金正日総書記革命活動史

第3章 党の唯一思想体系確立のための活動を指導、
先軍政治の開始

第1節 党中央委員会での活動開始、
従来の労働者階級の革命思想史を総括

 金正日総書記は金日成総合大学を卒業したのち、党中央委員会で活動を開始した。

 金日成主席は、金正日総書記が朝鮮革命の最高参謀部である党中央委員会で党活動と、革命と建設の各分野にたいする指導をおこなう過程で党と革命指導の豊富な経験を積み、チュチェ革命偉業を純潔に継承していくことを望んだ。

 総書記は主席の高志を体して、朝鮮労働党を永久に金日成同志の党、チュチェ型の革命的党に強化、発展させ、主席の指導を身近でより立派に補佐するために、党中央委員会で活動することを決心した。

 1964年4月1日に党中央委員会入りした総書記は、まず実態を把握する作業に着手した。

 この実態調査期間に、党中央委員会から地方の党組織に至るまで、党活動をはじめ、軍事活動と経済活動、文化活動と青年同盟の活動などすべての部門の実態を具体的に把握するために精力的に活動した。

 この実態調査は、単なる実務的な下調べではなく、党活動と軍事活動、経済活動をはじめ、すべての部門、すべての分野の実態を深く分析し、革命と建設を主席の構想と意図どおり前進させていくためのたゆみない思索と探究、創造と革新の過程であり、執務室での文書調べではなく不眠不休の現地視察の過程であった。

 金正日総書記は、1964年6月19日から党中央委員会で活動を開始した。

 1964年6月20日、総書記は幹部たちに、昨日、金日成同志から党中央委員会で活動を始めるよう命じられて感無量でもあるが、党と革命にたいし担った責任がなお重くなった思いだとし、自分は金日成同志を立派に補佐し、金日成同志が意図するとおり党をさらに強化していく決意をかためたと語っている。

 総書記は、党中央委員会で活動を始めた後、指導員、課長をへて、1970年9月から副部長、1973年7月から部長を務め、同年9月からは党中央委員会書記の重責を担い、1972年10月、党中央委員会委員に選出された。

 金正日総書記は党中央委員会入りした当初から、党事業と党活動における重点をとらえることを第一義的な課題とした。1964年6月20日、党中央委員会の活動家への談話『わが党を永遠に金日成同志の党に強化し発展させよう』で、党事業と党活動の重点について科学的に解明した。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「わが党の事業と活動において基本となるのは、全党に金日成同志の思想体系を確立することです。全党に金日成同志の思想体系を確立することは、わが党の建設と党活動の根本的原則であり、これはわが党が存在し活動する全期間にわたって恒久的に堅持していくべき最も重要な事業です」

 総書記は、党事業と党活動の重点を確固ととらえていくためには、金日成主席の教示を無条件あくまで貫徹し、党の統一団結を打ちかため、党活動の体系と方法を改め、党員の党生活にたいする指導を深めなければならないとした。

 総書記は、党活動において重点をしっかりとらえていくことに大きな力を注いだ。

 全党に金日成主席の教示伝達体系を打ち立て、主席の教示を無条件あくまで貫徹する革命的気風が確立されるようにし、1964年4月1日と6日をはじめ、数回にわたって党中央委員会の活動家への談話で、党中央委員会の活動家から主席により立派に忠義を尽くし、主席の教示をあくまで貫徹することを党活動の中心としてとらえていくよう強調した。

 1964年とその翌年には、各道の党活動状況と文学・芸術部門、出版・報道部門の党活動の実態を現地へ出向いて把握し、それにもとづき全党的に主席の教示を正確に伝達する整然とした体系を打ち立てると同時に、主席の教示を無条件貫徹する革命的気風を確立することに力を集中するようにした。

 総書記は、主席の思想と意図どおり党活動方法と作風を改善して、党活動を徹底した対人活動に切り換えるようにした。

 金日成主席は、チョンサンリ精神、チョンサンリ方法を創出して、それを党活動に具現するよう導き、1964年12月の党中央委員会第4期第10回総会で、幹部の活動方法と作風を改善するよう改めて強調した。しかし、一部の党活動家は、形式主義的な活動方法と作風から抜け出せずにいた。

 総書記は1965年1月8日、党中央委員会の活動家への談話『党活動を徹底した対人活動に変えよう』で、党活動方法と作風を改善して党活動を徹底した対人活動に変えるうえでの原則的問題を解明した。

 金正日総書記は党中央委員会で活動を開始した後、精力的な思想・理論活動により、従来の労働者階級の革命思想史を総括する活動に取り組んだ。

 総書記は、従来の労働者階級の革命思想史を主体的立場で全面的に分析、総括することを決心し、1966年5月から社会科学者たちとともにこの作業を進めた。

 1966年5月20日、6月17日、9月30日の社会科学者への談話『従来の労働者階級の革命思想史を正確に分析、総括するために』で、マルクス・レーニン主義の古典研究において提起される原則的問題を解明した。

 総書記は、マルクス・レーニン主義を全面的に分析、総括しようとする真の狙いは、金日成同志が創始した革命思想が人類思想史に占める歴史的地位とその独創性を明確に示すことにあるとして、主体的立場に立ってマルクス・レーニン主義の功績と限界を分析、評価すべきだと述べた。そして、古典を研究するうえで留意すべき点についても具体的に言及した。

 まずマルクス、エンゲルスの著作の研究、分析に当たっては、マルクス主義が出現した時代的条件と社会的基盤、マルクス主義が反映している労働者階級の革命闘争の要求と水準、そして、マルクス主義の形成と発展の路程が持っている特性を考慮しなければならないと指摘した。

 また、レーニンの著作を研究するうえで念頭に置かなければならない問題点は、第1に、レーニン主義が帝国主義時代の歴史的環境を分析し、一国で労働者階級が政権を掌握した初期の革命闘争の要求を反映して出現した理論であるということであり、第2に、マルクス、エンゲルスと同様にレーニンも社会主義・共産主義建設を体験できなかったということであり、第3に、質的界線を引きがたいマルクス主義とレーニン主義の相互関係を考慮しなければならないということであると強調した。

 総書記は、マルクス・レーニン主義の古典のなかから『共産党宣言』『資本論』『自然弁証法』『反デューリング論』『哲学ノート』『唯物論と経験批判論』『国家と革命』『レーニン主義の基本について』をはじめ、30巻余りを選定し、それを全面的に研究、分析し、評価し直す作業を進めた。

 そして、従来の理論が依拠していた根本的原理と方法論から社会主義・共産主義建設の問題に至る膨大な内容にわたって問題を設定し、マルクス・レーニン主義の古典を微視的に分析しながら深い研究を重ね、社会科学者たちと数十回にわたって突っ込んだ討論と談話を交わした。その過程で従来の理論の真髄と限界を明らかにし、解明されていなかった多くの問題を新たに解明した。

 総書記は1969年7月1日、従来の労働者階級の革命思想史を分析、総括する膨大な作業を締めくくりながら、マルクス・レーニン主義は、その歴史的限界と思想・理論的未熟さのため、人民大衆の革命闘争と社会主義・共産主義建設で提起される理論的・実践的問題に正しい解答を与えることができなくなったということを明確にし、我々の時代の革命と建設を導く革命思想は、金日成同志の革命思想、チュチェ思想の外にはないと明言した。

 そして、我々の時代の指導思想である金日成同志の革命思想を、朝鮮の現実に創造的に適用したマルクス・レーニン主義、または、我々の時代のマルクス・レーニン主義とばかり言うことはできないとし、金日成同志が提示した革命思想は、いつに金日成同志の尊名と結びつけてのみ呼ぶことのできる新しく独創的な思想であると強調した。

 総書記は、従来の労働者階級の革命思想史を総括する思想・理論活動によって、金日成主席の革命思想を科学的に定式化するための思想的・理論的準備を整えた。その後、金正日総書記は、第5回党大会で修正、補足する党の規約に、金日成主席が創始したチュチェ思想を朝鮮労働党の指導思想として新しく明記するようにした。





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