金正日総書記革命活動史

第3章 党の唯一思想体系確立のための活動を指導、
先軍政治の開始

第3節 党の自衛的軍事路線を貫徹するための活動を指導、
先軍政治の開始

 1960年代の後半期に入って、金正日総書記は、革命発展と新たな情勢の要請に即して国防力を強化するための活動を賢明に指導し、1960年代末に歴史的な先軍政治を開始した。

 国防力を強化することは、帝国主義者の侵略戦争挑発策動を粉砕して社会主義建設を成功裏に進めるための必須の要求であった。ましてそれは、アメリカ帝国主義の朝鮮にたいする新たな戦争挑発策動が日増しに激化していた1960年後半期の複雑な情勢のため特別重要な問題となった。

 新たな情勢に対処して、金日成主席は1966年10月、党代表者会議を招集し、すでに提示していた経済建設と国防建設を並進させる方針を党の戦略的路線とし、それを貫徹するよう強調した。

 金正日総書記は、経済建設と国防建設の並進路線の要求に即して党の自衛的軍事路線を貫徹するための活動に大きな力を注いだ。

 1968年2月2日、党中央委員会の活動家への談話『アメリカ帝国主義の戦争挑発策動に対処して万全の戦闘動員準備をととのえよう』をはじめ、多くの談話で、党の自衛的軍事路線を貫徹して国防力を強化する課題を示し、それを実現するための活動を指導した。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「我々は高い誇りと自負をもって、党の自衛的軍事路線を引き続き立派に貫徹し、国防力をさらに強化すべきであり、敵があえて襲いかかってくるなら勇敢に戦って、英雄的朝鮮人民の不抜の力をいま一度、全世界に誇示すべきです」

 総書記は、全軍幹部化と全軍近代化の方針をさらに強く貫徹して、人民軍を不敗の革命武力に強化することに第一義的な力を傾けた。

 1960年8月25日、朝鮮人民軍近衛ソウル柳京守第105戦車師団に先軍指導の第一歩を印した時から1960年末まで、人民軍各部隊にたいする数百回もの精力的な現地指導の道を歩み続けた。その過程で、人民軍を先軍革命の前衛部隊、手本として育てるとともに、先軍革命指導を新たな高い段階に発展させ、先軍政治を始めることのできる強固な基礎を築いた。

 1964年6月23日、朝鮮人民軍総参謀部の幹部との談話『人民軍は金日成同志と朝鮮労働党に限りなく忠実な革命の前衛部隊になるべきである』で、人民軍を金日成主席と朝鮮労働党に限りなく忠実な革命の前衛部隊にするのが自身の揺るぎない決心であり、意志であるとし、そのためには、人民軍内の指揮メンバーから党と領袖に限りなく忠実でなければならないと述べている。

 総書記は、軍事教育事業を改善することにも深い関心を払った。

 1966年4〜5月にある軍官学校を数回にわたって現地指導しながら、金日成主席に忠実な軍事指揮官を育てるために引き続き力を尽くし、正規生活と訓練で人民軍の手本となるためにたゆみなく努力すべきだと強調し、その後、各軍事学校を訪ねては、軍事教育と部隊管理で積んだその軍官学校の経験を各級軍事学校に一般化するようにした。

 1973年2月8日、金日成軍事大学(当時)を訪ねては、大学内に党の唯一思想体系を確立し、学生にたいする教育事業をいっそう改善して、党と領袖に忠実で有能な軍事指揮官をより多く育てるよう強調した。

 総書記は、全軍近代化の方針が確実に貫徹されるようにするため、軍人の間で戦闘訓練を強化するようにした。

 1964年10月18日と1966年には各航空区分隊を、1965年5月と翌年8月には東・西海岸の海軍部隊を、1965年5月には鉄嶺を越えて最前線の戦車部隊を、1967年7月には東海岸の海岸砲中隊を訪ねるなど各部隊と区分隊を現地指導した。そして、飛行訓練や航海訓練など軍事訓練を指導しながら、訓練要綱を狂いなく実行し、チュチェ戦法を体得させることに基本を置いて戦闘訓練を着実に進めるようにした。

 総書記は、人民軍の武力装備を朝鮮の実情と朝鮮人の体質に適したものにし、近代化するための活動にも力を入れた。

 1964年から1970年の間に、ある兵器工場を何回も現地指導しながら、朝鮮人の体質に適した武器をつくることを教え、1967年8月にはほかの兵器工場を訪ねて、山間地帯の多い朝鮮の実情に適した武器を生産するよう導いた。

 総書記は、全人民武装化と全国土要塞化を強力に促進し、全人民的防衛体系を確立することに深い関心を払い、1967年1月23日には全国を難攻不落の要塞にする方針を示した。

 全人民武装化を実現するため、労農赤衛軍の隊伍をさらに拡大、強化し、その指揮体系をより整然と打ち立て、軍事訓練を強化して労農赤衛軍隊員の軍事技術水準を人民軍軍人の水準に引き上げるようにした。また、全国土要塞化のために東・西海岸の軍事要衝を視察しながら、地理的特性に合わせて防御陣地を堅固に築くようにした。

 1960年代の金正日総書記の先軍革命指導は、人民軍にたいする政治的・思想的指導とともに、軍事作戦指揮権を行使できるように全軍を確固と掌握する過程であり、先軍政治を開始する基礎が築かれる過程でもあった。

 金正日総書記は、1960年代末に先軍政治を開始した。この日々に卓抜な政治的・軍事的実力を示し、軍建設をはじめ、革命と建設の各分野にわたって不滅の業績を積み上げた。それゆえ、総書記は、党と人民、人民軍将兵の絶対的な信頼を受け、敬慕された。特に、抗日革命闘士をはじめ人民軍指揮メンバーは、実際の体験を通じて金正日総書記を指導者としてだけでなく、朝鮮人民軍最高司令官として遇し仰いだ。

 総書記は、金日成同志は1960年代末、1970年代初から、わたしに党と軍の活動を直接受け持って指導するよう命じたと語っている。総書記はこの時期、人民軍指揮メンバーに、これから人民軍の活動により深い関心を払うつもりだ、わたしは金日成同志の意図を実現するため、人民軍内の責任幹部がわたしと一緒に力を合わせて最後までともに進むものと信じる、と意義深い言葉を述べている。

 総書記は、全軍に対する政治的・軍事的指導をおこなうことから先軍政治を始めた。

 1969年1月の人民軍党委員会第4期第4回拡大総会を契機に、金正日総書記による全軍にたいする党の指導、政治的指導が全面的におこなわれるようになった。

 総書記は、人民軍党委員会第4期第4回拡大総会での主席の教示どおり、人民軍内の党組織と政治機関の役割を強め、唯一思想教育を強めることに大きな力を注いだ。

 1969年1月19日、党中央委員会と朝鮮人民軍総政治局の幹部への談話『人民軍の党組織と政治機関の役割を強めることについて』で、人民軍内の党組織と政治機関の機能と役割を強めるべく綱領的課題を提示し、それを実現するための活動を精力的に指導した。

 総書記は、軍隊内の政治活動家陣容を打ちかため、新しく設けた政治委員制と政治指導員制の効果が発揮されるようにする一方、政治活動家候補の養成事業を改善、強化し、政治活動家を正規教育機関で再教育する措置をとり、1972年10月をはじめ、たびたび多くの政治活動家に会って政治活動を正しく行うよう導いた。

 総書記は、人民軍内で唯一思想教育を決定的に強化するようにした。まず、金日成主席の建軍指導業績を通じての教育に力を入れることに着目した。そして、1969年6月25日とその他の機会に、その教育を進めるための方法も具体的に示した。

 その後、祖国解放戦争の時期に最高司令部が位置していた所に新しく建てられた祖国解放戦争事績館に主席が着用していた元帥服をはじめ、事績資料を提供し、事績館が開館された2カ月後の1971年7月には祖国解放戦争史跡を訪ね、革命事績教育での重要な問題を具体的に示した。

 総書記の細かな指導のもとに、人民軍内では金日成主席の建軍指導業績を通じての教育が党の唯一思想教育の基本として確定され、強力に推し進められるようになった。

 総書記は、人民軍での各種の思想教育が忠実性を培う教育と密接に結びついて進められるようにした。人民軍の各区分隊を現地指導しながら、軍人の間で主席に対する抗日革命先達の忠実性の模範を学び取るための教育を強化するようにした。これとともに、党政策教育、革命伝統教育、階級的教育を着実におこない、特に緊迫した情勢の要請に即して戦争にたいする正しい観点を確立させるための教育に大きな力を注ぐようにした。

 総書記はまた、人民軍にたいする軍事作戦上の指導を確実におこなっていった。かなり前から朝鮮人民軍総参謀部の活動に深い関心を寄せていた総書記は、特に1960年代の末、総参謀部を通じて人民軍の軍事作戦を巧みに指揮した。

 総書記は、1968年1月のアメリカ帝国主義の武装情報収集艦プエブロ号の拿捕作戦とその後の敵との激烈な対決を巧みに指導していた。

 1968年1月23日、アメリカ帝国主義者は朝鮮の領海に深くプエブロ号を侵入させてスパイ行為を働いた。人民軍総参謀部から正体不明の艦船が元山沖に深く侵入してきたという報告を受けた総書記は、その艦船を直ちに取り締まるよう指示した。そして、その艦船が逃走するか抵抗してくる状況を予見して、拿捕作戦をぬかりなくおこなうよう、総参謀部のメンバーに作戦上の妙案を提示した。

 総書記の指揮のもとに、朝鮮人民軍海軍はアメリカの武装情報収集艦プエブロ号を拿捕した。これは、朝鮮民主主義人民共和国の当然の自衛的措置であり、侵略者にたいする断固たる懲罰であった。

 アメリカ帝国主義者は、「報復」を唱えておびただしい兵力を朝鮮半島周辺に集結し、情勢を戦争瀬戸際に追い込んだ。そのため、朝鮮ではいつ戦争が起こるかわからない一触即発の情勢が生じた。

 こうしたとき、金日成主席は、金正日総書記に、最高司令官という立場でプエブロ号をどう処理すればよいか決心してみるようにと言った。総書記は、わたしはヤンキーどもが降伏書を出すまではプエブロ号の乗組員を絶対に釈放しません、そして、プエブロ号は我々の戦利品ですから彼らが降伏書を出したとしても返しません、人民軍が拿捕したアメリカの武装収集艦は後日、博物館に展示しておき、次世代に、これは、我々がヤンキーどもから分捕った情報収集艦だと説明してやりますと断言した。

 1968年1月24日、民族保衛省(当時)へ行って当該幹部から敵情報告を受けた総書記は、アメリカ帝国主義者は、プエブロ号事件を口実に戦争を起こすかもしれず、また何をしでかすかわからないから、彼らの策動に対処できるよう、人民軍が徹底した準備を整えるべきだと強調し、敵の「報復」措置を主動的に粉砕する作戦案を示した。

 この措置に従い、人民軍と労農赤衛軍の全部隊は完全な戦闘態勢に入り、全国の人民も片手には銃を、片手には鎌とハンマーを握って生産と建設を推し進めた。

 総書記は、アメリカ帝国主義者の破廉恥な侵略策動を世界の面前に暴露するための集中的な言論戦を展開して彼らを窮地に追い込み、反復された朝米板門店会談で謝罪文を取り付けるための闘争を巧みに指導した。その結果、人民軍と人民は、アメリカ帝国主義者との激烈な軍事的・政治的対決において勝利し、ついに謝罪文を取り付けた。

 総書記は、アメリカの大型偵察機「EC-121」を撃墜する軍事作戦も巧みに指導した。

 アメリカ帝国主義者は、プエブロ号事件から相応の教訓をくみ取ろうとせず、最新式の電子偵察設備を備えた大型偵察機「EC-121」を朝鮮東海の上空にしばしば侵入させて空中偵察行為を働いた。

 金日成主席は1969年3月23日、人民軍にこの大型偵察機を撃墜すべく命令をくだした。この日、総書記は人民軍の責任幹部に、主席の命令どおりアメリカの大型偵察機「EC-121」を航空機を出動させて撃墜すべきだとし、戦闘に参加させる航空機編隊を編制し、敵機を撃墜するための戦術を一つ一つ教えた。こうして、1969年4月15日、朝鮮人民軍の飛行士たちは「EC-121」を撃墜し、それに乗り組んでいた30名余りのアメリカ帝国主義侵略軍を朝鮮東海に深く葬ってしまった。

 このように、金正日総書記の独創的な先軍政治の展開によって、金日成主席の先軍革命指導を立派に継承し、絶えず深化発展させていける根本的保証がもたらされた。





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