金 正 日

革命戦跡、革命史跡を通じた革命伝統教育を強化するために
白頭山地区の革命戦跡に関する事業を現地指導した際の幹部への談話 
−2000年3月22、24、27日− 


 両江道は、朝鮮革命の事跡の多い由緒ある所です。両江道の至る所に革命戦跡、革命史跡があります。この道には、白頭山密営をはじめ、抗日武装闘争の時期の密営や宿営地が多く、普天堡戦闘、茂山地区戦闘のような重要な戦跡があります。鴨緑江に沿ってくだっていくと、金正淑郡には金正淑同志の革命史跡があり、金亨稷郡には、金亨稷先生の革命史跡があります。また、両江道には、「恵山事件」によって犠牲になった国内の革命家、愛国者の墓もたくさんあります。両江道は、道全体が革命伝統教育において重要な意義をもつ革命の財産に満ちた大露天博物館だと言えます。

 両江道の白頭山地区は、抗日武装闘争期の金日成同志の革命活動史跡が集中している革命の聖地であり、革命伝統教育の重要な拠点です。この地区には、金日成同志の貴重な革命活動史跡が多いだけでなく、ここを革命伝統教育の拠点として整備しようとした金日成同志の高邁な志と労苦が秘められています。

 これまでわが党は、金日成同志の崇高な志を体して白頭山地区の革命戦跡の整備に深い関心を払い、この事業を積極的に指導してきました。その結果、白頭山地区の革命戦跡は、いま見られるように大露天博物館、革命伝統教育の確固とした拠点として立派に整備され、その永久保存システムも確立されました。

 わが国において革命史跡に関する事業は、わが党が直接指導に当たったときから大きな進展が見られるようになりました。1970年代に、わが国では革命戦跡と革命史跡を発掘、考証して整備する事業が大がかりに繰り広げられ、そのときに全国的な規模で革命戦跡と革命史跡の整備が大々的に進められました。

 わが党の指導のもとに、わが国では、革命史跡の管理システムと学術研究システム、革命史跡の解説員教育システムが整然と確立されました。世界のどこにも、わが国のようにこのようなシステムが整然と確立されている国はおそらくないでしょう。これは、実に誇りとすべきことです。

 わたしは、このたび白頭山地区に来て、白頭山密営、獅子峰密営、青峰宿営地、三池淵大記念碑、ペゲ峰宿営地、乾滄宿営地、新四洞革命戦跡地、大紅丹革命戦跡地、茂浦宿営地などを見て回りました。

 白頭山密営に来たのは久しぶりですが、雪に覆われた革命戦跡の風景はなかなか見物でした。白頭山密営の生家の横にある金日成同志の親筆頌詩碑は気品があって立派です。これまで見た碑のなかでいちばんよくできているようです。親筆頌詩碑に心が引かれました。金日成同志の筆致はじつに独特です。金日成同志の筆致は見れば見るほど達筆です。親筆頌詩碑の立てられた位置もよく、碑文に彩色を施していないので、いっそう重みが感じられます。事績碑や現地教示板に刻んだ文字を金色や赤色などで彩色すると、自然味が出ず、重みも感じられません。これから、石材の革命事績碑や由来碑、現地教示板の文が親筆頌詩のように長文でない場合は、彩色しない方がいいと思います。長文の場合は、彩色しないと、文字が読み取りにくいかも知れません。親筆相詩碑に刻んだ文字の深さが2センチなら、長い年月を経ても浸食されることはないでしょう。金日成同志がチュチェ82(1993)年8月に親筆頌詩碑の前で解説員たちと一緒に写真を振った際、「わたしがあなたたちと一緒に記念写真を撮るのは、金正日同志の指導に忠実に従ってほしいからです。これがわたしの願いです」と述べたそうですが、本当に胸が熱くなる言葉です。大学生の踏査者が、白頭山密営の隊員室の壁にかかっている「みんな勉強しよう、知識は黄金より有力である」というスローガンを見て、いっそう勉学に努めて社会主義強盛大国の建設に貢献する決意をかためているそうですが、よいことです。

 三池淵大記念碑は、確かに傑作です。ここに建てられた金日成同志の銅像は立派に形象化されています。万舞台創作社が三池淵大記念碑に建立する金日成同志の銅像を制作する際、わたしは現場に出向いて指導しました。雄大な花崗岩の彫刻像『進撃のラッパ手』も上出来です。『進撃のラッパ手』は、突撃ラッパを吹きながら、いまにも駆け出すような気迫が感じられます。これは、国宝とも言える世界的な傑作です。

 ペゲ峰宿営地は、金日成同志が一行千里の戦術で真昼に「甲茂警備道路」を行軍して老穏山地区に進出し、その一帯の敵を掃滅して大衆政治工作を展開するという戦術的方針を示した所です。戦跡周辺のカラマツはどれもみなよく伸びていて、すっきりした感じです。

 茂浦宿営地は、景色のよい所です。茂浦という地名を、不滅の革命業績と崇高な志を秘めている所だという意味に解釈していますが、うまく言い当てていると思います。以前、茂浦に来て釣りをしたことがありますが、そのとき、釣り糸を垂らし、金日成同志の革命思想をなんと定義づけるべきかと思索を重ねたことが忘れられません。茂浦宿営地の向う側は中国の和竜市で、その西北側は安図県です。安図県は、金日成同志が朝鮮人民革命軍を創建した由緒ある所です。康盤石女史の墓も最初は安図県にありました。

 白頭山地区の革命戦跡、革命史跡の永久保存対策が講じられ、管理も申し分なくゆき届いています。

 青峰宿営地を落雷から守るため、近代的な避雷針を2カ所に設置したのはよいことです。青峰宿営地のスローガンを記した樹木の永久保存対策を立て、その遮光幕の上げ下ろしを自動化したのも結構なことです。スローガンを記した樹木を永久依存する科学技術上の対策が取られたので、金正淑同志の書いたスローガンをはじめ、すべてのスローガンがくっきりと見えます。南朝鮮のある記者が青峰宿営地を参観して、革命の遺産を保存するためにいかに大きな関心を払っているかがよくわかると言ったそうですが、十分うなずけます。

 獅子峰密営にあるスローガンを記した樹木を永久保存するための装置もなかなかのものです。「故郷を発つとき、必ず日帝を打ち倒して再会しようと言った母の言葉、われら忘れまじ」「故郷を離れるとき、すそにすがりつき、必ず日帝を打ち破って帰ってきてと言ったかわいい妹の願い忘れまじ」「故郷を離れるとき、日帝を打ち倒して再会しようと言った、村の乙女とのかたい約束忘れまじ」といった、素朴な内容のスローガンもありますが、これは朝鮮人民革命軍隊員の革命的楽天主義の糖神を生き生きと示しています。

 金日成同志はこのスローガンを見て、朝鮮人民革命軍の隊員は楽天的に生活したため、苦難に満ちた闘争のなかでも勝利することができたのだと述べましたが、全くそのとおりです。革命家は、困難なときほど楽天的に生活しなければなりません。獅子峰密営の隊員室と出版所の建物をよく保存するためガラス張りにしたのも結構なことです。出版所の建物のなかに、当時そこで働いていた隊員たちが使った筆記道具や謄写版などの事績遺物が展示されているので実感が湧いてきます。密営の秘密を保持するため出版所の煙突の高さを低くしたとのことですが、樹林のなかで煙が見えないようにするには、煙突を低くしなければなりません。

 密営と宿営地内の道に木材ブロックが敷かれているので見栄えがします。白頭山密営の生家の庭と司令部の丸太小屋へ行く道、青峰宿営地と乾滄宿営地内の道に敷かれた木材ブロックも見栄えがします。金日成同志は青峰宿営地を訪れたとき、道に木材ブロックが敷かれているのを見て、周囲の環境と調和が取れていると述べたそうですが、確かに密林の風致とよく調和しています。木材ブロックを敷き詰めた道は、砂状の軽石や風化土、セメントなどで舗装した道より見栄えがします。

 革命戦跡の周辺がきれいに管理されています。特に、白頭山密営の司令部の丸太小屋や生家、隊員室が立派に保存され、周囲の環境がきれいに手入れされていて印象的です。

 白頭山地区の革命戦跡の解説員、管理員は、厳しい自然環境のなかでも自分の任務を遂行しようと頑張っています。若い女性解説員たちが、都市で暮らせば晴れ着を着て出歩くこともできるのに、人跡まれな千古の密林のなかで、質素な軍服姿で何の不平ももらさず、自力で生活しながら解説の仕事に専念しているのは感心なことです。革命戦跡の解説員のなかには、在職歴の長い功労者もいれば、姉妹の解説員もいます。今回会った解説員たちはとても印象的でしたが、わけてもいちばん印象深かったのは、新四洞革命戦跡地の解説員です。今回、新四洞革命戦跡地を見て回った際、金正淑同志がチュチェ28(1939)5月に新四洞を訪れて水を汲んだという場所も見ましたが、解説員は澄んだ声で、事績遺物についてよどみなく説明してくれました。彼女は、金正淑師範大学を卒業して以来、22年間解説員を務め、夫も革命事績部門で働いているそうです。夫婦ともども、革命事績部門で長い間働いているというのは立派なことです。この革命戦跡には、18年間解説員を務めている人もいるとのことですが、22年、18年も解説員を務めている人は、解説員としては年長者と言えるでしょう。

 白頭山地区の革命戦跡の解説員たちは人里離れた密林のなかで寂しく暮らしているのではなかろうかと心配したのですが、文化情操生活もし、楽天的に生活しているのを見て安心しました。

 今回、白頭山地区の革命戦跡を見て回って、新たに感じたことも多く、感興をそそられたことも多々ありました。ただ歩くだけでも苦しいのに、金日成同志が抗日革命闘争の時期に風餐露宿しながら敵との熾烈な戦闘を繰り広げ、寒さと飢えをしのいで苦難に満ちた行軍を続けるのにどんなに苦労したかを改めて痛感させられました。そして、その過程で積み上げた革命業績がいかに豊かで偉大なものであるかについて、いっそう深く考えさせられました。金日成同志は、祖国の解放のため、人民の自由と幸福のため、血戦万里の道をかき分けてきた伝説的英雄、希世の偉人でした。金日成同志の不滅の革命業績は、朝鮮人民の胸に永遠に深く刻まれ、歴史に末永く輝くことでしょう。抗日の革命烈士は、金日成同志に従って革命のいばらの道をかき分け、血と汗によって万古の抗争史を創出し、彼らが貫いた領袖決死擁護の精神、百折不屈の革命精神は、こんにち、わが国の軍隊と人民の心のなかにそのまま脈打っています。

 抗日の光輝ある革命伝統は、わが党と革命の根強い根源であり、万年の礎です。長期にわたる抗日革命闘争の時期、金日成同志によって創出された革命伝統を永遠に擁護、固守し、継承し発展させ、その偉大な伝統にもとづいてチュチェの革命偉業をあくまで達成しようというのは、わが党の確たる意志であり決心です。我々は、革命伝統教育を引き続き強化し、革命の世代がかわって革命が深化するほど、この活動をより積極的に繰り広げなければなりません。

 今回、わたしが白頭山地区の革命戦跡を見て回ったのは、全党、全軍、全人民が、社会主義強盛大国の建設に奮起している革命的高揚の時期に合わせて、党員と勤労者のあいだで革命伝統教育をさらに強化する社会的雰囲気をつくり出すためです。

 わが党は、1960年代に革命伝統教育を強化するための措置を講じ、全社会的に抗日革命烈士の革命精神と闘争気風、生活気風を見習って、社会主義建設でチョンリマの大高揚を起こすよう導きました。そのときから長い歳月が流れました。その過程で世代の交替がなされて、当時の青少年が、いまは革命と建設の基本勢力となり、新しい世代が育ち、朝鮮革命は、大きく前進して社会主義強盛大国を建設するという高い段階に至りました。このような歴史的事実は、人民のあいだで革命伝統教育をいっそう強化することを切実に求めています。

 朝鮮革命の内外の情勢は、依然として複雑で緊迫しています。今後、朝鮮革命の前途には、いまより厳しい試練が到来するかも知れません。そうなれば、我々も金日成同志が抗日革命闘争の時期に歩んだような険しい道を歩まなければなりません。革命の難局を打開するためには、党員と勤労者のあいだで革命伝統教育を強化しなければなりません。

 革命伝統教育を強化することは、世界の社会主義運動の歴史的教訓に照らしてみても、きわめて重要な問題として提起されています。かつて、社会主義を建設していた多くの党は革命伝統教育を放棄したため、革命の前世代が血をもって勝ち取った革命の獲得物を台無しにし、あげくのはてには、社会主義制度まで崩壊させるに至りました。

 我々は、革命伝統教育をいつにも増していっそう強化し、革命の赤旗を変わることなく確固とかかげて進んでいることを、世界中にはっきりと示すべきです。我々は、革命伝統教育に引き続き大きな力を注ぎ、すべての党員と勤労者が「生産も学習も生活も抗日遊撃隊式に!」というスローガンを高くかかげて、抗日遊撃隊員のように活動し、生活し、金日成同志によって切り開かれたチュチェの革命偉業を代を継いであくまで達成するようにしなければなりません。

 革命伝統教育は、さまざまな形式と方法でおこなうべきです。革命戦跡、革命史跡を通じての教育は、革命伝統教育の効果的な方法の一つです。

 党員と勤労者をわが党の革命伝統で武装させるにあたっては、白頭山地区の革命戦跡、革命史跡を通じた教育を積極的におこなうことが大切です。朝鮮革命は白頭山にその源があり、朝鮮の精神は、ほかならぬ白頭山の精神です。白頭山地区の革命戦跡、革命史跡を通じた教育を積極的におこなうためには、この地区への踏査を広範におこなう必要があります。白頭山に登り、白頭山密営も訪ねてこそ、朝鮮革命の歴史と根源、金日成同志の不滅の革命業績についてもっとよく知り、白頭の革命精神もいっそう深く体得することができるのです。いま、人民軍は、白頭山密営をはじめ、白頭山地区の革命戦跡への踏査を大々的におこなっていますが、一般社会ではそうでありません。一般社会では、青年同盟組織が青少年学生に白頭山地区戦跡を踏査させていますが、多くの場合、国家的な祝日や記念日を機におこなうだけで、定期的にはおこなっていません。国家的な祝日や記念日に踏査をおこなう場合も、戦跡に来て決意をかためる集いを開くことにとどまっていますが、革命戦跡への踏査をそのようにしては、革命伝統教育を正しくすることができません。革命戦跡への踏査では、形式が重要なのではありません。革命戦跡への踏査は、あくまでも金日成同志の革命思想、白頭の革命精神、抗日遊撃隊の闘争気風、生活気風を見習うことに重点を置いて実質的に、国的志向性をもって定期的におこなわなければなりません。そうして、党員と勤労者、軍人と青少年学生をわが党の革命伝統でいっそうしっかりと武装させなければなりません。

 革命戦跡、革命史跡への踏査を定期的に広くおこなうためには、交通の便をはからなければなりません。いま、両江道内の、革命戦跡、特に、白頭山地区の戦跡を踏査するうえで最大の難点となっているのは交通問題です。踏査者が恵山まで来ても、交通が不便なので白頭山地区の革命戦跡を踏査するのに難儀しています。踏査者の交通の便を図るには、列車を恵山止まりにせず、白頭山地区の革命戦跡、革命史跡を一周できるようにするのが理想的です。白頭山地区の革命戦跡、革命史跡は恵山からそれほど遠くないので、少々力を入れればこれは十分可能です。恵山と白頭山地区の革命戦跡、革命史跡間の道路は悪くないのですから、適当なバスを提供すれば踏査者の交通問題はかなり解決されるでしょう。交通事情が許さないときは、青壮年と少年団員に徒歩行軍で戦跡を踏査させるのも悪くありません。

 革命戦跡踏査者への給養活動を改善することが大切です。胞胎総合農場で生産されるジャガイモも給食用として供すべきです。踏査コースの要所要所にジャガイモを貯蔵して置き、行軍の路上でジャガイモを焼いたり、ジャガイモの澱粉でつくったもちや麺などいろいろな食べ物を供すれば、踏査者はほかでは味わえないジャガイモの特別料理を味わったと喜ぶことでしょう。将来、胞胎総合農場を踏査者のための専門農場にすることも考えられます。

 朝鮮革命の万年の財産である両江道内の革命戦跡、革命史跡をしっかり整備し、よく保存、管理することに力を注ぎ、なかでも、白頭山地区の革命戦跡、革命史跡の整備と保存・管理には特別な関心を払わなければなりません。

 今回、白頭山地区の革命戦跡、革命史跡を見て回って、遠い将来にも遜色がないよう立派に整備すべきだと思い、さまざまな課題を与えました。新千年代に入ったのですから、すでに整備したものであっても新しい目で見て、欠点は是正し、整備し直すべきものは新たに整備すべきです。

 革命戦跡と革命史跡は、本来の姿を生き生きと見られるように保存し、丹念に管理すべきです。抗日遊撃隊員は、苦難に満ちた闘争のなかでも、どこへ行っても宿営地をきちんと設営し、一夜を過ごすにしても便所まで設け、周辺をきれいに整えました。白頭山密営の司令部の丸太小屋、生家、隊員室は、抗日遊撃隊員が生活していたときのように管理すべきです。そうすれば、抗日遊撃隊員の生活気風がわかるように、踏査者に事績遺物について説明することができるでしょう。

 革命戦跡にあるスローガンを記した樹木をよく保存、管理し、それを通じた教育方法も考え出すべきです。昨年の秋、慈江道の狼林革命事績館に行って見ると、スローガンを記した樹木を館内にずらりと並べていましたが、人々の訪ねにくい遠い所にあるものは必要な所に移して保存することもできます。そうする場合も、内容のない立て方をせず、学術的意義を付与して展示し、教育に利用すべきです。

 革命戦跡、革命史跡の保存・管理で最も大切なのは、山火事防止対策をしっかりと講じることです。

 両江道は、国宝ともいえる道です。この道内の革命戦跡、革命史跡の大部分はうっそうとした森林のなかにあるので、秋に積もった落葉は火薬も同然です。それゆえ、山火事が発生すると鎮火するのは困難です。戦跡、史跡が山火事に合うと、国の貴重な宝と財産を失うことになります。まして、金日成同志の革命事績が秘められている白頭山地区の戦跡に山火事が起きれば、それがもたらす損失は何をもってしても補償できません。両江道では、山火事防止対策を抜かりなく立てることに格別な関心を払うべきです。青峰宿営地の山火事防止装置は自動化されているとはいうものの、いったん火事になると手のほどこしようがありません。山火事にたいする警戒を怠ってはなりません。すべての革命戦跡に山火事防止遮断線を設け、山火事の原因となるような要素を残らず調査して取り除き、人々が燃えやすい物を持って森林にみだりに出入りすることのないよう、徹底的に取り締まるべきです。

 現在、三池淵郡の住民の大半は革命事績部門で働いているのですから、郡では革命戦跡の保存と管理・運営に重点を置いて活動すべきです。

 革命戦跡、革命史跡を通じた革命伝統教育を強化するためには、解説員の陣容を充実させ、彼らの役割を高めなければなりません。白頭山地区革命戦跡の解説員の陣容を充実させるべきです。全国の師範大学卒業生のなかから人材を抜擢し、一年ぐらい実習させてから白頭山地区革命戦跡の解説員として配置するのがよいでしょう。革命戦跡の解説員は、事績についての解説が上手でなくてはなりません。昨年、慈江道の延豊革命事績館を訪ねたとき、そこの解説員は、歌も交えて事績について生き生きとはっきり説明してくれました。白頭山地区革命戦跡の解説員も、レベルを高めるべきです。

 革命戦跡の解説員、管理員の文化情操生活水準をさらに高める必要があります。今回、白頭山密営革命戦跡の解説員、管理員の芸術小品公演を見ましたが、彼らに人民軍の軍部隊芸術宣伝隊の公演を見せるのがよいでしょう。そうすれば、彼らも芸術小品公演を上手におこなうことができるでしょう。今後、事績部門の芸術小品公演の水準を高めるべきです。

 革命戦跡の解説員、管理員の生活条件を十分に保障しなければなりません。白頭山地区革命戦跡の解説員、管理員は、深い樹林のなかで頑張っているのですから、彼らのためなら何も惜しむことはありません。彼らの生活に必要なものはすべて提供すべきです。現在、冬には解説員たちに防寒靴が供給されているとのことですが、白頭山地区の冬の寒さは他よりも厳しいので、防寒靴を履いても長い間、外にいると足が冷えるはずです。女性は手足を冷たくすると冷えにかかりやすいので、手足をぬくめ、体も温めなければなりません。女性の解説員に毛皮のブーツを供給すべきです。解説員たちは薪でご飯を炊いているそうですが、日がな一日解説をし、柴刈までするというのは大変なことです。中小発電所の電機が引かれている所では、電気でご飯を炊けるように電熱器を備え、宿舎には電気暖房装置も取りつけてやらなければなりません。

 白頭山地区は水が不足しているので、ここの革命戦跡の解説員、管理員の生活では用水問題が難題となっていますが、これも解決してやるべきです。水のために彼らを苦労させてはなりません。それで、わたしは浄水器や温水器を送るよう措置を講じました。浄水器を使えば、浄化された水を飲むことができ、温水器を使えば、湯を沸かして入浴することもできます。

 白頭山地区革命戦跡の活動家と解説員、管理員は、金日成同志の革命事績が秘められている由緒深い革命戦跡で働いているという誇りと栄誉を抱いて、革命戦跡の保存・管理とそれを通じた革命伝統教育をより立派におこなわなければなりません。

出典:『金正日選集』15巻


 <参考>風餐露宿=ふうさんろしゅく。風を食し露に寝るの意で、野宿すること。露営。広辞苑第6版より。


ページのトップ


inserted by FC2 system