金正日総書記革命活動史

第3章 党の唯一思想体系確立のための活動を指導、
先軍政治の開始

第5節 新たな革命的大高揚を起こし、
3大技術革命を促進するために

 金正日総書記は、1960年代の後半期、社会主義建設で新たな革命的大高揚を起こすために力を注いだ。

 金日成主席は1967年6月末〜7月初、党中央委員会第4期第16回総会を招集し、新たな革命的大高揚を起こす方針を打ち出した。

 金正日総書記は、主席が示した方針を実行するための活動を推し進めた。

 1967年6月13日の談話『政治的・道徳的刺激と物質的刺激にたいする正しい理解のために』で社会主義経済建設において提起される理論的・実践的諸問題を科学的に解明した。

 まず政治的・道徳的刺激と物質的刺激の結合に関する問題を正しく解明することを単なる理論上の問題としてではなく、社会主義建設を成功裏に推進するための重大な問題とみなした。そして、物質的刺激を絶対視する傾向と政治的・道徳的刺激を絶対視する傾向にたいし批判した。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「政治的・道徳的刺激を基本とし、それに物質的刺激を適切に結合させるのは、人民大衆の革命的熱意と生産意欲を高めて社会主義建設を力強く促進させる最も正しい方途です」

 総書記はまた、社会主義経済建設における速度と均衡の相互関係の問題についての誤った理論に終止符を打ち、社会主義経済建設の根本目的と社会主義制度の本質的優越性、わが国の社会主義経済建設の実践的経験にもとづき速度を第一義的に重視し、これに均衡を取り合わせるべきだと説いた。

 金正日総書記は、全人民を新たな革命的大高揚へと奮起させるための思想戦を展開するようにした。

 1967年7月3日、党中央委員会の活動家への談話『経済建設と国防建設で革命的高揚を起こすための思想宣伝の強化について』で全人民を大高揚へと奮い立たせるための思想活動の方向を示した。経済建設と国防建設で大高揚を起こすためには、決定的に党思想活動から革新しなければならないとし、すべての勤労者が自力更生、刻苦奮闘の革命精神を強く発揮して最大限に増産、節約し、技術革命を強力に展開し、チョンリマ作業班運動を活発に展開するようにすることに党思想活動の重点を置かなければならないと教えた。

 総書記は大衆のなかに入って、勤労者を新たな革命的高揚へと奮い立たせた。

 1967年7月、主席に同行して降仙製鋼所(当時)を訪ねた総書記は、この製鋼所の労働者たちが革命的大高揚の先頭に立ってチョンリマ作業班運動先駆者の栄誉を引き続き固守していくよう励ました。

 また同年8月には、主席が革命的大高揚の先頭に立たせた龍城の労働者を訪ね、革命的大高揚を起こすという党の新しい方針の本質と意義を詳しく説明し、彼らが革命的大高揚の先頭に立って進むようにさせた。

 龍城の労働者は、経済建設と国防建設並進路線の貫徹において革新を起こすことを全国の労働者に呼びかけるとともに、新たな革命的大高揚を起こし、1967年度の人民経済計画を80日余り繰り上げて10月10日以前に超過遂行した。

 総書記は、各級党組織が党員と勤労者を龍城の労働者の呼びかけに呼応させるための組織・政治活動を展開し、党機関紙をはじめ、出版物と放送を通じて龍城の労働者と各地の勤労者の生産成果を広く宣伝するようにした。こうして、人民経済のすべての部門では、龍城の労働者の模範にならって党創立記念日である10月10日までに年間計画を超過遂行する成果をあげた。

 金正日総書記は、社会主義経済建設のすべての部門で新たな高揚を起こし、社会主義的工業化の歴史的課題を実現するための活動を賢明に指導した。

 まず、社会主義的工業化を実現するうえで中心的課題である自立的で近代的な工業建設を促進することに大きな力を注いだ。

 長津江発電所と平壌火力発電所(当時)、北倉火力発電所(当時)の建設現場へ出向いて発電所の建設を早め、発電能力を高めるようにした。そして、金策製鉄所(当時)と清津製鋼所、黄海製鉄所(当時)を訪ねては、新しい製鉄法を研究、完成して金属工業で革新を起こすようにし、2.8ビナロン工場(当時)、興南肥料工場(当時)を現地指導したときには、化学工業の主体性を強化し、早急に生産を増大させるようにするなど、国内の原料に依拠する工業を発展させるために尽力した。また、各地の機械製作工場を訪ねては、機械工業部門で技術革新運動を強力に推し進めて、新しい大型機械と精密機械を大量に生産するようにし、平壌と咸興、亀城の軽工業工場と各地の地方産業工場を視察し、地元の原料、資材を利用して良質の軽工業製品を大量に生産するよう指導した。

 さらに、工業部門の技術改造を推進するため、基幹工業部門の多くの工場、企業と地方産業工場を現地指導しながら、技術革新運動を大衆的運動として広範に展開して生産工程の機械化、半オートメ化、オートメ化を実現し、地方工業の技術装備を早く改善するようにさせた。

 また、テアンの事業体系が効果を発揮するよう何回も大安電機工場(当時)を訪れ、テアンの事業体系の貫徹において模範を示すよう指導し、1968年4月には資材供給委員会(当時)を現地指導して、テアンの事業体系の要求どおり資材供給事業を改善するよう細かに指導した。

 金正日総書記は、農業を発展させるための事業を賢明に指導した。

 金日成主席が確立した新しい農業指導体系の優越性を高く発揮させることに深い関心を払い、主席の指導業績が秘められている多くの郡と協同農場を現地指導しながら、郡協同農場経営委員会が農業生産に対する技術的指導を強化することに力を集中し、分組管理制の生命力を十分発揮させるよう指導した。

 1967年と1968年に重要な穀物生産地帯である西海岸の各農村に出向いて、全力を農作業に集中し、地域別の特性に即して農業を科学的に営んで穀物生産を高めるよう強調し、山間部の協同農場では、山を効果的に利用して畜産と果樹栽培、養蚕業、養蜂業など農業を多角的に発展させるよう指導した。

 そして、稲刈機や小型トラクターをはじめ、農業機械を国の実情に合うように作り、それをより多く生産、供給し、その利用率を高めるとともに、水利化を推し進めるように指導した。また、農村の技術革命遂行において青年を先頭に立たせるようにした。

 新たな革命的大高揚が起こるなかで、社会主義的工業化の歴史的課題が実現され、朝鮮は自立的工業と発達した農業をもった社会主義工業国に変わった。

 金正日総書記は朝鮮労働党第5回大会以後、3大技術革命を推し進めることに深い関心を払った。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「現段階において勤労者を骨の折れる労働から解放するために当面して提起される最も重要な問題は3大技術革命の課題を遂行することです。我々は3大技術革命の課題を成功裏に遂行することによって、勤労者を骨の折れる労働から解放しようという金日成同志の高志と遠大な構想を立派に実現しなければなりません」

 金日成主席は朝鮮労働党第5回大会で、重労働と軽労働の差異、農業労働と工業労働の差異を著しく縮め、女性を家事の重い負担から解放することを基本内容とする3大技術革命の課題を打ち出した。

 金正日総書記は3大技術革命の課題遂行において、高熱労働と有害労働をなくし、重労働と軽労働の差異を縮めることに大きな力を注いだ。これを実現するためのキーポイントを生産工程のオートメ化に求め、工業部門での全面的オートメ化の実現に精力的に取り組んだ。

 1972年8月初、幹部たちに、社会主義的工業化時期の技術革命が筋肉労働を機械労働に変えることであれば、社会主義的工業化以後の技術革命は機械が機械を動かすようにするのが基本的特徴であると述べた。そして、1972年10月23日をはじめ、多くの談話で全面的オートメ化を実現するという革命的方針を示し、勤労者を骨の折れる労働から完全に解放するためには、生産のオートメ化、人民経済の全面的オートメ化を実現しなければならないとした。そして、生産をオートメ化することは、単に生産工程を改造するための技術的・経済的課題ではなく、搾取と抑圧から解放された勤労者を骨の折れる労働から解放するための重要な政治的課題であると強調した。

 総書記は全面的オートメ化を実現するため、黄海製鉄所をオートメ化のモデルケースとすることを決心し、その実現に取り組んだ。

 1973年1月、有能な技術者を根幹として編成したオートメ化推進グループを黄海製鉄所に派遣し、1月28日には党中央委員会の責任幹部への談話『生産をオートメ化して勤労者を骨の折れる労働から解放しよう』で、黄海製鉄所をオートメ化のモデルケースとして立派に整え、その経験を全国に一般化させて、人民経済のすべての部門でオートメ化の実現に取り組むようにすべきだと述べた。

 総書記は、オートメ化が到達できる最高水準のモデルにすることを黄海製鉄所オートメ化の目標として示し、それを実現するための段階別の課題を明らかにした。その第1段階は、鋼鉄職場の産業テレビ化と無線化を実現して、幹部と勤労者にオートメ化の冥利を味わわせ、第2段階では、ふるい分け場のような比較的単純な生産工程をリモコン化して、オートメ化を十分自力で実現できるという自信と経験をもせ、第3段階では、2工程以上の複雑な生産工程で構成されている各職場、さらには、高炉と平炉をリモコン化して、勤労者を高熱労働と有害労働から完全に解放することであった。

 総書記は、1973年3月に開かれた党中央委員会政治委員会で、黄海製鉄所をオートメ化するための活動を促進し、それにたいする党と国家の支援を与えるための具体的な対策を立てるようにした。そして、労働者と技術者の間で、自力で他国に劣らずオートメ化を実現できるという自信をもって自力更生の原則を守るよう政治活動を強化する一方、中央放送分遣隊と芸能宣伝隊を派遣してオートメ化の工事場を大いにわき立たせた。また、黄海製鉄所のオートメ化と関連のある全国の工場、企業、科学研究機関が黄海製鉄所を積極的に支援するようにさせた。また、このオートメ化を進めるために数十回もの重要な指示を与え、数回にわたって必要なオートメ化機具、要素、設備などを提供した。こうして、1年余りの間に黄海製鉄所は、全面的オートメ化のモデルケースとして立派に整えられた。

 総書記は、黄海製鉄所で創造されたオートメ化のモデルを全国に一般化させるための活動を推し進めた。

 1973年12月、主要工場、企業の責任幹部と3大革命グループの責任者たちの方式講習をおこなって黄海製鉄所のオートメ化の経験を一般化させるようにし、オートメ化の経験を積んだ技術者たちを主要工場、企業へ派遣する措置をとった。そして、検徳鉱山(当時)をはじめ、各鉱山に一式そろえた選鉱場のリモコン設備と各種のオートメ化機具、設備、要素、設計図面などを提供した。そして、党機関紙に「現代はオートメ化の時代だ。黄海製鉄所ののろしを受けて半オートメ化、オートメ化の炎を全国に燃え上がらせよう」という社説を掲載させ、宣伝・鼓舞手段を動員してオートメ化の成果を一般化させるための宣伝・鼓舞活動を活発に展開させた。

 こうして、黄海製鉄所で燃え上がったオートメ化の火の手は、またたくまに全国に燃え広がり、金属、化学、採掘、建材など工業部門の多くの工場、企業で生産工程の産業テレビ化、リモコン化が実現されていった。

 総書記は、生産工程のオートメ化とともに、骨の折れる作業の総合的機械化にも深い関心を払った。特に、炭鉱、鉱山の採掘設備と運搬設備を大型化、高速化し、林業、建設などの部門で近代的な機械設備手段を大々的に導入して機械化の水準をさらに高めるようにし、それに必要な条件をすべて充足させる措置をとった。

 金正日総書記は、農業労働と工業労働の差異を縮めるための農村技術革命を遂行することに心血を注いだ。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「こんにち、農村技術革命で力を集中すべき問題は、機械化を力強く推し進めることです。農民を骨の折れる労働から解放するためには、農業の機械化を実現しなければなりません」

 総書記は、農業の物質・技術的手段を強化するため、金星トラクター工場と勝利自動車総合工場(当時)に黄海製鉄所でのオートメ化の成果を取り入れて生産工程を近代化し、トラクターの生産能力を高め、自動車生産基地を拡充するようにした。そして、1973年11月に生産鼓舞隊をこれらの工場へ派遣して40余日間、集中的な生産鼓舞活動を展開させた。こうして、1973年に年間トラクター生産計画は超過遂行され、1万台の自動車生産課題も成功裏に遂行された。

 総書記は、各道に農業機械工場を立て、各郡には部品生産基地と修理基地を設け、各協同農場には簡単な農業機械を製作、修理できる物質的・技術的土台を築くようにさせた。

 総書記は、青山里を農村技術革命のモデルにし、その成果と経験を全国に一般化させることに力を注いだ。

 1971年5月12日、現地へ出向いて青山協同農場の管理委員長、田植えに動員された芸能人におこなった談話『青山里を大いに支援しよう』で、青山里を農村技術革命のモデルにつくりあげる課題を示した。そして、新しい農業機械が生産されると、それをまず青山里に提供し、必要な物質的・技術的支援と勤労支援を強めるようにした。また、青山協同農場の管理役が先に農業機械を巧みに扱う技術を習得するよう課題を与え、田植え作業の機械化を青山里が先に実現し、すき起こしと種まき、草取り、刈り入れ、脱穀に至るまで、営農作業をすべて機械化する対策を立てた。これとともに、農業の総合的機械化と化学化のモデルをつくりあげた青山里の経験を広く宣伝するようにした。

 総書記は、農村技術革命を促進するうえでトラクター運転手の役割を強めるようにした。

 6カ年計画初年度の1971年2月に開かれた全国トラクター運転手大会がトラクター運転手の役割を強めるうえで重要な契機となるようにし、1972年3月には銀波郡の養洞協同農場と玉峴協同農場のトラクター運転手たちに会い、彼らに農村へ派遣された機械化戦士としての高い栄誉と責任感をもって農村技術革命の先頭に立つよう励ました。

 金正日総書記は、女性を家事の重い負担から解放するための技術革命を積極的に推し進めた。

 まず、主食の生産を工業化するため、市、郡ごとに、製麺工場、炊飯工場、トウモロコシ加工米工場、食品加工工場の建設を大衆的運動によって短期間内に完成させるようにした。そして、副食物の生産を工業化するため、各地に野菜加工工場、魚類加工工場、果実加工工場を建設して、さまざまな加工食品をより多く生産、供給できるようにした。また、家庭用冷蔵庫や洗濯機をはじめ、いろいろな台所用品の生産でネックとなっていた問題も解決し、全国的に農村の水道化を促し、託児所、幼稚園も立派に整備するようにした。

 3大技術革命の課題が円滑に進められることによって、朝鮮人民は、骨の折れる労働からかなり解放され、より自主的で創造的な生活を享受することができるようになった。





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