金正日総書記革命活動史

第1章 誕生と生い立ち、学生青少年を金日成主席の真の息子・娘として準備させるために
 
第2節 金日成将軍の略伝研究サークル結成、
金日成将軍を見習い、断固擁護するために

 

 金正日総書記は、学友の間で金日成将軍を見習い、断固擁護するための活動を積極的に展開していった。

 総書記は、金日成将軍を見習ううえで『金日成将軍略伝』の学習をすることを重要視し、祖国解放戦争の時期に金日成将軍の略伝研究サークルを組織して活発に運営した。

 『金日成将軍略伝』は1952年4月、金日成将軍の誕生40周年を迎え、朝鮮人民の一致した念願によって出版された図書であった。

 総書記はすでに、最高司令部で過ごした時『金日成将軍略伝』を学習しており、万景台革命学院に編入した後、学院の少年団指導員に会って、それまで所持していたこの図書を差し出し、金日成将軍の略伝研究サークルを結成することを提唱した。それは教職員、生徒の積極的な支持、賛同を得た。

 総書記は、略伝研究サークルを組織する前に、まず学友たちに『金日成将軍略伝』の内容を説明し、研究討論会も何回も開いた。そして1953年2月6日、略伝の学習で模範を示した少年団員と分団熱誠者の会合を開いて略伝学習の実態を総括し、早いうちにサークルを組織して略伝の学習を組織的に行うべきだと述べた。

 こうした準備にもとづき1953年2月10日、分団少年団員の集いで金日成将軍の略伝研究サークルを結成し、サークルの目的とサークル員の任務を明確に示した。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「今日、我々が金日成将軍の略伝研究サークルを結成するのは、略伝の学習を強化してすべての生徒を金日成将軍に忠実な朝鮮革命の柱としてしっかり準備させるためです。言いかえれば、すべての生徒が、金日成将軍の革命活動を深く研究し学んで、将軍の真の息子、娘になるためです」

 総書記は、略伝研究サークル員の任務は、まず『金日成将軍略伝』を熱心に学習してその内容を会得することであり、また、略伝の解説・宣伝を活発に行うことであるとした。そして「金日成将軍の革命思想でしっかり武装しよう!」をサークルの基本スローガンとして示し、サークル員がこのスローガンを高く掲げて金日成将軍の革命思想で武装し、それを宣伝する活動の先頭に立つよう強調した。

 こうして、結成された金日成将軍の略伝研究サークルは、金日成将軍の革命思想と革命業績、高邁な徳性を学ぶための初の革命歴史研究サークルであった。

 総書記は、金日成将軍の略伝研究サークル活動を活発に展開する一方、サークルを拡大するための活動を積極的に推し進めた。サークル員の間でさまざまな形式と方法で略伝の学習を深め、略伝の内容を幅広く掘り下げて認識するようにした。そして、サークル員を準備させたうえで学校周辺の村落に行って、村人に金日成将軍の革命活動に関する写真帳を見せながら、歌や詩の朗誦を織りまぜて略伝の宣伝をさせるようにした。

 略伝研究サークルの活動水準が高まるに伴い、総書記はサークルを学院全体の規模に拡大する準備を進めた。そして1953年3月中旬、学院の民青、少年団熱誠者の集いで、金日成将軍の誕生41周年を迎え、学院のすべての青少年が金日成将軍の略伝研究サークル員になる決意集会を開催することを提唱した。

 こうして、金日成将軍の略伝研究サークルは学院のすべての学級に組織された。

 総書記は戦後、金日成将軍に学ぶ活動をいっそう深めていった。

 1955年10月5日、平壌第1中学校の少年団熱誠者への談話『敬愛する金日成将軍の幼いころを見習おう』で、学校少年団委員会の活動の中心は、少年団員の間で金日成将軍の幼いころを見習う活動を活発に進めることであるとし、この活動において学校が全国の模範になるよう強調した。

 総書記は、白頭山地区の革命戦跡踏査行軍路を開拓した。

 革命戦跡と革命史跡の参観は、金日成将軍の不滅の革命業績を生々しい資料によって認識させることができるので、金日成将軍を見習ううえで重要な意義を有することであった。

 総書記は、1955年4月に学友たちとともに万景台と七谷革命史跡地を参観し、その経験にもとづき1956年5月末には普天堡をはじめ、金日成将軍の不滅の革命事績が多く秘められている両江道一帯の革命戦跡の踏査をおこなうことを学校の当該幹部に提起した。そして5月末、白頭山一帯の革命戦跡踏査の問題を金日成主席に進言した。主席は総書記の決心を支持し、未開の道であるからかたく決心して踏査してみるようにと励ました。

 1956年6月初旬、総書記は、平壌第1中学校の少年団委員会で革命戦跡踏査行軍隊を組織し、踏査行軍の目的は金日成将軍の偉大な足跡が残されている白頭山地区の革命戦跡の路程をじかに行軍しながら、金日成将軍の指導に従い抗日遊撃隊員がいかに厳しい試練と難関を突き抜けて戦い、こんにちの勝利をもたらしたのかを学ぶことだと述べた。

 総書記は1956年6月5日から14日にかけて、平壌第1中学校の生徒で組まれた踏査隊を率いて普天堡と三池淵、鯉明水一帯の革命戦跡への初の組織的な踏査行軍を断行した。

 そして、踏査行軍の全行程で学友たちが金日成将軍の卓越した戦略戦術と指導の賢明さ、抗日遊撃隊員の闘争精神と強い組織性、規律性を学び取るようにした。

 この白頭山地区革命戦跡踏査は、戦後の困難をきわめた時期に党の栄えある革命伝統を断固擁護し、継承、発展させるための活動に画期的転機をもたらした。

 総書記は、革命史跡、革命戦跡の踏査とともに、革命伝統の学習を通じても金日成将軍の革命活動史を深く体得するようにした。

 1958年9月と1959年4月、生徒初級幹部と生徒たちに、金日成将軍を見習うのは革命伝統学習において基本をなすことだと強調し、1958年9月には平壌第1中学校(1959年4月に平壌南山高級中学校と改称)に「朝鮮労働党歴史研究室」を設けることを発起し、金日成将軍の誕生記念日以前に研究室を整備する活動に校内の青少年を参加させた。そして「朝鮮労働党歴史研究室」に備える革命伝統教育資料を広範に収集して革命伝統教育資料集をつくって利用するようにし、この活動で率先垂範した。こうして1959年、金日成将軍の誕生47周年を迎えて平壌南山高級中学校に「朝鮮労働党歴史研究室」が立派に整備され、生徒が金日成将軍の革命活動史を深く学べるようになった。

 また、校内青少年の間で出版物を通じての革命伝統学習を活発に進め、特に『抗日パルチザン参加者の回想記』を広く学習し、その読書発表会を開き、革命伝統を学ぶ読書運動を活発に繰り広げた。

 これと同時に革命歌謡の普及活動や革命歌謡合唱競演、革命伝統主題の文学・芸術作品鑑賞会をしばしば催した。

 金正日総書記は、金日成主席を高くいただき、断固擁護するための活動を精力的に推し進めた。

 戦後に至って国際共産主義運動内には現代修正主義が台頭して世界革命の発展に莫大な弊害を及ぼし、党内では現代修正主義に追随する反党反革命分派分子らが金日成主席の絶対的な権威と威信を切り崩して党の路線と政策に反対し、金日成主席が築いた不滅の革命業績を抹殺しようと悪辣に策動していた。

 総書記は、1953年9月から1960年8月まで平壌三石人民学校と平壌第4人民学校(当時)、平壌第1中学校に在学中、金日成主席を高くいただき、断固擁護するための活動を精力的に推し進めた。

 総書記は、学友たちが金日成主席を正しい姿勢と立場に立って心から高くいただくようにした。

 1954年4月、戦後初めて迎える金日成主席の誕生日に、平壌第4人民学校の少年団員の名で金日成主席の安泰と健康を祈る文字を記した祝旗を差し上げることを発案し、これを心をこめて丁重におこなうよう気を配った。

 金日成主席を断固擁護することに最大の力を注いだ。総書記は、党中央委員会1956年8月総会前後の時期、革命の厳しい難局を打開していく金日成主席の安全のために夜を明かしながら全力を尽くす悲壮な決意をかため、その誓いを「死のうと生きようと金日成将軍のために! 1956年9月10日 金正日」と手帳にしたためた。

 1956年4月のある日には抗日革命闘士の崔賢、柳京守たちに、新聞や放送で金日成将軍を守るべきだという記事が発表されればどんなによいでしょう、と語っている。

 抗日革命闘士たちは1956年5月、人民軍新聞に論説「金日成元帥の指導は、わが党と人民のすべての勝利の決定的保証」「金日成元帥を政治的、思想的に、命を賭して擁護、防衛するのは人民軍軍人の気高い義務」を発表した。この論説は反党反革命分派分子らに大きな打撃を与え、人民軍軍人たちには領袖決死擁護の精神を深く植えつけた。

 総書記は、校内青少年の間で金日成主席の革命思想とその具現である朝鮮労働党の路線と政策を擁護するための闘争を強力に展開した。

 1956年5月、第1次5カ年計画の展望について講演した平壌第1中学校の校長なる者が巧妙な言辞を弄して党の経済建設の基本路線を歪曲、中傷したとき、即座にそれを断固排撃し、基本路線を擁護した。また、党政策教育に反対し郷土史の研究を強調して地方主義を鼓吹する分派分子らの詭弁を粉砕し、金日成主席の革命活動史と闘争業績をしっかり体得するよう学友たちを導いた。

 総書記のこうした精力的な活動によって、校内の青少年は、金日成主席をいただく限りない栄光と幸せを胸深く銘記するようになり、金日成主席の革命思想とその具現である労働党の路線と政策を断固擁護しようとする政治的、思想的覚悟を高めるようになった。

 総書記は、校内青少年の間に党の思想体系を確立するための活動を強力に推し進めた。

 金日成主席は朝鮮革命と新たな情勢の要請を深く洞察し、1958年3月、朝鮮労働党第1回代表者会議で分派の毒素を一掃するための党内闘争の経験を総括しながら、党の思想体系を確立する課題を提示した。

 この課題にもとづき、総書記は校内青少年の間でセクト主義の毒素を一掃することに第一義的な力を入れた。1958年4月、平壌第1中学校高級班の民青初級幹部たちに分派の反動的本質と朝鮮で分派が発生した歴史的根源、分派分子の反党反革命的罪業とその弊害、分派分子を組織的に一掃した党の措置の正当性を深く認識させ、彼らを通じて生徒の間でさまざまな形式と方法で分派を断固一掃した党の革命的立場を説明する活動を根気よく繰り広げていった。

 そして、党の思想体系をさらに確固と打ち立てるため、1958年9月に開かれた学校民青総会で『民青員の間に党の思想体系を確立するための課題について』と題する結語を述べた。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「党の思想体系は、本質において金日成将軍の思想体系です。民青員の間に党の思想体系を打ち立てることは、民青組織に提起される最も重要な課題です。『青年の間に党の思想体系を確立しよう!』、これが現在の党の要求であり、民青員に提起されている第一の任務です」

 総書記は、党の思想体系を確立するためには、一にも二にも党政策の教育を強化して、すべての民青員を金日成将軍の革命思想でしっかり武装させ、金日成将軍にあくまで忠実であった抗日革命烈士の革命精神を学ぶようにし、党の思想に反するあらゆる傾向とたたかう気風を打ち立て、革命的組織生活を強化しなければならないと述べた。

 その後、生徒の間に党の思想体系を確立するため、彼らを金日成主席の革命思想とその具現である党政策、革命伝統で武装させることを思想活動の基本的方法としてとらえていった。そして、校内民青活動を党の思想体系の確立に基本を置いて進めるようにした。

 金正日総書記の指導のもとに、戦時と戦後の時期、校内青少年の間で金日成将軍を見習い、断固擁護するための活動が活発に展開されることによって、新しい世代を金日成将軍の真の息子、娘としてしっかり育てていけるようになった。





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