によってその優越性が実証された新しい党生活総括制度を全党に一般化するため、1973年8月21日、党中央委員会責任幹部協議会で、『全党に新しい党生活総括制度を確立することについて』と題する演説をおこなった。

 この演説で、全党に新しい党生活総括制度を確立するためには、その本質と優越性、生命力を党員にしっかり認識させ、党細胞書記と初級党組織の役割をさらに高めなければならないと述べた。

 総書記は、党勢を拡張し、その質的構成を改善する活動を着実に進めた。

 重要な部門の党組織を強化する方向で党勢を積極的に拡張していくようにし、新しい世代、特に労働青年のなかから先進分子を多く入党させ、現在の動向を基本にして党に受け入れるようにした。

 金正日総書記は、党の思想活動を革命的に改善、強化することに深い関心を払った。

 1973年8月17日、党中央委員会の責任幹部会議でおこなった演説『宣伝扇動部の基本任務について』をはじめ、多くの著作で党の思想活動を革命的に改善、強化するための課題と方法を示し、それを実現するための活動を精力的に指導した。

 まず、党の思想活動の内容をきちんと定め、党の思想活動では、金日成主席の革命思想で党員と勤労者を武装させることを基本とし、その内容を主席の革命思想教育で一貫したものにするための対策を立てた。

 1973年3月には、党学習網の運営状況を調べ、まちまちになっていた学習班の名称を「金日成同志の革命思想学習班」と改め、すべての学習班が主席の著作を基本にして学習するようにした。そして、同年12月から、党中央委員会第4期第15回総会直後につくられた『金日成同志の革命活動史図録』を現実発展の要請に即して編纂し直すようにした。また、「金日成同志の革命活動史研究室」と「金日成同志の教示研究室」を統合して「金日成同志の革命思想研究室」に改称し、その研究室をさらに整備し、それを通じてチュチェ思想の原理教育と忠実性を培う教育を幅広く掘り下げておこなうように導いた。

 総書記は、党の思想活動の方法を革命発展の要請に即して改善するよう指導した。

 1973年春、文化芸術部(当時)の責任幹部に問答式学習方法のモデルケースをつくる課題を与え、同年6月には中央芸術団体の問答式学習コンテストをおこなって経験を積ませたうえで、全国芸能人学習コンテストの開催を発起した。こうして、同年10月末から11月初にかけて第1回全国芸能人学習コンテストが開かれた。

 総書記は1973年11月5日、第1回全国芸能人学習コンテスト参加者たちにおこなった演説で、問答式学習方法の優越性とそれを具現する方途を示した。

 全国芸能人学習コンテスト以後、各級党組織では問答式学習に関する方法論が立てられ、道・市・郡党委員会で問答式学習のモデルケースをつくって、それを一般化させる活動が進められた。

 総書記は、講演活動の改善に大きな力を注いだ。とりわけ、講演の方法を改善するため、講師を有能なメンバーでかため、彼らの水準を高めるための対策を立てた。そして、模範講演、講演コンテスト、巡回講演などを定期的におこなって優れた講演方法を広く一般化させ、講演の内容と形式を多様なものにする一方、講演テキストの作成についても細かに指導した。

 総書記は党の思想活動の方法を改善するため、抗日遊撃隊式の生産鼓舞活動を強力に展開するようにした。

 1973年6月に生産鼓舞隊を組織して、載寧鉱山、殷栗鉱山へ行って採掘工業の振興を促すようにし、抗日遊撃隊式の大衆政治鼓舞方法を具現した新しい生産鼓舞活動経験を積ませた。そして、この経験に基づき同年11月には、金星トラクター工場と勝利自動車総合工場で大がかりな生産鼓舞活動をおこなわせて、新しい生産鼓舞活動の手本をつくりだした。

 そして、抗日遊撃隊式の生産鼓舞方法を全国に一般化させるため、生産鼓舞隊を組織し、その活動をさまざまな形式と方法で活発におこなうよう指導した。

 平壌市と各道、職業総同盟と青年同盟をはじめ、勤労者団体に生産鼓舞活動を専門とする芸能宣伝隊を組織し、主な工場、企業、協同農場には働きながら活動する機動芸能宣伝隊を組織させた。同時に、新聞、放送、テレビ、映画を通じての生産鼓舞活動も強化し、党、行政・経済活動家がじかに社会主義建設の現場へ出向いて生産鼓舞活動をおこなうようにした。

 金正日総書記は、党活動体系と方法の改善に深い関心を払った。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「…発展する現実の要請に即して活動体系と活動方法をさらに改善しなければなりません」

 総書記は、革命的な職能をつくり、それに基づいて活動する厳格な秩序を確立するようにした。

 1973年9月に新しい職能をつくる課題を提起し、それを作成する基本的方向と方法を示した。そして、党中央委員会の各部署で新しくつくった職能の草案を検討して完成させるとともに、すべての党組織が新しい職能に基づいて活動し、党活動総括を職能に照らしておこなうようにする体系を打ち立てた。また、職能を絶えず補足して完成させていくようにした。

 総書記は、党活動家が下部へ出向いて助ける整然たる下部指導体系を確立した。

 1973年8月、党中央委員会の責任幹部の会議で、活動家が下部へ出向く体系を確立するよう強調し、下部指導の周期も定めた。そして、1973年11月8日には、下部指導体系に基づいて地方の党組織にたいする指導活動をして帰ってきた責任指導員たちの協議会を指導しながら、新しい下部指導体系が効果を発揮できるようにするための課題と方途を示し、必要な対策も立てた。同時に、活動家が下部へ出向くのに支障がないよう、党機関の機構体系を改編して、活動家の職制と分担をきちんと定め、彼らがいつも大衆のなかに入って着実に活動するようにした。

 金正日総書記は、党活動の行政化をなくし、すべての活動家が党活動を徹底した対人活動に切り換えるよう指導した。

 1973年11月、党中央委員会責任指導員協議会で、党活動の行政化をなくす課題を示し、活動家がすべての活動において思想活動、政治活動を先行させることによって党活動が真の対人活動になるようにした。

 金正日総書記の賢明な指導により、朝鮮労働党は生気に満ちて活動する革命的で戦闘的な党に強化されるようになった。





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